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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
93/126

93、ルネとローザ

 

 その日も、青い空はビードロ細工のように澄んでいた。


 授業を終えた百合たちは、下校途中にある桃園商店へちょっぴり寄り道していた。寄り道は良くないが、商店が通学路にあるため、いつもなんとなくひと休みしてしまうのだ。


 桃園商店の入り口付近や側面にはベンチがあり、誰でも自由に腰かけることができる。

 周囲の段々畑や遠くの山々、そして店のすぐ脇にある大きな銀杏いちょうの木を眺めて一息つくのにピッタリの場所である。


「麦茶飲んで~」

「ありがとうございます」


 中学3年生の桃香が、家のキッチンから麦茶のグラスを持ってきてくれた。

 冷たい麦茶を受け取った百合は、そのグラスを何気なく太陽に透かしてみた。セピア色に潤った視界の中で、大きな銀杏の木はまるで秋の見頃を迎えたように見えて綺麗だった。


「おいしい♪」


 百合は麦茶を味わいながらベンチを離れ、銀杏の木のそばにある花壇へ向かってみた。少し不思議な形をした花が咲いている。


「それ、ホタルブクロっていう花よ」

「えっ」


 不意に話しかけられて、百合は驚いた。百合の隣にやってきたのは、車椅子に乗った少女、ルネちゃんだ。


「へー、ホタルブクロ。おもしろい名前だね」

「ね。蛍が寝袋みたいにして使うんじゃないかしら」


 ルネは大人びて見えるがまだ小学5年生であり、百合より一つ年下である。同じ海外出身のキャロリンとは少し違い、日本語を流暢に使いこなせる少女だ。


「ルネさんって、花が好きなの?」

「う~ん。まあまあかな。絵に描けそうな面白い形の花は好きだわ」

「あ、ルネさん、図工好きなの?」

「好きよ。そこは百合と同じかもね」


 ルネはそう言いながら、薄紫色の花を指先で優しくつついて揺らした。眩しい午後の光が当たったルネの横顔は、初雪みたいに白く、儚げである。


 ルネは体が病弱なせいで車椅子で暮らしているが、絵に描きたくなるような美しい場所へは積極的に出掛ける明るい少女だ。体調管理のために定期的に鹿野里の診療所の先生に診てもらっているらしいが、他の子と大差ない生活を送っている。


 ちなみに、車椅子で生活しているからといって全く歩けないわけではなく、突然スッと立ち上がって窓を閉めたり、黒板を消しに行ったりするので、百合は最初ビックリしたのだ。


「ねえ百合っ」

「ん、なぁに?」


 ルネが楽しげに百合を手招きし、「耳貸して♪」と言ってきた。百合は身をかがめて、ルネの顔に頬を寄せた。ルネはいつもほんのりシャンプーの香りがする。


「ねえ、さっきから月美の様子が変だと思わない?」

「え?」

「よく見てごらん♪ 気付けるかなぁ?」


 ルネは何かを知っている様子である。百合は顔を上げて月美を探した。


 綺麗子が珍しく家の用事で先に帰ったため、ここにいるのは百合とルネと月美と桃香である。


 月美は先程までベンチに腰かけて桃香と一緒に季節の移ろいについて何やら知的なワードを散りばめて語り合っていたが、今は銀杏いちょうの木の周りをゆったり歩きながら、幹の様子などを観察している。鹿野里でもかなり目立つ美しい木なので、それを月美が鑑賞したり愛でたりすることは、不自然な行動には見えなかった。青々とした枝葉えだはから降り注ぐ木漏れ日が、月美を一層美しい女の子にしていたので、百合は少しうっとりしてしまった。


「百合? どうしたの?」

「あ! なんでもないよ・・・!」

「何か気付いた?」

「いや、何もおかしなところはないと思うけど」


 ルネはくすくす笑いながら、銀杏の木の根元あたりを指差した。


「月美の足元をよく見てごらん♪」

「え?」


 言われた通り、百合は視線を少し下した。

 今日の月美は紺色のワンピース姿で、白いソックスがとても映えている。


「あっ!」

「気付いた?」

「小鳥がいる・・・!」


 なんと、月美の後ろを追いかけるように、ジャガイモくらいのサイズの小さな青い鳥が、ちょこちょこと歩いているのだ。

 百合はあの青い小鳥に見覚えがある。先日、学校の昇降口付近で見かけた可愛い子だ。


「あの子、さっきからずっと月美を追いかけてるのよ♪」

「へー! そうなの!」

「うん。しかもね、今日だけじゃないのよ」

「え? いつもなの?」

「いっつもよ♪」


 ルネは百合に耳打ちして、詳細を教えてくれた。


「実はね、月美ってすっごく動物から好かれやすいのよ♪」

「へー! すごーい!」

「ちょっと意外でしょ?」

「まあ、そうだね。いつもクールなお嬢様って感じだもんね」


 しかし、百合は正直、優しい月美ちゃんが野生動物から好かれることはそれほど不自然な事だとは思わなかった。自分がもし野鳥だったとしても、やっぱり月美ちゃんに興味を持って追いかけるはずだと感じたからだ。


