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EP-5 たに

 塔ヶ崎さんとなんでもない話をしながら道を歩いてゆくと、気づけば別荘地への上り坂を見上げていた。

 その光景は大げさに言ってしまえば、別世界への入り口にも見えた。


 三人家族が並んで歩ける広い歩道に、ナツメヤシの木が等間隔に植林されていて、心地よい日陰の落ちる路面にはひび割れ一つない。


 それがジグザグを描いて高台の上に向かって伸びている。

 つまらない言い方をしてしまえば、その坂はお金と手間がかかっていてそれゆえに綺麗だった。


「また明日、学校で……」

「うん、またね、塔ヶ崎さん」


 塔ヶ崎さんの姿が消えるまで、俺はその後ろ姿をなんとなく見送った。

 彼女がこの先に住んでいると知ってより、別荘地が美しい異世界めいてみえるようになったからだ。


 観光地は観光客に夢を見せるものだと、父さんが言っていたのを思い出した。この先の世界はその典型だ。

 塔ヶ崎さんの姿が消えてなくなると、俺はようやくバイトの日という現実を思い出すことになっていた。一労働者として、島に来てくれた人たちの夢を演出しよう。

 


 ・



 丘から繁華街のある平地に下りて、ビーチの綺麗な海辺側へと向かうと、ちらほらと観光客の姿が増えてきた。

 ここももう少しでシーズンだ。本土で夏休みが始まると、島の人口は冬期の5倍に膨れ上がると小学校で教わった。


 観光客には親切に。だけど見知らぬ大人には気をつけましょう。

 そんな矛盾した教育を受けたのを覚えている。


「ん……あれ、閉まってる……?」


 そうこうしてバイト先に到着した。俺が働いているのは個人経営の自称・コンビニエンスストアだ。

 大通りにあるチェーン店と比較すると、何もかもが大幅に劣る。それでも島という立地ゆえに、今日まで健闘――


「…………え?」


 店の裏に回ってみると、店長の車がない。

 というか表札が外されていて、店長が大事にしていたサボテンが全て消えていた……。


 チャイムを押してみても誰も出てこない。

 俺がいない時間に配達はしないはずだ。


 さらに庭の方に回ってみると、カーテンがない……。暗い室内に目を凝らすと、生活感がどういうわけか感じられなかった。

 おまけに電気メーターまで止まっていた。もう嫌な予感しかしない……。


 バイトをすっぽかすわけにもいかず、俺は店の軒先に戻るとその場にしゃがみ込んで本を開いた。

 時刻はもう夕方だ。じきに日が暮れて、文字を追えなくなってしまう。

 俺は空想の世界に没頭して、店長の帰りをいつまでも待った。



 ・



 スマホのライトで紙の本を読むなんて、アベコベ過ぎて笑ってしまう。

 さっきまで明るかったというのにあっという間に日が沈んで、途方に暮れる俺だけが残った。


 今頃は松屋で、兄貴と子供たちがお別れをしている頃だ。

 塔ヶ崎さんはヨシュアと散歩でもしているんだろうか。俺はここで何しているんだろう……。


「おーい、さっきからよ、そこで何やってんだ、バイト小僧?」


 そうしていると、見覚えのあるおじさんが俺の前にやってきた。

 うちの店の常連だ。浅黒い肌の、若い頃はヤンチャしていたような感じの、カッコ付けるのを止められない渋い中年だ。よく目立つ人だから俺も覚えていた。


「何って、スマホで紙の本を読んでる」

「そっちじゃねーよ。そっちもツッコミてーけどよ……。それよりなんでそんなところで、そうして途方に暮れてんだよ?」


「俺もわからない。今日、バイトの日のはずだったんだけど……」

「ああ、そういや一昨日から開いてねぇな。……店のオヤジの顔も見ねぇし、こりゃぁ……潰れたのかもしれねぇな」


「やっぱり、そうなのかな……」

「いやわかんねぇけどな、ひでぇ大人もいたもんだな」


 おじさんが俺の肩を軽く叩いて、かと思えば荒っぽく手を引っ張って立ち上がらせた。

 そういえば昔、品出し中の商品を落としてしまったときに、このおじさんが一緒に拾ってくれた上に棚に並べてくれたんだった。


「せっかくだしうち寄ってきな。コーヒーの一杯くらいごちそうしてやるよ」

「これって、今月のバイト代出るんでしょうか……」


 本を学生カバンにしまって、おじさんの背中を追った。

 彼は即答しない。ちんたら後ろを歩いてないで隣を歩けと、僕の背中を押して、それから彼はしばらくの間を置いてから言った。


「期待しない方がいいな」


 購入予定の新刊たちが、俺の手から遠ざかってゆくのを感じた。

 初版をそろえたい本がいっぱいあるのに、今月もバイトをがんばったのに、あまりに理不尽だ……。



 ・



「ほい、おまっとうさん。まあ元気出せよ、バイト小僧」

「はい……」


 おじさんの経営する喫茶店に入った。

 ここは俺が入るような店じゃなくて、どちらかというと大人や、社交的な観光客が集まるような店だった。


「明日は我が身だ、俺も店を潰さねぇようにしねぇとな」

「こんな機会がなければ、この店に入ることはなかったかもしれません……」


「ははは、確かにな」


 高いコーヒーの味は俺にはよくわからなかった。ドリップよりは美味しいような気がする。

 なんとなく店内を見回すと、食事をするご年輩や、観光客なのか見覚えのない人もちらほらといた。


「叔父さんっ、いくらなんでも休憩長いよっ! 忙しい時間になにやって……あれ、その子誰?」


