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007:閑話

防護壁を後にしたリーサは、アキラと別れたあとで魔法教会大学校内に置かれた"隊舎"に向かった。

新東京都には魔術師の詰め所となる”隊舎”という施設が新東京都の中央と、東西南北の四方に置かれている。

いくつかの建造物が立ち並ぶ中でも、もっとも高い建物の中に入った彼女は、入ってすぐの受付に眼を向けて、あら、と小さく眉を上げた。


「あらあら? エリシアじゃないの。律儀ねぇ、こんなところでお出迎えしてくれるなんて。」


彼女の目線の先、受付の脇には金髪に栗色の瞳をした美女が立っていた。

背中の中ほどまで伸ばした長髪を後ろにまとめた彼女の、その猫のような目には濃いクマができており、疲労の色が濃い。

リーサの朗らかな笑顔をきろり、と睨みながら、エリシアと呼ばれた彼女は口を開いた。


「貴女が仕事を放り出してどっかに行くものですから。」


端的にそう告げられた彼女の言葉に、リーサはその笑顔を苦笑に変える。

エリシアは筋金入りの仕事人間だ。

アキラの教育係を命令した時も、ひどく不本意そうな表情で彼の相手をしていたことを思い出す。


「どうせいつでもあなたがやってくれるんだから、関係ないでしょ? 」

「そういう問題ではないんですよ。」


ふん、と不満そうに鼻をならしたエリシアに、リーサは誤魔化すように笑って見せる。

そんな彼女の仕草にエリシアは、特大のため息と共に、それで、と言葉を続けた。


「それで、時計(アレ)、渡せたんですか? 」

「……あら、よくわかったわね? 」


その問いに、リーサは少し驚いたように眉を上げた。

そんな彼女の反応に、エリシアは何を言っているのか、と呆れたような表情で応える。


「書類を届けにオフィスに行ったら、時計の小包とあなたの姿だけなくなっていたんですから。」

「なるほど。」


彼女が質問に手短に応えると、リーサはわざとらしく驚いて見せる。

彼女の仕草を、エリシアは氷のように冷たい視線で眺めていた。

そして、彼女の法衣の袖口に目を留めて、その目を僅かに細める。


法衣(それ)、汚れてますよ? 」

「ええ? 」


彼女の指摘を受けて、リーサは自らの袖に目を向ける。

法衣の袖口には赤錆が付着していて、元の生地の色も相まってひどく汚れが目立っていた。

きっと防護壁を訪れた際に付着したのだろう。

それを見たリーサは、またか、とうんざりしたような表情で声を上げる。


「あーもう、この服ほんとに嫌よ。別にこんなもっさりしたの、着なくていいじゃない。」

「色を選んだのは貴女じゃないですか。」


布量の多い法衣について愚痴を漏らしたところ、冷ややかに告げられた彼女の言葉に、リーサはうぐ、と喉をならした。

そしてそのまま、すがるような表情でエリシアに泣きつく。


「エリシア、綺麗にしてくれないかしら? 」

「嫌です。そもそも出し直せばリセットできるじゃないですか。」


だがしかし、エリシアはとりつく島もない、といった様子で他所を向いた。

そして、視線を合わせることなく、吐き捨てるように言葉を続ける。


「誰かさんのせいで疲れてるんです。」

「うう……。こういう魔法は貴女の方が得意じゃない。リセットも大変なのに。」

「誰かさんのせいで疲れてるんです。」


せめてもの抵抗と言ったリーサの言葉をエリシアは言葉を繰り返して一蹴する。

彼女の言葉に大きく肩を落とした彼女は、一度怨めしそうに部下を一睨みしたあとで、ブツブツと愚痴を漏らしながら、中空に手をかざす。

召還魔法を発動し、彼女の足元に魔紋が出現すると、リーサの身に纏う法衣が花紺青色の光に包まれた。

エリシアがそれを眩しそうに目を細めていると、ぱきぱきと薄氷が砕けるような音が周囲に響く。

それは召還物の再構築と言う、召還魔法の技術のひとつだった。


「あ、ちょっと!? 待って? 」


召還物の再構築には数秒の時間がかかるため、彼女はリーサを置いて、その場を離れようとする。

背後から聞こえるリーサの声に、何処か満足そうに口角を吊り上げた彼女は、受付の前を抜けた先にあるエレベーターホールに向かった。