「運が良ければ、他にも集まってくるわよ」

「え! ホント!?」

「月美にバレないように、こっそり見守りましょ♪」

「オッケー!」


 百合とルネは、桃園商店の裏手にある小さな水路のせせらぎを眺めるフリをしながら、横目で月美の様子を観察することにした。水底みなそこまで透き通った美しい水路には、メダカのような小魚たちが見えた。



 

 さて、月美はその時、何を思っているかというと、もちろん焦っていた。


(も、もう・・・! なんでついて来ますのよぉ!)


 月美はクールで硬派なお嬢様になりたい少女なのである。野生の小鳥ちゃんに懐かれているところを百合に見られたら、「月美ちゃん、可愛い~♪」と言われてしまうかもしれず、恥ずかしすぎるのだ。


(まあでも、ピヨだけなら何とか誤魔化せますわ・・・。他の動物たちが来ないうちに早く帰宅したいですわね・・・)


 この青い小鳥にはピヨという名がつけられている。美菜先生が思いつきで付けた単純な名前だが、今ではピヨ本人がそれを自分の名前だと自覚するくらい定着した。


(百合さんは・・・よし。こっちを見てないようですわね)


 月美は本来、非常に賢い少女だが、百合のこととなると急に鈍感になるので、百合がこっそり月美の様子を窺っていることに気付いていないのだ。

 月美は幹の裏側にしゃがみ込み、ピヨに話しかけた。


「ちょっと、なんでついてきますのよ・・・!」

「ピヨ~」

「ピヨ~じゃありませんわ・・・。今日は他の子呼んでないでしょうね」


 そう月美が言いかけた時、事件は起こる。

 商店の向かい側にあるひのきでできた小さな地蔵堂の陰から、わたあめみたいに白い野良ウサギがひょっこり現れたのだ。彼女はご機嫌な様子で道を渡り、まるで待ち合わせ場所に登場した友人のような馴れ馴れしいステップで月美のほうへ寄ってきた。


(こ、来ないで下さーい!!!)


 この子はバニちゃんと呼ばれ、ピヨの友人である。ピヨの楽し気なさえずりを大きな耳で聞きつけ、やってきたのだ。バニも月美のことが大好きである。


 ウサギから逃れるため、月美は思わず幹の周りを再び回り出してしまった。当然、百合からその様子が丸見えになってしまうわけである。

 百合は目を輝かせた。


(ふ、増えてるー!! ウサギちゃんが増えてる! 可愛いいい!!)


 文庫本を片手で開き、読書する演技を続けたまま、早歩きでぐるぐる回る月美を、小鳥とウサギがぴょこぴょこ飛び跳ねながら追いかけているのだ。まるで、子供向けのアニメ映画に出てくる主人公の少女と、魔法の国の妖精たちみたいなキュートさである。


「百合、運が良ければ、もっと増えるわよ」

「ホントに!? 何が増えるんだろっ」

「楽しみにしてて。たぶん来るわよ」


 百合とルネは、つぼみをつけた紫陽花あじさいを眺めるフリをしながら、引き続き月美を見守った。つぼみはほんのり薄紫色で、まもなく訪れる梅雨の香りをにじませている。



 月美は幹の裏にしゃがみ込み、小鳥たちをにらんだ。


「・・・今度一緒に遊んであげますから、今日は勘弁してくださる?」

「ピヨ~?」

「とにかく、百合さんの前では大人しくして・・・。聞いてますの?」


 ピヨたちは月美の言葉を理解しようともせず、月美のワンピースのすそが太陽に透けて、豪華なテントみたいになっていることに喜び、彼女の足元にすり寄った。


「ちょ、ちょっと!」


 靴下のあたりに感じるウサギのふわふわ感に月美は慌てた。動物に懐かれると、月美は恥ずかしさで頬が熱くなる。


(う・・・まあ、動き回られるよりはマシですわね。この隙になにか作戦を考えますわよ・・・)


 月美は深呼吸をして顔を上げた。


 が、そこで新たな事件に遭遇するのだ。


(えっ!)


 月美の視線の先、段々畑で栽培されているトウモロコシに似た三日月野菜の葉の間から、つぶらな瞳の小鹿が顔を出し、こちらを見ていたのだ。


(こ、来なくていいですわよ・・・!)


 いつもクールな月美が焦った顔をしていることに気付いた小鹿は、「やっほ~何してんの~?」みたいな顔で畑から軽やかに跳び出し、小躍りしながら草むらを乗り越えて月美に近づいてきた。


(ちょ、ちょっと待って! 待って下さいぃ!!!)


