GIグラスは御先祖様の誇り
コンクリート打ちっぱなしの壁面が醸し出す無機質な雰囲気と、壁面にも床にも染み付いた硝煙の残り香。
この無用な虚飾を一切排した質実剛健な落ち着きに満ちた空間こそ、国際的防衛組織である人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第二支局ビルの地下二階に設けられた射撃場であり、人類防衛機構の掲げる正義の御旗に集いし防人乙女達の軍人魂を涵養する修養の場とも言えるだろうね。
人類防衛機構の少女士官である特命遊撃士として今月の初頭に正式配属されたばかりの私も、その例外ではないよ。
この地下射撃場へ足を運んでアサルトライフルや自動拳銃を発砲する度に、軍人としての意識と心構えが順調に育まれていくのを実感させられるよ。
やがて研修期間が満了する頃には、卒配時に頂いた「明王院ユリカ少尉」という肩書きもシックリ板についている事だろうね。
その日も私は、この地下射撃場で拳銃の射撃訓練に勤しんでいたの。
補助兵装である自動拳銃の整備点検を終え、演習用のソフトポイント弾で満たされた弾倉を取り付ける。
「うん…よし!」
半透明のダブルカラムマガジンが拳銃にセットされたのを確認すれば、後はブースに入るだけ。
「撃ち方、始め!」
軽く足を開いた仁王立ちの姿勢でレーンの彼方を見据え、黒い人影の中心に描かれた同心円の的目掛けてトリガーを引く。
銃口から迸るマズルフラッシュの真紅の閃光に、地下射撃場の空気を揺らす鋭い銃声。
そして役目を終えて排出される空薬莢が描く美しい金色の軌跡と、射撃場の床に散らばった時に奏でる冷たい金属音。
これらの目にも耳にも心地良い刺激は、実弾兵器を発砲する時ならではの醍醐味と言えるだろうね。
やがて遊底の後退でソフトポイント弾を全て撃ち尽くした事に気付いた私は、護身用の通常弾を自動拳銃に装填し直しながら、先の射撃訓練の成果を確認したんだ。
「脳天への命中は九発で、残り三発の誤差も概ね許容範囲内…成果は上々って感じかな。」
「グレイト!見事な精密射撃ですネ、ユリカ。大鎌から拳銃へ個人兵装を変更しても、充分にやっていける腕前ですヨ!」
高水準な命中率に気を良くしていた私に呼び掛けてきたのは、隣のレーンで射撃演習を行っていたビアンカ・ランシング少尉だった。
特命遊撃士養成コースの同期生であるビアンカさんは同じ堺県立御子柴中学校のクラスメイトだから、公私共に懇意にさせて貰っているの。
だけどレーンからヌッと顔を出してきたビアンカさんに、私は違和感を覚えてしまったんだ。
イントネーションやアクセントにアメリカ英語の趣が感じられる片言気味な日本語も、目にも鮮やかな明るいブロンドヘアーも、普段と何も変わらない。
だけど目元の一点だけが、決定的に違っていたんだ。
「ホワッツ?どうしましたカ、ユリカ?ワタシの顔に何か付いていますカ?」
「それは私の台詞だよ、ビアンカさん?いきなり眼鏡なんかかけちゃって、どうしたの。さっきまではかけてなかったじゃない?」
まるで国営放送で夕方に放送されているアメリカ産のホームドラマみたいにオーバーに肩を竦めながら、青い瞳で怪訝そうに私を見つめてくるビアンカさん。
その一片の曇りもない碧眼には、見慣れない眼鏡がかけられていたんだ。
「昨日の個人兵装を用いた白兵戦の演習や、午前中のナイフ戦闘術の時には、そんなのかけてなかったよね。イメチェンでもしたの、ビアンカさん?」
「ああ、これの事ですネ?これには少し事情があるのですヨ。ワタシの個人的な事情がネ。」
ビアンカさんの言う「個人的な事情」とは、一体何だろう?
