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004:第五講堂で②

口を開こうとしたアキラを押さえるように、どこからか鐘の音が鳴り響いた。

その音に面食らったように、舞や誠人達はその動きを止める。

それが集合時間を告げるものであるとアキラ達が理解したのは、講堂の扉がゆっくりと開かれた時だった。


「ふむ、今年の新人は――


鐘の音に混ざって、低音で、それでもよく通る声が講堂に響く。

彼らがその声の主へと振り返ると、講堂の入口に壮年の男性が立っていた。

一言で表現するなら、渋い、という表現が適しているだろうか。

白髪の目立つ銀灰色の短髪に、綺麗に整えられたショートコンチネンタルの髭。

力強く輝くセピア色の瞳が、席を立ったままのアキラ達へと向けられている。


――賑やかそうでなによりだ。」


つぶやくように放たれたその言葉は、不思議と鮮明に、彼らの耳に届いた。

ここでようやく、アキラは周囲から向けられている視線に気が付く。

初回の訓練を目前に緊張感にあふれていたこの部屋で、彼等は随分と他愛のない会話に話を咲かせていたのだ。

新人隊員全員の目は現在、入り口に立つ男性の方へと向けられているが、彼等の背中からは、アキラ達へ向けられる好奇の意思が感じ取られた。


「うう……。」


何処か意気を落としたように肩を下げながら、奈々樹が小さく息を漏らした。

アキラ以外のメンバーもおそらく、周囲から向けられていたそれに気が付いたのだろう。

皆そそくさと、決まり悪そうな表情で席に着いた。


「うむ、よろしい。」


そんな彼らの様子に満足したのだろう。

肩を小さくして席に着く彼らを一瞥した後で、壮年の男性はゆっくりと講堂内に足を踏み入れた。

ごとり、ごとり、と講堂内に響く足音は、本来のそれよりもずっと大きく聞こえる。

教壇にたどり着いた彼は、小脇に抱えていた用箋ばさみを卓上に置くと、ゆっくりとその黒表紙を捲った。


「今期入隊の特務科を担当するガイウスだ、よろしく。」


そう言って彼はその目を、講堂の席に座っている新人達へと向ける。

その眼光は鋭く、厳しく、それでもどこか愛情を感じさせる温かさがあった。


「特務科? 」

「うん? アキラは知らなかったのかい? 」


ガイウスの話に耳を傾けながら、その言葉に違和感を覚えたアキラは、小さく呟くように声を漏らした。

その言葉はとても小さかったが、隣席に座る蓮には聞こえた様子だった。

小さく耳打ちしてきた蓮に、彼は声は返さずに首肯で応える。


「魔法教会が、いくつか兵科に別れているのは把握してる? 」


蓮の言葉に、彼はそっと目をそらす。

アキラはリーサ達から、魔法教会に入隊すると言われたものの、兵科や、ましてや自身の配属については一切説明がなかった。

そのことに気が付いたアキラは、相変わらず各所で適当な保護者達に、心の中で大きなため息をついていた。


「そうか……。出身の都合かな……」


アキラの反応を見て蓮は、僅かに考える素振りを見せた後で、どこか納得する様子で唸った。

そして彼は、気遣い気な視線をアキラに向ける。

新東京都に来る前に受けた詰め込み教育にも穴があるのでは、と心中焦っていた彼は、その視線を受けて、蓮に何やら誤解されている気がした。

そのため、彼が何か言わねば、と口を開きかけたその時だった。


「さて、四条君。」

「は、はい!! 」


急に名前を呼ばれて、アキラはびくりと肩を揺らす。

声のもとに目を向けると、教壇上で黒板に向かい、チョークを手にしたガイウスが、半身に振り返りながらアキラに視線を送っていた。

ガタガタと焦った様子で立ち上がる彼を面白がるように、ガイウスのセピア色の瞳は僅かに細められている。


「魔法教会の、役割は何だね? 」


何を訊かれるのかと緊張していたアキラだったが、その問いはとてもシンプルなものであった。

彼はいまだ緊張した面持ちではあったが、一度呼吸を整えた後は、背筋を伸ばして確りとした様でその問いに答える。


「人類を、守護することです。」

「素晴らしい。人類の守護、それが我々の為すべき事だ。」


彼の回答に満足したように、ガイウスはゆっくりと頷いた。

