I・陶器の白狐
主人公とお稲荷様のちょっと不思議なほのぼの日常奇譚。
小説なんかとは無縁な人生を歩んできた。月並みな言葉しか湧いて出てこないし、ああ、これは学生の頃に読んでたネット小説や紙の本の純文学の域だ。大人になってからは一度も読んでない。そう、一度も。
「ごはぁ!げふ、げふ……」
俺は境蒔人47歳…の筈である。喉から永遠に糸が絡んで、中々全部が出てこない。その前に、俺は、何をしていたのだろうか。ここは地獄だろうか、否、これはかの有名な小説の「蜘蛛の糸」の舞台ではないだろうか。だとしたら俺はどんな罪状で此処に居る?記憶を遡っても、俺は真っ当な人生を歩んできた事実しか残らない。俺は手に力を込めて、ぐいと糸を引いてみた。嗚咽。肺がよじれそうな苦しみが俺を襲う。夢なのか?夢ならば、どうか───。
「はぁ!!っはっ……。」
夢だった。途中までは良い夢だった。作業所の皆と会誌を出す事になり、俺だけ美女のイラストと、小説を載せようとした。それが公序良俗的に悪かったのか、夢の世界の神様からお咎めが入ったのだろう、と思う事にした。
俺は住んでいる賃貸マンションの、いつもの日の当たらない寝床に再度、横になった。
「お主、うなされていたぞ。」
「誰だ!?お前!!」
突然呼びかけられた声に驚き、俺は壁に引き下がった。見れば奇妙な出で立ち。赤く複雑な模様の入った、白い狐だった。猫ほどのサイズで、此方を見つめている。さては、夢の中の出来事は全部こいつの仕業か?見た所、この狐は普通の狐ではない。つまるところ…日本の神様の一人の…。
「お稲荷、様?」
「左様。」
即答であった。稲荷は俺を見つめながらピクリとも動かない。目は鋭く尖ってはいるが、瞳の奥は優しい笑みを浮かべている。何だか見守られているみたいだった。俺は深呼吸して落ち着いて、問いかけてみた。
「貴方は、お稲荷様で、何で貴方様のお姿が、僕に視えるのでしょうか?」
稲荷は遠かった目を少し丸くし、意外そうに俺を見つめた。
「…ウヌ、話のわかる人間よの。お主を罰してる時に何かの手違いで、現世に降りたってしまったようじゃ。さて、どうしたものやら。」
困った風な表情を浮かべた稲荷。俺と対話してくれた神様に、先ず感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます。何かの手違いで現世に来てしまったのなら、僕が貴方に当分の衣食住を提供します。こんな…こんな…」
真っ青な顔をした俺はふと現実に返った。布団の周りは週刊誌や酒缶で溢れ、狭い台所にはカップ麺のカップが山の様に積まれ、ゴミ屋敷一歩手前の環境に、神様にこの誘いは、返って悪い気がした。
「天晴れじゃ。お主の考えに感謝し、当分の刻、此処に繋いで貰おう。して、望みは何と致す。」
「あの、手間取って悪いのですが、先ずは部屋の掃除を…。」
「了解致した。」
動物に、否、お稲荷様に掃除なんて出来るのか。半ば怪訝な表情をしたが、相手は神様だ。できない事は無いのだろう。
「お願い申し上げます。」
「これで良いか?」
稲荷は上を向いて紫色の雲を吐き出し、靄に包まれたゴミを一掃した。俺は小さい悲鳴を上げて、でも無礼のないようにそこから動かなかった。
「ハハハ、お主も動いていたらお主をも消す所じゃったぞ。」
俺は座りながらまた、青ざめた。そうだ、ごはん。お供え物を持ってこなければならない。何かないか。
「あの、これで宜しければ召し上がってください。」
俺はこの物価高で米が買える程恵まれてはいないので、お菓子のお煎餅を籠から取り出した。
「ウヌ、美味そうじゃの。くれるのか?」
「はい、お稲荷様に感謝を込めて。」
「ありがとうな。蒔人よ。」
袋を開けてあげて、お稲荷さんの口へ差し出した。細い上品な口が煎餅を砕く。不思議と、煎餅のカスは落ちたが布団に落ちる前に消える。本当に食べているのか?
「僕の名前をよくご存知で」
「当たり前じゃ。お主を幼い頃から見ておる。」
「えっ…そうなのですか。守護神とか何かですか?」
「お主、幼い頃にわしの像で遊んだでおろう。」
「あ…」
思い出した。遠い思い出になるが、祖父母の家に祀られていた二体の白い狐の陶器の像を二手に持ち、一つの顔を割ってしまったのだ。それを見た祖母に物凄く怒られた。もしかしてあの稲荷か。
「ちなみに、言わずとも伝わる。」
「あわわわ…!あの時はごめんなさい!」
恥ずかしくなって、俺は布団を頭から被った。47にもなって、何を宣っている。俺はいつもそうだ。平生を装い、結局は相手に喉元を掴まれる。苦しい、苦しい。さっきの喉から出てくる蜘蛛の糸の様だ。
「オヌシ、良かったな。ここで対面したのは何かの縁。蒔人の背後に、他の神も居るようじゃ。厄介な神がな…」
「え…?」
背中が妙に重たい。何かがのしかかって居るようで気分が悪い。段々、肩に触る手が視えてきた。全体が黒ずみ、しわしわで痩せ細っている。これは…。
「貧乏神じゃな。」
「うご…うご…、ヒモジイ。ヒモジイ。」
稲荷は貧乏神をきっと睨めつけた。
毎週日曜日にまったり更新していく予定です。宜しくお願いします。




