宇宙人と朝ごはん
朝目が覚めると、今日もいつもと変わらない光景が広がっていた。小虫の死骸が溜まったシーリングライト。フローリングについた茶色いシミ。庭に開いた焼け落ちたクレーター。
ん…?
焼け落ちたクレーター⁈
(やっぱり、夢じゃなかったんだ。
その瞬間、昨夜の出来事が僕の脳裏に溢れ出した。
——煙の中から現れた少女。
制服なんて着てない。どこか金属質なスーツに、青白い光を帯びた装置。
人間とは思えない雰囲気。だけど、彼女が静かに歩みを進めるたびに、不思議と恐怖心は薄れていった。
「Hi, I’m Leah. Nice to meet you.」
その瞬間、確かに心のどこかが引っかかった。
震えていたのは、彼女の声じゃない。きっと、僕のほうだった。
言葉は通じなくても、あの時感じた空気の重さを、僕は忘れられなかった。
まるで何か大切なものを失って、それでも笑おうとしている人みたいで。
僕はボロボロに焼け落ちた小さな宇宙船の前で、呆然と立ち尽くしていた。
(このままじゃ、まずいよな。)
僕は宇宙船をどこかに隠すために、宇宙船を持ち上げようとした。
(意外と軽い…。)
その宇宙船は不自然なほどに軽かった。
そのまま宇宙船を庭の物置に押し込んだ。
(あんまり物がなくて助かった…。)
その時も少女はこちらをじっと見つめながら立っていた。
「君は本当に宇宙人なの?」
僕がそう聞いても彼女は答えなかった。いや、日本語が分からないなら「答えられなかった」というのが正しいか。僕は吸い寄せられるように彼女の方へ歩み寄った。彼女もフラフラとした足取りで、僕に近づいてくる。
そのとき――
彼女が突然地面に倒れ込んだ。僕が慌ててそばに駆け寄ると、彼女の顔は赤くほてっていた。僕はそっと手のひらを彼女の額に添えた。
(熱っ……!)
酷い熱だ。
僕は彼女の体をそっと抱き上げた。驚くほど軽かった。
(どうしよう、病院……いや、宇宙人を連れていったら……)
思考が堂々巡りする中、僕の中で一つの結論が出た。
(とにかく、まずは家の中へ)
(これで、いいんだよな…。)
僕は慣れてない手つきでベッドに寝かせた彼女の額に、冷えピタを貼る。彼女はそのまま気絶するように眠ってしまった。
(こうして見ると普通の人間の女の子みたいだ。きっと言われないと、いや、言われても誰も彼女を宇宙人なんて考えもしないんだろうな。)
だけど――
その額に貼った冷えピタの下から、わずかに青く光る血管が透けて見えた。
僕が部屋を出ようと立ち上がり、ドアに向かって歩み始めたその時ーー
彼女が僕の裾を弱々しく掴んだ。
「●◾️◾️…●▶︎◆●◾️…。」
彼女がか細い声で僕にそう言った。恐らく彼女の星の言葉だ。意味は知らない。
(何かを伝えようとしている…?)
また僕が彼女のそばを離れようとすると、彼女は再び僕の裾を掴み直した。さっきよりも強い力で。
(僕を引き留めようと…?)
