028:初日の夜
前線訓練を終えて、時刻は夜を向かえた。
第三防護壁では隊員の寝泊まり出来るスペースがあり、班毎に一夜を明かすことになる。
アキラは独り、閉じていた目をゆっくりと開いた。
彼がいるのは二段ベッドの下段で、時刻は皆が寝静まるような時間だ。
二段ベッドが2棟置かれただけの簡素な4人部屋には、誠人と蓮の寝息だけが聞こえている。
「よく寝てるね。」
アキラはぼんやりと、言葉を漏らす。
その口調はどこか、寝息を立てる誠人達を羨むような色を孕んでいた。
魔力が尽きない限り死なない不死者。
それは言い換えれば、意識を失ってもすぐに目を覚ましてしまうという事であり、彼は睡眠をとることができなかった。
戦場に身を置いていた頃は睡眠が必須というのは不便なものだと思っていたが、彼が新東京都にやってきてからは、夜は一人為すこともなく天井を見上げる孤独な時間だった。
「……さて。」
アキラが退屈な夜をやり過ごすために出した結論。
それは、ベッドの中で過ごすのを諦めて夜は出歩くというものだった。
彼は声を押し殺してベッドから立つと、そろりそろりと部屋の出入り口へと向かう。
その扉を引くと、室外の明かりが部屋の中を照らす。
俄かに明るさを増した室内であったが、日中の疲労を癒すためだろうか、幸いなことに誠人達は目を覚ますことはなかった。
アキラは無事部屋を出ることができたことに安堵のため息をつくと、踵を返して灯りに照らされる廊下を歩きはじめた。
「……。」
廊下を抜けて、アキラは大きく吹き抜けになっている区画に出た。
日中、41班の面々はこの吹き抜けの区間を駆動するエレベータでフロア間を移動し、4人部屋まで移動したのは記憶に新しい。
防護壁内は深夜にもかかわらず、どこからともなくガンガンと金属同士がぶつかり合う喧騒が聞こえてきていた。
手摺の縁から顔をのぞかせれば、吹き抜けの奥に見える地階で作業着に身を包んだ支援科の人員たちが魔道装甲車をはじめとした各種装備品のメンテナンスを行っているのが見える。
「夜通し……頭が下がるなぁ。」
アキラはメンテナンス作業の様子を見ながらぼんやりと言葉を漏らすと、その声はだれに聴かれるでもなく防護壁の静寂と喧騒に飲まれていった。
かんかんと金属同士がぶつかり合う、何かを叩くような音が一定のリズムを刻んでいる。
その作業者の刻むリズムに耳を傾けながら、アキラは再び移動を始めた。
彼が足を向ける先は、日中の訓練でも訪れた防護壁の屋上だ。
かんかんと金属製の階段を上り続けたアキラは、3階分ほど階を上昇することで屋上に到着する。
「あ、交代……じゃねぇな。そこの新人、就寝時間なのに精が出るな。」
「ありがとうございます。お勤めご苦労様です。」
アキラが屋上に顔を出すと、ちょうど屋上を巡回中の正規隊員とすれ違い、声を掛けられる。
新人の軍服には、階級を示す襟章が付いていない。
それを見て彼は、アキラが新人ではないことにすぐ気が付いたのだろう。
少し残念そうな表情で告げられたその言葉に反射的に背筋を伸ばして返事をすれば、その正規隊員はけらけらと苦笑しながら彼の言葉に返事を返す。
「なんだなんだ、かたっ苦しいな。それにしてもあれか、夜更かしとは中々悪い奴だな。」
「すみません、寝付けないもので。」
闊達に笑った彼は、足を止めてアキラに世間話を振ってくる。
愛嬌を感じさせる笑顔で首を傾げた彼に、アキラは苦笑交じりの口調でそう答える。
彼の反応に対して正規隊員の青年は、あー、とどこか納得がいったというような表情になってから口を開く。
「毎年お前みたいなやつは居るな。まぁそれでも、形だけ部屋で横になったりしといたほうがいいぜ。前線訓練でここにきてんだろ? 」
「はい、そうですね。今日が前線訓練の初日です。」
「なるほどな。そりゃあ寝付けない、夜風に当たりたい、って気持ちもよーくわかるな。特に、お前さんは元気が有り余ってそうだしよ。」
青年がうんうんと頷きながらそう言ったのは、アキラの見た目が日中の訓練の疲労を一切感じ取らせなかったためだろう。
現にアキラは疲労──魔力の回復度合い、という意味である──という観点で見れば、日中に消耗した分の殆どを回復し終わっていた。
