EP-8 くも 2/2
「あっれー? そこにいるのバイトくんじゃん? やっほー♪」
「あ、和邇さん」
「ま……また女、だと……!?」
きっと疲れているせいだと首を回していると、あの店長の姪が明るい笑顔を浮かべてこちらに駆けてきた。
会ったのはこれで3度目のはずなんだけど、全く壁を感じさせない社交性を見せつけられた。
「ぇ……聡くんのお友達……? あ、私は――」
「あ、知ってる知ってる、塔ヶ崎杏ちゃんでしょ。で、そっちがお兄ちゃん。私は和邇皆子! ミーナって呼んでね!」
最初は気づかなかったけど、彼女は俺たちと同じ高校だった。
うちの高校は島の人間を一カ所にかき集めているので、顔を覚え切れない同級生が山ほどいる。
「断る……」
「よろしくお願いします、皆子さん……」
「ミーナって呼んでて言ってるじゃん。あ、ちょいちょい、聡くん」
和邇さんに引っ張られて、俺は路地裏に連れて行かれた。
こっちは気持ちが沈んでいるのに、向こうは楽しそうに笑っている。まるで生ける太陽みたいだ。
「もしかしてデバステート・ハード見てた? だったら奇遇じゃん♪」
「違うよ。アニメの方」
「ああ、なんだあっちかー……」
独りでハリウッドアクション映画を見る女の子とか、初めて見たな……。
「あ、でさ! 良かったら手伝おっか? 実は叔父さんから全部聞いてるんだー。ってことでさっ、バイト、代わってくれたお礼をさせなよ!」
「……させなよ。って独特な日本語だね」
しばらく和邇さんの笑顔を見ていると元気が沸いてきた。
あの二人は手が焼けるから、やっぱり疲れていたのかもしれない。
「いいの? 正直、こういうのはよくわからなくて……本音を言えば困ってた」
「そうっ、だったらこの和邇さんに任せなさいっ! で、これからどうする予定?」
「疲れたし、代案がないなら喫茶店行くつもりだったんだけど……」
「えー、そこはまったりしちゃうと停滞するんじゃない? えっーっと、博嗣くんだっけ? 彼の得意なことを、あの子に見せるとかどう?」
「兄貴の得意なことといったら、ゲームかな」
「ゲームかぁ……。でもあっちの彼女、そういうのが好きなようには見えないね?」
そう、だから兄貴の長所を見せるというプランはダメなんだ。
確かに兄貴は天才だ。でもそれはもう少しソフトランディングを済ませてからだ。
「あ、でも兄貴はクレーンゲームも上手いよ」
「おおおーっっ♪ それいいじゃんっいいじゃんっ! よしっ、それでけってー! 行こう行こう聡っ!」
「うわっちょっ、転ぶから引っ張らないで……っ」
兄貴が陰キャなら、和邇さんは陽キャの社交力お化けだった。
手を脇に抱き込まれた俺は、かすかな弾力に気づきつつも心頭滅却の精神で貫いた。
兄貴と塔ヶ崎さんは目線を合わせようとせず、微妙な距離を保っていた。
「ゲーセンいこ!」
和邇さんはシレッと仲間に加わって、俺たちを繁華街のゲームセンターへと連れて行ってくれた。
兄貴のテクニックを見せて、塔ヶ崎さんの景品をプレゼントする。良いプランだと思う。思うけど……。
「聡ってさー?」
「え、何……?」
「んーーやっぱいいや。それよりあそこだよ、あそこから下りたところ!」
兄貴はレトロゲーマーだ。よってアーケードゲームも大好きだ。
俺と塔ヶ崎さんを後ろに置いて、二人がゲーセンの地下階段を駆け下りてゆく。
「ごめんね、せっかくのデートだったのに……」
「うん、でも大丈夫……。最初は聡くんと、一緒に遊ぶだけのつもり、だったから……」
「……そうだね。そう言えばそうだった」
また嫌な気持ちが胸に渦巻いた。
塔ヶ崎さんと二人だけで、ただ映画を見て、どこかの店でゆっくりする休日の方が、ずっと楽しかったのかもしれない。
店の扉をくぐると、地下店舗独特の臭いが立ちこめて、ゲーム機の騒がしい爆音が鼓膜を震わせた。
「え、なに……?」
「凄い音だね! って言ったんだよ!」
「あ、うん、本当だね……」
