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001:壁の上で

新東京都。

日本の主要都市であるそれは、かつて房総半島と呼ばれた地域に位置する。

幾重も重なる堅牢な防護壁に護られながら、その都市は関東平野を臨むようにおかれていた。

東の空が白み始める頃、朝靄に包まれた静寂のなか、北側防護壁に、こん、こん、と小さく足音が響いている。

音の元を辿ってみれば、くたびれたコートに身を包んだ1人の少年が、防護壁の縁に敷かれた手摺の上を、バランスをとりながら歩いていた。

中身が乏しく背中に蟠るザックを肩に、黒髪に褐色の肌をした少年は、その鉄錆色の瞳を防護壁の内側に広がる都市へと向けていた。

その目に込められているのは好奇心と憧れ、そしてわずかばかりの怒りだろうか。


「人が、沢山いるんだ。本当に。」


その呟きは足音と共に朝靄の中へと溶けていく。

それなりの距離を歩いてきたが、見下ろす町並みにはひとつの廃墟も存在しなかった。

そして、道行く人影は見えなかったが、あらゆる建物の中から人々の寝息が聞こえるようであった。


「聞いては、いたけど。」


どこか寂しそうな表情で、彼は小さく息を吐く。

都市を見るのは初めてではなかったが、かつて目にしたのは何れも攻め落とされた後の、過去の栄華の残滓ばかりであった。

完成された街の姿にその目をわずかに細めたあとで、彼は雑念を振り払うように天を仰ぐ。

濃紫に色が抜け始めた雲を見送った彼は、一度目を閉じて、それからその目を前へと向けた。


「もうそろそろかな? 」


左前方、朝靄の向こうには漆黒の影が遠方に伸びているのが見えており、おそらくあれは西側防護壁なのだろう。

つまり彼は、この都市の最北西部まで歩いてきたことになる。

彼は足を止めると、その視線を手元におろした。

彼の左手首には一行分の文字列しか表示できないだろう小型の画面を搭載した、小型で簡素な端末が装着されていた。

その画面には現在の座標が表示されている。

彼は特定の座標に呼び出しを受けていたため、防護壁の上を西へと向かって歩いてきたのだった。


「座標も出せるようにしてもらったのは失敗だったかもなあ。」


脳裏に浮かぶのは、今回彼を呼び出した主の姿だ。

せっかく表示できるようになったなら有効活用しなきゃ。

そう言って屈託なく笑う彼女の姿が、脳裏に浮かぶ。

それは、手首の端末が扱う情報を表示できるようにと改造を施し、小型の画面を搭載した日の事だっただろうか。

その改造を言い出したのは彼自身であったが、その日から集合場所の指定は細かい座標の数値になったのだ。

そこまで思い出して、彼は深いため息をついた。

ふと、そんな彼の耳に、きぃきぃと微かな音が届く。

それはとても微かな音であったが、明るさの増す空、霧が焼ける音の中ではっきりと響いていた。

彼が顔を上げてみれば、晴れ始めた霧の向こうに質素なロッキングチェアが都市を眺めるように置かれていて、何やら人影があるのが見えた。


「っと。」


それを見つけて僅かに肩を下げた彼は、手摺から飛び降りる。

そして、先程よりも少しばかり足早に、規則的に揺れるそれに歩み寄った。

その椅子が置かれていたのは、彼が歩いてきた北側防護壁と、先程遠目に眺めた西側防護壁が丁字上に交わる地点だった。

彼が声を掛けられそうな距離に近づいたところで、それに座っている人物の姿が見えてくる。

悠然とした表情で新東京都を眺めていたのは、純白の法衣を身にまとった白髪の女性だった。

ロッキングチェアにその身を揺らす様は、美しい彫刻とも、触れれば溶け落ちる蝋細工とも見てとれる。


「あら? 」


彼女は彼に気が付いたようだった。

小さく頬杖をついたまま、のんびりと向けられた白銀の瞳には、彼の姿が映っている。

