EP-4 むろ
兄貴は兄貴だけど、学年は同じだ。
兄貴が4月生まれで、俺は三月生まれ。もしかしたら俺は、明るい家族計画にはないはずだった弟だったのかもしれない。
「海原。没収するぞ?」
「え、なんでわかったんですか?」
「教科書見てニヤけるやつはお前だけだ。さっさとしまえ」
「すみません」
悪い本好きは教師を見分ける。
授業中に本を読んでも、怒ったり没収しないやつかどうかをまずうかがう。
不思議なもので、理解がある先生はノートさえ書いていれば野放しにしてくれた。
「ふふ……」
塔ヶ崎さんは俺から見てすぐ斜め後ろの席だ。
彼女の微かな笑い声に、流し目で様子をうかがうと、兄貴に向けるものとは異なる反応が返ってきた。
なんとなくお互いの目と目が合って、なんとなくそらす。
兄貴という共通の目的が、俺たちの距離を近づけていた。
塔ヶ崎さんは昨日の放課後に、俺のことを見ていたと言っていたけど、確かにあの位置からならば丸見えだ。
今も見られているのかと思うと気恥ずかしい。
しばらく黒板の内容を書き写すのに集中して、それから窓の外を眺めた。
どうして学校というものは、高台にばかり立てられるのだろう。
校舎の二階から見下ろすと、リゾート地でもある大きな繁華街とホテル街、その向こうに広がる青い海が見えた。
見飽きた風景だ。なぜこんなへんぴな土地に、塔ヶ崎さんみたいな人が転校して来たのだろう。
一体誰が好き好んで、親が別荘を持っているからといって、本土から遠く離れたこんな土地にやってくるのだろうか。
塔ヶ崎さんは訳ありの女の子だ。そう断言してしまってもいいだろう。
そこで斜め後ろの美人に目を向けると、またもや目が合った。
普通ならばすぐに目をそらす。けれど向こうも視線を外さないので、しばらく理由もなく彼女の整った顔を眺めた。
ここは本土よりも日差しの強い土地なので、肌の白い女性は輝いて見える。
それにしても美人だ。どうにか上手く事を進めて、兄貴の彼女になってもらいたい。
本気で俺はそう思った。
多少訳ありだろうとも、俺の自慢の兄貴に惚れてくれる女の子なんて、やはり塔ヶ崎さんの他に現れない。
「海原、お前な……」
「え、まだ本には手を付けてないですよ?」
「本の次は、塔ヶ崎に手を付けるつもりか。ったく、色気付きやがって……」
その一言でクラスメイトにまで笑われてしまった。
こんなの冤罪だ。おかげでチャイムが鳴るまで、居心地の悪い時間を過ごすことになった。
きっと塔ヶ崎さんは、俺の横顔に兄貴を重ねているのだろう。
そう思うとやはり気恥ずかしかった。
・
一日の授業を終えて、クラスメイトが慌ただしく教室を出て行く中、俺は放課後を読書にあてた。
切りのいいところまで読んでしまおう。そのつもりでいた。
「聡くん、一緒に帰らない……?」
「うん、いいよ。でも少しだけ待って、ここからここまで読んじゃうから」
塔ヶ崎さんの行動に、教室に残っていたみんなの注目が俺に集まった。
彼女はまだクラスのみんなと打ち解けていない。
でもみんなは塔ヶ崎さんのことが気になっている。これは当然の結果だった。
「聡くんは本の虫だね」
「よく言われるよ。……よし、じゃあ帰ろうか」
カバンを抱えて、俺と塔ヶ崎さんは教室を出た。
純情そうな今朝の様子が嘘のように、塔ヶ崎さんは視線を浴びようとも堂々としていた。
「ごめんね、欲を言えば兄貴も誘いたいところだったけど、兄貴って、授業が終わると真っ直ぐ帰っちゃうんだ」
「うん、知ってる……。あれって、何か用事があるの……?」
「まあ用事、用事ではあるんだけど、なんて言ったものかな……」
またもや説明に困らされた。
駄菓子屋のカードコーナーで、小学生と遊ぶために、毎日元気はつらつと走って帰っている。
