EP-3 さる
朝、出発の支度をして居間に下りてくると、テーブルの前に兄貴の長身があった。
兄貴が先に目覚めているなんて今日は珍しい。
「まさかとは思うけど、寝てないなんてことはないよね……?」
「15分寝た」
「いや学校あるのに何やってんの兄貴……。それは寝たとは言わないよ……」
「バハムートの出現が午前3時だった。これを逃すと次の出現は半月後だ。明日後悔しようとも、もうやるしかなかった」
なんの話かわからないだろうけど、俺にもなんとなくしかわからない。
たぶんこれは、兄貴が続けているオンラインゲームの話なのだろう。
「お前わかってないだろう、聡。バハムートから手に入るバハムートソードは、攻撃力こそ平均的だが、全てのステータスが+50補正される上に、実は隠し性能でクリティカル倍率がなんと2倍になるんだ! さらにこのバハ剣と、クリティカル確率を上げるラミアスの盾を組み合わせることで、現状のファイター職で理想値のダメージを叩き出せるのだ!!」
うちの兄貴はさ、家じゃだいたいこんな感じだ……。
塔ヶ崎さんがこの姿を見たら、確実に幻滅するだろう……。
「で、それは手には入ったの?」
「ハハハハハハハハ……。バハ剣のドロップ率は5%だ。さらに最強に強まった俺のキャラでも、討伐に2時間かかる」
「それさ、誰が続けるのそんなゲーム……」
「俺だ。むしろ最近のゲームはレアがレアでなくてつまらん。むしろ俺は、ドロップ率0.2%でもかまわんと思っている」
今日も兄貴はキマってるな。
シリアルに牛乳をぶっかけて、父さんが用意してくれた雑なサラダをテーブルの真ん中に配膳した。
「半月に1回しか現れないのに……?」
俺は凡人だから、朝食をちゃんと食べて、勉強と読書の頭が回るように心がけている。
「だが1000人が1回攻略すれば、ゲーム内には半月に2本ずつバハムートソードが供給されてゆくことになる。それがゲーム内市場に流通し、超高額アイテムになる。バハ剣がそんなに欲しくないユーザーも、一攫千金を夢見てコンテンツに参加し、それが賑わいを呼ぶというものだ!」
「でも倒すのに2時間かかるんでしょ? そんなの誰がやるの……?」
「俺だ。ちなみにバハ剣だが、一部界隈では侮蔑を込めてバカ剣とも呼ばれている。2時間もかかるクソコンテンツを用意した運営に対する深い遺憾と、それに付き合う廃人どもの狂気性を揶揄した言葉だ」
「兄貴、サラダもちゃんと食べなよ」
延々と続く兄貴の話を聞いていたら、いつの間にか皿が空になっていた。
兄貴は自分の話、特にゲームの話が好きだ。俺はそんな兄貴の話を聞くのが、そんなに嫌いじゃない。
「兄貴、そろそろ行こう」
「いや、行くとわかったら急にだるくなってきた……」
「寝てないからだよ……」
「クッ……おのれクソ運営め……これも全て運営のせいだ!」
「参加しなければ良かったんだよ」
「それは違う。いいか聡、バハムート討伐は遊びじゃないんだ」
これって、どうやったらソフトランディング出来るんだろう……。
たかだか色恋のために、兄貴の人格を矯正するなんて本末転倒だ。
いやでも、弟としてあえて言わせてもらうと、深夜のオンラインゲームだけは止めさせたい……。
・
戸締まりをして兄貴と通学路に出た。
塔ヶ崎さんが別荘地の住民なら、俺たちは下町の住民だ。
ここから高台の方を眺めると、そこに木々に埋もれるようにオシャレな家々がミニチュアみたいに立ち並んでいる。
対する俺たちの住む住宅街はゴミゴミとしていて、所々に空き家があったりして、悪くもないけどいかにも平凡でしょっぱい世界だった。
「待ってたぜ、ヒロにーちゃん! 今日学校終わったら松屋こいよなーっ!」
「フッハハハ……根こそぎ美味いバーを搾り取られたのにまだやるか。いいだろう、このカードマスターヒロツグ様にかかってくるがよい!」
家を出ると小学生が兄貴を待ち伏せしていた。
ちなみに松屋というのは牛丼屋ではなく、うちの近所の駄菓子屋だ。
うちの兄貴は、お子様だけの社交場に混じって、小学生とカードゲームをするような男だった。
「ちょっと待って兄貴、子供からお菓子をふんだくるとか、それ最低だろ……」
「問題ない、駄菓子屋のバーちゃんも同意の上だ。むしろ俺が来なくなったら、店が潰れるとまで言われているぞ」
「美味いバー1本でヒロにーちゃんと対戦出来るなら安いもんだろ、サトシー!」
この子はなぜか俺にだけ呼び捨てだ。
俺には兄ちゃんと呼ぶだけの価値がないらしい。
「あっ、ヒロ兄ちゃんだ! なあなあっ今日遊ぼうぜー!」
「いいぞ、学校が終わったら松屋に直行する予定だ。今日は久々に、ワンダースワァンを持って行こう」
さらに別の男の子が兄貴を見つけて駆けてきた。
