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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
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99、うつぶせ

 

 夕餉ゆうげの香りと共に、鹿野里の日が暮れた。


 灰の中の埋火うずみびのようにしぶとく西の空を焦がしていた太陽の背中が、星座のあいだを吹き抜ける夜風によってついに地球の裏側へと追いやられ、空いっぱいに涼しげな星のまたたきが広がったのだ。



 街灯が少ない鹿野里において、ひときわ賑やかに輝いている窓がある。初瀬屋の3階の、大広間の窓だ。


「みんな! どこで寝る!?」

「私は真ん中デース!!」

「え~! 私も真ん中がいいのにぃ!」


 昨日に引き続き今夜も初瀬屋に泊まる綺麗子とキャロリンは、大広間に敷いたお布団たちを前に興奮気味である。


「百合と月美はどこがいいデ~ス?」

「ん~、どこでも♪」

わたくしもどこでもいいですわ」


 月美は押し入れに収納されている予備の敷布団を整えており、百合もそれを手伝っている。押し入れの中は木の香りと柔軟剤のような匂いで満ちていて、百合は少しワクワクした。


「桃香はどこがいいデース? 真ん中がいいデース?」

「わ、私は端っこでいいよぉ~・・・」


 お風呂上りの桃香は、照れながら浴衣の帯を何度も直している。


 なぜ桃香がこの場にいるのか、それを説明しなければならない。

 お昼寝のしすぎで宿題がはかどらなかった桃香とキャロリンは、夕方になって焦って再開したのだが、「夜まで宿題やるデース! 桃香も初瀬屋に来るデース!」というキャロリンの提案により、桃香も旅館に来ることになってしまったのだ。

 初瀬屋に来たあとの二人は、美味しいご飯を食べ、気持ちいい湯舟に浸かってくつろいだだけだったので、結局宿題は進んでおらず、太っ腹な女将おかみさんである銀花の「桃香も泊まっていく?」という一言により、このような大お泊り会となったわけである。宿題は明日の自分たちにお任せだ。


「桃香ちゃんが来てくれたおかげで大広間が使えたわねぇ!」

「桃香に感謝デース!」


 綺麗子とキャロリンが泊まるだけだった昨夜は、2階にある普通サイズの客室を2人で利用したのだが、今夜はお客が3人だから、大広間を使うことになったのだ。せっかくだから月美と百合も一緒に寝よう、という流れである。


