初めての『ステ』覚えてますか?の話(-1)
ボクのめでたくもない誕生日を翌日に控えた寒い、冬の朝だった。
思い返してみれば、「誕生日おめでとう」なんて言葉の意味を、この頃のボクは嫌味以外に感じ取れなかった実に荒んだ若者だったものだ。
眠気覚ましに夜勤明けのモーニングコーヒー、そのカッコいい響きの為に、まだ休憩時間だが、自動販売機までコーヒを買いに行こう、そう思い、小銭を握りしめたボクはタバコの臭いの染みついた無機質な休憩室を出た。
今日の夜勤は同期の女性看護師とペア。今頃オムツ交換に勤しんでいる彼女の分の飲み物も買ってこよう。カフェインは避けている様子だし、果物系のーーーーーーー
胡乱な頭で思考を巡らせつつ、ボクが廊下に出ると患者用の女子トイレの前で、冬季の冷たい床の上でうつ伏せに寝ている人が、いる。まぁ、別に床で直接眠っている患者がいるのは別に見慣れており、珍しくも何ともない。夏になれば最北の水族館のアザラシが如くゴロゴロと床に転がっている。
だから、こんな光景何ともないのだが。だが、冷たかろう。
「おーい、部屋戻ったら?」
ビニール手袋を装備しつつ、ツンツンと突きながら声掛けをする。返事がない。
・・・まぁ、刺激しても反応が無いのも大して珍しい事ではない。ないのだが。嫌な予感がする。看護師の「あれ・・・?」と言った嫌な予感は、天気予報より容易に当たる。それが幸か不幸か・・・まぁ大体不幸事か。
手袋をはめて、仰向けに、ひっくり返す。
口からは、アンコがいっぱい溢れている。体は冷たく、開かれた目。
・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
あれ、これ、死んでないかな?
大抵のドラマだと死体を発見したら、叫んで喚き散らしているものだが、ボクの場合はそうではなかった。
もちろん死体を見たのは初めてで、何なら急変だってまだ見たことがない。
けれど、これは、マズイ、とわかる。ボクにだって、備わっていた人間の本能。
とりあえず必要なのは、人の数。
「おーい‼︎今辺さん‼︎今辺さん‼︎急変急変‼︎」
叫び、相方を呼ぶ。
その間、私は嫌な事に気が付いてしまう。この、床に横たわっている患者の口に入っているのは、患者自身の排泄物なのだという事を。そして患者自身の手も排泄物に塗れて汚れている。恐らく自身で喰らったのだろう。
口から、それを掻き出し、二重に纏ったビニール手袋の上層を脱ぎながら包みつつ遠くに転がす。こう言った時、その原因を捨ててしまってはいけない、そう言われていたのを、どこかで覚えていたのだろう。
そしてそこからDr call。他の病棟に応援要請、行われる処置、呼ばれる救急車。この頃ボクらは看護師経験が少なく、お互いよく分かっていなかったが、ベストは尽くした。他の病棟からはベテランの看護師が来たのだが、年数だけ無駄に重ねているタイプのオッサンで大して役に立たなかったのはまぁ、あるあるなので置いといて。そもそも経験年数のウルトラ浅漬けで満足に教育も施していない同期同士を夜勤させたのも当時の師長(書簡を限界突破させるのが得意な事からついた彼女の通称は「空間の魔術師」)もなかなかに如何なものだとは今にして思うのだが。
救急車に患者を乗せてから、九分九厘手遅れだがまだ処置をするのか家族に電話で問え、と医者に言われる。
・・・一体、なんて説明すれば。事態が事態なのと、ボクの学生時代筆記試験ですら赤点だったコミュニケーション能力が試される。
さぁ、電話がつながった。思いっきり生の電話。出たとこ勝負で賽を振る。
まず、大体の事情をマイルドに説明をした。ちなみに昨夜もこの家族にロクでもない電話をしていたのだが、そんな事は置いといて。
「あの、処置・・・どうなさいますか?」
もう助からないと思うけどまだ処置しますかを、状況説明の後、できるだけマイルドに問うてみる。
「・・・えっと、それはお医者さんに聞くのでは?」
はい、ダメでした。学生時代からボクのコミュニケーション能力は成長していませんでしたよ、先生。
万策尽きたのでダイレクトに伝えます。
えぇ、そのままで良い、という事なので、伝わりましたね、私の思い。
その後、患者はサイレンを鳴らす事のなかった救急車から病棟に戻され、私が看護学生時代に当直室代わりに夜間休憩を取らされていた霊安室兼用の部屋で寝かされる。勿論そのベットは私が学生時代にそこで寝かされていたものだ。
さて、一難去ってまた一難。
こういった事態の際、警察を呼ばなければいけないのだが・・・。
はい、呼びました。それから事情聴取されました。タバコくさい無機質な休憩室で。簡易ベッドと事務机しかないその無機質さが取調べ感を実に醸し出していました。
初体験でドキドキし、ボクは一切悪くないのにしどろもどろになって答えていたのだが。
まぁ、それでもとりあえず事件性はなしで無事に終わったのだが・・・。
と、まぁ、これがボクの初事情聴取記念日で、初ステルベント記念日となったわけだ。
残ったのは、人生でなかなか誰も経験できない事態に対するあらゆる意味で謎のトラウマだけ。
毎年、毎年、誕生日が来る度に思いだす、忘れてしまいたい記憶の話なのだった。