先程までの言葉は、今はもはや小さな呻き声に変わっていた。
僕は気がつけば、彼女の前で静かに膝をつき、彼女の手にそっと自分の手を重ねていた。
(僕は何をしている…?馬鹿か?相手は宇宙人だぞ…。)
それでもーー
彼女の手の温もりが、僕を引き留めた。
冷たいはずの異星の手が、誰よりも人間らしかった。
しばらくそうしていると、彼女の表情がわずかに和らいでいくのがわかった。
瞼が静かに閉じられ、かすかな寝息が聞こえてくる。
(よかった……)
僕はそっと手を離し、毛布を肩までかけてやった。
(目が覚めたら……ちゃんと話せるだろうか)
部屋の明かりを落とし、ドアを静かに閉じる。
けれど、心の中は不思議と温かかった。
朝日が差し込む中、僕が目を覚ましたとき、彼女はすでに起きていた。
「……あれ?」
リアは僕の部屋の中をきょろきょろと見渡しながら、小さなぬいぐるみを手にとっていた。
それが何か分からないのか、くるくる回しながら、真剣な顔で観察している。
(あ……起きてたんだ)
声をかけようか迷っていると、リアが僕に気づいて顔を向けた。
そして――
「おはよう。」
彼女は確かにそう言った。少しぎこちなかったけど、間違いなく日本語だった。
「わたし、ほんで、べんきょう、した。」
彼女は必死な顔で、ゆっくりと一語ずつ丁寧に僕に伝えてくる。
ーー言葉が通じていないーー
この事実を彼女自身も薄っすらと感じ取っていたのだろう。それでも、僕と話したいと、朝早くから僕の本を読み漁っていたことが、部屋の隅に積まれた辞書や教科書から伝わってくる。
(英語、万年2でごめんなさい……)
僕は自分のことが少し恥ずかしくなったが、大事なことを忘れていたことに気づいた。
「うん。おはよう。」
挨拶は返す物だったな。
その瞬間、彼女の顔がパアッと明るくなった。自分の伝えたいことが伝わって、嬉しかったのだろうか。
「わたし、なまえ、リア。」
彼女は…リアは、昨夜の自己紹介をもう一度始めた。
(リアって言ってたんだ…。全然分からんかった。)
「僕の、名前は、湊。」
僕もリアに聞き取りやすいように、ゆっくりと名乗った。
「みなと?」
リアが首を傾げて聞き返す。
「み、な、と…。湊。」
僕がそう言うと、リアは僕の名前が気に入ったようで、子供みたいに無邪気な笑顔で僕の名前を何度も復唱した。
「みなと…。みなと…!みなと!みなと!」
リアが嬉しそうに何度も繰り返すたび、僕はなんだかくすぐったい気持ちになった。
(そんなに名前を連呼されたの、人生で初めてだよ……)
「みなと!みなと!みなとー!」
何がそんなに楽しいのか、リアは僕の名前をリズムに乗せて歌うみたいに繰り返す。
その度に嬉しそうに笑って、僕の顔をまっすぐに見てくる。
「そんなに連呼しなくても……」
僕が苦笑しながらそう言うと、リアはきょとんとした顔になって、また小さく首をかしげた。
それがあまりにも自然で、なんだか胸が少しくすぐったくなる。
「かわいい…。」
思わず声に出してしまって、すぐに自分で口を押さえた。
リアは僕の顔をじっと見つめたあと、にやっと笑う。
「かわいっ?」
「ち、ちがう!君のことじゃなくて、その、ぬいぐるみが……!」
慌てて指さした先の、ウサギのぬいぐるみを見たリアは、なぜか誇らしげにそれを両手で持ち上げた。
「カワイ!」
「いや、だからちが……!」
もう、完全に誤解されてる。
でもまあ、いっか。
リアが楽しそうなら。
それに――
僕も、少しだけ楽しい。
ーーぐぅ〜…
突然低い唸り声のような小さな音が聞こえた。その音を仕切りにリアは突然僕の名を呼ぶのをやめてしまった。
音の正体はリアの腹の音だったのだ。
(そういえばあれからなんも食べてないのか…。)
「なんか、食べる?僕が、作る。」
リアは少し戸惑った顔をしながらも、首をこくりと縦に振った。
「たべる、したい。」
ちょっと言葉は変だけど、ちゃんと伝わってる。
僕は立ち上がって、キッチンに向かう。
(何作ろう…。こういうとき、冷蔵庫の中身ってだいたい裏切ってくるんだよな…)
戸を開けると、いつものように微妙な食材たちが顔を出す。
(卵、キャベツ、ウインナー……よし、これでチャーハンっぽいやつならいけるか?)
