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009:雑木林で①

タイル張りの床に水滴が落ちる音が、暗がりに響き渡る。

寮の自室に備え付けられたシャワールームの洗面台の前に、アキラは立っていた。

シャワーを浴び終えたのだろう、生乾きの髪を乾かさずに、アンダーアーマーに袖を通す。


「大浴場かぁ」


何処か羨むような声色で、彼は独り言を漏らす。

アキラ以外のメンバーは今頃大浴場で訓練の汗を流している頃である。


「知識としては知っていても、モノを見てみたいよなぁ。」


そんな言葉を漏らしながら、彼はアンダーアーマーの上にシャツを羽織り、シャワールームを後にする。

シャワールームを出ると、そこはそのまま自室となっていた。

自室とはいったものの、彼にとってこの部屋は数十分前に初めて訪れた空間で、未だに馴染みが有るわけではない。

机や椅子、ベッドなどの備え付けの家具があるだけで、飾り気の無い部屋を、窓から差し込んだ夕焼け色の光が紅く照らしていた。

その光に僅かに目を細めたあと、彼は机に納められていた椅子を引き出してそれに腰かける。


「まぁ各部屋にシャワーが有るのは助かったけどね。」


そんな独り言を漏らしながら、彼は寮の受付から受け取ったばかりの荷物──防護壁で担いでいた、くたびれたザックがひとつだけだが──を机の上に置いた。


「さっさと薬品庫は出しておかないと──


ザックの中身を漁る彼は、耳に届いたチャイムの音に、途中でその手を止める。

彼が怪訝な表情で鉄錆色の瞳を扉に向けると、再びチャイムの音が届く。

どうやらその音は、部屋の外から聞こえているようだった。


「客……?」


夕方の訓練が終わった時間帯で、誰もが初日の訓練に疲れはてていた筈だ。

このタイミングで新人隊員のもとを尋ねる存在があるだろうか、と首をかしげながらも彼は、壁にかけていた軍服を片手に自室を後にした。

軍服に袖を通しつつ扉を出ると、そこは短い廊下になっていて、複数の個室が並んでいる。

チャイムの音は先程よりも頻繁に繰り返し鳴っていたが、加えてドンドンと低く扉を叩く音が聞こえてきた。


「はいはい」


魔法教会大学校は全寮制となっていて、特務科は一班にワンフロアが割り当てられている。

各フロアはメゾネットタイプの作りとなっていて、玄関をかねた談話室を中心に、各班員の個室やキッチンなどが置かれていた。

アキラは階段を下りて談話室に向かい、エレベーターホールに繋がる重厚な扉の前に立つ。

木製の扉を叩く音は頻度が上昇していて、苛立ちを隠さなくなっていた。

扉を蹴ってでもいるのか、小さく扉が揺れているようにさえ見える。

来訪者のその様子に、彼は一度躊躇するように手を止めた後で、意を決したようにドアノブに手を掛けた。


「……。」


少しばかり扉を開くと、そこには不機嫌そうな表情で此方を見つめる少女の顔があった。

少女は日中の講堂で此方を見ていた、白髪の少女だった。

確か名前は、アクアといっただろうか。

彼女は丁度、扉を叩こうとしていたのだろう、拳を振り上げた姿で硬直している。


「アクア……さん? 」

「来て。」


恐る恐る、といった風に彼が声を掛けると、彼女は有無を言わせない剣幕で手短に一言だけ応えた。

そしてそのまま、不機嫌そうな表情の彼女は拳を下ろして踵を返す。

ついてこい、という意味なのだろう。

背中で意思を示す彼女に、彼がどうしたものかと頭を掻いていると、半開きにしていた扉に手がかけられ、無理やり扉が全開にされる。

何者か、と彼が視線を向けると、そこにはハサンが立っていて、アキラよりも高い上背から彼のことを見下ろしていた。

眉間に皺を寄せた彼はアキラの顔を見ると大きく舌打ちをする。


「ぼさっとしてねぇでさっさと来いよ。」


そう言って彼は、アキラを通すように肩を引いて道を開ける。

いや、それは道を開ける、と言うよりは、通れ、と言う命令の色が強く見えた。

きっと彼らのなかには、アキラが同行を拒否する、と言う選択肢をとることは想定していないのだろう。


「……はぁ。」


彼の言葉に、アキラは一度小さくため息をつく。

そのため息が聞こえたのだろう、ハサンが再び大きな舌打ちをした。

事情は不明なままだが、彼は観念したように項垂れると、重い足取りで彼女たちに同行することにした。


「まるで罪人の連行みたいじゃないか。」

