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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
87/126

87、お布団


 美菜のお陰で、夕食はとてもにぎやかだった。


「百合ちゃんも、すぐにこの町に馴染めると思うよ♪」

「は、はい。がんばります」

「早くゴールデンウィーク終わらないかな~。学校も楽しみでしょ!?」

「そ、そうですね」


 百合は、一緒に食卓を囲う月美の表情が気になって、美菜の話は半分くらいしか耳に入ってこなかった。


 お客様が泊まっていない時の初瀬屋旅館では、エントランス奥の共用スペースが、食事のためのダイニングとして利用される。

 夕食は基本的に銀花が作ってくれるのだが、百合もちょっぴりお手伝いした。銀花はとてもミステリアスな女性だが、いつもほんのり微笑んでいて、百合が分からないところを丁寧に教えてくれた。旅館のフライパンは大きくてちょっと重かったが、根菜を炒める作業だけは上手く出来た気がする。



 その根菜がたっぷり入った美味しいお味噌汁を味わっていると、不意に銀花がこんな質問をしてきた。


「百合は学校の科目で好きなもの、ある?」

「えっ」


 百合は前いた小学校の授業を思い浮かべながら考えた。


「そ、そうですねぇ・・・音楽とか、図工ですかね」

「あら。それなら月美と一緒よ」

「えっ」


 少し驚いた百合は、自分の斜め前に腰かけている月美に目をやった。

 月美はお洒落な猫の置物みたいな澄まし顔をして煮物を口に運んでおり、まるで百合になんて興味なさそうである。


「あの・・・月美ちゃんも、音楽とか図工、好きなんですか?」


 月美は百合と目を合わさぬまま、「さぁ?」とでも言いたげに首を傾げただけだった。非常にクールである。

 月美の担任の先生である美菜は、そんな月美の様子を見て笑いながら補足してくれた。


「月美ちゃんはね、どの科目もすっごく成績がいいんだよ♪ 芸術科目やってる時が一番楽しそうだけどね」

「そうなんですか」


 普段の自分の様子をバラされた月美は、頬をちょっぴり赤く染めてしまったのだが、この時の百合はそれに気づかなかったのだった。


(月美ちゃんと私、仲良くなれるかなぁ・・・)


 百合は夕食の間ずっとドキドキしていたから、鹿野里の新鮮な野菜をふんだんに使った料理の味も、あまりしっかり楽しめなかったかも知れない。が、これから毎日たくさん食べられるので、焦る必要はない。



 ご飯の後、百合はお皿洗いを手伝う気満々だったのだが、銀花の薦めで入浴タイムにすることにした。

「私も一緒に入るよぉ~♪」

「えっ」

「いいでしょう?」

「も、もちろん・・・」

 美菜は初瀬屋のすぐ近くのアパートに暮らしているので、頻繁にここの浴場を利用しているらしく、今日も「百合の付き添い」という名目でお風呂を楽しんでいくようだ。



 脱衣所は、新品のタオルみたいな良い香りがした。

 

 自分の裸を人に見られることに恥じらいを感じる年頃になった百合にとって、明るくて開放的な雰囲気がある初瀬屋の脱衣所は妙に緊張してしまった。隅っこのほうに観葉植物があったので、百合はその陰に隠れるような位置のカゴで、裸になることにした。

「百合ちゃーん」

「わっ!」

「お風呂楽しみだね~♪」

 こんなに脱衣所は広いのに、美菜はわざわざ百合のすぐ隣で脱ぎ始めた。愉快なお姉さんである。



 お風呂場いっぱいに、ミルク色の湯気が広がっていた。

 旅館自体が小規模なので、浴場もそれほど大きくはなかったが、和の雰囲気たっぷりで、百合はとてもわくわくした。洗い場は綺麗に整えられており、トリートメントのボトルがたくさんあったが、百合はとりあえず、一番端っこに座り、一番隅っこのボトルを使った。百合はかなり、遠慮がちな少女なのだ。


「あったかーい・・・♪」


 湯舟に肩まで浸かった百合は、一日の疲れが、ふくらはぎの辺りから一気に抜けていく気がして、なんだかうっとりしてしまった。


「ん~! やっぱり気持ちいいねぇ!」


 湯舟はそこそこ広いのに、美菜は肩が触れ合うくらい百合に寄ってきた。親戚同士とは言え、これだけ近いとちょっと恥ずかしいなと百合は思った。美菜のすべすべの腕を、百合はなんとなく横目で見てしまった。