リアの様子をチラリと見ると、ぬいぐるみを抱えたまま、期待に満ちた目でこっちを見ていた。
(くそ、こんな目で見られたら失敗できないじゃんか…)
――こうして、僕の人生初・宇宙人に捧げる朝ごはん作りが始まった。
リアがぬいぐるみを胸に抱いたまま、そわそわと落ち着かない様子でキッチンのほうを覗き見している。
僕はフライパンに油を引いて、ウインナーをざくざくと切って投げ込んだ。ジュウ、と油が跳ねる音がして、リアがびくっと肩を震わせる。
「大丈夫。」
僕はリアにそう声をかける。
リアは少しだけ安心した顔をして、小さく「うん」と頷いた。
火を弱めて卵を落とし、ご飯を投入。手早くかき混ぜながら、僕はなんとなく彼女のことを考えていた。
(宇宙人に朝チャーハンってどうなんだろう…。いや、でも彼女、人間と同じように笑って、同じようにお腹が鳴って…。)
「……なんか変な感じだよな。」
思わずそう口に出してしまう。
「へん?」
リアの声が聞こえた。彼女はいつの間にかすぐ後ろに来ていて、僕の様子をじっと見ている。
「いや、なんでもない。もうすぐできるから。」
リアは僕の顔と、フライパンの中とを交互に見て、不思議そうにしながらも、また「うん」と返した。
皿に盛ったチャーハンをテーブルに置くと、リアの目がぱっと輝いた。
「これが、たべもの?」
「そう、チャーハン。宇宙にはないかもしれないけど、地球の朝ごはんの定番だよ。」
「チャハン…」
リアは言葉を転がすように何度か繰り返し、それから手を合わせた。
「い…ただきます!」
少し発音は怪しかったけど、気持ちはちゃんとこもっていた。
リアは一口食べたあと、驚いたように目を丸くして―
「おいしい!!」
満面の笑みで、まるで本当に地球の女の子みたいに笑っていた。
それを見て、僕の胸の中に何かあたたかいものが広がった。
(ああ、やっぱり……君は宇宙人かもしれないけど、同じなんだな。僕らと、ちゃんと同じなんだ。)
僕はふと視線を時計の方へ向けた。
「もうこんな時間…!」
今日も学校があることをすっかり忘れていた。今急がないと確実に遅刻する。僕は猛スピードで歯を磨き、制服に着替える。
「みなと、たべる、しない?」
スプーンを不慣れな手つきで扱いながらチャーハンを食べるリアが僕に話しかけてきた。
「ごめん、時間ない。」
この時リアは少し寂しそうな顔をしていた気がする。
リアは口の中にごはんを残したまま、ゆっくりスプーンを置いた。
そして、僕の背中をじっと見つめる。
(……まずい。なんかすごく申し訳ないことしてる気がする。)
でも時間は待ってくれない。制服のボタンを留めながら、僕はリアに声をかけた。
「冷蔵庫にジュースあるから。あと、お菓子もそこ。ドアは絶対開けちゃダメだからね?誰が来ても。」
リアは僕の言葉の意味をちゃんと理解しているか分からないまま、ただこくりと頷いた。
(……伝わってるといいけど)
「じゃ、行ってきます。」
そう言って玄関のドアを開けようとした、その時。
「……いってらっしゃい」
小さな声だった。でも確かに、そう言った。
僕は一瞬だけ振り返る。リアは微笑んで、椅子に座ったまま手を振っていた。
「……なんでそんなこと知ってるんだよ」
思わず笑ってしまいそうになるのをこらえて、僕は外へ出た。
玄関の扉が閉まるその瞬間、胸の奥がほんの少し、くすぐったくなった。
―同時刻、とある研究施設。
「……これは、本当に“落ちた”のか?」
無機質な白い部屋に響くのは、冷静すぎる声。
モニターに映るのは、山間部で爆発を起こした小型機――そして、そこから発せられた“異常な反応”。
「分析結果。通常の金属反応とは一致しませんでした」
淡々と報告する部下の横で、男は目を細める。
その名は――神崎 誠。若き天才捜査官。冷徹で、感情を見せない男。
「どこかに潜伏している可能性がある。周辺の監視を強化しろ」
「……了解しました」
神崎は背を向け、モニターを見つめる。
その目には、確かな確信が宿っていた。
――これは、ただの墜落じゃない。
“何か”が、地球に降り立ったのだ。
「よう、神崎。調子はどうだ?順調か?」
神崎に話しかけたのは、神崎の相棒であり、ベテラン刑事である橘だった。
「橘さん。これはとんでも無い事件になるかも知れません。」
「本当に宇宙人がこの星に?」
「断言はできません。ただ、我々も引き金を引く覚悟はした方がいいでしょう。」
橘は黙って神崎の言葉を噛みしめるように一瞬だけ沈黙した。
そして手元のタブレットを操作しながら、低く呟く。
「……だとしたら、俺たちは“歴史”のど真ん中に立ってるってことになるな。」
「歴史じゃありませんよ。戦争です。」
神崎の目は、地図上に赤くマークされた“墜落現場”を鋭く見据えていた。
そこには、数分前に撮影された衛星写真が映し出されている。
その中心には、黒く焼け焦げた土と、わずかに残る金属片。
そして――人影のような“何か”。