021:トレーニングルームで
6月に濁った曇天が多くなる季節。
この季節には珍しく雲ひとつ無い晴れの日の夜、アキラは自室でベッドから身を起こした。
時刻はとっくに零時を回っている頃で、皆は寝静まっている時間だ。
「……。」
ベッドから立った彼は携帯端末で時刻を確認すると、小さくため息をついてから部屋を後にした。
周囲の気配を気に掛けながら彼は談話室をぬけてエレベーターホールに向かう。
呼び寄せたエレベーターの到着を知らせる電子音に肝を冷やしながら、彼はエレベーターに乗り込んだ。
指定するのは地下一階。
扉が閉じると共に駆動音だけがエレベーターの客室内に響いていた。
「はぁ……。」
目的のフロアに到着して扉が開くと、アキラは大きなため息をついた。
寮の地下は寮生向けのトレーニング施設となっている。
この時間であればこの寮は全体が寝静まっているのだろう、日中にも訪れた筈のこのフロアは今では闇に包まれていた。
「本当に居るのかな。」
エレベーターの明かりに照らされていた室内も、扉が閉じることで再び闇に転じる。
そんな夜目も効かないであろう闇の中を、彼は独り言を呟きながら歩き始めた。
一切の明かりが無い中でも、彼の足には一切の淀みが無い。
それは彼が暗視の魔法を用いていて、暗闇の中でも視界を確保しているからだ。
「よくもまぁ、こんなところに。」
「良いじゃない、貴方がどういうとこで過ごしてるか気になってたのよ。」
闇の中に立ち止まった彼が独り言を漏らすと、それに答える声が彼の背後から聞こえた。
耳打ちをするかのような至近距離から聞こえたそれに、アキラは反射的に跳び退く。
「ばぁ」
彼が声の方へと視線を向けると、人を驚かすかのように懐中電灯を顔の下から照らして声を上げるリーサの姿がそこにはあった。
彼女の姿をアキラが無言で見つめていると、暫くの沈黙を挟んだ後で彼女が口を開く。
「んもぅ! そこは驚くなりなんなりしなさいよ!本気で気配消したのに!」
「こんなことに本気出さなくていいんじゃないかな? 」
反応の薄いアキラに頬を膨らませるリーサを、アキラは呆れたように半目になって見つめていた。
その瞳を見た彼女は不満そうな表情を不機嫌のそれに変えながら、彼の言葉には答えること無く口を開いた。
「なによ。暗視魔法を使っても私を見つけられなかったくせに。」
「いや、それこそリーサが本気で隠れたんなら無理だよ。」
「……そう言うことにしてあげるわ。」
口先を尖らせる彼女にアキラが肩を竦めて見せると、彼女は他所へと視線を流しながら溜飲を下げた様に呟いた。
そんな彼女の反応にアキラは小さく眉を下げて、それから口を開く。
「それで、どうしてまたこんなところに呼び出したのさ。」
アキラがここを訪れたのは、本日の夕方、自主トレーニングの最中に届いたメールによって呼び出されたからだ。
彼の問いに彼女は、あら、と小さく驚いたように声を上げた後で答える。
「あら、それは勿論、貴方のいつも頑張ってるお部屋が気になったからよ? 保護者として当然のことでしょ。」
そう言いながらリーサは、手元に召喚魔法で古風なランタンを召喚する。
ランタンの光はお世辞にも強いとは言えず、その淡い光は周囲の闇に呑まれるようだった。
それでも彼女にはその明かりだけで十分だったのだろう。
僅かな光に照らされる周囲の機材を見渡しながら、彼女はとても楽しそうにトレーニングルームの中を歩き始めた。
「ふふふ、今年の新人さんたちはモチベーションが高いって話題になっているわよ。」
自主訓練を行おうと決めたアキラ達の影響か、それとも戦場で保護されたアフリカ出身の者たちか、日常の訓練の後にトレーニング施設を訪れる新人は日を追うごとに増えていった。
新人達が配属されてからおよそ2か月が経過し、特務科ではほぼすべての新人が自主訓練を積極的に行っている。
「リーサ、大学校は管轄だったっけ? 」
「いいえ。でも職場はすぐ近くだもの、いやでも話は聞こえてくるわよ。ま、私からも率先して情報は集めているのだけれど。」
アキラの問いに彼女は小さく振り返ると、茶目っ気たっぷりに片目をつむりながらそう答えた。
そして再び歩みを進めようと前方に向き直る。
だがしかし、その瞬間、彼女はぱたりと足を止めた。