「初瀬屋はとにかく料理が美味しいし、お風呂も広いし、最高だねぇ~」

「はい。いいところですね」

「それで、どう? 初瀬さんと月美ちゃん、面白い人たちでしょ?」

「そ、そうですねぇ・・・」


 百合は、ふわふわと心地よい意識の中で、クールな月美の横顔を思い浮かべた。


「打ち解けられる自信は・・・まだないですけど」

「月美ちゃんのこと?」

「は、はい。ご飯食べてる時も、全然目を合わせて貰えなくて」

「ふーん」


 美菜は長いまつ毛でパチパチと瞬きした後、天井を見上げながらそっと深呼吸をして、笑った。


「ん~。そう言えば、私が初めてこの里へ来た時、やっぱりすごく緊張してて、友達もすぐには出来なかったんだよねぇ」

「え、そうなんですか?」

「うん。でも、しばらく経って気付いたことがあるんだよ」

「・・・どんなことですか?」

「私と同じくらい、周りの人たちも緊張してたってこと♪」


 湯気の中で、美菜が子供のような笑顔でピースした。美菜が言ってくれたことを、百合はなんとなく心に留めておくことにした。




 入浴後、大きなドライヤーで髪を乾かした百合は、美菜にこう切り出した。


「それじゃあ美菜さん、また明日、ですかね」

「え? 私泊まってくよ」

「ええ!」


 なんと、今夜は美菜が百合と同じ部屋で一泊していくらしい。

 心配しすぎですよと百合は言ったのだが、美菜はどうしてもママの代わりをしたいらしいし、確かに百合も初日の夜は心細いので、断り切れなかった。


 美菜と一緒にキャリーケースを抱えながら、百合は南階段を上がった。金色の照明に彩られた階段に、二人のスリッパの音がゆったりと響いた。


 百合が暮らす部屋は、二階にある203号室である。


 二階には4部屋の客室があり、そのうちの一つを百合に貸してくれるのだから、太っ腹である。ちなみに、百合の部屋のすぐ隣にある204号室は、月美の寝室だ。


「ここ、ですよね」

「入ろう~!」


 やや重量のあるドアを開けると、そこには暗闇が広がっていたが、同時に畳の香りが百合の鼻をくすぐった。美菜が電気を点けると、温もりのある明かりがふわっと広がり、スリッパを脱ぐための玄関のようなスペースが現れた。その先にはふすまが見える。


「すごい・・・旅館みたい」

「だって旅館だもん、ここ♪」


 なぜか美菜が得意げに胸を張った。


 ふすまの向こうは、百合の胸を素敵な旅情でいっぱいに満たす空間だった。

 修学旅行だったら4、5人が泊まるくらいの広さで、とこの間には掛け軸が飾ってあり、金庫なども置かれていた。

 気になったのは、二人分の布団が、畳の上に既に敷かれてあったことだ。


「私こっちー!」

「あ、ちょっと美菜さん。じゃあ、私はそっちですかね」


 百合は奥の布団を使うことになった。足の裏に感じるサラサラのシーツの感触がとても心地よかった。


 百合は、寝る前にもう一度銀花さんにしっかり挨拶しておこうと思っているのだが、夜になってから母に電話する約束もしていたので、まずはそちらを済ませておくことにした。


「もしもし、ママ? うん。初瀬屋にいるよー」


 布団の上でうつ伏せになり、ちょっぴり幼い口調で母と電話する百合が可愛くて、美菜は微笑ましく思った。美菜はゴロゴロ転がって百合に寄り添い、「後で私にも代わって♪」と小声で言った。百合の母は美菜の姉なので、少し話したいわけである。


「あ、お電話代わりました~美菜で~す。お姉ちゃんやっほー」


 母とおしゃべりし終えた百合は、美菜に電話を貸した。

 百合はしばらくのあいだ部屋の中をキョロキョロ見回していたが、銀花さんが寝る時間になってしまってはまずいと思い、美菜をここに残して一人でエントランスの共用スペースへ行ってみることにした。


 廊下はちょっぴり涼しかった。ふと隣を見ると、そこは月美の寝室である。

(月美ちゃんにも、寝る前のご挨拶したいなぁ・・・)

 しかし、彼女の部屋をノックする勇気も出なかったから、百合は後ろ髪引かれる想いで北側の階段に向かった。


 百合の予想通り、銀花は共用スペースにいた。

 彼女はピアノのそばの椅子に腰掛けて、グラスの水を飲みながら楽譜のようなものに目を通していた。たった今お風呂から出てきたらしく、すみれ色のルームガウンの下に、パジャマが見えている。


「あの」

「あら、百合。そろそろ寝るの?」

「は、はい」

「今日は疲れたでしょう。明日も祝日なんだから、目覚ましをかけずに、ぐっすり眠りなさい」

「はい」


 銀花の瞳には、吸い込まれるような不思議な魅力があり、それと同時に胸を温めてくれる慈しみも溢れている。そんな彼女の表情をまじまじと見つめて、百合はあることに気付いた。


(銀花さんって、もしかして月美ちゃんのお姉さんなのかな)


