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2杯目「たこ焼たこば」で、呑む。

 堺筋。朝の10時30分。ちょい過ぎ。

 窓の外は日本橋。こんなド平日の昼前だというのに人もクルマも溢れかえっている。前夜の賑いとはまた違った趣を見せている。何度来ても、大阪は昼と夜で別の顔を持っているような気がする。


昨夜、ダイゴローさんの待つBARプカプカで20時過ぎから飲み始めた僕たちは、ちょこPARTY、千鶴、SIXNINE、Tripstirとハシゴして……意外なことにアッサリ帰ると言い出した。まだ〝うのたけのかすうどん〟も食べてないし、なんなら地下鉄すらなくならないうちに三ツ寺会館を後にするのなんか初めてかもしれない。結局そのまま千日前線で谷町九丁目タニキューまで向かって、Jさんのお寺に泊めてもらうことになった。

 挨拶もそこそこにシャワーを借りて、客間に戻るとフカフカのお布団。青い畳とお線香のいいにおいがするので、ここで眠るとなんとなく落ち着くのだ。

 なにやらJさんと話し込んでいたヨシダさんが僕に気がつくと、風呂が長いと文句を言いながら自分も浴室に向かっていった。待っている間に今度は僕もJさんと近況を話したり、個性の強い檀家さんのエピソードなんかを聞いたりしているうちに、疲れと酔いの回った僕は呆気なく眠りに落ちてしまった。


 シャコシャコシャコシャコシャコ……。

「オイ。たこ焼き食いに行くぞ」

 そう言って寝ている僕のケツを蹴飛ばしたヨシダさんは、すっかり身支度を整えていた。いや、なんか妙な音がすると思ったら、歯磨きをしながら僕のケツを蹴っていた。

「は、はあ……? た……?」

 シャコシャコシャコ

「たこ焼き。クルマで行くから」

「あ、そう……」

 シャコシャコ

「いいから起きろ」

「うーーん」

 時計を見ると朝9時すぎ。この死ぬほど寝起きの悪い人が朝から元気よくヒトを蹴飛ばしてまで急かすということは……よほど美味しいたこ焼きなのだろう。なるほどこのために昨日は〝早退〟したというわけか。


 で、しぶしぶ起き出した僕は今ヨシダさんの白いスカイラインの助手席に収まって、車窓から混み合う堺筋をぼんやり見ている。何処へ行くのかたずねても「たこ焼きだっつってんだろ」としか答えない。

 やがて天神橋筋に入り天神橋六丁目テンロクの駅をくぐって、長柄橋で淀川をまたぐ。快晴の青空に向かって白いアーチが伸びてゆく。左手に新御堂筋とJRが、右手には阪急が並走していて、どの橋もクルマや電車が賑やかに行き交い彩っている。河原に広がる緑、穏やかな川の流れ。水と空の青が聳え立つビルにも映って、景色そのものがぼんやりと空の色をしている。ヨシダさんも馬鹿話をやめて静かにハンドルを握っているが、機嫌がいいのか片手運転をしつつ右手の指先がパタパタと窓枠を叩いている。吹き込む風が少し冷たいけど、日差しの強さと相まってちょうどいい。