「この部屋は滅多に使いませんのよ」

「へ~」


 大広間は普通の客室3つ分くらいの広さがあるから、5人分の布団を敷いてもかなりスペースが余っている。

 通常、旅館の大広間や宴会場というのは、利便性や防音性を考慮し、一階か二階にあるケースが多いのだが、初瀬屋の場合は最上階である。お陰で景色が良く、風通しも最高だ。


 お布団は部屋の奥側に3つ、手前側に2つ敷いた。本当は星型に敷いてみようと試みたのだが、寝る時に落ち着かない気がしたのでこの形になった。


「じゃあ、私とキャロリンで、どっちが真ん中の布団にふさわしい女か、勝負するわよ!」

「オッケーデース!」

「モノマネ対決ね! 審判はぁ~、百合!」

「え!」


 突然名指しされた百合は驚いたが、押し入れから出て布団の上へ進み出た。素足で感じる畳や掛布団の感触がたまらなく気持ちいい。


「モノマネするから、どっちのほうが似てるか判定してね!」

「はーい♪」

「じゃあ私から! ん~、誰を真似しようっかなぁ」


 綺麗子は少しのあいだ宙を見上げて考えていたが、やがて何やらクールな表情を作り、自分のさらさらヘアーを撫でながら言った。


わたくし、鉛筆はカッターで削る派ですの」

「お~!」


 自分のモノマネをされたことに一瞬で気づいた月美は、押し入れから顔を出してジトっとした眼差しを綺麗子に送った。百合は月美のあの目がとても好きである。


「じゃあ次は私の番デース!」


 キャロリンは綺麗な青い瞳で月美の顔を眺めたあと、背筋を伸ばしてこう言った。


わたくし、可愛い動物とか興味ないデスのぉ」

「お~!」


 すっかりモノマネの題材にされている月美がちょっと恥ずかしそうにコホンと咳払いをした。その様子がとっても可愛くて、百合はキュンとしてしまう。


「二人とも凄く上手だけど、ん~、引き分けー♪」

「え! 引き分けデース!?」

「じゃあもう一回勝負よキャロリン!」


 二人はこの後も月美のモノマネを続けることになった。意外にも、だんだんキャロリンのモノマネのクオリティが上がっていったので、最終的に軍配はキャロリンに上がった。キャロリンの透き通った声質は、少しだけ月美のものに似ているのかも知れない。


「じゃあ私が真ん中デース!」

「まあ、しょうがないわね」


 窓側にある3つの布団のうち、真ん中の布団がキャロリンの場所に決まった。他のメンバーがどこで寝るかは早い者勝ちかも知れない。


「じゃあ私はここよ!」


 綺麗子がキャロリンのすぐ横の布団を陣取った。やはり早い者勝ちの流れである。



 この瞬間、人知れず心臓をバクバクさせている少女がいた。


(こ、これはまずいですわ!)


 月美お嬢様である。

 彼女は先程、「どこでもいいですわ」と言っていたのだが、実はどこでもいいわけではなかった。


(百合さんの隣は、絶対まずいですわ!!)


 そもそも、月美は百合と同じ部屋で寝るのが初めでである。それなのに隣の布団で寝てしまったら、緊張して全く眠れないかも知れないし、寝顔を見られてしまったら恥ずかしいし、万が一寝相が悪くて百合の布団のほうに足を投げ出してしまったらオシマイだからだ。


 というわけで、月美はキャロリンの隣の布団を狙うことにした。座布団やテーブルが部屋の隅にまとめられているので、それを整えにいくフリをしてさりげなく近づき、座ってしまえばいいのだ。


 が、そこには既に先客がいた。

 帯をようやく綺麗に結べた桃香が、キャロリンの隣の布団の上にペタンと座り込んでいたのだ。彼女は恥ずかしそうにキャロリンを見つめながらえりを直し、胸元を隠している。桃香ちゃんは胸が大きい。


(う・・・これは出遅れましたわ・・・)


 桃香がキャロリンに惚れ気味であることは、月美も何となく理解している。キャロリンの隣は、桃香に譲ってあげるべきかも知れない。


 となると、残ったのは二つ並んだお布団である。


(まずいですわぁあああ!!!)


 残念だが、運命からは逃れられない。月美はクールな顔のまま、一人で大焦りしたのだった。




「じゃあ! ホントに電気消しちゃうわよ!」

「いいよ~」

「ホントにホントに消しちゃうわよ!」

「いいから早く消すデ~ス」


 5人は布団に寝転がってからもしばらくの間、夏のプールのことや学校の先生についてなど、取り留めもない雑談をしていたが、リーダーである綺麗子がついに眠気にやられたようで、電気を消すことにした。


「電気オーフ!」


 壁に設置された調光のレバーを綺麗子が回すと、大広間は透き通るような優しい闇に包まれた。広縁ひろえんと呼ばれる窓際のスペースの電気を一つだけ点けておき、障子をしっかりしめ、後は真っ暗にするのだ。


 月美にとってはここからが勝負である。

 月美はどうしても寝顔を見られたくないから、百合よりも後に寝て、先に起きる必要があるのだ。


(百合さんって、寝つきは早いほうかしら・・・)


 月美は百合の気配を耳で探った。




 が、百合という女の好奇心を舐めてはいけない。

 百合は恋愛感情というものを自覚しておらず、月美のことを純粋に「友人」だと感じている純真無垢な乙女であるが、月美への興味は世界一であり、彼女に対しては誰よりもグイグイいく子なのである。


(月美ちゃんの寝顔見たいな~)


