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足元にはご用心

「湊、どんしたん今日?なんかいいことあった?あ、彼女できたとか?」

春樹が弁当のミートボールをつまみながら湊に話しかけている。

湊は少し黙ってから、箸を止めずに答えた。

「ううん。そんなんじゃ無いよ」

湊はいつもの当たり障りの無い笑顔で返す。だが、不思議とその表情はいつもより柔らかかった。

「ふーん?」

春樹はミートボールを口に放り込むと、じっと湊の顔を見た。

「……ってことは、気になる子はいるってわけだ」

「いや、だからそういうんじゃなくて」

湊が言い切る前に、春樹は勝手に頷いていた。

「わかった。ノーコメントってやつね。あ、でもなんか進展あったら言えよ?お前だけ抜け駆けは許さねーかんな。」

「はいはい。」

春樹が湊の弁当をじっと睨み始めた。

「げっ、つーか湊お前今日もコンビニ飯じゃん。ちゃんとしたもん食わないと体壊すぞ?」

湊は苦笑いを浮かべて、パックの白米を箸でほぐしながら答えた。

「わかってるけど、朝起きるのギリギリでさ。作る余裕ないんだよね」

「ふーん。あ、そうだ。じゃあさ今度俺が弁当作ってやろうか?」

「それはやめて」

湊が即答すると、春樹はわざとらしく肩を落とした。

「気持ちはすごい嬉しいんだけど、この間春樹が珍しく弁当自作してた日あったじゃん?そん時にだし巻きもらったけどなんか線香みたいな味したもん。」

「あー、あれね。俺はあれはあれは好きだけどなー。」

(だめだ。このままだと絶対次の日自分で作ってくるやつだ…。)

それだけは阻止したい湊が必死に春樹に訴えかけた。

「とにかく…!本当に大丈夫だから!」

「そっか。俺一応あれから練習したんだけどな」

「練習ってどんな?」

「休日暇な日は、一日中けんと食堂見てた」

「それって練習って言わなくない?」

「…」

「…」

「…確かに」


放課後、蝉の鳴き声が遠ざかっていく校舎の外。

湊は鞄を肩にかけながら、ひとり校門を出た。

空はすっかり夏模様で、雲はゆっくりと流れていた。

アスファルトの照り返しがじんわりと体にまとわりつく。

いつもと何も変わらない帰り道。それなのにどうしてだろうか。湊の心はいつもより晴々としていた。

湊が軽い足取りであの家に向かう。

「みなとー、おかえりー!」

湊が扉を開くと、リアが主人を迎える子犬のように飛びついて来た。

「ただいま。」

リアはそのまま湊の胸に顔をうずめ、ふにゃっとした笑みを浮かべた。

次の瞬間、今までに嗅いだことのないツンとした匂いが湊の鼻奥を抜けた。リアの髪も少しベタついている気がする。

「…そういえばリアって、風呂入った?」


「こ…ここに、着替え…置いとくから」

湊は風呂前の洗面所に、リアの着替えとして自身の中学のジャージを置いた。

「みなとは入らないの?」

体を泡だらけにしたリアが、風呂場の曇りガラス越しに言った。心なしか今朝よりも日本語が上手くなっている気がする。

「俺は…、課題があるから…。」

そう言いながらも、湊は顔をそらすように洗面所の戸を閉めた。リアの姿は見えていないはずなのに、なぜか心臓が落ち着かない。

(あいつ、平気でああいうこと言うよな…)

パチパチとパソコンの電源を入れる音だけが部屋に響く。けれど画面を見ても、課題のページに意識が向かない。

曇りガラス越しのリアの声が、まだ耳に残っていた。

しばらくすると、洗面所の方から扉の開く音がした。

(リア、風呂出たのかな?)

湊の視線が自然と、二階の洗面所があると思われる場所は向いていた。

(あっ…)

その時、嫌な予感が湊を襲った。

(リアに服の着方教えるの、忘れてた…!)

