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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
98/126

98、ひなたぼっこ

 

 桃香は朝から大ピンチだった。


 土曜日の桃香は、いつものんびりと一階の商店の店番をするのが日課なのだが、キャロリンの突然の来訪によって全てが変わってしまったのである。


「桃香ぁ! 宿題教えて欲しいデース!」

「え、ええ! わ、私が?」


 初瀬屋に滞在中のキャロリンのことを桃香は気に掛けていたのだが、まさか今日桃園商店に来てくれると思ってなかったので衝撃だったわけだ。


「べ、勉強なら、千夜子ちやこさんに教わったほうがいいと思うけど・・・」

「千夜子の家は遠いし、桃香の部屋のほうが落ち着くデ~ス」


 千夜子というのは鹿野里にいる唯一の高校生であり、ローザの喫茶店の近くにある神社の巫女さんだ。千夜子先輩はかなり頼りになるのだが、今日のキャロリンはなんとなく桃香に会いたい気分だったのだ。


「お邪魔しマ~ス!」

「ど、どうぞ~・・・」


 桃香はかなり慌てながらも、二階へと上がっていくキャロリンの背中についていった。




「ん~、桃香の部屋は落ち着くデ~ス!」

「は、恥ずかしいからあんまりじろじろ見ないでね・・・」


 桃香はキャロリンと同じ中学3年生である。鹿野里には変わり者の女性が数多くいるが、その中でも最も農村の雰囲気にマッチする、清純でほんわかした少女だと言える。


 桃香は運動が苦手で、胸が大きいことから、自分のことを太っていると勘違いしているのだが、客観的に見れば女子中学生らしい健康的な体である。彼女のふわふわとした存在感は、鹿野里の住人たちから大人気だ。


「というわけで桃香! 私は宿題をやるデース! 先生よろしくデース!」

「お、教えられるかなぁ・・・」


 キャロリンは畳の目の向きに合わせて靴下でスーッと滑りながら桃香にお願いした。桃香の部屋は和室であり、昭和にタイムスリップしたようなノスタルジーを楽しめる空間だ。


 部屋は北向きだが東側にも窓があるため部屋はいつも明るかった。勉強に疲れた時にふと窓の外を見ると、四季折々の色に染まった銀杏いちょうの木の葉が静かに揺れているので、つい詩作に耽りたくなるような趣きがある部屋なのだ。


「まずはこのページデース!」

「う、うん、わかった・・・」


 キャロリンは桃香の勉強机を借りて、数学の問題集を開いた。ちなみに和室と言えど勉強机は椅子に座るタイプである。


「まず第一問からチンプンカンプンデ~ス」

「そっかそっか。えーとね、ページの左上に公式と説明が書いてあるでしょ。このページの問題は全部この公式で解けるんだよ」

「おー! さすが桃香ぁ!」

「そ、そんなに褒めないでよぉ~・・・」


 キャロリンに勉強を教える上で、桃香が一番気を付けていることがある。


 それは、近づき過ぎないことだ。


(わ、私の部屋に、キャロリンさんがいるぅう・・・!)


 桃香はさっきからずっと胸がドキドキしており、問題集を指差した時、人差し指はプルプルと震えてしまっていた。


(どどど、どうしよう・・・緊張する・・・!)


 誰にも内緒なのだが、桃香はキャロリンのことが好きなのだ。


 キャロリンに勉強を教えるとなると、お互いの距離が近くなりすぎて肩がぶつかったり、手が触れ合ってしまったりする可能性があるから、桃香は警戒している。桃香はおっとりした少女だが、恋愛に関しては事前にしっかり予測を立てて、恥ずかしい事態を回避するのが彼女の生き方だ。


 とりあえず桃香は、キャロリンが数学に四苦八苦する姿を、斜め後ろから見守った。「質問があったら言ってね」と伝えたにも関わらず、キャロリンは自分の力で頑張っている。とてもえらい。


「桃香! 3つ解けたデース!」

「すごーい、その調子だよっ」

「とりあえずここまでの答え合わせして下サ~イ」

「え、もう答え合わせ?」

「お願いシマース!」


 3問やり終えた時点でキャロリンの脳はかなり疲弊していたので、桃香に採点してもらっている間に一休みしようと思ったわけである。キャロリンは椅子を離れ、桃香のベッドのへりに腰掛けてグッと伸びをした。