 てっきり親子だと思っていたのだが、かなり年齢が近い気がしたのだ。銀花には大人っぽい色気があるが、妙に若々しくも見えるのである。


「百合、もう夜空は見た?」

「え? いえ、見てないです」

「ふふ。じゃあ後で、部屋で見てごらんなさい。とても綺麗だから」

「は、はい」


 百合は少しの間、柱時計の横でもじもじしていたが、やがて銀花に歩み寄り、ぺこっとお辞儀をした。


「これから、よろしくお願いします!」


 改めてそうご挨拶したのである。


「こちらこそ。私はね、百合に会いたかったのよ。ずっと前から」


 銀花は、顔を上げた百合にやさしく微笑みかけてそう言ってくれた。百合はなんだかとても心強くなった気がした。


「あと、お布団を敷いて下さってありがとうございました。明日からは自分で出来るようにしますので」

「あら。私は敷いてないわよ」

「・・・え?」

「月美じゃないかしら」


 それを聞いて、百合は自分の顔や胸がポッと熱くなるのを感じた。あのクールな月美ちゃんが、自分のために何かしてくれたなんて、想像もしてなかったのである。

(つ、月美ちゃんにお礼言わなきゃ!)

 百合はいても立ってもいられず、銀花にぺこぺこと頭を下げ、慌てて階段へ向かった。




 一方その頃、月美は自分の部屋を出て、一階へ行こうとしていた。


(百合さんの部屋で話し声がしますから、今がチャンスですわね・・・)


 美菜が電話をしていると知らない月美は、今なら百合にバッタリ出会うおそれがないと勘違いし、一階の厨房へ向かった。部屋で使っていたマグカップを寝る前に片付けるのは月美のルーティーンなのである。


 しかし、運命に導かれるように、二人は出会うことになるのだ。


 エントランスに近い北側の階段から軽やかな足音が聞こえてきて、月美は大層焦った。


(な、な、なんで!? 百合さん、下にいましたの!?)


 月美は急いで回れ右をしたのだが、時既に遅しである。


「あ! あの、待って!」

「うっ!」


 百合は月美を呼び止めたのだ。


 前髪を整えながら百合が小走りで階段を上がりきると、204号室のドアの辺りに月美が立っていた。こちらを向いてくれてはいないが、ちゃんと立ち止まってくれたのは嬉しかった。

 廊下にはランタンが点々と輝いており、東向きの窓から月明かりがほんのり差し込んでいる。


「私の部屋のお布団、敷いてくれたんですか?」

「あ・・・う・・・!」


 確かに月美は、百合が入浴している間にお布団を敷いてあげた。旅館業務をこなせることを自慢したかっただけなのだが、まさかこんなにハッキリ、面と向かってお礼を言われるとは思っておらず、非常に返答に困ってしまった。


「わ、わたくしは、この旅館の立派な従業員ですから・・・。そ、その程度の作業、やって当たり前ですのよ」

「そうなんだ。ありがとう、月美ちゃん!」


 この時、ほんの一瞬だけ、二人の目があった。


「ゆ、百合さんのためにやったわけじゃありませんから・・・あくまで仕事なので」


 月美は、素直になれないお嬢様なのだ。


「では、また・・・」

「あ、うん! おやすみなさい!」


 百合は慌てておやすみを言い、月美の姿が204号室の中に消えていくのを見守った。


(月美ちゃんって、もしかしたら、凄く親切な子なのかな)


 何はともあれ、月美と目が合った喜びで、百合はとってもハッピーな気分になった。



 部屋に戻ると、美菜はもう電話を終えており、しゃちほこみたいな謎のポーズで柔軟体操をしていた。

「あ、おかえり!」

「ただいまぁ!」


 百合は、自分でも驚くくらい明るく返事してしまい、ちょっと照れた。

 

「百合ちゃん、夜空見た?」

「え? まだですけど。銀花さんもさっき同じこと言ってました」

「そこの窓から見てごらん♪」

「はい」


 この部屋は旅館の客室なので、広縁ひろえんと呼ばれるスペースがある。小さな冷蔵庫や椅子などがある窓際の空間をそう呼ぶのだが、百合はそこに立ち、分厚いカーテンを開けた。しかし、部屋が明るいので、屋外の様子はほとんど見えない


「じゃあ、電気消すね♪」


 美菜の声を背中で聴いたかと思うと、大きな窓ガラスに反射していた部屋の明かりがパッと消えた。


「わぁ・・・」


 百合の目に収まらないくらい大きな星空が、窓いっぱいに広がっていた。

 山の稜線を額縁にした巨大な絵画のようにも見えるその夜空は、ほんのり紫色に化粧した宇宙のキャンバスに、鈴のようなカワイイ星たちを無限に散りばめて輝いていた。浜に打ち寄せる小さな白波のように星が集まっている場所が、きっと天の川である。


「綺麗・・・」


 透き通る夜風に星が瞬いている。耳を澄ませば、風に揺れた星同士が触れ合うキラキラという音が聞こえてきそうだ。


 都会で暮らしてきた百合にとって、鹿野里は宝石箱のような場所であり、この里へ引っ越してきた今日という日が、素敵なファンタジーの絵本の1ページ目であるように感じられた。


(・・・月美ちゃんは、この空を見ながら育ってきたんだね)


 だからあんなに綺麗な瞳をしてるのかな、と百合は思った。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 可愛さと尊さが宇宙レベル… やっぱりツンデレって良いですね
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