「うっさいわね。」


彼が独り言を漏らせば、振り返ったアクアにそれを咎められ、背後のハサンが舌打ちをする。

そんな様子に彼はため息一つ、エレベーターホールでアクアと合流し、一緒にエレベーターに乗り込む。

彼女が指定したのは1階である。


「アクアさん、一体、何の用? 」

「黙って。」


エレベーターの駆動音に耐えかねたアキラが口を開くが、彼の問いは一言で一蹴される。

また、彼の背後からはハサンの舌打ちが聞こえ、彼は何度目になるかわからない溜息を吐いた。

1階にエレベーターが到着すると、彼女はついてこい、と言わんばかりに彼に視線を送り、彼らを先導し始める。

寮の外はすっかり日が暮れていて、茜色の空が闇色に染まり始めていた。

しばらくの間、黙々と歩き続いていると、ようやくアクアは足を止めて振り返る。

アキラが連れてこられたのは、周囲に全く人気のない雑木林の中だった。

雑木林の中で、アキラとアクアは向かい合い、彼の背後には樹に体重を預けるハサンが立つ。

僅かな風が木々を揺らし、さわさわと木の葉たちが音を立てた。

彼女の青色の瞳は彼のことをまっすぐ、じぃ、と見つめていて、その澄み渡るような青色に彼は思わず視線をそらした。


「あんた、何物? 」


丁度視線を外したそのタイミングで、彼女はようやく言葉を発した。

彼女の言葉は端的であったが、それでもそのなかに含まれる侮蔑の色に、彼は眉をしかめる。

売り言葉に買い言葉、と言わんばかりに、アキラも不快感を隠さない声色で彼女の言葉に応えた。


「何者って、なにさ。僕は42班の四条──

「んなこと訊いてないわよ。あんたが一体何物なのか、って聞いてんの。」


彼の解答を遮るように、彼女は鼻をふんとならした。

その目は彼を人間ではなく、物を見る様な色をしている。

彼女のその目に耐えかねた彼は、抗議するように口を開いた。


「まるで僕が、人間じゃないとでも言いたいみたいだね。」

「そうよ。まさか、人間のつもりだったの? 」


彼の問いに、彼女は当たり前のことを訊くな、と言わんばかりの表情で応える。

アキラはそれを聞いて、不快そうに目を細めた。

人間じゃない、その言葉はとても聞き逃せない言葉だった。

いや、或いは正鵠を射ているのかもしれない。


「失礼だな。一体全体、僕がなんだっていうんだ。」

「”二途”よ。服用者のクズ。」


彼の言葉に、彼女は底冷えのするような冷笑を浮かべて応えた。

魔法教会の庇護が得られなかったアフリカの地には、ひとつの薬が流通していた。

その薬を服用した者は絶大な力を得ることが出来る代償に、やがてはその力に呑まれて魔に堕ちる。

たとえ大きなリスクがあっても弱き者に力を与えるその薬は彼の地では希望として”二途”と呼ばれていた。

現代において非魔術師はいかなる手を用いても魔術師にはなれない、というのは決して破ってはならない不文律だ。

それ故に二途の服用者は、アフリカではいずれ魔に落ちる存在だっただけでなく、奪還作戦後も禁忌を犯した者として差別の対象となっていた。

ちりちりと背筋の焦げ付くような感覚を覚えながら、彼は何とか声を絞り出す。


「服用者だって? 冗談じゃない。一体何処にそんな証拠があるのさ。」

「臭い立つのよ、くそったれな服用者共の匂いがプンプンと。あたしはアフリカであんたらを腐るほど見てきたわ。」


両手を小さく上げて首をかしげる彼に向かって、彼女はそう告げる。

そしてそのまま、彼女は言葉を続けた。


「あんたに訊きたいことは一つ。卜術院の情報を吐いて頂戴。」

「っ!! 」


卜術院と言う単語に、アキラは大きく眉を動かして反応する。

それはアフリカで二途の元締めとされていた存在だ。

されていた、と言うのは最終的に奪還作戦の中で卜術院を捕えることはおろか、その手掛かりのひとつもつかむことすら出来なかった。


「勘違いも良いところだよ。僕が服用者だって? それならまず、アフリカから出られないじゃないか。」


服用者は元々、非魔術師であって魔術師の適正はない。

そして何より、何れ魔に堕ちる運命にあって、情状酌量の余地はあれど人類の敵とさえ言える彼らは魔法教会の門を叩くことは許されていなかった。

それ故に彼らは奪還作戦移行も、保護と言う名目で収容ないしは処分対象として彼の地に封じ込められている。


「上手く誤魔化そうとしているみたいだけど、あたしの探知能力を舐めないで。」