次の瞬間、ドタドタと階段を駆け下る音が家中に響いた。

「みなとー、助けてー!」

服とズボンを反対に着たリアが猛スピードで階段を降りてきた。

「うわっ!ちょ、リア!それ上下反対だから!」

「助けて、前…見えない、」

リアはバランスを崩し、盛大にリビングのラグの上に転がった。

「うわああああ、やっぱり!っていうか、どうやってここまで来たの…!」

湊は半分呆れ、半分焦りながら駆け寄った。

「リア、とりあえず止まって、落ち着いて…!」

「みなと、どこ?ここ、どこ?暗い!」

「いや、それ服の中」

その時、

『ピンポーン』

突然家のインターホンが鳴った。

「んもう!誰だよ、こんな時に!」

湊の家の外には、何やら大きめのビニール袋を持った春樹が一人で立っていた。

「湊ー、家からおかず持ってきたから一緒に食おうぜーってあれ?開いてる…?」

湊が帰った時、リアが飛びついてきてからそのまま鍵をかけ忘れていたのだろう。

「げっ、春樹!」

(もしこの状況見られたら…俺の人生終わる…!)

湊があたふたしている横で、リアは今も何かモゴモゴ言いながら床をのたうち回っていた。

「リア、立てる?」

「無理…」

(うーん…しゃあない、やるしかない…よな)

湊はリアの肩を抱き抱えるようにして立ち上がった。その時も自身の視線がリアに行かないように、死ぬ気で耐えている。

「……よいしょ、って。ちょ、リア、動かないで……!バランス、くずr——」

湊はリアを抱えながら大きく転倒してしまった。その転倒した勢いで、リアの上半身に着ていたズボンが吹き飛んだ。

「ぬわっ!?リア、ズボン!ズボン脱げたってば!!」

「えっ、ズボン?どこいった?」

部屋の中をキョロキョロしていたリアが湊の足元のズボンを発見した。

「あった!」

リアがズボンに手を伸ばし、湊に近づいてくる。

「えっ、その格好で近寄んないで…」

首を無理矢理後ろに捻じ曲げた湊が後退りする。

その時、湊は足元のズボンに滑り、転倒してしまった。

何回転んだら気が済むんだ、この二人。

湊はそのまま、上裸のリアを押し倒すような形で着地してしまった。

「……っ!!」

湊は固まった。

何がどうなったか、頭が追いつかない。ただひとつ、今自分が“とんでもない姿勢”でリアの上にいることだけははっきりわかる。

リアは目をぱちくりとさせたまま、状況が理解できていない様子。

「み、みなと?なんで顔赤く……?」

「いや、これはその、事故だからっ!完全に事故で、不可抗力で、俺の意思とは一切関係な——」

『ガチャ』

――その時、運命の扉が開いた。

「湊ー、勝手に開けちゃったぞー?……って、」

春樹の声が止まる。

玄関から廊下を抜け、視線の先に広がるのは――

湊が、上裸のリアを押し倒すような形で床に覆いかぶさっている光景。

時が止まった。

「……………」

「……………」

「……………」

『バタン!』

 春樹が勢いよく扉を閉めて、その場から立ち去った。

(湊も遂に、漢になったのか…!おめでとう湊。俺は誇らしいよ。)