興味をそそられた私は夕方の射撃演習で勤務時間が終了したのを幸いに、彼女の身上話に付き合う事に決めたんだ。
私達が会談の場に定めた休憩室には、幸いにして一人も先客がいなかったの。
この時間帯なら、それも無理はないかな。
何しろ遅番シフトの子達は今から勤務を始める訳だし、今時分に勤務の跳ねた子達の中には、夕闇の中で煌煌と灯る赤提灯を目当てに堺銀座へ繰り出す向きも多いからね。
この休憩室にも福利厚生の一環として無料のドリンクサーバーが設けられてはいるけれど、ソフトドリンクで喉を潤すよりも飲みニケーションでメートルを上げた方が数段と楽しいんだろうな。
もっとも、今回はそこを逆手に取ったんだけどね。
幾ら特命遊撃士が公安職の公務員で相応のお給料を頂いていると言っても、無闇矢鱈と外食ばかりしていてはお金が掛かっちゃうよ。
だからドリンクサーバー付きの休憩室を押さえられたのは、私としても願ったり叶ったりだよ。
「お付き合い頂けて感謝しますヨ、ユリカ。ところでユリカは、ワタシの今かけている眼鏡をどう思いますカ?」
「えっ?そうだね、ビアンカさん…単刀直入に言うと、女子中学生がかけるには、少しクラシック過ぎる気がするなぁ。」
言葉には気を付けたつもりだけど、正直言ってビアンカさんの眼鏡は随分とレトロなデザインだったの。
ライトグレーの眼鏡フレームは台形が逆になったようなフォルムが特徴的なウェリントン型をしていて、まるで昔の記録映像や古雑誌の写真記事から抜け出してきたようだったんだ。
「そうですカ、ユリカ…」
「お洒落でかけている伊達眼鏡だから、ビアンカさんの趣味に口を挟む気は無いけれど…」
人類防衛機構に所属する私達は、危険な軍務に従事する為にナノマシンの静脈投与によって生体強化改造処置を施されているの。
その効果は身体能力の大幅な向上だけではなく、古傷や持病の快癒ももたらしてくれるんだ。
それは勿論、眼鏡やコンタクトレンズといった矯正器具で補われていた視力低下も例外ではないの。
だから特命遊撃士である私達にとって、眼鏡はあくまでもお洒落アイテムって扱いなんだ。
「ユリカがそう思うのも道理ですヨ。何しろこの眼鏡は、第二次世界大戦以降のアメリカ軍兵士に支給されたGIグラスのレプリカなのですからネ。」
「えっ、米軍兵士の?」
米兵の官給品眼鏡であるGIグラスを模した伊達眼鏡とは、ビアンカさんもなかなか渋い趣味をしているなぁ。
だけど単なるファッションだったら、わざわざ「個人的な事情」なんて言わないよね。
「実はワタシの御先祖様が陸軍士官で、アジアでの戦争に従軍していたのですヨ。実家に生前の写真が額装されているのですが、これと同じフレームの眼鏡をかけて敬礼していたのデス。だからワタシも、ここぞという日には御先祖様のと同じ眼鏡をかけているのですヨ。」
「あっ…」
単なるお洒落とかファッションとか、そういうのじゃなかった。
ビアンカさんにとってGIグラスは、軍人だった御先祖様を偲ぶ縁だったんだね。
「小さい頃は何気なく聞き流していた、御先祖様の昔話。だけど人類防衛機構に入隊して軍人になってからは、アジアで散った御先祖様の事を意識するようになったのデス。祖国の為に危険な戦地に行き、同胞達を救うために最期まで勇敢に戦われた御先祖様。そんな御先祖様にあやかろうと、GIグラスを模した伊達眼鏡を誂えたのですヨ。それに今日は四月八日、御先祖様が最後に参加された戦闘の終結した日ですからネ。」
「そうだったんだ、ビアンカさん…」
アジアで戦死されたビアンカさんの御先祖様は、生きて祖国の土を踏む事も愛する家族を両手に抱く事も叶わなかった。
だけど子孫であるビアンカさんに軍人としての生き様を偲んで貰えて、オマケに愛用していたGIグラスのレプリカをかけて貰えているんだから、きっと喜んでくれているはずだよ。