011:雑木林で③
「げほっ、ごぼっ。」
僅かに動いたアキラの口からは、おびただしい量の血液が溢れ出す。
ハサンの拳が直撃したのであろう、押さえる下腹部からだくだくと血を流す彼は力なくうなだれていた。
「こいつ、何かおかしい。」
憎悪と嫌悪感に満ちた視線を向けながら、アクアは焦ったようにそう言った。
雑木林の中に警報が鳴り響いてから久しい。
もうすぐ魔法教会の隊員がこの場に駆け付け、アクア達を捕らえるだろう。
しかしそれでも、彼女が恐れているのはそのような事ではなかった。
魔力は尽きている。
生気も感じない。
目の前のそれが死にぞこないの燃え滓であることは明白だった。
それでも彼女は、まだ立ち上がり、此方に歩みを進めるそれに本能的な恐怖を覚えていた。
「これまでの奴らならとっくにくたばってるよな? 」
「ええ。」
ハサンの確認するような言葉に、アクアは緊張した面持ちで頷く。
アクアの目の前の少年は、魔力が探知できないほどに弱り切っていた。
そもそも、そこまで魔力を失ってしまえば魔力欠乏により命を落としてしまってもおかしくない。
それは二途の服用者の場合でも同様というのが、これまでに数多くの服用者を倒してきた彼女達の認識だった。
「まさかこいつ……。」
緊張した面持ちでそう呟いた彼女が、小さく喉をならす。
「げっ、ごぼ……」
そんな彼女に対して彼は、咳き込むように血を吐き出しながら、言葉にならない声で何かを伝えようとしていた。
俯いたままの彼が顔をあげようとする、その瞬間だった。
「ふんっ! 」
「ハサン!! 」
いつの間にか飛び出していたハサンが、彼を蹴り跳ばさんと、アキラの前に踏み込んだ。
利き手は潰れている。
それ故に彼は、体重をのせた蹴りを放った。
だがしかし、彼の放った蹴りはアキラを捕えることはない。
「くっ!? 」
彼の蹴りは、先程まで傷口を押さえていた、アキラの左手によって防がれていた。
その様子を見て、愕然としたような表情のアクアが声を絞り出す。
「ど、どういう、こと? 」
彼女がその反応を返した理由は、彼がハサンの蹴りに反応したからではない。
彼女が驚愕したのは、彼の、傷口を押さえていたと思われた、その立ち姿を見たからだ。
アキラが押さえていた下腹部に傷口はなく、体組織の殆どが吹き飛ばされていた。
ぽっかりと空いた空洞には赤黒い筋繊維の幾筋かがその上下を繋ぎ止めていて、ハサンの蹴りの衝撃を受けてその一部が断絶していく様子が見えた。
およそ致命傷に見えるその怪我をしても、尚平然と動いて見せる彼の様子に、彼女は言葉を喪っていた。
「捕まえた。」
ハサンの足を掴んだままのアキラが、囁くような声で小さく呟く。
その声は先程までとはことなり、確りとした発音で放たれている。
そして、ゆっくりとその顔を上げた彼の、その鉄錆色の瞳は熱した鋼鉄の様に赤く光り輝いていた。
その目は固い意思に燃えていている様で、その目を向けられた彼は日中の訓練の光景を思い出し、全身が総毛立つ感覚を覚える。
「逃がさないよ。」
「死に損ないがっ!! 」
自身の足を掴む彼の手を振り払おうとするが、彼の腕は頑として動かない。
確かに致命傷を与えた、と言う認識が全くの幻想であったことを、彼は瞬時に悟る。
灼熱の瞳に写る自身の焦る姿に、ハサンは切羽詰まった表情で声を上げた。
「アクア!! 」
「えっ? あっ!! 」
彼の声を受けて、彼女は硬直から呼び戻される。
彼の救援を求める声に反応し援護することが出来たのは、彼女達の長年の連携による賜物だろう。