リーサの後に続くように歩いていたアキラは、足を止めた彼女の背中を見て僅かに眉を動かす。
はてどうしたのだろうか、と彼が彼女の動向を見守っていると、リーサは頭上にランタンを掲げた。
その光に照らされるようにぼんやりと、トレーニングルームに置かれたホワイトボードが現れる。
「これ、何かしら? 」
「え? ああ、それか。」
リーサが首をかしげながら振り返る。
対するアキラは彼女の肩越しにホワイトボードの内容を確認すると、どこか納得したような口調でそう言った。
ホワイトボードには『竹光:100kg 10回』、『ハサン:17、3h』といった新人の名前と数字が書かれている。
それらの数値を眺めながらアキラは、彼女の疑問に答えるように口を開いた。
「なんか、皆が魔法を使わないでどれだけ体力上げられるか、って自分の記録で競ってるらしいよ。」
魔力による身体強化とは捧げる魔力と元々の本人の力によって出力が決定される。
つまり魔法を用いた戦闘において強力な身体能力を発揮するためには、魔力の精緻な操作を鍛えることと同等か、それ以上に元々の肉体のスペックを上げることが有効だ。
それを座学で学んだ後、新人たちの間では心身を鍛えることが一種のブームの様になっていた。
「貴方は参加してないのね? 」
どこか他人事のように答えたアキラに、リーサは確認するようにそう尋ねた。
彼女のその言葉に彼は、何を言っているんだ、と言わんばかりに呆れた表情で彼女を眺める。
そんな視線を受けた彼女は、苦笑と共にどこか満足したような口調でおどけた。
「確認よ。貴方がちゃんとしてるかの、ね。」
「……ちゃんと記録の競い合いは避けてるよ。」
「ふふ、よろしい。貴方の身体は特別製だからね。」
満足そうに述べられたリーサの言葉を聞いたアキラはそれにこたえることなくその目をホワイトボードから外し、ランタンの光が溶け消える闇へと視線を向けた。
アキラは新人たちの競争には加わらないでいる。
41班の面々からも何度か誘いを受けたが、彼はそのすべてを丁重に断っていた。
もし彼がそれに参加すれば、このホワイトボードに記載された記録はすべてアキラの物で上書きされてしまうだろうからだ。
アキラはこのトレーニングルームの機材を用いたことはほとんどなく、地下2階よりも下に置かれている魔法や魔道具の訓練施設を中心に利用し、或いは模擬戦闘の相手など新人同士の戦闘訓練を行っていた。
「むしろ、魔法抜き、っていうルールだと僕はどう頑張ってもルール違反ともいえるかもしれないし。」
「たしかに、それも一理あるかしら? 」
どこかおどけるようにそう言ったアキラに、リーサは小さく首をかしげながらそう答えた。
アキラは不死者だが、それは魔力が尽きない限り死なないという事であり、それは言い換えてしまうと魔力抜きではろくに身動きも取れない肉体だという事だ。
そもそもの肉体を駆動させるメカニズムが異なるアキラは、土俵に立つ前にレギュレーション違反である、と言ってもあながち間違いではないだろう。
そう言った意図を込めた彼の言葉にリーサは一度は同意を示したが、すぐに表情を切り替えて、まぁ、と言葉を続ける。
「まぁ、随分卑屈な気もするけれどね。」
「ははは。」
彼の言葉の端々に自嘲する雰囲気を感じ取ったのだろうリーサは外連味たっぷりに彼のことを睨み、アキラはそんな彼女の視線に吹き出すように嗤う。
彼の笑顔を見て彼女もふ、と薄く笑みをこぼし、真夜中のトレーニングルームに二人の笑い声が溶けていった。
「……それで、呼び出した要件は何? 」
どれほどの間かお互いに沈黙に身を任せていたが、その静寂をアキラが破る。
世間話のように話し始めた会話に花を咲かせているうちに忘れかけていたが、彼は彼女に呼び出されてここを訪れていた。
そのことを思い出したアキラは本題に戻る様にリーサに話しかけていたのだが、そんな彼の疑問に対して彼女は少し考え込むような仕草をしてから、言葉を探すようにぼんやりと宙を見上げる。
「アキラ君、魔法教会大学校の1年目のカリキュラム……フィールド訓練の内容はわかってる? 」
「うん? ああ、ええと、年度の第2,第3四半期末に前線訓練を行って、年度末に防護壁の外に出る極地訓練を行う……だったっけ。」