「本当に、!申し訳、!ございませんでしたぁぁぁぁぁあああああ!!!」

春樹が床に強く頭を打ちつけるようにして、二人に土下座した。

「おお、これが本物の土下座…!初めて見た…!」

初めて見る本気の土下座に興奮しているリアとは対照的に、湊は部屋の隅で一人縮こまっていた。

「もうやだ……死にたい。殺せ…いっそのこと、殺してくれ…」

「いやいや、殺すとか物騒すぎんだろ!」

春樹がすぐさまツッコんだが、湊は放心状態のまま。

「でもさー、まさか湊に彼女とはなー、」

春樹はリアの事をじっと見つめていた。

「つーか、昼食べてた時居ないって言ってたじゃん!それに、抜け駆けもダメっていったろ…」

春樹はどこか少し寂しそうだった。

「それに、結構可愛いじゃん。どこで知り合ったの?」

「俺たちはそういう関係じゃ……」

「ちょっとまって。関係って、何の話?みなとと私、なにかしたの?」

無邪気な顔で聞いてくるリアに、湊はすぐさま顔を真っ赤にして反論した。

「なっ…なにもしてないからな!?何もっていうか、その、何も始まってないからな!?誤解だからな?!?!」

「……じゃあ、始まったら、教えてね?」

リアは不意に、小さく微笑んでそう言った。

「っ…」

なんだその微笑みは。破壊力が強すぎるだろ。

湊のHPが0になった。

春樹はというと、なぜか一人でうなずいていた。

「うん、青春っていいもんだな…」

「つーかお前、何しにきたんだよ?」

「言ったろ?おかず持ってきたから一緒に食おうって」

春樹はビニール袋に入ったおかずをテーブルの上に並べ始めた。

「いや、家で食べればいいじゃん」

「今日俺んち両親とも遅番でさ、一人で食べるのも寂しいから来たって訳。それに、いつも体に悪そうな物食べてる湊のためにたまには、家庭の味を思い出させてあげようかと思って」

何やら美味しそうな匂いが部屋中立ち込み始めた。

「でも、作ったのは俺じゃなくて母ちゃんだから安心して食べ」

「…ありがとう」

三人はテーブルを囲んで、手を合わせる。

「いただきます」

春樹の持ってきたおかずは、どれも素朴で温かい味がした。

「これ、うまっ……!春樹んちの煮物、最強すぎんだろ」

「だろー?うちの母ちゃん、煮物だけはガチだからな」

リアも箸を持ち、ぎこちなくおかずをつまんだ。

「これ……やわらかい。美味しい。みなともこれ好き?」

「ああ、俺も好き」

「ふふっ、じゃあ、わたしももっと好き」

リアのその何気ない言葉に、湊はまたしても言葉を失った。

「……この子、天然で人を殺すタイプだな……」

春樹がぼそっと呟いたその言葉に、湊は心の中で全力同意していた。

「そういえば自己紹介がまだだったね」

春樹はリアの方に体を向けて座り直すと、自己紹介を始めた。

「俺は春樹。湊の友達やらせてもらってます」

「私はリア」

「リアちゃんね、これからもよろしく」

「うん、よろしく」

「リアちゃんって、どこから来たの?」

春樹が尋ねると、リアは少しだけ間を置いて答えた。

「すごく遠いところ。でも、もう帰れないの」

「そっか……ま、そういうこともあるよな」

春樹は深く詮索しようとはせず、あっさりと受け入れる。

「でも、ここがリアちゃんにとっての『今』なら、それで十分じゃない?」

リアは少し目を丸くして、それから笑った。

「……春樹って、変な人。でも、優しいね」

「変な人って言われるのは慣れてるから平気。ま、湊とも長いしな」

「うん、ふたりとも……一緒にいて安心する」

湊がその言葉にちょっと反応して、喉をゴクリと鳴らす。

「(今、俺も入ってたよな!?)」

春樹はにやっと笑った。

「よかったな、湊。リアちゃん公認だぞ」

「う、うるさいっ!」


春樹が帰った後の家は、なんだかいつもより静かに感じた。

ベランダに洗濯物を干す湊に、リアが突然背後から話しかけた。

「私、はるきのこと、好き」

「なんで、そう思うの?」

湊は振り返る事なくそう答えた。

「だって……」

湊にとってこの一瞬の沈黙は、永遠のように長く感じた。

「だって、春樹がいると湊がいつもよりたくさん笑ってくれるから」

湊は、少しだけ手を止めた。

「……そっか」

ほんのわずかに顔を横に向けると、リアがまっすぐ自分を見つめていた。

「みなとが笑ってくれると、嬉しい。だから、はるきといるみなとも……好き」

湊は何かを言いかけたが、うまく言葉が出てこなかった。

風がそよいで、洗濯物がふわりと揺れた。

リアの髪が風に舞って、洗濯物の影にかくれたその横顔が、なぜだかとても遠くに見えた。

「……じゃあ、俺も、もっと笑えるように頑張るよ」

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