彼女は蒼炎の槍を射出し、それはアキラの脳天に着弾した。
アキラを中心に蒼い爆炎が立ち上がる。
爆炎の中から転げるように飛び出してきたハサンに、アクアは駆け寄った。
「ハサン!! 」
「くっそ!! あいつ、本当に魔力切れだったのかよ!? 」
彼は地面に手をつきながら、吐き捨てるように悪態をつく。
彼の傍らに膝をついた彼女は、所々で彼を燃やす蒼炎を消しながら口を開いた。
「ええ、それは保証するわ。」
彼女は、そう言いながら、燃え盛る蒼い炎へと目を向ける。
炎の中に見える人影に目を向けた彼女は、言葉を続けた。
「あいつは魔力切──
だがしかし、アクアの言葉は途中で途切れる。
なぜなら彼女は、目の前の光景が理解できなかったからだ。
燃え盛る蒼炎の中、少年の魔力の気配が膨れ上がっている。
「嘘、でしょ。」
彼女は絞り出すように、声を紡いだ。
一般に、魔術師が魔力を回復するには十分な休息が必要だ。
それは彼女がこれまでに遭遇してきた二途の服用者達もまた、魔力の回復に時間がかかるのは例外ではなかった。
それ故彼女は目の前の光景を理解することが出来なかった。
「魔力は尽きた、ね。」
彼の声と共に、蒼炎の中に嚇灼の紅色が輝く。
白色の雷が迸り、爆炎の中から一人の少年が姿を表した。
脳天にアクアの魔法を受けた彼の顔は、ぼろぼろと一部が崩れている。
「認めるよ。僕は二途の服用者、なんだろ。君の言葉を借りるなら。」
小さく首をかしげるようにそう言った彼の顔に、白い稲妻がばちばちと迸る。
すると、先程まで焼け焦げたように黒く崩れていたそれは、形を取り戻すように肉を再生していった。
「っ!! 本性、表したわね。」
アキラの言葉に、アクアが緊張した面持ちでそう告げる。
彼女の言葉を聞いてか聞かずか、彼は自らの右手を眺めていて、先程彼女の魔法を受けて損傷した筈のそれは、白い火花が散ると共に急速に回復をしていた。
どうやら表皮の回復までは完全に出来ないのか、赤く体液の滲む右手を、確認するように開閉しながら、彼は彼女に応えるように口を開く。
「本性、ね。言いがかりも良いところだよ。僕は魔術師になるために魔法教会大学校に来てるってのに。」
そう言いながら彼は、小さく肩をすくめる。
「僕らは仲間、になれると思──
そこまで言葉を紡いだところで、彼は言葉を切らずを得なかった。
大量に降り注いだ炎の槍を回避する為である。
それらの攻撃を身体強化と神経強化で避けた彼に、アクアの声が届く。
「体の修復に、大分魔力を使ったみたいね。どういうからくりか知らないけれど、またぶっ殺してあげる。」
凶悪な笑みを浮かべる彼女がそう言って、見上げるほどに大量の魔紋を展開していた。
とはいえ、彼女は先程から大量の魔法を行使している。
限界が近いのだろう、彼女は全身から汗を吹き出しながら、はぁはぁと荒い息をついていた。
そんな彼女の様子に、何処か気を遣うような表情になった彼が口を開く。
「落ち着こう。同じ魔術師を目指す者として、話し合おうよ。」
「黙れ!! 」
アキラの言葉に、アクアが激昂するように叫ぶ。
「二途の服用者が魔術師? ふざけないで。」
怒りに震える声で、彼女は呟く。
彼女の眼には遠く昔の光景が思い出される。
それは炎をあげる孤児院を取り囲むように、黒く群れる二途の服用者が、異端者が、自分の家族を殺戮していく光景だ。
あの日から彼女は、復讐のために生きてきた。
「あんたは絶対に魔術師になれない!! させるわけがない!! 」
「……。」
叫ぶように声をあげる彼女の目からは、自然と溢れる涙があった。