そしてそのまま、それでは、と後ろ手に手を組ながら言葉を続ける。


「それでは四条君、追加で質問だ。……我々の守護する、人類の敵は何だね? 」

「それは──


再び与えられた問いに、アキラはすぐさま答えようとした。

人類の敵とは、魔獣と、裏切り者の魔術師だ。

しかし、いざそれを答えようと口を開いたそのタイミングで、彼は言葉を止める。


──この事は、誰にも話してはダメよ──


かつて戦場で聞いたリーサの、憎悪と怒りに満ちた声。

それを聞きながら見下ろした、返り血にまみれた自身の両手を、彼は思い出していた。

そっと見下ろした彼の手は、あの日と異なり血では染まっていない。

しかしそれでも、その記憶は彼の胸の奥に、もやもやとした黒い感情を湧きあがらせた。


──魔獣の、襲撃です。」

「ほう……。」


わずかな沈黙の後で彼は、絞り出すように回答を口にした。

アキラが視線を上げてみれば、壇上のガイウスと目が合う。


「魔獣の襲撃……いいだろう、座りなさい。」


彼の回答は、満足するものではなかったのだろう。

ガイウスは少し考え込む仕草をした後で、ゆっくりと頷きながら、彼に着席を促した。

そして、黒板に向き直ってカツカツとチョークを走らせながら、話を続ける。


「人類は魔獣に脅かされている。四条君の言う通り、魔法教会は人類を守護するために魔獣と戦うことが大きな役割だ。」


彼はそう言いながら、黒板中央に”人類”と記入し、それに敵対するような矢印をひとつ描く。

その矢印には”魔獣”と書かれていた。


「そして、魔獣の襲撃に対処するのは、主に普通科の役割となる。」


ガイウスはそのまま、普通科の果たす役割について語った。

普通科は魔法教会の兵科でもっとも規模が大きく、組織的に魔獣との戦闘を行う人員の集まりだ。

一般兵装に身を包み、組織的に各々の役割を果たす、数としての戦力をそろえている。

そのような説明を交えつつ、人類を襲う魔獣を阻む様に、黒板に”普通科”と描いたガイウスは、しかし、と言葉を続けた。


「しかし、ただ敵襲に対処するだけでは、この戦争を戦い抜くことは困難だ。先んじて手を打つために、極地での調査任務や、特殊兵器の運用を行う必要がある。」


彼はそう言いながら、黒板に”特務科”と書かれた円を描く。

そしてその円から、魔獣と書かれた矢印に対して、横から刺すような矢印を書き加えながら、ガイウスは言葉を続けた。


「特務科の役割の一つは、少数編成の斥候兼遊撃部隊として、普通科が手の回らない任務を担当することだ。」


ガイウスは一度言葉を切ると、黒板から目を離して、新人達の方へと視線を向ける。

そして、静かに耳を傾ける新人たちの様子を見渡すと、さて、と再び口を開いた。


「さてここで、役割の一つ、と言ったのには訳がある。」


彼はそう言いながら、ちらり、と一度、アキラの方へと視線を向けた。

それは一瞬の事であったが、アキラはどこか、心の内を推し量られているような感覚を覚えた。


「我々の敵は、魔獣だけではない。四条君の回答だけではまだ、足りない。」


ガイウスの言葉は別に、アキラを責めるような色を含んではいない。

しかしそれでもアキラは、合ってもいない視線をガイウスからそらした。


「アキラ君? 」


ふと、背後に座る奈々樹が小声で話しかけてきた。

その声に驚いた彼が小さく振り返ると、彼女が気遣うような視線を向けてきている。


「なんだかちょっと、哀しそうで。」

「ああ、いや、何でもないよ。」


彼女の言葉に、彼は誤魔化すように苦笑して見せる。

そしてそのまま、彼は逃げるようにその目を壇上のガイウスへと戻した。


「それでは、アクア君。」

「……はい。」


ガイウスが声をかけたのは、先ほどアキラを睨んでいた少女だった。

彼に声をかけられて、アクアと呼ばれた彼女は不機嫌さを隠さない表情で立ち上がる。


「魔獣の対策とはほかに、私たちの役割は何――

「腐った連中を殺す事です。」


彼の問いに対して、彼女は半ば、それを遮るように答えた。

水を打ったような静寂が講堂内に広がり、窓の外から種々の雑音ばかりが聞こえる。