彼女はゆっくりと一度瞬きをした後で、その目をふっと細めて小さく笑い、その口を開く。


「おはよう、アキラ君。」


アキラ、というのが少年の名前なのだろう。

彼女に彼が挨拶を返せば、彼女は一度大きくロッキングチェアを揺らした後で、そろり、と立ち上がる。


「今朝ついたばかりなのに、いきなり呼び寄せたりしてごめんなさいね。」

「何も問題はないよ、むしろリーサのほうが、まずいんじゃないの? 」


リーサと呼ばれた彼女は、彼の言葉に決まりの悪そうな表情を浮かべた。

彼女は先日、昇進したばかりである。

その分、スケジュールに余裕がないのでは、という意図が含まれた彼の言葉に、彼女は数度の瞬きをしてから応えた。


「別に問題ないわよ。仕事は全部どうにかしてるし。」


彼女の返事は胸を張るように見えながら、途中からは呟くような声をしていた。

彼が視線を彼女に戻せば、彼女は目線をそらしている。


「どうにか、ね。」


そんな彼女に呆れの目線を投げながら、彼は彼女の部下である女性の姿を思い浮かべる。

かの女性の、激務に追われながら悪態をつく様を思い出しながら、彼は心の中で同情の念を送った。

そんな彼の様子が気に召さなかったのだろう、小さく頬を膨らませたリーサはその向きを変えると、屋上の反対側へと歩いて行く。

彼女の様子に小さく苦笑を漏らしながら、彼はその隣に歩み寄った。

彼女はその純白の法衣に気遣うことなく、錆びだらけの手摺にその身を預けて眼下の景色を眺めている。


「……軍服、似合ってるじゃない。」

「ああ、ありがとう。」


彼が隣に立ってしばらく、ぽつりと彼女がそう漏らした。

アキラはコートの下に、真新しい軍服を着ていた。

手を伸ばせば触れ合えるような距離に近づいたためか、コートの隙間から見えたのだろう。

彼女は未だ不満げなポーズを維持している様子だったが、その口元は幸せそうに歪んでいて、その声には多分に嬉しそうな色が滲んでいた。

そんな彼女の笑顔を横目に眺めた後で、彼は眼下の景色へと目をそらした。

木々のせせらぎが小さく耳を揺らす。


「静か、だね。」


防護壁の外側は廃墟の森が広がっていて、そこに生える木々が舗装された道路を砕き、崩落した建築物を支えていた。

目下に広がる景色に、どこか感傷に浸るように呟いた彼に、彼女が応える。


「まぁここは、緩衝地帯だからね。」


2人が立っている防護壁は、新東京を守る最終防衛線である。

彼等の見下ろす廃墟は人類にとって非居住区となっているが、数百年以上前まではこれらの中にも人の姿があった。

魔獣と呼ばれる生物が大量に世に姿を現したのは、22世紀の初めの事だ。

それらは鬼や小鬼、或いは龍などの、神話生物の姿をしていた。

空想の存在とされていたそれらは、人智を超えた力を操り、人類を襲った。

数多の都市が陥落し、幾多の国が滅んだ。

やがて人類絶滅の足音が聞こえ始めるなか、1つの噂が世界に流れる。


戦場に魔法使いがいた。


それは最初兵士の妄言と言われたが、彼等はすぐに表舞台に姿を表した。

超常の力を操り魔獣を撃退していった彼等は、その力を魔法と呼び自らを”魔術師”と名乗った。

魔術師は魔法教会という宗教組織の形で、歴史の裏を生きていたのだ。

魔法教会はやがて軍事組織へと形を変え、現在に至っている。


「だから、最前線はもうひとつ……今はもう二つ向こうだったかしら? の壁になるわね。」


リーサはそういって、遠く朝靄の中を指差した。

彼女の指さす先は朝靄の立ち込める森林ばかりであったが、それでもその先には、彼らの立つそれと同様な防護壁が聳え立っているのだろう。


「最前線、か。」

「ふふ。」


ぽつり、と漏らした彼の言葉に、彼女の小さな笑いが応えた。

彼が声の方へと目を向ければ、彼女は手摺の上で組んだ腕に頬を乗せながら、にやにやと人の悪い笑みを浮かべている。