 阪急の上新庄駅も通り過ぎて少し走ったところで交差点を左に折れた。するとすぐに

「「あっ!!」」

 今、ふたりして【たこ焼】と書かれた看板を見つけたが、咄嗟のことで生憎と通り過ぎてしまった。

「今のとこ?」

「ああ? あー。でもクルマ停めるとこねえや」

 見たところ観光地どころか普通の住宅街、静かな郊外の町並みって感じだ。コインパーキングなんてありそうもない。

上新庄かみしんまで戻るかあ」

「ええーっ、……結構あるよ」

「しょーがねえだろ」

「アンタこのへん走ってないの? コインパの場所ぐらい」「ミナミの運ちゃんは、あんまこんな方まで来ないの!」「事前に調べるとかさあ!」

「いいーじゃねえか、ちったぁ歩けデブ!」

「万年運動不足のオッサンの散歩に付き合ってやるような無駄なカロリーは無いね!!」

「たこ焼き食って補充しろ!」

「イヤってほど食ってやるからな!!」

「ナニ言ってんだ、誰が食わせてやるって言ったよ」

「自腹かよ!」

「自腹でも三段腹でもいいから切れ、少しゃその腹引っ込むだろ!」

「アンタが来いって言うから来たんだぞ」

「だから誰が……おっと、ここ空いてら」

 結局、駅近くのコインパに漸く空きを見つけ、そこからお店を目指して歩き始めた僕たちだった。

 はなみずき通りと名付けられた開放感があって明るい通りを並んで歩く。平日の昼前とあって人通りは少ないが、昔ながらのお店と最近出来たばかりのお店や事務所が混じり合い、懐かしい小さな喫茶店もある。こういうお店があると入ってコーヒーでもいただきたくなる。が、どうも隣のオッサンのアタマの中は、たこ焼きでいっぱいらしい。

「にしても、珍しいじゃん」

「ん?」

「大酒飲みで普段ぜんぜん食わないのに。そんなに美味しいの」

「ひとこと多いんだよおメェは。俺だってたこ焼きぐらい食うぞ」

「なんてお店だっけ」

「たこば」

「たこば」

「そ」

「にしても結構地味なとこにあるってのによく知ってたね。ミナミの運ちゃんは、あんまこっち来ないんでしょ」

「来ねえけど、乗っけたお客様から教えてもらえんだ」

「なるほど」

と、話しているうち、さっきの国道にぶつかった。大隈2丁目の交差点を改めて左折した先、次の路地の角。漸くさっきのたこ焼き屋さんに辿り着いた。

【たこ焼たこば】

と書かれた看板とカウンターが目に入る。テラテラと光る年季の入った鉄板に油を敷き、生地を流し込み、ぶつ切りのタコと色んな具材を混ぜ込んでゆくさまが実に手際よく、見ていてなんだか楽しい。

「ぇらっしゃーせー!」

 ころころとたこ焼きを作る手を止めず目も鉄板から離さないまま、僕とヨシダさんの気配に気づいた店員さんが声を出す。ヨシダさんが僕の肩を肘でつついて「お前なんにする?」と聞いてくる。「なんにもかけないやつがいいな」と答える僕。

 いわゆる素焼きというやつだ。僕はコレが一番好きで、何処のお店に行っても必ず注文する。

「あとやっぱ醤油かなあ」

「2つもいくのかよ。よく食うなあ……たこ焼きみてえなカラダしやがって」

「ひとこと多いんだよ。でヨシダさんは?」

「あー、と、俺も醤油かなあ。あっ、岩下の新生姜も」

「2種類いくんじゃん、よく食うねえ」

「「すみませーん」」

「はい! なんにしましょ?」

 たこ焼きの仕込みがひとキリついた店員さんが苦労と人の良さをにじませた笑顔をニッカリと浮かべて僕たちに向き直った。

「素焼きと醤油、両方12個ください! あと、たこば焼も!」

「俺は醤油6個と、岩下の新生姜8個で!」

「はいっ、えーっと少々お時間くださいねー」

「おいっ、お前がそんな頼むからだぞ!」

「だってぇ」

 お会計をしながらヨシダさんに怒られていると

「いえ、予約が入っちゃってましてネ。すんませんけども、そっち先に作らせてください」

「予約?」

「息子さんが今日お誕生日やうて頼んでくれはったんです」

 さすが大阪。〝バースデーたこ焼き〟とは。と、そこに電話が鳴り、店員さんが素早く取った受話器を顔と肩で挟みながら話し始めた。僕たちは角を回って店の中に入り、テーブル席に向かい合って腰掛けた。壁には様々なプロレスのポスターが貼られ、僕らの座ったテーブルには僕の大好きな青木いつ希選手のサインと写真も飾られている。