 月美は思わず逃げ出し、またしても銀杏の木の周りをくるくる回り出してしまった。

 驚いたのは百合である。


(し、鹿が増えたー! 野生の鹿って初めて見たぁー! 可愛いいい!!)


 月美が銀杏の木の裏側から出てくるたびに動物が増えていくので、百合はマジックショーを見ている気分になった。


「ちょっと、こらっ・・・やめっ・・・!」


 ついに平静なフリが出来なくなってきた月美が、小さな声を洩らしている。百合はなんだか月美が愛おしくて、我が子を見守る母のような、それでいて憧れの歌手のライブに来た客のような、温かくて澄んだ眼差しを彼女に向けたのである。



 祈るようなポーズで月美を見つめる百合の横顔は、ルネの心に小さな切なさを感じさせた。


(百合・・・すごく綺麗な瞳で月美を見るのね)


 小学5年生のルネにとって、恋の世界はほとんど未知の領域であるから、百合と月美を結ぶ絆が恋愛感情を伴うものである事に、まだ気付いてはいない。

 しかし、百合が月美に対し、ある種の憧れを抱いていることは容易に察することができた。

 ロマンチストで芸術家気質でもあるルネは、百合の純粋な目の輝きを心から美しいと感じ、その眼差しを向けられる月美を羨ましいと思った。


(私にも、あんな瞳で見つめる人が、いつか現れるといいなぁ・・・)


 きっとずーっと先の話になるだろうなと思いながら、ルネは遠い山並みを眺めた。太陽に照らされた白い雲がとっても眩しくて、少し目を細めた。





「こんにちは~、どなたかいます~?」


 ルネに聞き覚えの無い声が、店の入り口のほうから聞こえた。動物まみれの月美や、それを見ていた百合も、声に気付いて振り向いた。


「は、はいー! いらっしゃいませぇ」


 留守中の母の代わりに桃香が店先に顔を出した。桃香はキッチンで軽く洗い物をしていたのだ。


「あら~こんにちはぁ♪ 私、神社の近くの家に引っ越してきたローザっていうお姉さんよ」

「あ、ど、どうも・・・! はじめまして!」

「よろしくね♪ ここ、桃園商店さんよね」

「は、はい・・・!」

「このお店に、強力粉きょうりきこって売ってる?」

「きょ、えーと・・・! 強力粉は小麦粉ですよね・・・少々お待ちくださいっ」


 慌て気味な桃香の声が外まで聞こえてくる。

 桃園商店の看板娘である桃香は、商品の場所をもちろん把握しているのだが、かなりの人見知りなので、初対面のお姉さんを相手に頭が混乱しているようだ。


(ちょっと手伝って来ようかな)


 ルネは車椅子を転がして店の入り口へ向かった。


 外が明るいので、店内は涼し気な陰の色に包まれている。ルネは目を凝らしながら、桃香に声を掛けた。


「桃香ちゃん、小麦粉はあっちの棚だったわ」

「え! えーと、どっち?」

「あっちよ」


 ルネは車椅子から立ち上がって店内に入り、奥の棚を指差した。


 が、その時である。


 暗いところにまだ目が慣れていなかったルネは、足元にあった段ボールに気付かず、つまずいてしまったのだ。


「あっ!」


 手すりもない場所で不用意に立ち上がったのが失敗だった。ルネの細い体は、風に吹かれた竹ぼうきのように、なすすべなく床に倒れ込む運命だ。


 しかし、そんなルネを優しい両腕で抱きしめ、救った者がいた。気付いた時ルネは、とってもグラマーでセクシーなおっぱいの感触に、白い頬をうずめていたのである。


「あら・・・大丈夫?」

「あ・・・すみません」


 救ったのはローザだった。


 これは、二人の出会いの瞬間であるが、ルネにとっても、ローザにとっても、特別な瞬間となった。


 普段、思わせぶりな態度で世界中の女の子たちの乙女心を翻弄するのが趣味のローザも、この時ばかりはなぜか、ルネの眼差しに心を射抜かれたかのように、うっとりとした沈黙の中に意識を囚われてしまった。


 ルネはそんなローザの瞳を覗き込んで、自分の胸の鼓動を強く感じた。病弱な自分が激しい運動をしてしまった時のつらい動悸とは異なる、心が宙に浮かんでいこうとする羽ばたきのような、清らかで幻想的な鼓動だ。


(なんて・・・綺麗な瞳の・・・お姉さんかしら・・・)


 絵に描きたくなるような最高の美しさに、ルネは思いがけず出会ってしまった。


 ルネの小さな胸の中にある、まっさらだった恋のキャンバスに、鮮烈な赤いローズが一輪咲いた瞬間である。

 

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