彼女の下からのぞき込むような視線に、彼は呆れたようにため息をついた後で、どうしたの、と声をかけた。

それに対して彼女は、ひとしきりくすくすと笑った後で、あのね、と口を開いた。


「アキラ君は、この都市は平和すぎると思うかなぁ、って。」

「まだ来たばかりだから、何とも言えないよ。」

「第一印象くらいは聞きたいんだけどー? 」


彼女の言葉に、彼は小さく息を吐く。

手摺に頬杖を突きながら、朝焼け色の空へと左手を伸ばす。

袖が引かれてあらわになった腕は黒色のアンダーシャツに包まれていて、手首に装着された小型の端末が怪しく朝日を照り返している。

先ほどは現在座標を表示していたその画面には、『8%』という数字のみが小さく表示されていた。

それらを眺めながら、彼はぽつりと言葉を漏らした。


「まぁ、よく管理されてはいるんじゃないかな。」

「なにそれ、嫌味? 」

「別に、そういうわけではないよ。」


アキラはそう答えたばかりで、ぼんやりと虚空を眺めていた。

彼の横顔から表情は読み取れないが、隣に立つ彼女は彼の言葉に満足したように頬を緩めていた。

東の空に太陽が顔を出し、防護壁には二人の影が長く足を下ろし始める。


「そう言えば、用事って言うのは何なの?」


二人の静寂を破ったのはアキラだった。

彼がここにきたのは、彼女に呼び出されたからだ。

その言葉を受けても尚、彼女はしばらく景色を眺めていたが、気を取り直したかのように一息つくとその口を開いた。


「まぁ、用事ってほどじゃなかったんだけど、これ。貴方に渡しておきたくて。」


そう言いながら、彼女は彼に掌を差し出す。

彼女の手には何も握られていなかったが、わずかの間をおいて空中に花紺青色の光の粒子が出現する。

光の粒子はやがて獅子の意匠を象った精緻な紋様を描き出した。

それは魔術師が魔法を行使する際に現れる文様で、”魔紋”と呼ばれていものだ。

魔紋の中央からは一つの懐中時計が、しゃらり、と零れ落ちる。

それは別空間に保管した物品を取り出す、彼女の得意とする”召喚魔法”の一つである。

彼女の魔法自体は見慣れていたアキラであったが、それでもその時計を見て彼はとても驚いたような表情になった。

そして、とても大事なものを受けとるように、それを受け取る。

とても年季を感じさせる懐中時計だ。

彼がその懐中時計を開いてみれば、飾り気のない針がかちかちと時を刻んでいた。


「修理、帰ってきたから。直接渡したくてね。」

「ありがとう、本当に。」

「無くしちゃダメよ? 」


文字盤から顔を上げたアキラに、リーサは眩しそうに目を細めながらも、いたずらっぽく微笑んだ。

再び手元の懐中時計に目を落とした彼は、懐中時計の蓋の裏、空の写真入れの部分に刻まれた文字に目を留める。


「ああ、それは古いこの国の文字で”永遠の愛を”という意味の文字ね。」


彼の疑問に即座に答えたのはリーサであった。

彼女の言葉に顔を上げると、彼女は壁の下を覗き込んでいる。

表情は見てとれなかったが、彼は懐中時計の蓋を閉じると、それを胸元に抱きながら祈るように両目を閉じている。

背後の都市のどこかで、人々が目覚める音が聞こえ始めていた。


「歩きましょうか。」


そうして暗闇に思いを馳せる彼の耳に、先ほどよりも少し離れたところからリーサの声が聞こえた。

彼が両目を開いてみれば、小さく片目をつぶって見せる彼女が、先ほどよりも少し離れた場所でこちらを振り返っていた。

彼女はいつの間にか移動を始めていたようで、くるくると愉快そうにステップを踏みながら、防護壁を歩く。

丁字に交わる防護壁をそのまままっすぐ、アキラが歩いてきた方角とは逆の方角へと抜ける。

2人が通り過ぎるタイミングで、主を失ったロッキングチェアが硝子の砕ける様な澄んだ音と共に、光の粒子となって消滅した。

その様子を見慣れた様子で眺めるアキラの耳に、彼女の声が聞こえた。


