動き出したバカたち
さっきから短いバイブ音が止まらない。Xの通知か。
ということは動きがあったのかもしれない。
塾の自習室で勉強していた私立我住学園のパソコン部部長、桜木由貴は携帯をポケットに入れてトイレに行った。
有名な進学塾。周りは難関大学を目指している生徒たちだ。たとえ自習室とはいえ、携帯を見るのをはばかられた。
予想通りXの通知。アプリを開けた桜木の顔が固まった。
【ズマ学です。一位のメシ高を倒した】
100件近くついたコメント。順位を入れ替えるように、というコメントも溢れていた。
「は?なんだこれ」
ズマ学の生徒たちがこのコメントをしたのではないことはわかる。問題はなぜズマ学が一位にされたのかということだ。
開示請求でもしない限り、このアカウントが桜木のものだとわかるわけがない。開示請求なんて言葉も意味もバカどもは知らないはずだ。
一旦落ち着こう、と桜木はメガネをキッチリと掛け直し、鍵アカウントの方の通知を見てみる。そこには今回のゲームに参加して金を賭けているズマ学の生徒たちの取り乱したコメントで溢れていた。
【バレたんだ。あのバカどもに襲われる】
【親にバレたらどうすんだよ】
【桜木さん!どういうことですか!】
「…なんだこれ」
桜木は慌ててメシ高を尾けさせていた生徒に電話する。
しかし礼緒に鼻を折られた生徒は何を言っているのかわからないほど泣いていた。
「ねえ。そろそろ鍵アカも見てみようよ」
礼緒の声にXにコメントしまくっていた各校の生徒たちが酒匂の周りに集まってきた。
「ヤバイー。おもろー。おもろすぎるー」
「礼緒さんご機嫌ですね」
「当たり前だろ。こんなおもろいことあるかよ」
全員で顔を寄せ合ってズマ学生たちの焦ったコメントを笑いながら見ていると、ポン、と桜木からのコメントが入った。
【あのバカたちにバレることは絶対にない。
なぜこんなことが起こったのか調査中。バカはバカなので安心するように】
「まあなー。そうよなー。酒匂がいなかったらわかんなかったもんなー」
「納得してる場合か宗輝。コイツ、何回バカって言うたら気が済むねん。ムカつく」
桜木のコメントが効いたのか、しはらくしてからズマ学の生徒たちは桜木に賛同のコメントを次々と入れた。
【ですよねー】
【バカにバレるわけない】
【ゲーム続行だな!】
おそらく桜木はズマ学でも頭が良い方なのだろう。
そしてリーダー的存在。
だからこそズマ学の生徒たちはこのゲームを楽しんでいるのだ。
「酒匂。コメントできない?」
「鍵アカに?」
「うん。誰かのアカウントを乗っ取って。無理?」
礼緒に言われた酒匂はXの画面から一つのアカウントに飛ぶ。急に画面が真っ暗になって数字やアルファベットがところ狭しと並び出した。
「よし。今ならできる。バレる前に」
「ありがとう!」
「酒匂ヤバいな。敵に回したらあかんヤツや」
酒匂は一時的に適当な一人のアカウントを乗っ取った。
礼緒がキーボードをカタカタとさせてコメントを入れた。
【バレてないんなら誰がうちがメシ高に勝ったなんてコメすんの?
調査中かなにか知らないけど明日にでも二位と三位が攻めて来たらどう責任とるつもり?】
「酒匂。礼緒のコメントに桜木がなんて反論してくるか待とうぜ」
桜木に賛同していたコメントが礼緒のコメント以降静かになる。それでも目を逸らさずにみんなで見ていると、10分ほど経って桜木がコメントを入れた。
【調査中。もう少し待って】
【調査中しか言えないの?どうすんの?すでに二位と三位が来てたら】
礼緒がパソコンからまたすぐに返信する。ズマ学の他の生徒たちは桜木からのコメントを待っているかのように静かだ。
「俺こういうの苦手なんだよなあ」
「俺もだよ。タイマンはらせてくれたらそれで良いのに」
ワル工・茅ヶ崎とハン高・稲村がいつのまにか仲良く話している。
みんながいる町工場の外は暗くなっていた。
桜木はメシ高を尾けさせていた生徒にもう一度電話をした。
さっきは何を話しているかわからなかったが、落ち着いているかもしれない。
なんとかしてこの状況を読まなければ。大丈夫、と言ってもその理由を言わないことには誰も納得しない。
「桜木さん…」
「おい。どうなってるんだ」
泣き止んではいたが、滑舌が変だ。
顔に靴が飛んできて鼻が折れた、とその生徒はなんとか説明した。
「そうだったのか。それはすまなかった」
「でも、偶然です。バレてません。靴に虫が入ったとか言ってて」