「お前どのレスラーのファンだっけ」

「この人だいすき」

 コンマ1秒でその青木いつ希選手を指し示す僕に

「あーーお前こういう子スキだよな。わかるわかる。おっとりして色白で育ちが良くて気の優しい子な」

 ヨシダさんに冷やかされているとそこに

「はい、お待ち!」

 焼き立てほっかほかアツアツのたこ焼を運んできてくれた。

「まず醤油6個と12個。でコチラお兄さんの素焼きね。新生姜、今やりますので」

 店の外の道路を数台のオートバイ集団がビリビリと音を立てて走り去り、少し排気ガスの臭いが残った。それが次第に薄れてゆくと、登り立つ湯気に運ばれたダシと醤油の香りが鼻の奥に滑り込んで胃袋をガッチリと掴んできた。

「「いただきまーーす」」

 黄金色で、まん丸で、はみ出たタコの吸盤をクレーターに見立てればまるでお月様のようなたこ焼きが、今どき珍しい木舟に行儀よく並べられてほかほかと輝いている。

 割り箸を元気よくパリっと割って、ダシの香る素焼きの満月を白昼の宙空に浮かせる。銀天公社の偽月よろしく人の手で浮かび上がった、人の手で作られた満月。

 唇の端に生地の最表面が付くか付かないか、の段階で既に熱くて美味しい。立ち上る湯気が美味しいのだ。呼吸を整えて、意を決して、口を開いて

「はむっ」

 と放り込む。途端に固くなって乾いていた表面から、とろりとしたアツアツの生地が流れ込んでくる。舌も、頬も、歯茎も喉元も、顔面の下半分を内側から焼き尽くすような灼熱が広がるとともに、素朴で何処か懐かしい味わいも行き渡る。

「あっ、あくい……はふはふ」

「んなお前いっぺんに食うからだ……あつっ、あっつ!」

「よひださんこそ、途中でかじるから熱、あつ、熱いんじゃん」

「あつ、あつ……うま」

「あつ、うま」

 だんだんとアツアツから程よい温度になるに従って、食べやすく味わいもましてくる。夢中で素焼きを食べているとテーブルで行儀よく待機している醤油味も芳香を立ち上らせてアピールしてくる。

「お醤油味もたべよー」

「お前の素焼き、ウマそうだな」

「うん。僕これがいちばん好」「いっこよこせ」「あっ!」

「いいじゃねえか!」「なんでそうすぐヒトのもん食うのさ!?」

 僕が醤油味に箸を伸ばした瞬間、ヨシダさんの割り箸が僕の素焼きをひとつトンビのように掻っ攫っていった。このヒトは前からそうだ、すぐコッチが食べてるものを食べたくなる。

「頼みゃいいじゃん、まだ来るだら!? 岩下の新生姜」

「(モゴモゴ)ひいだほ、けちけちすんにゃ(ムグ、ごっくん)」

「いい年こいてたこ焼き食べながら喋らんでよ! まー!!」

「わかったわかった、んな婆さんみたいな怒り方すんなよ。悪かったって」

「おばあちゃん子だもん」

 僕の三河弁は祖母譲りだ。


「お待たせしました! 岩下の新生姜です!」

「わーーいいにおい!」

「お前、新生姜苦手じゃなかったか」

「えーでも匂い嗅いだら食べたくなるに、これ」

 新生姜の香りとたこ焼きのダシの香りが混じり合いながら漂っている。これは食わなくてもわかる、絶対美味しい。

「おっ、これウマイな! あっつ、あつ……」

「そんなに?」

「おお、生地がウマイのは同じだけど、そこに新生姜がザクザク入ってて。タコのダシとも合うしサイコーだな!」

 食道楽の僕と違って、普段は大酒飲みでツマミもあまり食べない(そのくせヒトのものは勝手に食う)ヨシダさんがココまで食べ物を褒めるのは珍しい。

「へえーいいなー」

 言いつつ僕も眼の前で残り少なくなってきた素焼きと醤油味を交互に慈しみながら食べている。

「あーーくそっ」

「なにさ急に」

「ビール飲みてえ」

 たこばさんのカウンターの隅で、さっきから500mlのアサヒスーパードライが小型の冷蔵ケースに入ってよぉく冷えている。

「こりゃ絶対、合うよねえ」

「お前、帰り運転しろ」

「は!?」

 早くも飲酒を決意したヨシダさんがおもむろに立ち上がり

「すみません。ビール、もらっていいっすか」

 と早くも財布に指を突っ込んで小銭をかき回している。店員さんは鉄板に溶き卵を敷き、そこにたこ焼きを幾つも乗せて挟み焼きにしている。どうやらこれが〝たこば焼〟らしい。