距離を詰めるか、大きな声を上げないと言葉が届かない。
俺たちは兄貴と和邇さんに引っ張られるように、これでもかと敷き詰められたクレーンゲームを回った。
気になる物があるみたいだ。塔ヶ崎さんが立ち止まって、アクリル板越しに何かを熱心に見つめている。
隣に引き返してのぞき見ると、それはヨシュアに似たレトリーバーのぬいぐるみだった。
大きさは手のひらを広げたくらいで、これを手に入れるのはそう簡単ではないだろう。
「これ、ヨシュアが喜びそう……」
「兄貴、塔ヶ崎さんに取ってあげたら?」
兄貴たちもこっちに気づいて戻って来た。
子犬のぬいぐるみに向けて指を指すと、兄貴は静かに正面と横の双方から配置の確認を始める。
「え、でも……」
「兄貴って凄いんだよ、こういうのメチャクチャ上手いんだ」
「いや、取れる設定と、そうでない設定を見分けているだけだ。店も商売だからな、どうしても欲しいならヤフオクの方が――」
「兄貴でも取れないの?」
「む……。予算内で取れるかはわからない。が、アームの強度を確認してみよう。ダメならワンプレイで撤収だ」
兄貴はドロップ率5%のクソコンテンツに、我を忘れて夢中になるほどの負けず嫌いだ。
弟の勘違いでなければ、ゲームにおいては兄としてのプライドもそれなりにあった。
「あ、お金、私が出す……」
良い顔がしたいだけならここは断る。
けれど兄貴は当然と手のひらを指し出して、塔ヶ崎さんから100円玉を受け取った。
「ヘマったら最高にだっさいよねー、これ~♪」
「煽るな」
ちょっと意外だ。兄貴は和邇さんとは普通に話せている。
和邇さんがあまりにもズケズケとしたタイプだから、兄貴からしたらオバちゃんを相手にするような感覚なのだろうか。
「もう一回やらせてくれ。これならいける」
「うん……。ぁ……」
一回目は失敗だった。途中でアームが力を失って、景品を落としてしまった。
言われた通りに塔ヶ崎さんが二枚目の硬貨を差し出すと、兄貴は台に夢中だったのか目も向けずに、塔ヶ崎さんの手を掴んでむしり取った。
集中すると兄貴は他のことが見えなくなる。
俺はそういう兄貴が好きだ。好きなはずなのに、どうして俺はこんな気分になっているのだろう……。
「取れた」
二度目のアームが人形を掴んで持ち上げ切ると、兄貴は確認するまでもないとそう言った。
そして宣言通りに手に入れた犬のぬいぐるみを、塔ヶ崎さんにズイと手渡して、照れ隠しにそっぽを向いた。
「ありがとう、博嗣くんっ! あっ、思っていたより、触り心地いい……」
「おー、凄いじゃん♪ 二回で取っちゃうなんて、下手したら出入り禁止にされるレベルじゃない?」
「私、大事にする! ありがとう博嗣くん! きっと、ヨシュアも喜ぶ……」
なんだろう。本当になんだろう、この感情……。
まさか、これって、いや、そんなのは有り得ない……。
俺が兄貴に暗い感情を覚えるなんて、絶対にあっちゃいけないことだ……。俺たちは仲の良い兄弟なんだ。
兄貴に塔ヶ崎さんが嬉しそうな笑顔を浮かべている。
こんな笑顔は一度も見たことがなかった。
気持ちが晴れない。どうしてか、塔ヶ崎さんが笑っているのを見ると、嫌な気分になる……。
「やるじゃん、次はこれ取ってよ。お金出すからさー」
「それも設定次第だな」
その夜、暗い気持ちのまま風呂に入って、長湯をしながら悶々とした。
そしてやっと俺は気付いた。これは、嫉妬だ……。
俺は塔ヶ崎さんと楽しそうにしている兄貴に向けて、そのポジションは今日まで自分がいた場所だと、深い嫉妬の感情をほとばしらせていた……。
「ああ……なんてこった……。俺はなんてバカなんだ……」
極彩色に輝いていた日々が、錆び付いてゆくのを感じる……。
楽しくてたまらなかったのに、いともたやすくその幸せが崩れ去っていった。
俺は塔ヶ崎杏が好きだ。
好きになってはいけない相手に、俺は好意を抱いてしまった。
勝ち目はない。勝つ気もなかった……。ただ苦しみを堪える日々だけが後に残った。