 百合は寝返りを打つフリをして月美に熱い視線を送った。

 目が少しずつ暗闇に慣れてくると、かすかな薄明りの中に月美の綺麗な横顔が浮かび上がって見えてくる。


(また、耳元で何かささやいてみよっかなぁ♪)


 先日、月美の弱点が耳元であることを知った百合は、もっとたくさんイタズラをしたいのだが、今の大広間はかなり静かだから、布団から出て月美に接近したら、さすがに気付かれてしまうだろう。耳元でささやく作戦は実行できそうにない。


(ん~、とにかく月美ちゃんが寝るの待ってみよう♪)


 絶対に寝顔を見られたくない少女と、絶対に寝顔を見たい少女の戦いが始まった。


 まず、百合が少しばかり体を起こして月美の顔を覗き見しようとすると、その気配を察した月美は当然、首を反対側に向けるわけである。


 そして百合が元の体勢に戻り天井を見上げると、月美もサッと上を向くのだ。なんと二人は、これを何度も何度も繰り返したのだ。

 さすがに百合は途中でフフッと笑ってしまったが、月美は大真面目に続けたのである。


 とうとう月美は、百合の熱い視線から逃れるため、うつ伏せになるという作戦を思い付き、フライパンの上のホットケーキのように華麗にクルッと裏返った。


(月美ちゃん、絶対照れてる♪)


 その様子がとっても可愛くて、百合は布団の中で足をバタバタさせた。

 お嬢様との無言のコミュニケーションを楽しんで満足した百合は、胸の中で月美に「おやすみ♪」と言って目を閉じた。深呼吸すると、畳のいい香りがした。


 乙女の里の夜が、こうして更けていったのである。





 東の山から静かに顔を覗かせた太陽が、鹿野里を少しずつ照らしていく。

 最初に輝くのは西の山の斜面であり、その光が徐々に田園へと広がって、ついには初瀬屋を覆っていた夜の気配も金色の温もりの中に溶けていくのである。


 5人の中で真っ先に目を覚ましたのは、土日だけは妙に寝起きがいい綺麗子だった。

 綺麗子は美菜先生が体育の時間によくやる謎の柔軟体操を布団の上でしばらく楽しんだあと、障子を開けて広縁へ行き、カーテンの隙間から里を眺めた。鏡川に白鷺しらさぎが一羽舞い下りて、岩の上でずっこけているのが見えた。この里はドジな動物が多い。


「ん~、綺麗子ぉ~」

「おはようキャロリンっ」

「いえ~い」


 キャロリンは作りたてのハンバーガーからはみ出したチーズみたいに布団から体をぐで~んと出しながら、薄目を開けて綺麗子にピースした。キャロリンは寝ぼけていてもテンション高めである。



 綺麗子が物音を立て始めたので、音に敏感な月美も少しずつ目覚め始めた。

 しかし、気付いた時には既に綺麗子の声が聞こえていたから、今になってガバッと体を起こしても、3番目くらいに起床したという事実は変わらない。真のお嬢様は、ここから一発逆転を狙うのだ。


 その方法は次のようなものである。

 綺麗子が「月美、起きてる~?」などと話しかけてきた時に、素早く「もうとっくに起きてますわ」と言って軽やかに体を起こすのだ。そうすれば誰よりも早く起き、考え事をしていたかのような知的な印象を与えられるわけである。やはり月美は天才お嬢様だ。


 というわけで、月美は誰かが話しかけてくれるのを、うつ伏せのままじっと待つことにした。ここは忍耐の時間である。



 一方の百合も、寝ぼけたキャロリンがごろごろと転がってきたので、目を覚ました。

 仲間たちと同じ部屋で寝たことへの高揚感と共に、すぐ隣の布団に月美がいることを思い出した百合は、目を輝かせてパッと体を起こした。


 カーテンから洩れる、青みがかったかすかな光の中に、うつ伏せの美少女の姿が見えた。掛布団が少しめくれているが、行儀のいいうつ伏せである。


(あれ、もしかしてこれ、チャンス!?)