憎悪に満ちた瞳で彼の姿を捉えながら、彼女は言葉を続ける。
「どんな手を使ってもあんたを阻んで、ぶっ殺してやる。」
最後は呟くような、そんな彼女の言葉を最後に、両者は口を閉ざす。
周囲に燃え盛る蒼炎が、淡く彼らを照らしていた。
そして、痛いほどの沈黙を破ったのは、アキラの言葉だった。
「何を言っても、無駄なんだね。」
「うっ!!??」
幾段と低い声で呟いたアキラが、何処か寂しげなその目を彼女達に向ける。
その目は深い怒りに燃えていて、その目を向けられた彼女は、彼の放つ威圧感にその場に縫い止められたように立ち竦んでしまった。
その底冷えするような冷たい威圧感は、魔術師と言うよりも強力な魔獣に相対したときに似た感覚を彼女達に与えた。
「僕は魔術師になる。邪魔はさせない。」
その言葉と共に、彼の放つ威圧感の重量が増す。
呼吸する空気さえ重く感じる重圧の中で、漠然とした危機感と緊張感が高まっていく。
彼女の中では命の危機を告げる警鐘が最大で鳴り響いているが、空気に呑まれてしまったのか体が言うことを聞かなかった。
「そっちが殺す気なら、さ。」
「この野郎!! 」
彼の威圧感に危機を感じ取ったのだろう、ハサンがアキラに襲いかかった。
だかしかし、彼の表情はすぐに驚愕に満ちたものへと変化する。
「何っ!!?? 」
それは、一瞬の出来事だった。
白い稲妻と共に、赫灼の眼光がたなびいていた。
閃光と言っても良いだろう。
空気の破裂するような音を残して、アキラはハサンの背後、そしてアクアの正面に立っていた。
「えっ?」
いつの間にか目の前に移動していたアキラの姿に、アクアは小さく驚愕の声を漏らすだけで精一杯だった。
殺意を隠さないアキラの接近を許してしまった事実に、ただ反射的に逃げようと動かした足は、威圧感からか、それとも疲労からか、うまく動くことはなく絡まる。
「ぅあ!? 」
「アクア!! 」
尻餅をついたアクアを見て、ハサンが声をあげる。
彼にはアキラが動き出す様子がよく見えていた。
それ故に彼は、戦慄していた。
彼はただ地を蹴り、彼の脇を抜けて、背後に回り込んでいた。
目に追うことはできても反応することを許さない、そんな超速のただの移動を、アキラはしていたのだ。
「返り討ちにあっても、覚悟は出来てるよね!!?? 」
拳を握りしめたアキラが、足元のアクアを見下ろしながらそう言った。
日中の訓練を見れば、彼の一撃を受ければひとたまりもないことは明白である。
自分を見下ろす灼熱の瞳を見上げた彼女は、自らに迫る危機に、何処かぼんやりとした様子で地面にへたり込んでいた。
「? 」
そこで彼女は、ひとつの異変に気がつく。
今は宵の明星が輝き始めるような頃である筈なのに、花紺青の光が煌めく夜空が、手が届きそうなほどに近い。
比喩ではなく本当に近い花紺青の光に、その源が空ではなく、宙に浮かぶ魔紋であると彼女が気がついたときには、きん、と澄んだ金属音が周囲に響いていた。
音ともに視界を焼いた花紺青の光に、彼女が瞳を閉じれば、彼女の耳に何者かの声が届く。
「初日から、やらかしてくれるじゃない。」
それは呟くような、決して大声とは呼べない妙齢の女性の声だった。
しかしそれでも、静かな怒りを湛えたその声は、聞く者全ての耳に確実にその音を届けていた。
ゆっくりと目を開いたアクアの目に写ったのは、蒼炎燃える戦場にはためく純白の法衣。
「え? 」
その姿を認めて、アクアの喉からは情けない声が漏れた。
そこに立つのは現代の大英雄で、アクア達の故郷を救った魔女だった。