そんな青年の当たらずも遠からずな言葉にアキラは苦笑するばかりであったが、そんな彼の様子に正規隊員の青年は、でもよ、と言って言葉を続ける。
その目はアキラの両目を正視していて、自然と背筋が伸びる様なものだった。
「でもよ、まだ怪我してないで済んでるんだろ? ……休息をとるのは魔術師として重要な任務だって思った方がいいぜ? 」
「そう、ですね。」
アキラが僅かに言葉を濁らせつつも返事をすると、彼はしばらくの間、品定めするような目で彼のことを眺めていた。
しばらく無言の時間が経過し、遠くではどんどんと何かが爆発するような音が聞こえた。
やがて彼は、ふ、と小さく笑みを漏らし、それから、じゃあな、と手を挙げて巡回に戻っていく。
そんな彼の背中を見送ったアキラは、遠ざかる彼の背中を見つめつつ小さく言葉を漏らした。
「休息……ね。」
体力を回復する、という意味では、自分はすでに十分な休息を取った後だ。
果たして睡眠の様な休息を、自分は取るべきなのだろうかとぼんやり考える。
アキラは不死者としての生活以外を知らず、例えば睡眠がいかに心身を回復させるのかという事を一切知らない。
「死んでる時の無感覚に近いんだろうけ────
「アキラ君? 」
防護壁屋上の縁で手摺に身を預けながらぼんやりと言葉を漏らすと、突然背後から聞きなれた声が聞こえる。
ビクリと肩を震わせた彼が勢い良く振り返ると、そこには彼の勢い良い反応に目を丸くした奈々樹の姿があった。
「な、奈々樹!? 」
「ん、なんか物音が聞こえて……。」
何故ここにいるのか、と言外に示したアキラの言葉に、奈々樹は顎に手を当てながら答える。
アキラは同室の誠人達が目を覚ましていないことを確かめていたが、どうやら別室にいた奈々樹は眼を覚ましていた様だった。
そしてそのまま、起き出していたアキラを追いかけてここまで来てしまったのだろう。
「ごめん。疲れてたのに起こしちゃって。」
「いいよ。私も夜の屋上、来てみたかったし。」
アキラの言葉に対して、奈々樹は彼の隣で同様に手摺に身を預けながら立つと、アキラの顔を下から覗き込むような姿勢になった。
そしてそのまま、いたずらっぽい様な、苦笑するような、そんな表情になって口を開く。
「新東京都はいつも明るいでしょ? こっちなら夜の星がどういう風に見えるか、気になってたんだよね。」
「……でも、こっちも照明でしっかり照らしてない? 」
新東京都は夜の闇を打ち破る様な街灯が敷設されていて、夜中でも街中は明るく照らされている。
それ故に夜空の星は地上の光に照らされて鮮明に見えないのだが、彼女は新東京都の外に出れば街灯もないため綺麗に星を見れると思っていたのだろう。
だがしかし、アキラ達の眼前に広がる第三防護壁はいたるところに照明器具があり、夜中でも戦場をライトで照らして魔獣の接近を視認できるようにしていた。
そのことをアキラが指摘すると奈々樹は不満そうに頬を膨らませてアキラに顔を寄せながら、そう、と言って声を上げた。
「そう!! そうなんだよ。照明でガンガン廃墟群を照らしてるから、星も綺麗に見えないんだよ。」
彼女の突然の剣幕に彼は気圧されるように身を引いていたが、彼女は彼の反応に目を向けることなく、ぷい、とその首を身を預ける柵の外へと向ける。
そんな彼女の横顔をぱちぱちと目を開閉しながら見つめていたアキラは、彼女と同様に廃墟群の方へと視線を戻してから口を開いた。
「奈々樹は、空を見るのが好きだよね。」
彼がぼんやりと目を向ける先、今は夜闇に呑まれてしまっているが、日中遠方には最前線の防護壁が見えていた。
耳をすませば今でも、どんどん、と地を揺らすような爆発音の遠い残響が微かに聞こえる。
彼の言葉を告げた後、奈々樹はしばらくの間黙り込んでいたが、やがて小さく口を開いた。
「んー、好き。……だけど、なんというか、習慣みたいな感じかも。」
「習慣? 」
奈々樹の言葉に引っ掛かりを覚えたアキラが彼女の方に首を向けると、彼女は両手を広げて手摺の外へと、うん、と伸ばしながら、その両手をぼんやりと眺めていた。
彼は自然と、彼女の視線を追うようにその両手へ視線を向け、正確にはその両手首に視線を留める。