エリシアがエレベーターを呼ぼうとボタンを押したタイミングで、後ろから追い付いたリーサが口を開く。


「もう、酷いじゃない。置いていくなんて。」

「自業自得です。」

「ぐぅ……」


言葉の応酬をしながら振り向く頃にはエリシアの表情は冷俐なそれに戻っていて、がっくりと肩を落としたリーサの袖口は、汚れが落ちていて純白を取り戻していた。


「綺麗になったみたいですね、服。」

「新調したようなものだから、当たり前よ。」


淡々と放たれたエリシアの言葉に、口を尖らせながらリーサが応える。

むくれる彼女を、特に何を言うでもなく眺めていたエリシアだったが、やがて視線を外してエレベーターの方に顔を戻した。

エレベーターホールに響く、呼び出しに応じる昇降機の駆動音に耳を傾けているとやがて、ぽつりとリーサが言った。


「時計、ちゃんと渡せたから。」


それは、話の流れで忘れかけていたエリシアの問いへの回答だった。

彼女の視界の片隅に、朗らかな笑顔で此方を覗き込むリーサの姿が映る。

その言葉を聞いて、何処か安堵したかのような表情で眉を下げていたのは、エリシア本人は気が付いていないだろう。

それを見て微笑を漏らしたリーサは、満足したように彼女の隣に居直る。


「……今頃、あの子は班のメンバーと合流するころでしょうか。」


エリシアがボツりと言葉を漏らしたのは、エレベーターの扉が開いたときだった。

彼女がエレベーターに乗り込んでいると、彼女の背後から、ふふっ、と漏れ出すような笑い声が聞こえる。


「何ですか?」

「いいえ、何でも。」


リーサの笑い声が聞こえたのか、振り返ったエリシアは眉間に皺を寄せていた。

そしてそんな彼女の視線をリーサは、澄ました表情で受け止める。

彼女のそれに気勢を削がれたのか、彼女はエレベーターのコンソールを操作する。


「ちょ、ちょっと!? 」


リーサが乗る前にエレベーターの扉が閉まろうとして、彼女は焦ったように表情を崩した。

彼女が声を上げると、エレベーターの扉が再度開く。

そこには、何処か勝ち誇った表情をしたエリシアの姿があった。


「早くのって下さい。」


エレベーターを操作するコンソールの前に立った彼女が、急かすようにリーサへと声を掛ける。

そんな彼女の言葉に不満そうに口を尖らせながら、それでも何処か観念したように、彼女はエレベーターに乗り込む。


「しかし貴女、あの子のこと教えるときは文句ばっか言ってたけど、心配したりするのね? 」

「文句こそ言えど、指導は指導ですから。親心みたいなものはありますよ。」


仕返しと言わんばかりに、からかうような声色で放たれたリーサの言葉に、エリシアは淡々と返事をした。

それでもなお、何処か生暖かい視線をリーサがむけていると、コンソールに顔を向けていたエリシアが振り返った。

振り返った彼女は、変わらず呆れたような表情をリーサに向けている。


「そんな調子で良いんですか? 理事長にお会いするんですよ? 」

「えっ? 」


彼女の言葉に、リーサは機能停止したようにパタリと黙り込んだ。

先程までの朗らかな表情とはうって変わって、真顔になった彼女は、僅かに首を傾けて彼女の背後にあるコンソールの画面を確認した。

そこには、このエレベーターの目的階が最上階に指定されていることが表示されていた。

上昇を始める駆動音がエレベーターの中に薄く響き始める。

この建物は20階建てで、コンソールに表示される現在のフロアの数字はどんどんと上昇を続け最上階に向かっていく。

コンソール上の数字が2桁になった、その瞬間だった。


「させません! 」


エリシアを押し退けてコンソールを操作しようとしたリーサと、それを読んでいたのだろう、彼女の腰の辺りに飛び付いたエリシアが、エレベーターのなかで押し合いを始める。

両者の押し合いが拮抗したところで、リーサが声を上げた。


「嫌よ、嫌よ。 師匠なんて、会いたくないわ。」

「そんなこと言われても、命令ですから……!! 」


先ほどまでの余裕に満ちた表情とは打って変わって、どこか切羽詰まったような表情で詰め寄る彼女に、エリシアは声を絞り出すように唸る。