「えーーっ、そんなのよりデュエルしようぜー! ヒロ兄ちゃんの変なゲーム自慢はなー、つまんねーからいいや!」
「ワンダースワァンをバカにするなッッ!!」
「だって、ヒロにーちゃんの持ってるゲーム、クソゲーばっかじゃん……」
以前、兄貴に俺も言ったことがある。
子供にクソゲーを薦めるのは止めようよ、兄貴……と。
だが兄貴はこう言った。子はクソゲーを乗り越えて成長するのだと。
俺には意味がわからなかった……。
「兄貴、そろそろ急ごう。通りにも出ることだし」
「またな、ヒロ兄!」
「終わったらダッシュでこいよーっ!」
小学生たちの方も兄貴を待っていたせいで、だいぶ遅れている。
元気に駆けてゆく子供たちを見送って、俺達もカバンを背負い学校までの道を走った。
「しかしこんな歳して、兄弟で登校してるの俺達くらいだよな……」
「ああ」
大通りをひとしきり走ると、同じ学校の生徒たちの姿が見えてきた。
間に合いそうなので足を緩めて、兄貴に何気ない話題を振った。
「俺も兄貴みたいな頑丈な身体が欲しいよ。朝までゲームなんて――」
「聡。外ではその話は止めろ」
「ああごめん、そうだったね」
「口は、災いの元だ……」
兄貴はコミュ障だ。家族や小さい子供たちにしか普通に喋れない。
だから近所を離れるといつもこうだった。急に寡黙になる。
それが恵まれた長身と混じり合って、塔ヶ崎さんが惚れ込んだ博嗣くんを生み出していた。
実の親に『お前は黙っている限りではクールで様になっているな』と、言われるくらいだ。
「あ、塔ヶ崎さん」
「ぬッ……?!」
別荘地への分岐に塔ヶ崎さんが立っていた。
それが兄貴と俺に気付いて、跳ね上がるように顔をそらした。
兄貴の様子を見れば、案の定固まっている。
「お、おは、よ……偶然、だね……」
「そうだね」
偶然も何も、明らかに兄貴を待っていたようにしか見えない。
あんなにクールな塔ヶ崎さんが、しどろもどろな言葉を使ってうろたえる姿が、性格の悪い表現になるけど俺には面白かった。
「え、えっと、あの、私……」
「そうだね、塔ヶ崎さんも俺たちと一緒に登校する?」
「えっ、そ、それは……」
「せっかくだし一緒に行こうよ。せっかく兄貴もいることだしさ」
「む…………無理……。やっぱり、ごめんなさいっ、私、その、急いでるから!」
塔ヶ崎さんはそう叫んで、学校の方に逃げていってしまった。
これでは俺が、噂の転校生にフラれたみたいだ。
兄貴の方をのぞき見れば、兄貴も女の子――いやあえて使い古された言葉を使えば、美少女との遭遇に硬直していた。
緊張のあまりか青い顔をして、足を止めたまま微動だにしない。
この二人、微笑ましいという限度を越えて、早くもまともにやっていけるようには見えないな……。
「兄貴、さっきのが塔ヶ崎さん。昨日少し話したんだけど、兄貴は知ってる?」
「し、しらん……」
俺の知らない接点があるのだろうかと、少し探りを入れてみたけど反応がかんばしくない。
兄貴は通学路に立つ彫像となって、俺たちの横を学生たちが通り過ぎてゆく。
「美人だよね」
「ああ……。そうだな……。まるで……エロゲーみたいな美少女だ……」
兄貴、ちょっと素が出てるよ。
しかし良かった。これなら脈がありそうだ。
だけどこのままじゃ、要介護カップルになること確実だ。
「兄貴、次に塔ヶ崎さんに会ったら挨拶してあげて」
「無理だ……。あんな美人に、挨拶など、できるわけがない……」
「でもさ、兄貴ってネットでは普通に女の子と話してるじゃん……」
すると兄貴が静かに顔を上げて、真顔でこう言った。
「聡。ネットとリアルは違うのだ……。ネットとリアルは、違うのだ……。ネットでは老若男女に慕われまくる俺も、リアルではカスだ……カス以下なのだ……」
兄貴の言葉は重かった。
「そんなことないよ。誰かが兄貴を汚い便所の染み以下の最低糞クズ野郎だと言っても、俺の兄貴への尊敬は変わらないよ」
「ああ、聡……。お前は、お前は本当に出来た弟だ……俺にはもったいない……」
俺の兄貴はゲームが上手い。
ネットや、子供の集まる駄菓子屋では、頼れる兄貴であり、はつらつとした英雄だ。
どんなにコミュ障でも、俺の兄貴が誰かに慕われているという現実は変わらない。
「そうやってさ、ネットとリアルの境界に線を引くことに、なんの意味があるの?」
「うっ……。そうだな、わかっている。それは俺もわかっているのだが……どうしても、俺のような人間は線を引かざるを得んのだ、聡!!」
勉強も運動も出来る。ゲームも超人的に上手い。
そんな兄貴がコミュ障を克服したら、誰もが憧れる大物になる。そう俺は信じてる。
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