そのままこれを伝えたら、普通は引くよな……。
「あ、兄貴はその、インドア系なんだ……」
「そうなんだ。運動、できるのに……」
現実は過酷だ。いつか塔ヶ崎さんが真実を知る日がくるだろうけど、もう少し時間をかけて、ソフトランディングさせたい……。
しかしなぁ……。小学生と本気のカードゲームをする男を、果たしてこんな美人が彼氏に選ぶだろうか。ううーん……難しい……。
悩んでいたら下駄箱を抜けていて、ゆるい下り坂の通学路を歩いていた。
左右に曲がりくねるこの道を進めば、別荘地、住宅街、そして平地の町への分岐が現れる。
歩道を使わずに傾斜面を駆け下りるのは、校則で禁止にされている。
「お兄さんのこと、好きなんだね……」
「うん、自慢の兄貴だよ。ちょっと困ったところもあるけど、小さい頃は沢山守ってくれたから」
「例えば?」
「犬に追いかけられたとき、助けてくれた。兄貴も噛まれたけど……。あの頃の兄貴は、本当に格好良かった」
「そうなんだ……。私、兄とかいないから、羨ましい……」
そう言われると、俺の方は塔ヶ崎さんの家族構成が気になった。
兄はなし。じゃあ他の兄弟は? あの家にはイスが一つしか残されていなかった。
「話変わるけど、ヨシュアは元気?」
「うん。聡くんが来て、あの後凄く興奮してた。また来てほしいみたい」
「それは嬉しい、あの子かわいいよね。……でもごめん、今日はこの後バイトなんだ」
「えっ、バイトしてるの? 聡くんって、凄いね……」
塔ヶ崎さんが目を丸くして、たかがバイトをしてるだけの俺に感心してくれた。
それにしても、バイトがなかったらヨシュアに会いに行ったのに惜しい。
「どうかな。親に小遣いをせびりすぎて、なら自分で稼げって言われただけだよ。実はコレの出費が馬鹿にならなくてね」
バッグから文庫本を取り出して、塔ヶ崎さんに向けてチラつかせてみせた。
昨日のやつはもう読み終わった。これは三冊目だ。
「私も本なら読むよ。……あ、良かったら、ヨシュアに会いに来るついでに、本、見せようか? えっと、私のやつ……」
「喜んで! あ、なら俺の方からもオススメ持っていくよ!」
「わかった。じゃあ、明日?」
「明日なら大丈夫。あ、ならうちの兄貴も連れてく?」
親切心で言ってみただけなのに、塔ヶ崎さんはよっぽど驚いたのか音を立てて息を呑んでいた。
「そ、それは、それはダメ……」
「なんで?」
「だ、だって……今日の朝みたいに、喋れない……」
「ああ……。でも接点を作らなきゃ、関係って進展しなくない?」
「そうなんだけど、でも、でもっ、私、挙動不審に、なると思う……。それで博嗣くんに嫌われたら、困る……」
「ふーん……」
まさか俺と同じ心配をしてるなんて、なんだかおかしくて笑ってしまう。
もしかしたら、俺の助けなんてなくても二人は仲良くなれるのではないか。そう思ったけれど、今朝の兄貴を思い出したら気が変わった。
なんというか、クソゲーをプレイさせられる塔ヶ崎さんが見えたからだ……。
「今、私のこと、めんどくさいやつ、って思ったでしょ……」
「そんなことないよ。塔ヶ崎さんってメチャクチャ美人で近づき難かったけど、親しみが出た」
「ぇ……。私、美人……?」
「あ、ごめん。うっかり兄貴の彼女口説いてた……」
「ま、まだ彼女じゃないよ……。そうなれたら、いいな……。それだけだから……」
もし塔ヶ崎さんが兄貴の彼女になったらどうなるんだろう。
ああ、ダメだ……。世間から忘れ去られたマイナーゲーム機を手に、笑顔を浮かべる兄貴の姿しか想像できなかった。
今頃兄貴は、松屋で子供とガチバトルをしている頃だ。
子供から巻き上げた美味いバーや、きなこ棒をくわえているかもしれない。
俺にはそれが、モテる男の姿だとは思えなかった……。