「いや。偶然じゃない。メシ高はワル工とも繋がっている。そいつらは何か嗅ぎ取ってるんだ」
アカウントがバレるはずがない。
桜木はさっきコメントしてきたアカウントのことを思い出した。
電話を切ってから、違う生徒に電話をした。
「Xの、あのコメントしてきたヤツ誰だ?」
「あれはパソコン部の、」
電話の相手はパソコン部副部長。桜木に言われる前にもう反論してきたアカウントを調べていたようだ。
副部長が言った生徒はパソコン部の2年、桜木たちと仲の良い生徒だった。
「あいつがあんなコメするわけない。乗っ取りだな」
「だろうな。てか乗っ取りなんか誰が、」
「メシ高だろ。偏差値底辺のバカのくせにどうなってんだ」
その間もXの鍵アカでは礼緒がどんどんコメントする。
誰も言い返さない。まるでワル工とハン高がもう明日にでも来るような勢いだった。
「どうするんだよ桜木」
「まあ、俺に任せろ」
桜木がそう言い切ると副部長は元気な声を出した。
桜木に任せておけば良くなったので機嫌が良いのだろう。
副部長と電話を切った桜木はランキングを載せた公開アカウントに投稿した。
【ズマ学がメシ高に勝ったという情報はデマです。ズマ学は今回のランキングには参加していません】
そしてズマ学の賭けをしている鍵アカウントでは、
【メシ高にうちが勝ったという情報は、みんなもわかっていると思うがデタラメ。気にしないように。ランキングの方にもデマだと投稿した】
うーん、と酒匂が腕を組む。こちらがあぶり出されないうちに、乗っ取っていたアカウントを捨てなければならない。
「作戦を練り直すしかないね。とりあえずこの、」
「ちょっと待って」
そう言って酒匂の手を掴んだ礼緒がまたカタカタとキーボードを打った。
【今、謝るなら無傷で許してやる】
礼緒が送ったのはDM。コメントと違って受け取った桜木しか見られない。礼緒は本当に今謝るなら許してやろうと考えていた。
「礼緒さん。甘いっスよ」
「最後のチャンスだよ。ここで桜木が罪を認めて謝ったら許すけど、もし謝らなかったら…」
礼緒が足元にあった太い角材の上にドン!と足を乗せる。
絶対にありえないはずなのに、その角材はへしゃげて
真っ二つに割れた。
「桜木から全てを奪い取ってボコボコにする」
シーン、と音が聞こえるほど町工場は静まり返っていた。
桜木がもし、礼緒を怒らせるとこの角材のようになるのだ。
今ある形を失うだけではなく、再起不能に。
「あ。返信来た」
またみんながパソコンの近くに集まる。
桜木から帰ってきた返信は想像を絶するものだった。
【どこのバカだ?お前みたいなバカが俺に命令するな】
「おいお前ら。行くぞ」
「礼緒、」
「今から行って桜木をヤる」
「礼緒さん!お供します!」
「待て」
町工場を出て行こうとする礼緒にワル工とハン高がついて行く。省と宗輝が礼緒の腕を片方ずつがっちりと掴んでその足を止めた。
「放せ」
「さっきから言ってるだろ。桜木が絶対に逃げられない証拠を土産に持っていかないと。言い逃れされるだけだ」
「今お前が行ってズマ学で暴れたらお前が加害者、桜木が被害者になるんや。冷静になれ。絶対に潰すから」
礼緒のハーフアップにした髪がぶるぶると震えているのを
後ろにいたワル工とハン高の生徒たちは見ていた。
謝らないから腹を立てているのでない。
礼緒は仲間を侮辱しておもちゃにしている桜木が許せないのだ。
しかし省と宗輝の言う通り、今ズマ学に乗り込んでも一方的にこちらが悪いとされるだけなのだ。
「礼緒さん。俺たちなんでもします。だから確実にズマ学を潰しましょう」
ワル工の頭、茅ヶ崎が落ち着いてそう言うと、他の生徒たちも礼緒の周りに集まってきた。
「あの、俺、ずっと考えてたんだ。なんでみんな桜木が絶対みたいになってんのかなって」
みんなが一斉に酒匂の方へ顔を向ける。並んだいかつい顔を見るのもそろそろ慣れてきた酒匂は話を続けた。
「なんか、ボロっての?出しそうな気がするんだ」
「桜木が?」
うん、と酒匂が頷く。確かに酒匂の言っていることは宗輝も気になっていたことだった。
楽しいゲームだが危険もつきまとう。それなのになぜこんな賭けに大人数が乗ったのか。
頭の良いヤツの考えることはわからないが、普段から桜木に逆らえないようななにかがあるのかもしれない。
「よし。ズマ学に近いのはハン高か。悪いけど桜木を尾けてくんねえか?なるべくそういうのが得意なヤツに頼みたい」