 月美のキュートな耳が無防備になっている。今なら、耳元で「おはよ♪」とささやいて、月美が飛び起きる可愛い姿を見られるかも知れない。


(よ~し♪)


 百合は野生のナマケモノが木登りする時のような速度で、慎重に月美のほうへ身を乗り出したのである。


 しかし、百合はここで意外な感覚に襲われた。

 いざ月美にイタズラできる状況になったら、急に照れくさくなってしまったのだ。無防備なお嬢様がこちらに気付かぬまま横になっている様子に、ドキドキしてしまったのである。高級なアイスを買ってきて、いざ食べようとするともったいなくて食べられないあの感覚に少し似ている。


(な、なんか勇気が出ないなぁ)


 百合は照れ笑いしながら部屋を見渡した。

 すると、二度寝をしているキャロリンの髪をウサギの耳の形に整えて遊んでいた綺麗子が、ここで百合に気付き、近寄ってきた。


「百合~、おはよう」

「おはよう!」


 二人はひそひそ声で挨拶を交わした。修学旅行の朝みたいで百合はワクワクした。


「月美は?」

「まだ寝てるみたい♪」

「お、うつ伏せだ。あれ息できてるのかしら」

「どうだろうね♪」


 月美は百合たちのこの会話を耳にしたのだが、あまりにも小さな声でやり取りしていたから、「起きてますわよっ」と言うタイミングを逃してしまい、全く動けなかった。既に作戦失敗の流れである。


 綺麗子は百合と一緒にくすくす笑っていたが、やがて何かを思いついたようで、布団の上をハイハイして月美に近寄った。

 そして、意外な行動をとったのである。


「月美ぃ~? 生きてるぅ~?」


 驚くべきことに、綺麗子は月美お嬢様の背中に抱き着くようにして耳を押し当て、「ん~、鼓動は聞こえますね~」などと言って笑い、すぐに去っていったのだ。お嬢様相手に、凄い勇気である。


「キャロリン起きた~? 桃香ちゃんの髪でハート型作りましょっ」


 綺麗子の興味はもう別のところへ行ってしまったわけだ。



 残された百合の胸に、大きな冒険心が芽生えたのはこの時だった。


(私もやってみたい!!!)


 こういうのは勢いが大事である。百合は、自分の胸のドキドキを感じるより先に動き出すことにした。


 それは、ほんの一瞬のイタズラである。

 百合は先程の綺麗子と同じように、月美の温かい背中にそっと腕を回してぎゅっと抱き着き、頬をむにっと押し当てた。そして逃げるように窓際へ向かったのだ。




(ん・・・?)


 月美はうつ伏せのまま、キョトンとしてしまった。


(え・・・? 今の・・・どなた・・・?)


 大いなる疑問を感じて顔を上げた月美は、たった今自分の背中に抱き着いていった犯人を推理した。一回目は綺麗子で間違いないのだが、二度目が分からなかったのである。


 キャロリンは体を起こしたばかりで、目をこすりながら伸びをしている。桃香はまだすやすや寝ている。そして、百合は不自然なほど遠くへ駆けていって綺麗子の背中に隠れるようにしてしゃがみ込んでいる。


(え・・・?)


 寝起きの月美の全身が、みるみる熱くなっていく。溶けたバターがパンに染み込むように、じわ~っと全身が熱くなっていったのだ。


(ええええええええ!?)


 月美は枕にバフッと顔をうずめた。背中に、ほっぺの柔らかい感触がまだ残っている。


(ゆ、百合さんに!!! ぎゅってされましたわぁあああああ!!!!)


 恥ずかしすぎて布団から出られなくなった月美は、早起きへのこだわりなどどうでも良くなり、朝食の直前までうつ伏せのままず~っと動かなかったのである。無邪気な百合との生活は、クールなお嬢様にとっては試練の連続なのだ。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 百合がだんだん積極的になってるのいいですね!月美は心臓が大変なことになりそうですが、次回も楽しみにしています(〃>∀<〃)
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