029:騒乱の予兆
新東京都の中央地区、この都市の政治の中枢となる中央庁舎のワンフロア。
時刻は早朝、時計の針は朝の5時を回ったところで、前線任務は二日目を迎えているころだろう。
出勤時間はまだまだ先の時刻であるにもかかわらず、フロアの職員たちは明るくなり始めた空を背景に、あわただしくその手を動かしていた。
このフロアの職員たちは先日帰ることもなく業務に励んでいた。
大部屋では業務に励む職員同士の喧騒が響いているが、その色は平時に増して焦燥感に駆られている。
そんなフロアの片隅に置かれた一室。
扉の向こうに大部屋の喧騒を聞きながら、反してこちらは恐ろしいほどの静寂が室内に広がっていた。
室内にいるのは、不機嫌そうな表情で書類に囲まれながら椅子に身を沈めるリーサと、それを見守る様に戸口に立つエリシアだ。
ここは中央庁舎の会議室に一時的に置かれた、リーサの執務室だった。
「エリシア、もうそろそろ休みなさい。徹夜何日目なの? 」
「私にはあなたを監視する仕事があります。」
気遣うような言葉とは裏腹に、不満げな色を隠さないリーサに、エリシアは付き合う気配が一切感じられないような淡々とした声色で応える。
その言葉を聞いたリーサはもの言いたげな目を彼女に向けるが、深いクマをこしらえ疲労の色を隠さないその表情をみて、何度か口を開閉した後で口を閉ざす。
そんな彼女の様子を見てか、追い打ちをかけるようにエリシアが再び口を開く。
「目を離しても貴女が大人しくしていてくれれば、私も扉の前から動けるんですがね。」
「でも、私が行けばちゃちゃっと済むでしょ? 」
苦笑と共にどこかふざける様な口調のリーサをみて、エリシアは深いため息をついた。
きっとリーサの言葉は事実なのだろう。
しかし彼女は、もう組織の幹部となってしまった。
思うままに好きに動き、ましてはこの新東京都の外に出撃するのは許されていない。
それ故にエリシアは、彼女を見張るためにこの場に立ち続けていた。
「それで、このやり取りも何度目になるのかしらね? 」
どれほどの時間が経過したのか、部屋の静寂を破ったのはリーサだった。
彼女はため息混じりの言葉でそう言うと、うん、と椅子の上で伸びをする。
リーサの座る安物の椅子が、ぎぎ、と軋む音をたてた。
「それは、彼らの頑張り次第でしょう。」
エリシアは、ちら、と小さく首を動かし、背後の扉の向こう──いまだに騒がしい様子の大部屋の方を差しながら、彼女の言葉に応える。
最初の報があったのは、一か月ほど前だろうか。
新東京都からみて西に150kmほどの地点に置かれていた松本地区観測所──比較的大きな観測所である──からの連絡が途絶えた。
数日程度の通信途絶であれば機器の故障かもしれないと考えられたが、事態はそれだけではなかった。
能登の魔法教会支部からは、松本地区のさらに西部、高山地区からの通信も途絶えているとのことだ。
現在、新東京都はその情報を緊急事態としてとらえ、その対応のため彼らは夜を徹して働いていた。
そしてその報告を受け取るため、リーサ達はこうしてこの部屋に缶詰めになっている。
エリシアの言葉に彼女は、手元に積みあがっている書類を手に取り、その内容を眺めながら何かを言おうと口を開く。
そうしようとした瞬間、ちょうどそのタイミングで会議室もとい臨時執務室の扉が、こんこん、とノックされた。
「どうしたのかしら? 」
「秘書官殿、こちら連絡の取れた各地からの情報、揃いました。 」
ノックに対してエリシアが小さく扉を開くと、扉の向こうから首をのぞかせた男性職員が緊張感を存分に孕んだ様子で、疲労の色にそまった声を努めて凛としたように張りながらそう言った。
そしてそのまま、職員からエリシアに書類の束を留めた紙挟みが差し出される。
だが、その手は疲労に脱力してしまったのか、彼女がそれを受け取るより先にその書類の束を取り落としてしまう。
幸い、書類を取り落としたことに反応したエリシアが空中でその束をキャッチしたが、それを見た男性職員は自身の働いた失敗に顔面蒼白になっていた。
「ありがとう。もう休んでもらっていいわよ。」
「……はい、失礼します。」
そんな手短なやり取りをすると、男性職員はか細い声で返事をしてから、ぺこぺこと何度も頭を下げてからこの場を後にした。
再び、執務室の中には静寂が訪れる。
「ようやくね。……それで、内容の方はどうなの? 」
扉の向こう、先ほどの男性職員の足音が遠のいていくのを見計らってから、リーサがゆっくりと息を吐いて口を開いた。
彼女の目の先では、エリシアがすさまじい速度で手渡された書類を確認している。