「じゃあ、答え合わせしてみるね」

「ハーイ!」


 キャロリンが離れたこと少しホッとした桃香は、椅子に腰かけてテキストの解答冊子を開いた。


 早速間違いを発見したが、キャロリンが書いた可愛い字の上に×印を書くなんて出来ない桃香は、式の横に「もう一回♪」という一言を添えておくことにした。


「いい匂いがするデ~ス。桃香の匂いデース」

「え、あ! キャロリンさん!!」


 いつの間にかキャロリンはベッドに寝転がっており、桃香の枕をぎゅっと抱きしめていた。桃香が猛烈に恥ずかしくなったことは言うまでもない。


「キャ、キャロリンさーん! 枕とか布団とか触らないで~!」

「桃香のシャンプーの匂いデース♪」

「もー、キャロリンさーん!」


 桃香が枕を取り返そうとすると、キャロリンは嬉しそうに逃げ回り、ベッドから下りて畳の上を転がった。キャロリンの楽しそうな笑い声は桃園商店の外にまで聞こえ、通りすがりの小鹿が不思議そうに顔を上げた。


「もう・・・キャロリンさんったら」

「うひひ♪」


 枕を抱いたまま畳を転げまわるキャロリンを、桃香は部屋の隅まで追い詰めたが、キャロリンは枕を手放さず、眩しい笑顔と綺麗な瞳で桃香を見つめ返すのみである。ドタバタしていたのに、急に静かに見つめ合うことになったので、桃香はドキッとしてしまった。


 小鳥たちのさえずりと、静かに揺れる木々の葉ずれの音が、風に乗って桃香の部屋を吹き抜けていく。カーテンの揺れに合わせて、キャロリンの横顔を陽の光がふんわりと照らし出した。


「そうだ! 桃香! ひなたぼっこしたいデース!」

「ひ、ひなたぼっこ? どうしたのいきなり」


 キャロリンの突拍子もない発想は、いつだって桃香を驚かせてくれる。


「太陽に当たると、すごく気持ちいいデース! 桃香もやるデース!」


 畳に舞い下りる小さな光では物足りないキャロリンは、桃香のベッドに上って窓から身を乗り出し、キョロキョロと辺りを見回した。窓のすぐ下には軽自動車一台分くらいの広さの屋根があり、そのなだらかな傾斜には太陽がたっぷり降り注いでいた。


「桃香! この屋根、乗っても大丈夫デース?」

「だ、だめだよキャロリンさん。危ないよ」


 その屋根の下は一階のお風呂場と脱衣所である。二階の屋根ではないから高さがあまり無く、大掃除の時は母が屋根に乗って瓦を磨き、そのままぴょんと庭に下りたりしているから、実はそれほど危険ではないのかもしれないが、とにかく桃香はこの屋根に乗ったことがない。


「乗ったことないデース?」

「お布団を干したりはしてるけど、乗ったことはないかな」

「じゃあ、レッツゴー!」


 なんと、キャロリンは本当に窓枠をまたぎ、屋根に乗ってしまった。

 レースのカーテンの向こうの光の中にキャロリンが姿を消したので、桃香は慌てて窓辺に駆け寄った。が、想像以上にキャロリンが近くにいたため、キャロリンの綺麗な髪が桃香の鼻先にフワッと当たってしまった。


「桃香も来るデース!」

「で、でも・・・」

「ママに見つかったら、お布団干してたって言えばいいデース!」

「え?」


 桃香は妙に納得してしまった。今日はお布団を干すのにピッタリの陽気だからだ。


「ど、どうしよっかなぁ・・・」

「いつもどんな風に干してるデース?」

「あ、この掛布団とかを・・・」

「じゃあ、貸してみるデース!」

「え、あ、はい・・・」


 空気に流されやすい桃香は、ついつい布団をキャロリンに渡してしまった。キャロリンは温かくてすべすべの瓦屋根のほこりを靴下で軽く払ってから、布団を広げた。もし汚れてしまったら布団カバーを洗濯すればいいだけなのだが、それにしても随分豪快である。

 桃香はいつも窓枠に掛けるようにして干しているので、こんな風に思い切り屋根に広げるのは初めてだ。


「ほら! ベッドみたいになったデース!」


 キャロリンは布団にひざをつき、柔らかい温もりにバフッと倒れ込んだ。


「気持ちいいデース! 桃香も来るデース!」


 桃香はどうしていいか分からず、窓際でもじもじしていたが、やがて体を起こしたキャロリンが、手を伸ばして桃香の手を握った。


「ほら♪」

「あ・・・」


 桃香は当然、キャロリンの手の温もりに激しく動揺したわけだが、慌ててその手から離れた時、既に桃香は窓枠をまたいでいたのである。

 その瞬間、彼女はまるで雲の上に下り立ったかのような感覚になった。眩しい青空の世界に飛び出した桃香を、お布団の柔らかさが迎えてくれたわけである。


「ほらほら! 桃香もひなたぼっこするデース!」


 明るさに目が慣れるより先に、美しいキャロリンの声が桃香の耳をくすぐり、やがて彼女の足元の布団に寝転がるブロンドヘアーの少女が見えた。部屋の中もかなり明るいと思っていたのに、外の世界の眩しさは別格だったわけだ。