ガイウスの表情は、驚き半分、可笑しさ半分という様子であったが、彼女の周囲に座る仲間たちは、その反抗的な態度に顔面蒼白になっている。


「成程、なるほど……。」


わずかに考えるしぐさを見せた後で、彼は興味深そうな目で彼女を眺めながら口を開いた。


「腐った連中……もう少し、具体的な回答を貰おうかな。」

「……糞魔術師と、それに媚びるしかない連中。」


彼女の声には、行く場のない苛立ちと、深い怨嗟が込められている。

新人たちが吞まれてしまう様なその雰囲気に対して、ガイウスは涼しげな表情で頷いていた。


「糞……という言い回しはともかく、だ。まぁ良い、概ね正解だ。座りなさい。」


ガイウスの言葉に、アクアは小さく鼻を鳴らしながら席に腰を落とす。

彼女の威圧感や反抗的な態度の中、無事にやり取りが終わったためだろう。

講堂内のそこかしこから、安堵の溜め息が聞こえた気がした。


「裏切り者や野良の魔術師、いわゆる異端者が起こす犯罪は、大きな問題となっている。出奔した魔術師が集まり、組織化していることが根本的な原因だ。」


先ほどまでとは打って変わって、ガイウスの口調は重い。

法を犯した魔術師は、その罪に応じて拘禁、追放、或いは殺害することが求められる。

それは重要な仕事だが、汚れ役の側面も大きい。


「特務科は、同胞の取り締まり……異端者の対処を行う。奴らの犯罪を舐めてかかると、痛い目に遭うことになる。」


ガイウスはそう言いながら、右手にはめられた手袋を取った。

彼の右手は、魔法工学によって開発された義肢となっていた。

彼はその手を、かちゃり、と動かしながら言葉を続ける。


「私はそれで、仲間と腕を失った。君たちは、そうならないことを切に願っている。」


彼の言葉には、重く、そして大きな喪失感が含まれていた。

何かに思いを馳せるように目を閉じる彼は、何を思っているのだろうか。

彼はその手に持っていたチョークを置くと、懐からハンカチを取り出す。

指先についた白い粉を拭い取りながら、彼は天を仰ぐように天井を見上げた後で、深いため息をついた。


「さて、以上が特務科の役割だ。」


ぽつりと告げられた彼の言葉は、無音の講堂に溶けていく。

耳の痛くなるような静寂が広がり、一瞬の様な、永遠の様な時間が流れた気がした。

やがて、その静寂を打ち破るように、彼は、最後に、と口を開く。


「最後に、任務中は一切の油断をするな。自分を守れない人間に仲間は守れない。仲間を守れない人間に人類は守れない。」


重い空気をはらうためか、彼の声色は意識的に明るく発せられたように聞こえた。

言葉を噛み締めるように頷く新人達を眺め、ガイウスは満足げに頷いていた。

そうして、しばらくの間が開いた後の事だった。


「……ん? 」

「ナナ、どうかしたのか? 」


ふと、何かに気が付いたように声を上げた奈々樹に、舞が反応した。

彼女の言葉に、前方に座るアキラ、蓮、誠人も小さく彼女の方へと振り返れば、奈々樹はその目を細めながら講堂入口の扉を凝視している。

まるで扉を見透かさん、と言わんばかりの彼女は、その姿勢のままで舞の言葉に応える。


「うーん。なんとなくだけど、人の気配がして。」

「人の気配? アキラ以外にも遅刻している奴がいんのか? 」


彼女の言葉に、誠人が首をかしげながら小さく腕を組んだ。

その口調は奈々樹の言葉に全幅の信頼を寄せている様で、彼もその目を、閉ざされたままの講堂の扉へと向けていた。


「森崎さんは探知役なんだ。」


彼らの遣り取りに置いて行かれたようで、目を白黒とさせていたアキラに、そっと蓮が耳打ちをした。

探知役というのは、作戦行動中に魔力探知などにより敵の存在を割り出す役割の事である。

蓮の言葉に合点がいったアキラは、納得した様子で小さく頷いた。

きっと彼らは、アキラが遅れていた期間の寮生活で、役割などの情報を共有していたのだろう。

彼らがそんなやり取りをしていると、教壇上のガイウスが口を開いた。


「君はいつまでそうしているつもりだ? 」


突然ガイウスが上げた咎める様な声に、アキラ達だけでなく新人達の多くがびくりと肩を震わせた。

ところが、教壇の上に立つガイウスが視線を向けていたのは、彼らと同様に講堂入口の扉だった。