その表情は書類を読み進めるたびにどんどんと暗く、そして厳しい剣幕になっていき、それを見たリーサの表情もそれに応じるようにどんどんと険しいものになっていった。
彼女はリーサの問いに返事をしなかった。
正確には、その余裕がない、という言うべきだろうか。
「……何があったの? 」
「……。」
「エリシア! 」
二度目の問いかけも、返事は帰ってこない。
気持ちが悪いほどの静寂に居心地悪そうに身を揺らしたリーサは、改めて三度目、少し語気を強めて声を掛けた。
彼女の声にようやく、ぴくり、と小さく肩を上げたエリシアは、絞り出すような声で、リーサの言葉に応える。
「……飯田と谷川の観測所、それから伊豆、名古屋の魔法教会支部からの情報しか無いわ。」
「っ!!」
彼女の言葉に、リーサは弾かれるように立ち上がった。
その勢いに弾き飛ばされた椅子が、床にガチャガチャと転がりけたたましい音を立てる。
彼女の手に握りしめられた書類の束には、彼女の言った観測所や魔法教会支部の以外の名前もリストされている様だ。
しかしそれでも、エリシアの震えるか細い言葉から、リーサはその意図するところをくみ取っていた。
だからこそ彼女は、誤解が無いように、改めて確認を行う。
「秩父からは? 」
彼女の問いに、エリシアはふるふると首を振るだけで応える。
「先週は連絡できていたでしょう? 」
「いえ、3日前です。」
改めて投げかけられたリーサの問いに、エリシアは瞳を揺らしながらそう答えた。
彼女は言葉と共に書類の束を彼女へと差し出していて、その緊張したような面持ちとは裏腹に、差し出された書類の束はかさかさと微かな音を立てていて、その音が静寂に満ちた室内に喧しく溶けていく。
先ほどの男性隊員は緊張していたのではなく、その事態を把握したが故にエリシア同様に震えていたのだと、リーサはどこか脳裏でぼんやりと考えていた。
「これで、高山、松本、秩父、と順々に連絡が途絶えました。」
彼女が口を閉ざしていると、エリシアは独り、言葉を続ける。
高山と松本、それらの観測所と新東京都の間にはもう一つ、秩父観測所が置かれているはずだった。
そこから送られてくるはずだった情報が、今回の報告書には抜け落ちている。
そしてその観測所は、つい先日前までは連絡が取れていた筈だった。
機材トラブルの一つでもあれば、数日の通信途絶は珍しくない。
だがしかしそれでも、3つの観測所が立て続けに、それも西から順にタイミングよく通信トラブルが発生するかと問われれば、それはもっと別の要因が考えられるはずだった。
そしてその順をそのままたどったとして、その先に位置しているのは新東京都──彼女たちが今いるこの場所である──だった。
「高山が……おそらく、陥落……陥落した時期に、複数部隊に損害が出ていたそうです。」
「……。」
「結果として、金沢から派遣された特務科の調査隊は、足取りが重いです。」
エリシアから差し出された書類を受け取り、リーサもそれに目を通す。
金沢からの調査隊の道程は芳しくなく、伊豆からの調査隊は緊急事態として撤退させたらしい。
であればこそ、リーサは本件に関する調査のために新東京都から送り出した特務科の人員のことを思い出す。
「うちから出してる調査隊は、1週間前に秩父を通過したはずよね? 」
俯きがちに視線尾を落としていたエリシアは、彼女の言葉にビクリと肩を震わせてからゆっくりと顔を上げた。
その顔色は真っ白になっていて、縋るような目をリーサへと向けている。
調査のルート計画から考えるに、一度秩父を経由する筈であり、ちょうど一週間程度前に秩父を通過したという報告を受けていた筈だった。
彼等もまた、今回の事態に飲み込まれてしまったのだろうか。
それとも、或いは。
会議室を片付けただけの簡素な執務室に、重く暗澹たる空気が満ちる。
耳の痛くなるような静寂が安物の壁掛け時計の時を刻む音を薄く飲み込んでいた。
「っ!!?? 」
執務室に朝の陽ざしが差し込んだ刹那、書類の山に潰されるように、微かな電子音が執務室の静寂を揺らす。
その音に触発されたように彼女が書類を漁れば、リーサの情報端末がメッセージの受信を告げていた。
それは数文字の送信に特化することで通信の信頼性を最優先とした最重要項目を送るための専用回線で、送信元は件の新東京都から送り出した調査隊一行からだった。
幸い、彼らはまだ生きているらしい。
安堵した様子のエリシアが、疲労感に満ちた笑顔で口を開く。
「よかった、彼等、生きてるんですね。」
「……そうね。」
そう言った彼女たちの安堵は、受信した内容に目を通すことで容易く手折られる。
それは調査隊の無事を告げるとともに、最悪な予測が真であると告げるメッセージだった。
『チチブカンラク』