彼女は必死に長い腕をコンソールへ伸ばすが、エリシアの抵抗によって僅かに指先が届かないでいた。


「貴女、仲良いんだから一人でどうにかしなさいよ。私が行く必要はないと思うの。」

「諦めてください、私に何を期待してるんですか。……それに、仲も良くないです。」


駄々をこねる子供のような雰囲気で手足をばたばたと振り回すリーサと、それを押さえるエリシア。

彼女のやぶれかぶれな言葉に応えたエリシアの返事は、その後半は何処か歯切れ悪そうであった。


「でもでも、あんまりよ。師匠に会うのはなくたっていいじゃない。あんなのに会わせてどうしろって言うのよ━━

「あんなの、ですか。」


相変わらずもがき続けていた彼女に、エリシアではない女性の不機嫌そうな声がかけられる。

その一声だけで、エレベーターのなかは静寂に包まれた。

気が付けば彼女達の乗るエレベーターは目的の階に到着していて、開かれた扉の前には1人の老婆が立っていた。

白髪をきっちりと結い上げた老婆は随分と小柄だが、そののびた背筋や黒い瞳には老いの影は見えない。

この新東京都に置かれた魔法教会大学校の理事長、千丈(せんじょう)由利亜(ゆりあ)その人だ。


「貴女は変わりませんね。リーサ。」


彼女はエレベーターのなかのリーサを見て、ふ、と柔らかい笑みを浮かべる。

しかし、その目には一切の笑みはなく、底冷えするような寒さを伴っていた。


「そうおっしゃる師匠は、歳を取りましたね。」


そんな笑顔を受けたリーサは、先程までがまるで嘘かのように、その場に澄ました表情で居直った。

彼女の言葉は丁寧でこそあれ、その端々に棘が感じられる。

由利亜もリーサも、お互いに向けるのは何処か陰のある笑顔だ。

それらを目の前にしてエリシアは急いで立ち上がると、その場を避けるようにリーサの背後に控えた。

リーサも由利亜も臨戦態勢なのは一目瞭然であったからだ。


「引率ご苦労様、エリシア。」

「貴女も介護に苦労するわね。」


お互いを口撃しあいながら、底冷えする笑顔を向けあう2人に、彼女は心のなかで、巻き込まないでくれ、と独りため息をつく。

リーサがまだ新人隊員だった頃から見慣れた光景であっても、それに巻き込まれる彼女からすればたまったものではない。


「……立ち話もなんです、こちらに来なさいな。」

「……そうですね、お邪魔させていただきます。」


暫くの間があった後でようやく、由利亜はくるりとその場を振り返り、奥へと進んでいった。

リーサ達はそれに続き、彼女の執務室へと通される。

窓際に置かれたデスクをはさんで、由利亜はオフィスチェアに浅く腰かけた。

そして彼女は大きな窓を背に、デスクの向かいに直立しているリーサへと視線を向けた。


「わざわざ来てもらって、悪かったわね。」

「いえ、師匠がお呼びとあれば、すぐにでも。」


社交辞令のような挨拶が交わされ、今一つ表情を読めない笑みを浮かべたリーサが恭しく一礼し、扉の脇に控えていたエリシアもまた頭を下げた。

僅かにオフィスチェアの軋む音がしたあとで、由利亜から声がかけられる。


「取り敢えず、アフリカの件はご苦労様でした。」

「はい。」

「今一度、かの地に魔法教会の拠点が得られたことは、人類にとって大きな恩恵でしょう。貴女はその立役者として、誇れるだけのことはしました。」

「ありがとう、ございます。」


彼女の称賛の言葉に、リーサは再び頭を下げる。

アフリカ大陸は魔獣出現時の混乱が特に激しかった地域で、人類の生存確認が数百年単位で行われたいなかった地域だった。

人類の生存も疑問視されていたが、調査の意味も含まれるアフリカ大陸奪還作戦が発令。

魔法教会によって魔術師が派遣された結果、橋頭堡となる第1の都市を大陸の最南端部に作ることに成功したのだった。

かの地では今日も新たな都市の建造や、魔法教会の施設の設営などが忙しなく行われているだろう。


「此方では貴女のことを"純白の英雄"なんて呼ぶ動きもあるわ。」

「そんな、私には過ぎた名前です。」


いたずらっぽい声色で告げられた由利亜の言葉に、彼女は表情を変えることなくそう返した。

偉大な功績を挙げた魔術師は、自然と二つ名がつく。