彼女は何処か得意気で勝ち誇ったような表情でそう言いきり、彼は眉間に皺を寄せながらそれを睨み返す。

どうやらアクアは探知能力に秀でた魔術師の様で、そして彼女の探知にアキラが引っ掛かった様子だった。


「感知が得意みたいだけど、勘違いじゃないかな。何度でも言うけど、僕は──

「だったら、これを起動してみせて? 」


彼の言葉を遮った彼女は、彼の足元になにかを投げて寄越した。

地面に転がったそれは、盾を発生させる魔道具である。

魔法教会の一般装備であるそれは、新人のアクアには持ち出し出来ない代物の筈だが、おそらく盗み出してきたのだろう。


「……。」

「あら? さっきまでの威勢はどうしたの? 」


足元に転がるそれを、彼は無言で見つめる。

それを肯定と受け取ったのだろう、彼女は得意げな表情で口を開いた。


「あはっ、ビンゴみたいね。服用者は魔道具を使えない。ボウギョキコウ? やらがあるのよね。」


奪還作戦の課程で、魔法教会の保持する魔道具がアフリカに流入した。

それらは服用者となった人々の元にも渡ったが、服用者の者達が魔法教会支給の魔道具を使用すると、それに反応するように魔道具達は爆発するように壊れてしまった。

それを応用するように、彼女は彼の事を試しているのだ。


「いや、ちょっと待ってくれないかな? 何を言っているのか……。」


興奮したように声を上げたアクアに、アキラは急いで制止するように声をかける。

しかし、彼の言葉は彼女の心を逆撫でするだけで終わった。

不快そうに顔を歪めた彼女が、苛立ちを隠さない声色で口を開く。


「だったらさっさとそれを拾いなさいよ。」

「っ!! 」


返事を返さないアキラの様子を、彼女は汚物を見る様な嫌悪感に満ちた視線で眺めている。

そしてそのまま、くすくすと嗤いながら首をかしげた。


「糞みたいなあの薬を買ったんでしょ? 貴方。それとも、連中の一員なのかしら? 」

「……違う。」


険しい表情で、彼は彼女の言葉を強く否定する。

彼の表情を見て、彼女は悦に入ったような、それでいて狂気を垣間見させる様に、笑みを深めた。


「嘘。誰だって否定するもの、あんな糞野郎共……ああ、異端者、だったわね。あれと繋がってるだなんて、ね。」


彼女は昂ぶりが抑えられないのだろう、どこか踊るような軽い足取りで、その場でくるりと一回転、ターンをして見せる。

だがしかし、彼女の周囲の空間は強力な魔術師が感情を昂らせるときに見せる、軋む様な音を立てていた。

高まる殺意の気配にアキラは身構えながら、彼女の言葉を否定する。


「仲間じゃない!! 」

「しつこいわね!! アフリカでも散々あんたらみたいなのはぶっ殺してきたのよ!! 」


水を差された、と感じたのであろう。

昂るように頬を赤くしていた彼女は、一転して汚物を見る様な不快感を隠さない表情で彼を睨んだ。

その目の奥底には深い憎悪の炎が怪しく輝いているように見えた。


「まぁ、仲間だろうが何だろうが、服用者はぶっ殺すだけよ。せめて最後に役に立ちたいなら、やつらの情報を吐いて頂戴? 」


ぴしぴしと空間の砕ける様な気配と共に、彼女の感情の昂ぶりが頂点に至っていることが感じられる。


「落ち着いて、話をしよ──


危険な兆候と判断したアキラが口を開くが、そんな彼に向けて蒼炎できた槍が襲い掛かる。

突如飛来したそれを寸でのところで回避したアキラがアクアの方に視線を向けると、大鎌と仮面の意匠の魔紋を背後に、こちらを睨む彼女の姿があった。


「うっさいわね!! あたしはずっと落ち着いてるわ!! 」

「くっ!! 」


次々と飛来する蒼炎の槍を、彼は身体強化を駆使した高速移動で回避する。

彼が回避した蒼炎が、近くの樹を燃やしている。

蒼の炎は熱も輝きも放たず、ぬらぬらと怪しくその姿を揺らしていた。


「随分と動けるみたいだけど、四肢を飛ばしたら気が変わる? それともやっぱり、ハズレの無知なの? 」


狂気に染まった笑みと共に、こてん、と小さく首を傾げた彼女が、ぽつりと言葉を漏らした。

瞬間、彼女の背後に大鎌と仮面の意匠の魔紋が更に現れ、蒼炎で形作られた槍が無数に出現する。

さらなる攻撃の気配に彼が戦慄の表情を向ければ、彼女は小さく言葉を続けた。


「あんたらは家族の恨み。絶対に許さない。」


凶悪な笑みと共に、アクアは魔法を発動した。

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