リーサの言葉に、アキラは記憶をたどる様に小さく唸りながらそう答えた。
フィールド訓練、というのは魔法教会大学校の構内に置かれた仮想空間や屋外訓練場ではなく、実際のフィールドに出て行う訓練のことを差す。
前線訓練とは新東京都の最も外側の防護壁、いわば魔獣との戦闘における最前線で行われる実戦訓練のことを差す。
また、極地訓練は年度末の纏めとなる通過儀礼のようなもので、最前線よりも先の人類の生活圏ではない領域で調査や特殊兵器の運用訓練を行うものだ。
前線訓練と極地訓練を超えて初めて特務科の人員は一皮剝けたと言われ、この一年を終えることで新人はようやく新人の称号が外れ訓練兵となる。
彼の解答は彼女の期待したものだったのだろう。
リーサはアキラの解答に大きく頷くと、両の眉を下げて申し訳なさそうな表情になって口を開いた。
「それで、一回目の前線訓練……9月の訓練は少し気を付けてほしいの。」
「気を付ける? 」
歯切れの悪そうな口調で告げられたリーサの言葉に釈然としないものを感じたアキラは、彼女の言葉を繰り返すようにつぶやきながら首を傾げる。
彼女はまだ言葉を探している様で、何度か口を開閉しながら喉から声にならない音を鳴らしていたが、やがて意を決したように小さく頷くと彼に向けて口を開いた。
「国内全体で、魔獣の襲撃件数が降下傾向にあるのよ。」
「……!! 」
魔獣の襲撃が減る、というのは本来喜ばしいことである。
だがしかし、特に人類側が何かをするでもなくその件数が降下した場合はその意味合いが大きく変化するのだ。
彼女の言葉に、アキラはリーサの意図することを察して僅かに目を見開く。
彼の反応を見て彼女は、アキラの言葉を待つことなく彼の心中を肯定するように小さく頷いた。
「そうよ、ひょっとしたら、大規模な襲撃がある可能性があるわ。杞憂ならいいのだけれど。」
自然に魔獣の個体数が変化する、というのはあまり考えにくいことである。
それでも魔獣の襲撃が低下するという事はその生息分布が急激に変化したという事であり、魔獣がどこかで群れを形成している恐れがあるという事だ。
そう言った魔獣の群れは徒党を組んで人類の生存圏を侵そうとする可能性があり、それらは結果として魔獣の群れの大規模な襲撃という結果を生む。
「大規模な襲撃で大きな被害を受けるほど最前線の設備はやわじゃないけれど、気を付けておいて。それが無くても1回目の前線訓練は例年碌でもないことが起こるんだもの。」
「ろくでもないこと? 」
「ビギナーズアンラック、とでもいえばいいのかしらね。貴方はビギナーではないけど、班のメンバーはそうでもないでしょう? 」
アキラの問いに彼女は、そう言って苦笑いするように言葉を濁した。
彼女の言葉にアキラはどこか納得するように小さく頷く。
確かにアキラは彼女に連れられていた都合、アフリカの地でも戦場に立つなど実戦の経験があった。
それに対してアキラ以外の41班のメンバー全員に実戦の経験があるかと言われると、そうではないメンバーも多数いるだろう。
物思いに耽るアキラを置いて、リーサは言葉を続けた。
「引き続き調査は続けるけど、悲観的推測を頭の片隅に描いてて。残り3か月、時間もあるしチーム内の役割ごとに実戦的な訓練もそろそろ始まるはずだけど、準備のし過ぎでちょうどいいくらいだもの。」
悲観的、というのはきっと、人の生き死にという事だろう。
リーサはそれを明言していないが、初回の前線訓練は確かに危険であり、過去に死者が出たこともあるというのは事実だった。
そして、そんなことを連絡してくれたリーサは純粋に彼のことを心配しているのだという事は、彼女がそのことを言葉にしていなくてもその表情を見るだけでアキラには容易に察することができた。
いつもの人を食ったような表情や余裕を感じさせるそれではなく、少し気弱さをうかがわせる表情を浮かべたリーサを安心させるように、アキラはふ、と柔らかい笑みを浮かべる。
「わかってる、教えてくれてありがとう。」
「……ありがとうね。」
アキラが礼を告げると、リーサはその言葉を噛み締めるように両の瞳を閉じて、それからぽつりとつぶやくようにそう言った。
ランタンの中に揺れる火に照らされた二人の声は、真夜中の闇に包まれ溶けていった。