ハン高の頭、稲村が二人を選んで宗輝の前に連れて行った。二人とも小柄で細い。
「コイツら運動神経神ってるし、足も早い」
「ありがとう。よろしく頼む。どんなことでもいい。
桜木が不利になるような情報を掴んでくれ」
「わかりました」
落ち着いた礼緒が振り向く。その顔がいつもの表情だったことにみんなは安心した。
「俺らメシ高も尾けられてた。ワル工とハン高も気をつけて。大事な話は外でしないで」
「わかりました。礼緒さんもご無事で」
桜木のなにかを掴めればそれを材料に詰めることができる。
完璧な人間などこの世にはいない。
まずは周りから固めて逃げ出せないようにするために動くことに決まった。
桜木は自室でパソコンに向かっていた。
ランキングを載せたアカウントについたコメントは、いろんなアカウントから書き込みされていた。
今回の賭けに参加しているものしか案内していない鍵アカウント。そのうちの一人を乗っ取ってコメントしてきたのはいったい誰なのか。
莫大な数のアカウントを調べている時間はない。
そして今、ワル工やハン高が来たとしても、身に覚えがないと言い切ればすむ。
もしワル工やハン高がズマ学で暴れたら捕まるので、それ以降の動きは封じることができるが。
「クソ」
ゲームを続行しなくてはならない。こちらの動きを封じられても困る。パソコンから顔を上げて桜木はふう、と大きな息を吐いた。
ワル工でもハン高でもなく、メシ高を一位にしたのはゲーム的におもしろいからだった。
頭がいないメシ高にワル工やハン高が仕掛けていくのは目に見えている。それなのに今のところまだ動きは少ない。
こういう時はしらばっくれて様子を見るのが一番だ。
桜木も正直、さっきのコメントが本当にメシ高やワル工からのものなのか、はたまた正体を突き止められたのかはわからない。
怖いと言えば怖い。
しかし金が動いている。暇つぶしに始めたがもう引けないところまで来ている。
引くことにより桜木のメンツは丸潰れになる。
誰もついてきてくれなくなる。
今は下手に動かない方がいい。
そう決めた桜木は塾の宿題をし始めた。
酒匂の指示で、ランキングの方のアカウントにはみんなでずっと
【ズマ学がメシ高を倒したからランキングを入れ替えろ】とコメントをし続けていた。
ハン高の稲村が放った二人は桜木を尾ける。
メシ高、ワル工、ハン高の三校で作ったグループラインで全ての状況を共有した。
そしてズマ学の鍵アカウントでは、
【バカたちはまだ動かないのか】など、煽るようなコメントや、桜木を持ち上げるコメントなどが連日書き込まれる。
酒匂はそれらを全て保存していた。
この日、桜木を尾けていた二人は桜木が図書館で一人のズマ学の生徒に会っているところを見た。
「桜木さん」
「ケガは大丈夫か?」
鼻に特殊な器具をつけているその生徒。マスクをしているが眉間の辺りまでその器具が見えている。
メシ高を尾けていて、礼緒に靴を投げられて鼻を折られた生徒だった。
「なんとか」
「悪かったな。とんだ災難だった」
図書館の机に並んで座った桜木とその生徒。
尾行していたハン高の二人はすぐ後ろの本棚に隠れてボイスレコーダーのアプリを開けた。
「これ」
「いいんですか?」
「足りなかったらまた言ってくれ」
「ありがとうございます」
こちらに背中を向けている桜木とその生徒を、本の隙間から観察すると二人の間に金が見えた。パッと見た限り数万円。
これでケガをした生徒もモンクは言えないだろう。
「靴が飛んできた時のことなんだけど、メシ高しかいなかったか?」
「はい。桜木さんが尾けろと言った下川、鈴木、生野、とあと一人いましたけどそいつもメシ高です」
「ワル工はいなかったんだな」
「はい。学校を出てからずっと尾けてましたけどいませんでした」
桜木がふう、と息を吐いて腕を組む。
金をもらった生徒はうれしそうにポケットに入れていた。
メシ高の周りにワル工の影が全くない。ということはあの二校はグルではないということか。
靴を投げたのは本当に偶然なのか。
桜木はメシ高とワル工がつるんで何かをしようとしているとにらんでいたが、どうやらそうではないようだ。
「あの、下川って女。なんであんなヤツを尾けるように言ったんですか?」
「下川な。あいつがメシ高の頭だ」
「は?」
「しかも下川はあんなカッコしてるけど男だ」
え!と大きな声を出した生徒が、図書館だと気づいて口を押さえた。