教壇の上に立ったままの彼が徐にその手で講堂の扉を指さすと、銀色の靄が彼の指先から沸きだす。


「”開け”。」


彼は呟くような詠唱と共に手首を捻り、扉に向けていた人差し指を、人を招くように小さく曲げた。

その瞬間、閉ざされていた講堂の扉に銀色の稲穂と短銃の魔紋が現れ、彼の魔法が発動し、扉が勢い良く開かれる。

扉の向こうには、黒髪黒目で妙齢の、長身の女性が立っていた。


「あらっ? 」


彼女は扉に身を預けながら、部屋の中の様子をうかがっていたのだろう。

扉が突然開いたことでバランスを崩し、彼女はよろよろと講堂内に入ってきた。

両手を膝について立ち止まった彼女は、ひそひそと騒ぎ立てる新人たちを、猫の様な釣り目で威嚇するように見上げる。

その目はどこか、今見たものは忘れろ、と言わんばかりの威圧感を放っていた。


「玲於奈君。」

「はい。」


玲於奈、というのは彼女の名前だろう。

声を掛けられた彼女はその場に直立の姿勢になると、今の表情が嘘であるかのように涼しげな表情となって、壇上に立つ彼を見上げた。

そんな彼女に、ガイウスは小さくため息をついた後で、呆れたような声色で声を掛ける。


「準備は出来たのか? 」

「はい。その報告のため、ちょうど此方に到着した次第です。」


彼らの遣り取りから察するに、彼女は遅刻した新人ではなくガイウスの部下の様だった。

ガイウスと玲於奈の遣り取りを見ながら、新人達の中で誰かが言葉を漏らす。


「……絶対あの人、ガイウス教官が話してるからって入ってくるの避けてたよ……。」


どうやら奈々樹以外に他の班の感知役も、彼女の存在に気が付いていたようだった。

その言葉が聞こえたのだろう、むっ、と眉をしかめた玲於奈が睨みを利かせるように、新人たちの方へと視線を向ける。

しかし、そんな彼女を制するように、再びガイウスが声を掛けた。


「玲於奈君。」

「はい。」


声を掛けられて彼女は、再び何食わぬ顔で、彼の方へと視線を戻す。

視線を向けられた彼は、彼女の様子を見てこめかみに小さく手を当てていた。

そして、言葉を探すような間を開けた後で、彼は観念したように息をついてから口を開いた。


「まあいい。ひとまず、新人たちに名乗りなさい。」


彼の指示に玲於奈は小さく頷き、新人達の方へと体を向ける。

緑色の黒髪を肩口で切りそろえた彼女は、その怜悧な美貌と相まって、冷徹な仕事人という印象を感じる風貌をしていた。

きっと、これまでの彼女の仕草を見ていなければ、だれもがそう思ったであろう。

彼女はその目で威嚇するように講堂内を見回した後で、小さく顎を上げながら凛とした声を放つ。


「春先玲於奈。ガイウスさんと同じく、貴方達の面倒を見ることになったわ。貴方達のことは徹底的に扱くから、覚悟なさい。以上よ。」


彼女は毅然とした態度でそう言い終えると、これでいいのか、と言わんばかりに壇上のガイウスへと視線を戻す。

否、振り返る直前まで彼女の眼は新人たちの方へと向けられていて、彼女の背中からは、自身に好奇の目を向ける新人達をどう対処しようか、ということを思案している様に見えた。


「……逆恨み? 」


ぽつり、とレイが漏らしたのが聞こえたのだろうか、彼女の肩が僅かにピクリと動いたのが遠目からも確認できた。

ガイウスは玲於奈に有無を言わせないような視線を送っていて、きっとその視線が無ければ、彼女は振り返ってこちらを睨みつけていたのだろう。

そんな彼女の様子を見て大きなため息をついた後、ガイウスはゆっくりと口を開いた。


「話はすでに完了している。次の訓練の時間だ。」

「っ!! 承知しました。」


どこか呆れたような表情で告げられたガイウスの言葉に、玲於奈は一瞬、その表情を歓喜に染めたように見えた。

だがしかしそれはすぐにすました表情に戻り、彼女は体ごと新人へと振り返る。

彼女は新人たちを見渡した後で、ゆっくりと口を開いた。


「貴方達、”初回戦闘訓練”のために、移動するわよ。」


彼女の表情は鋭く怜悧で、冷徹な仕事人という印象を覚えさせる。

そしてそれと同時に、影が差しているような、ほくそ笑んでいる様な風にも見えた。

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