「いい気持ちデ~ス」


 仰向けに寝転ぶキャロリンが無邪気に笑いかけるので、桃香はすっかりときめいてしまい、「危ないからお部屋に戻ろうよ」などと言う理性は働かなかった。桃香は半分夢の中にいるような心地で、布団の上にふわっと座り込んだ。


 見慣れたはずの景色も、一歩外に出るだけで、その姿を大きく変える。銀杏いちょうの木は桃香の頭を撫でるみたいに枝をこちらに伸ばしているし、すぐ脇の畑のうねがノートの罫線けいせんみたいに真っ直ぐに並んでいる様子に、桃香は感動を覚えたくらいだ。


「寝っ転がると気持ちいいデ~ス」

「じゃ、じゃあ・・・私も!」


 桃香は照れながら、キャロリンの横に寝転がることにした。

 仰向けになり、布団の柔らかさに頭を預けた瞬間、まぶたいっぱいに光が満ち、全身に太陽が降り注いだ。柔らかい布団の感触が、桃香の体を優しく包み込んだので、まるで旅先で温泉に浸かった時のような癒しと解放感を味わうことができた。


 桃香はまるでアザラシのぬいぐるみみたいなゆる~い顔になってしまった。こんな表情をキャロリンに見られたら恥ずかしいとは思ったのだが、どうしてもキリッとした顔にすることが出来ず、身も心もリラックスしていくのだった。


「桃香~」

「なぁに~?」


 いつも以上にのんびりした二人の声が、白い雲のように青空にぽっかりと浮かんでゆっくり流れていく。


「太陽はすっごく遠くにあるデ~ス」

「そうだねぇ~」

「太陽まで何時間くらい掛かるデース?」

「何に乗って行くのぉ?」

「ん~、自転車で」

「え、自転車?」

「何時間くらいデ~ス?」

「う~ん、5秒」

「速いデ~ス!」


 桃香が珍しく冗談を言ったので、キャロリンは笑ってくれた。いつもは真面目で気が小さい桃香も、今だけは心も体もふわふわと浮かんでいる気分なのだ。


「ねえキャロリンさん」

「何デース?」

「私たち今、雲の上に乗ってるみたいだねぇ」

「乗ってマスね~」

「乗ってるね~」

「このままのんびり世界一周するデ~ス」

「一周しよ~」


 本当にキャロリンと一緒に世界旅行できたらどんなに楽しいだろうかと、桃香はニヤけてしまった。



 しゃべる度に体の力が抜けていくようで、二人は少しずつ眠くなってきた。青空と一つになっていくような、幸せな眠気である。


 しばらくして桃香がキャロリンに目をやると、彼女はいつの間にかスヤスヤと眠っていた。桃香のほうに体を向けたまま寝ていたので、桃香はドキッとしてしまった。


 普段はじっくり眺めることが出来ないキャロリンの綺麗な顔を、桃香は照れながらじっと見つめた。白いお布団に淡く反射した日光がキャロリンの寝顔を幻想的に照らしており、この世のものとは思えない美しさだ。


(綺麗・・・)


 桃香はしばらくの間キャロリンの寝顔に見とれていた。


 やがて桃香は、キャロリンの長い髪がお布団の上に広がっているのに気付いたのである。

 普段はこんなこと絶対に出来ないのだが、桃香は指先で、キャロリンの髪に触れてみることにした。つややかなブロンドヘアーが、太陽と同じ色に輝きながら桃香の指の間を滑っていった。


 うっとりするような、幸せな時間である。

 この時間が永遠に続けばいいと桃香は思った。


(キャロリンさん。ちょっと無邪気過ぎるところもあるけど、私の毎日を明るくしてくれる最高の友達・・・)


 桃香は頬を染めながら、そっと微笑んだ。


(キャロリンさん・・・天使みたいだよ・・・)



 キャロリンの髪に優しく触れたまま、桃香もいつの間にか眠りについていた。二人で一緒に空を飛びながら旅する夢でも見ているのかも知れない。


 屋根の上で向かい合うようにしてお昼寝をする二人の姿は、まさに天使たちのようであった。




 そしてたぶん、この天使たちは宿題のことを完全に忘れている。

 

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