作戦を成功に導いた魔術師として彼女は世間からの賞賛を得たが、しかし、彼女の記憶に残る戦いは惨憺たるものだった。


「アフリカでは、多くの命が失われました。」

「ええ、知っていますとも。……その件について聞きたかったんですから、今回お呼びしたのは。 」

「アフリカの件……ですか。」


大陸奪還作戦は、大いなる犠牲の上に成し遂げられた物だ。

当時のことを思っているのだろう、祈りを捧げるように瞼を閉じた彼女は、そのまま言葉を紡ぐ。


「状況は、思っていたよりも深刻だと思われます。……新種の魔獣が現れ、その対応で現場は手一杯です。」


淡々と語るリーサから視線を外し、オフィスチェアを回転させて窓の外へ眼を向けながら、由利亜は口を開く。


「かつてより、魔術師と魔獣の戦いは行われてきました。我々の優勢な時もあれば、劣勢の時もありました。」


魔法が進歩を遂げるように、魔獣もまた、より強力な個体が時として発生する。

強力な魔獣の出現により魔獣に蹂躙される暗澹とした時代もあれば、魔法の進歩による人類の未来への光明が見える希望の時代もあった。

その繰り返しは、魔獣出現以降からずっと続いてきたものだ。

しかしそれでも、由利亜は何処か疲れたような表情で小さくため息をついた。


「少しは安心できると思っていたのですが、どうやらそうは行かないようですね。……出来るだけでも準備はしておきましょう。」


そう言って彼女は、一度言葉を切った。

椅子に深く腰を落とし、天を仰ぐように深いため息をついた彼女は暫くの沈黙のあとで、それで、と口を開いた。


「聞きたいことは、もうひとつあります。」


くるりとオフィスチェアをリーサの方へ向けた由利亜の表情からは、感情を伺うことは出来ない。

息をするにも重い空気の中、彼女は小さく首を傾げた後で口を開いた。


「彼のことです。」


瞬間、場の空気が変わる。

それはとても冷たく、そして息も詰まるような重苦しい空気であった。

呼吸さえ許さない威圧感の前で、それでもリーサは微笑とともに口を開いた。


「彼が、どうかしましたか? 」

「どうもこうも。……彼は何者ですか? 」

「それは、報告書にまとめて送ったはずですが? 」


とぼけるように首をかしげたリーサに、由利亜の眉間に皺がよる。

空気に亀裂が入る、気配がした。


「書類は確認しました。受け入れこそしましたが、あのような書類で納得が行くとでも? 」

「納得するもなにも、あの子が素質を持っていて、そして意思を持っていること以外に、彼の何を知る必要があるのですか? 」


リーサの返答に、由利亜が苛立ちを隠さずに立ち上がった。

デスクに積まれた書類の中からひとつを取り上げ、リーサに突きつけながら口を開く。


「貴女の報告書に不備が多すぎたので、調査を行いました。全くの不鮮明ではありますが、彼の出所の大元には━━

「それが何ですか。 」


由利亜の言葉を遮り、リーサは口を開いた。


「師匠、もし師匠の懸念が真実であったとして、彼を追放するのですか? 」


由利亜の周囲の空間が、軋むような音をあげる。

呼吸さえもままならない鉛のような空気に、部屋の照明か悲鳴を上げるように明滅した。

強力な魔術師が感情を昂らせたときに見られるその現象は、生半可な魔術師ではその場にいるだけで威圧され恐慌状態に陥ってしまうだろう。

そんな光景をリーサは、やや眩しそうに目を細めて見つめていた。


「危険因子を手元に置くほど甘くないだけです。彼が安全と言う保証が貴女には出来るのですか? 彼が裏切らないという保証が貴女には出来るのですか? 」


彼女の視線を浴びるだけでも、心の臓が総毛立つような、魔力を伴う威圧。

戦線を退いてなお健在な圧倒的な力を持つ魔術師の威光がそこにあった。


「リーサ、答えなさい。貴女は彼の全てを保障出来るのですか? 」


その問いは、回答によってはすぐに首をおとされてしまいそうな質量を伴っている。

しかしそのなかでも、リーサは涼しい笑顔で、それでいて確固とした意思を込めた瞳で、由利亜を見やった。


「保障しましょう。」


背筋を伸ばし、凛とした佇まいで応えるその姿は、彼女が英雄と呼ばれるその所以を感じさせた。

