初出勤 << セルバート >>
グローバルな世界において、国境は子供の頃に飛び越えた小さな跳び箱や、走り幅跳びのハードルにしか過ぎない。
まっすぐに突き進めばぶつかり怪我もするが、飛び越えようと手続きを踏めば、誰にもでも飛び越えることが出来る。
グーグルの地図を見れば、自分の国からこれから行く出張先の国まで、遮るものは何も無い。
指をスラッシュするだけだ。
位置情報を表示し、滞在するホテルを見つけ、荷物を部屋において、私は一息ついた。
これから海外支社に顔を出す。
仕事は明日からだが、入館のセキュリティーの問題などで出勤トラブルがあってはつまらないので、今日のうちに顔を出しておこうと思う。
この都市のオフィス街はなかなかのものだ。
高層ビルが空を隠さない程度に立ち並び、高級なショッピングストリートもある。
首都最大のターミナル駅だけあって、観光客も多い。
そして私も観光客のようなものだ。
文化風習の違いは、国境とは違い、簡単に乗り越えられるものではない。
その違いを楽しみ、利用する。
それが観光の楽しみ方だ。
私はやるべき仕事をやるだけだ。
私はビルの前に立ち、スマホで代表電話をかける。
「お世話になります。セルバートと申します。明日よりこの会社の総務部の部長として勤務します。前日ではありますが、挨拶に伺いたいのですが、よろしいですか?」
「はい。話は承っております。ビルの入口にいらっしゃいますか。今、そちらに向かいますので、しばらくお待ち下さい」
代表電話がこれから勤務する総務部だったので、話は早かった。
5分ほど待って、一人の女性が守衛の横のゲートを抜けて、こちらに来た。
まだ若い。
歳は30前後だろう。
スタイルのいい女性だ。
私はマスクを外し、自己紹介と挨拶したあとに、入館のやり方を確認する必要がある。
「私のセキュリティーカードは用意できているかい?」
明日の出勤でその使い方から、退勤までの必要なことをまず学ぶ必要がある。
「はい。お持ちしました」
彼女は私にカードを手渡しすると、カードを仕舞うケースも見せてくれた。
「色はどれがお好みですか?」
私はブラックを選ぶ。
「入れた状態でタッチできます」
彼女の言う通りに触れて、ゲート過ぎる。
エレベーターを待つ間、前任者と部署内の状況を聞いた。
前任者は私と同じように本国からの出向者のようだった。
部署内の状況は、社内の求人に苦戦しているとのことだった。
この国は、少子高齢化が進んでいて、労働力が減少しているという事前知識は得ていたので、そうですかとだけ答えた。
実際の状況は、勤務して肌感覚もないとわからないだろう。
ただ、ここまでの手続きがスムーズだったことから、前任者の仕事はデタラメではないだろうことは感じた。
私の前にいた職場は酷かった。
新人が入っても上司は挨拶すらせずに、眼の前の仕事に没頭していた。
私が気を利かせて、新人を上司の前に案内すると、手を止めてよろしくとだけ挨拶して仕事に戻った。
新人のためのデスクやロッカーは、新人が来てから用意していた。
配線の確認などは、専門の人でないと出来ないのだから、前もって準備すべきなのに、いつも目の前の仕事に追われて、後手後手で動いていた。
だが私は、その職場の不平を漏らしたことは一度もない。
勝てない戦線で戦うことはない。
職場の不満を漏らしても、評価が上がることはない。
出来ること、成功することを繰り返す。
これのみが、私を高みに連れて行ってくれる。
多くの人は成功体験を軽視している。
困難を回避しようとせず、立ち向かい、敗北し、それを良い経験だと思い込む。
違うんだよ。
勝ち続けることだけが、勝つために必要な経験なんだ。
職場での挨拶は済ませた。
支社長や役員への挨拶も済ませた。
関連部署への挨拶は、これから勤務する部署の詳細を確認してからで良いだろう。
「ここまで付き合ってくれてありがとう。やるべき挨拶は終えたよ。みなさんはいつもは定時に仕事は終えられるのかな?」
私は今日ここまで挨拶に付き合ってくれた女性に感謝を伝えた。
彼女は村瀬聡美という。
彼女は少し考えて答えた。
「部長の指示があれば、定時で上がることもできます。ただ会社の求人が上手くいっていないので、優先的に人を営業部に入れていて、総務部の補充がまだ出来ていなく、残業は増えています」
そして彼女は、にっと笑って、「今日はこの後、総務部の人を連れて飲みに行きますか?」とビールを飲む仕草をした。
いいね、この娘は。
私は笑顔で、「ありがとう、まだ勤務は明日からなので、それは明日行いたい」と伝えた。
前任者からの引き継ぎが出来なかったので、どういう状況になるかわからなかったが、何とか勤務は出来そうだ。
ここで叩き上げの副部長に、改めて明日からのことを確認した。
桑原明人は、「抜かりなく進めておきます。ご心配なく出勤して頂いて大丈夫です」と言った。
「OK、秋人」と私は握手を求めた。
彼は少しびっくりしたが、その理由はわかっている。
この国では、名字で呼ぶのが通例のようだからだろう。
聡美からは、前任者も名字や役職で読んでいたと聞いているが、時と場合によってはファーストネームで呼ぶべきだ。
そして握手をしてわかることがある。
強く握るかどうか、大きな手かどうか。
私の目を見れるかどうか、笑顔を作れるかどうか。
秋人は羊だ。
私が導く必要がある。
まぁしばらくは職場の様子を見ながら、最低限自分がやらなけらばならないことを確認していこうか。
私は明日から楽しむ場所を確保出来たことを嬉しく思った。
「村瀬さん、今日はありがとう。退勤はこのカードでゲートをタッチすれば完了するね?」
私が聡美に聞くと、彼女は部屋の出勤と退勤も打刻する必要があると言って、その場所を教えてくれた。
それは私のすぐ隣にあり、退勤でタッチする場所を確認したあとに、「今日はありがとう、明日からよろしくね」と彼女に伝えた。
「はい。お疲れ様でした。こちらこそ、よろしくお願いします」と、彼女は私に笑顔を見せた。
ホテルに戻ってから、私はスマホを開いた。
ここはフリーWi-Fiがあって助かる。
スマホを開いて、自社開発のゲームを開く。
私のギルド運営は順調だ。
ゲームを開始早々、王国政権から追放されて、私の村を襲撃されたが、仲間が復興を手伝ってくれている。
私にはツキがある。
良い仲間が私をこれからも助けてくれるだろう。
ゲームの名前かい?
これからこの国でも大いに宣伝するよ。
『剣と魔法の王国戦争』
私はそこで、王立騎士団というギルドのリーダーをしている。
君も参加しないか?
私たちは勝利を手にするよ。