「ありがとうございます!」

「醤油味は耐えられたんすけどね。岩下の新生姜焼きで、もう我慢できなくなっちゃった」

「ビール、メチャ合いますよ。どうぞ!」

 しっかりと2本もビールを買い、ルンルンと冷蔵庫からテーブルまでの数歩すらご機嫌なステップを踏んで戻ってきたヨシダさんが席につくのと同時にカシッ! とプルタブを開けた。銀色のボディを震わせて封を切られた缶ビールを傾けて、口元に運んで、目を閉じてキュッと味わいながら喉を鳴らして、黄金色の至福を流し込む。

「っあぁー……! あ~、っぱコレだな」

「相変わらず美味そうに呑むねえ」

「そりゃあおメェ、このために生きてっからよ」

 殆ど一気飲みに近いペースひと缶目を開けたが顔色ひとつ変えず、しかし先程よりも喜色満面のギアが一段階上がったヨシダさんが残りの岩下の新生姜も平らげた。

「あっ! ねえ1個ぐらいちょうだいよ!」

「あんだよ、頼めばいいだろ!?」

「ヒトのもん食った上に、帰り運転しろだなんてヒドイや!」

「はーい、たこば焼です!」

「ありがとうございまーす! 結構ボリュームあるよこれ」

 テーブルのうえでホカホカと湯気を立てるたこば焼。白身と黄身の混じり合う絶妙な焼き加減の卵と、元々美味しいたこばさんのたこ焼きが渾然一体を成している。せっかくのまんまるなたこ焼きが潰れてしまっている……のではなく、もう一段階進化する過程で旨味がパワーになって溢れ出てしまい、それがそのまま質量を持って供されている。そんな感じ。

「これもメチャ美味しいよ、ご飯ほしくなる!」

「なんだよ、俺も頼めばよかったな」

「あげないよ」

「腹、いっぱいだよもう。お前と違って俺は少食なの!」

「そのぶん酒ばっか呑むもんね」

「なんだとぉ!? まあ、言えてるか」

 上機嫌のヨシダさんが2本目のビールもグーっと飲み干し、心底うまそうに「あぁ~~」っと溜息をついた。

「ごちそうさま! 美味かったっすよ」

「ありがとうございます! お二人さん、これ良かったら……」

 そういって差し出された名刺には、店長・たこ焼き職人の島田さんとあった。

「あっ、店長さんだったんですね!」

「ええ。ここでずっとやらしてもらってます!」

「今度は俺も〝たこば焼〟食べに来るっすよ」

「また是非おねがいします!」

「僕も新生姜焼き食べたいし、また来ます!」

「おおきに!」


 島田さんの眩しいスマイルに送り出された僕たちは、もと来た道ではなくお店の角を折れた明るく広い路地を歩き始めた。普通のマンション、新しい家、小さなお店に事務所、学校やクリニック……ごくありふれた町角を貫く東海道新幹線の高架。

 こうした町角のお店がいつまでも残って、いつでも美味しいものが飲み食いできるのは本当に豊かなことだと思うし、そこにいる人がいつも笑っていてくれるように願うばかりだ。

「お前、俺のクルマぶつけるなよ」

「大丈夫だよ、埠頭で色んなクルマ乗ってるから。たぶん」

「たぶん!?」

「心配なら呑まなきゃいいじゃんよ!」

「そういうわけにゃいかねえんだよ!」

 よく晴れて間延びしたような遅い朝の青い空に、二人だけの喧騒が溶けてゆく。

 美味しかった。ごちそうさまでした。


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