「やっぱりここから見る朝日はきれいね。昔を思い出すわ。」


彼女は防護壁の都市側――といっても、丁字に交わる防護壁を挟むことで、此方も目下は森林が広がっている――を見下ろしながら、うん、と大きく伸びをしていた。

彼女が見ているのは、森林が続く風景の奥だ。

そこには朝霧の中に、運動場や大小様々な建物が立ち並ぶ光景が広がっていた。

新東京の際西端、都市部から防護壁によって隔たれたこの地は、”魔法教会養成所”という、魔獣との戦いのために魔術師を育成する機関だ。

リーサはかつてこの新東京で、魔術師になるための教育を受けたとのことだった。

そして今日から、アキラもここで、魔術師になるための教育を受ける。


「学校なんてはじめてだな。」


彼女の隣に立ったアキラは、ぽつりとそう漏らした。

それを聞いたリーサは、愉快そうにくすくすと嗤いながら口を開いた。


「そのせいで一般教養のやり直しだったものね。とんでもない詰め込みだったみたいだけど。」

「お陰さまで何とか形になったから、エリシアには文句は言えないよ。」


ここには不在である、彼の教育を主導したリーサの部下を思い、2人は苦笑する。

一般教育の経験がないアキラが養成所に入るために、彼女の部下のエリシアという女性が、アキラを一から鍛え上げたのであった。


「魔術師、か。」


どこか感慨に耽るように、彼は呟く。

そんな彼に、リーサは愛おしいものを見る様な微笑を向けている。


「貴方のその心に、見合う位には強くなることね。」


彼女の言葉にうなずいた彼の目は、どこか遠くを見ているようであった。

リーサはふと、彼と出会ったときのことを思い出した。

ここからは遠くの大地で、彼女は彼に出会った。

彼を保護した彼女はアフリカの任務の合間に、戦い方を彼に仕込んだ。

その訓練を通して改善されたとはいえ、それでもこれだけは言わねばと、彼女は口を開く。


「無茶はしないこと。ちゃんと、仲間意識を持って行動するように。」

「わかってはいるよ。」


彼は苦笑しながら、彼女の言葉にそう答えた。

その表情にはわずかに陰が差し、緊張している様子だ。

それの思うところに彼女は思い至り、ふわりと柔らかい笑みを浮かべる。


「大丈夫よ。ありのままの貴方を受け入れてくれる、そんな仲間ができるから。」


そう言いながら、彼女は、胸元を握りしめる。

朝日に照らされる中、吹いた風が彼の髪を小さく揺らす。


「それと絶対に、あの――

「わかってる。」


心配したような表情で言葉をつづけた彼女の言葉を、彼は遮った。

そして自信なさげに、それでも確固たる意志を燈した目で彼女を見ながら、彼は言葉を続けた。


「ここにいられなくなるような、ヘマはしないよ。」


そう言って彼は、小さく息をついた。

そんな彼に彼女は何かを言いかけて、そして口を閉ざす。

わずかな間を置いた後で、彼女は再び口を開いた。


「……そう、わかってるならいいわ。こっちもフォローできる範囲で助けるから。」

「……ありがとう。」


どこか遠くで、都市の喧騒が目を覚まし始めたような気がした。

それを受けて、アキラはもう行かないと、とその両の眼を開く。


「……ありがとうリーサ。」

「どういたしまして。」


そんな、変哲のない挨拶を残して、彼は肩にかけたザックを担ぎなおした。

小さく息をついた彼は、再度新東京都の景色に目を向けた後で、防護壁をあとにした。

1人防護壁の上に残されたリーサの眼は、立ち去る少年の背中に向けられている。


「何事もなければ、いいんだけど。」


彼女の独り言が、誰もいない防護壁の上に響いた。

【2024/09/18】一部加筆・誤字脱字の修正

【2024/10/28】矛盾がある部分の修正

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