 それと店の奥から女の子が出てきた。

 おじさんに文句を付けながら、奥の観光客へとカレーを配膳して、眉を吊り上げて戻ってきた。


「ほれ、そこのコンビニでバイトしてた小僧だよ。ま、元だけどな。で、こっちが俺の姪だ」

「ふーん……見覚えないなぁ」


 ちょっとかわいい子に、いかにもどうでもよさそうな目で見られて心外だった。

 でも今の俺は根暗状態だから、それもしょうがないか……。

 ああ、バイト代、新刊、インクの香り、全てさよならだ……。


「あ、そうだ、なら君バイト代わってよ」

「え……」


「実は前のテストで赤点とっちゃってね、親に叔父さんの店辞めろって言われてんの」

「おまっ、それ俺聞いてねぇぞっ!?」


 コーヒーを抱えたまま、同じ高校生らしきその子を見上げた。

 明るくてサバサバしていて胸が大きくて、明るい髪色もあっていかにもモテそうな子だった。


「だって叔父さんに直接言ったらむせび泣きそうだし」

「な、泣かねーよっ、泣かねーもんっ! ていうか、そういうことはもっと早く言えよなっ!?」


 俺は喫茶店の仕事なんてしたことがない。

 だけどここでバイトすれば、今月はダメでも、来月末には新刊にありつける。


「だって辞める気なかったもん。だけどさ、そこにバイト首になった男の子いるじゃん。渡りにボートだよ、はい解決、うちの成績上がるまでよろしくね、少年」

「いや首になったんじゃなくて、店の方が潰れたんだよ……」


「そんなのどっちも同じ同じ♪」

「えぇぇぇ……」


 彼女はカウンターにエプロンを脱ぎ捨てて、自分の学生カバンを背負って店から出ていってしまった。

 まるで嵐みたいな人だ。なんだかんだ叔父想いなところが、嫌いになれないけれど。


「はははは……」


 おじさんの方は固まっていた。これから繁盛期が来るのにバイトが消えたのだ。

 ショックのあまりに彼は乾いた笑いを浮かべて、それから何も言わずに俺の両肩へと大きな手を置いた。


「明日は我が身ってよ、ホントだよなぁ……。四十過ぎのおっさんのよぉ、鬱陶しい泣き声をここで聞きたくなかったら、うちで働けや小僧……」

「それってどういう口説き方ですか……」


「繁盛期にワンオペなんてしてみろっ、死ぬぞ!!」

「それ全部、おじさんの都合じゃないですか……」


 けど幸い不幸か、俺の方も断る理由なんてなかったので、このおじさんの店で働くことになった。

 この島には行楽シーズン、特に夏になると沢山の観光客がやってくる。


 そうなると島中の働き手が足りなくなって、個人経営の店は青い顔をして労働することになる。

 そこは島であるがゆえの宿命だった。


「恩に着るぜ、バイト小僧……」

「海原聡です」


「俺は因幡(いなば)五郎だ。今日から俺がお前のテンチョーだ、よろしくな」

「こちらこそ。喫茶店の仕事なんてしたことないですけど……」


「大丈夫だ、キッチリやってくれりゃなんだっていい」

「そのキッチリが難しいんじゃないですか……?」


 兄貴を巡っての、転校生の塔ヶ崎さんとの不思議な関係。バイト先の突然の消滅。なんだか今年の夏は、イベントに事欠かなそうだ。


 それにしても兄貴と塔ヶ崎さん、どっちも奥手だし、本当にどうしようか……。





 あの女の子が帰ってしまったので、俺は店の閉店まで今日の業務を手伝った。

 ……やっと終わった。簡単な調理補助に接客、ゴミ捨て、掃除、片付け。飲食店はブラックって本当だ。


「おう、どうしたよ、小僧? そんな顔したって、バイト代ははずんでやんねーぞ」

「いや、うちの兄貴のことでちょっと。おじさ――店長は、好きな相手と会話できない女の子と、コミュ障の男の子の恋愛って、上手く行くと思いますか?」


 一通り終わると、真っ暗になった店に俺と店長だけが残った。

 大変だったけど店長の明るい人柄もあって、むしろコンビニの仕事よりやりがいがあった。


「ははは、そりゃ無理だな! デートしようにも、会話ができなきゃお互い楽しくねぇだろ? 上手くいくわけがねぇわ」

「まあ、そうかもしれませんね……」


 最低限の社交力がなければ、何もかもが始まらない。

 店長が言う通り、一緒にいて楽しくなければ、恋心なんて簡単に吹っ飛ぶかもしれなかった。


「たかが兄貴のことになんでそこまで悩むんだ? お前よー、お人好しだろ?」

「俺はただ、兄貴に幸せになってもらいたいだけです」


「そうかよ。んじゃそんなに心配なら、お前さんが兄貴たちのデートに付いてけよ。そしたら打ち解けるきっかけも、作れるんじゃねーのか? 知らねーけどよ、お前がお膳立てするしかねーだろ」

「なんだかそれ、どこかの恋愛小説みたいですね」


 けど、それしかなさそうだ。

 俺が間に入って、三人で一緒に遊びに行く。まずそこから始めてみよう。


「悪い、そういうのは読まねーな。俺はエロいの専門だ」

「男子高校生に何言ってるんですか……。あの姪っ子さんに言いつけますよ?」


「そ、それは止めてくれ……妹の耳に入ったら、社会的に色々まずいからよ……。頼む、エロ本貸してやるから、黙っててくれ」

「いや借りませんってば」


 店長は俺の反応を遠慮や恥じらいだと思ったようだ。

 一方的に店長のオススメを学生カバンに押し込まれて、俺のお気に入りのちょっと意識高い系の本たちが、汚されたような気分になった……。


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