彼女の両手首には少女にはそぐわない、ごつごつとした飾り気のない重厚な腕輪が嵌められていて、彼は配属の初日にもそれを垣間見て、彼女が隠していたことを思い出した。
「それ、魔道具だよね? 」
「そうだよー。正確には、特性抑制具だけどねー。」
そう言った奈々樹の横顔は、何を考えているかを見て取れないような、これまでの半年間ほどでアキラが見たことのないものだった。
特性抑制具というのは、特異体質を持った魔術師の特異性を抑制するための魔道具だ。
過剰に魔力感知を行ってしまい魔力の過敏症の様になってしまう場合といった、魔術師が自身でコントロールができないような特異体質を抑え込むための道具である。
「まだちっちゃいころに特性抑制具を貰うまで、部屋から出られなくてさ。」
「……。」
「天窓から空を見てばかりだったから、そのころの習慣かも。」
傷心気味に告げられた奈々樹の言葉に、自然とアキラは口をとざしてしまう。
どのように声を掛けたものか、そう彼が思い悩んでいると、最前線の方角から遠雷の様に爆発音が聞こえた。
立て続けに爆発音が聞こえ、耳元を夜風が撫でる。
沈黙を破ったのは奈々樹の少し上機嫌そうな色の声だった。
「まぁ、こどものころのはなしだよ。ふふっ。」
「……そう。」
そう言いながら奈々樹が伸ばしていた両腕の力を抜きだらりとその手を下げると、重力でずり下がった衣服の袖が特性抑制具を覆い隠した。
再び二人の間には静寂が訪れるが、今度はあまり間を開けることなく奈々樹が口を開いた。
「アキラくんも……その腕の腕輪は、特性抑制具のさ、腕輪で、特性抑制具なんじゃないの? 」
「ん? え、ああ……うん。……まぁそんな感じかな。」
彼女が言いたいのは、左手首に装着した浸食率を表示するためのデバイスの事だろう。
アキラの装着したそれは厳密には特性抑制具ではなかったが、彼がやりすぎたときはそれを咎める為に管理者たるリーサに彼の状態を知らせることが目的の一つだ。
そういう意味ではその機能の目的は特性抑制具に通じるものがある。
それ故に彼は、とっさに彼女の問いに肯定で返した。
すると、奈々樹の声には喜びの色が混じる。
「じゃあ、私たち、仲間だね。」
「ははは、そういうことになるかもね。」
「……仲間だよ? きゃぱしたなかま。」
「うん。」
「なかまのきゃぱしたがあきらくんで、つけてるんだよね、あきら……。」
「うん……? 」
だがしかし、アキラの返事に対してだんだんと奈々樹の言葉は支離滅裂になっていった。
驚きの表情で彼女の方に振り返ると、彼女はとろんとした目でうつらうつらと首を揺らしている。
うわごとのように何かの言葉を口から漏らしているが、それはもはや言葉の体を為しておらず、彼女が睡魔に抗えず限界を迎えていることが察せられた。
アキラは彼女の顔を覗き込むように目線を合わせるが、半目になった彼女の視線はもう現実に焦点を合わせているようには見えなかった。
「……奈々樹、もう寝よう。肩貸すから。」
「んぇ……あうぱ、あかま……。」
「ちょ!! 奈々樹!! 」
肩を貸そうか、と彼が彼女の手を取ろうとした瞬間、脚が脱力したのだろう、がくん、と彼女はバランスを崩した。
ぎょっとした表情になりつつも、アキラは咄嗟に奈々樹の背中と足の下に腕を通して彼女を抱き上げる。
冷や汗を垂らした彼が確認すると、奈々樹は彼の腕の中ですぅすぅと規則正しい寝息を立てていた。
「まさか、ね。」
だがしかしアキラの記憶には、奈々樹がバランスを崩した瞬間に、金属製の手摺に何か硬いものが当たるような、ごいん、という音がした記憶があった。
否、実際に手摺の方を確認すれば、強い力で叩いた時の様にぶるぶると激しい振動をしていることが確認できる。
それを見て小さくため息を漏らしたアキラが、奈々樹の顔を恐る恐る覗き込んでみれば、徐々に彼女の顎の先が赤みを増しているように見えた。
「……部屋に届けよう……。」
風の鳴る音と、細かく震える手摺の残響、そして遠くに聞こえる最前線の戦闘音の中にアキラの諦念混じりの声が溶けていった。
奈々樹を抱きかかえたアキラが、41班の女子部屋に彼女を運び込むことに悪戦苦闘するのは、まだ少し先の話である。