鋭く確信に満ちた瞳で由利亜を見据えながら、彼女は言葉を続ける。


「決して、師匠の危惧するような事態には至りません。」

「口では何とも言えます。あなたは彼のために、どれだけを賭けることができるのですか? 」

「いくらでも。私は彼の全てを保証するために、私は全てを賭けましょう。」


彼女の言葉に、由利亜は小さく嗤った。

彼女から放たれていた魔力の嵐が収まる。

満足そうにうなずいた彼女は、なるほど、と何度か呟いた後で、怪しい光をたたえた瞳をリーサに向けた。


「……相変わらず、貴女は頑なですね。」

「それは……誉め言葉として受け取っておきます。」

「貴方の覚悟はわかりました。それでは、交換条件を出させていただきましょう。」

「交換条件? ですか? 」


由利亜の言葉に、リーサは僅かに眉を上げる。

彼女の問いに、由利亜が応える。


「あなたには、私の下で”仕事”をして頂こうと思います。」


彼女の言葉に、リーサはその表情を歪める。

彼女が渋い顔をするほどに、目の前の老婆は喜悦に満ちた表情になっていく。

その表情を見て、リーサは眉間に皺を寄せた。

彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて彼女の下にいた時の記憶だ。


「仕事、ですか。」

「ええ。今度こそは逃げられませんよ。」


彼女は、リーサの言葉を待っている。

きっと、選択肢はないのだろう。

リーサの顔が満面の笑みへと変化する。

それが彼女の作り笑いであることは、この部屋にいる人間にとっては一目見ればわかることであった。

リーサは笑いながら、口を開いた。


「ええ、ええ。やりましょう。やりますと────

「決まりですね。」


彼女が了承の言葉を言い終わる前に、由利亜が喜々と口を開いた。

きっとこれが狙いであったのだろうと、その表情が物語っている。

リーサが眉を寄せる前で、彼女は言葉を続ける。


「彼についてはひとまずよしとしましょう。」

「……ご配慮痛み入ります。」


彼女の言葉に、リーサは恭しく頭を下げて礼を述べる。

そんな彼女に由利亜は、ですが、と言葉を続けた。


「ですが、監視はつけさせてもらいます。……もちろん、よろしいですね? 」

「っ!! はい。もちろん。」


顔を上げたリーサが見たのは、窓の外に目を向ける由利亜の背中だった。

これ以上、話す事はない。

その背中はそう物語っている。

彼女の背中越しに、由利亜の声が聞こえる。


「建設的な会話ができて、何よりでした。」

「……失礼します。」


リーサはそう言って、その場で振り返る。

いつもより僅かに足早に歩いた彼女は、部屋の扉を開いて外に出る。

彼女の背後に控えていたエリシアも、急いで一礼したのちに彼女に続いて行った。


「あ、あの────

「大丈夫よ。これは、必要経費だもの。」


部屋を出て声を掛けてきたエリシアに、リーサはそう応えながら、背後のエリシアへと視線を向ける。

由利亜の魔力にあてられたのだろう、彼女は青い顔をしてカタカタと小さく震えていた。

その金髪はじっとりとその顔に張り付いていて、きっと冷や汗に塗れていたのだろう。

そんな彼女に、リーサは申し訳なさそうに眉を下げながら、彼女の顔にかかる髪を払った。


「ごめんなさいね。怖い思いをさせてしまって。」

「い、いえ。……ありがとうございます。」


口ごもるエリシアに、リーサは少し陰のさした笑顔で、ふふ、と小さく笑った。

そして、うん、とその場で大きく伸びをした後で、深く息を吐きだしながら口を開く。


「まったく、これから忙しくなるわね……!! 」


そんな声は、由利亜の執務室にも小さく聞こえていた。

その声を聞いてか聞かずか、窓から外を眺めていた由利亜は大きくため息をついた。

彼女のそれは執務室に溶けていって、すぐに部屋には静寂が戻る。


「歳だというのに……忙しくなりますね……。」


独り残された部屋に、老女の独り言が響いた。

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