84、メリークリスマス
湯気を立てるティーカップに、夕日がゆっくり沈んでいく。
茜色に燃える高原のベンチに腰掛ける月美は、甘酸っぱいハチミツレモンの香りを楽しみながら、ホッと一息ついた。
「あったかいですわぁ・・・」
月美は手袋を外してカップを握りしめ、湯気の向こうで金色に輝く水平線を見つめた。
「月美ちゃんって、猫舌だよね♪」
「べ、別に・・・そんなことないですわ」
「まだ一口も飲んでないんじゃない?」
「百合さん、分かってませんわねぇ・・・最初は香りを楽しむんですのよ」
「ふーん♪」
月美の隣に腰かけている百合が、くすくす笑った。百合は白いマフラーがとってもよく似合う。
百合の言う通り、月美は猫舌だ。
月美たちが今飲んでいるハチミツレモンは、先程ローザ会長とルネが近所のカフェでテイクアウトしてきてくれたのだが、月美は全然飲まずに3分以上もフーフーし続けているのだ。月美は味噌汁をすする時のようなズズーッという飲み方を絶対にしたくないお嬢様なので、かなり冷めてからでないと口をつけないわけである。舌が熱さに敏感なだけの普通の猫舌より厄介なタイプだ。
「私がフーフーしてあげようか?」
「なな、何言ってますのよっ・・・!」
「そんなにイヤがらなくても♪」
二人きりの時の百合は、結構月美に対してグイグイくる。
寮で夕ご飯の準備をしている時にわざと月美を後ろから抱きしめるような形で物を取ったり、非常に自然な流れで一緒にシャワー室に入ろうとしたり、勉強を教え合うフリをして肩をピッタリくっつけてきたり・・・挙げたらキリがないほど、月美にいたずらをしているのだ。
そういう時、月美はクールな顔を維持するのに手一杯であり、本来やっていた作業や手元の動きが完全に止まるので、その動揺は百合にバレバレである。
遠くに目をやった百合が、ふふっと笑って喋り出した。
「ローザ会長とルネさん、かなりいい感じだよ♪」
「あら、そうですの?」
「さっきまで皆に飲み物配ってたけど、今はほら」
「ん?」
百合が指差した先、雪の積もったガゼボの屋根の下で、ローザ会長とルネが仲良く機馬を水洗いしていた。
あの機馬は翼の機馬なのだが、先程アテナが大ジャンプした際に海面に落ちてしまったので、念のため海水を洗い流しておくことにしたのだ。ルネがホースをわざとローザに向けたりしてはしゃいでいる。
お祭りの後のような不思議な熱気が、夕焼けに溶けて島じゅうを火照らせている。冷めやらぬ興奮に紅潮した生徒たちの頬を、クリスマスイブの冷たい夕風が撫でていく時、乙女たちは胸の中が洗われたような爽快感を覚え、切ない程に美しい空に色に心奪われるのである。
「これで、月美ちゃんの目指してた世界が完成したね」
「え・・・」
「月美ちゃんが知ってるカップルは、皆結ばれたんだもん。少なくとも人間関係は、去年の世界と全部同じになったね」
「そ、それは・・・まあ。そうですわね・・・」
月美はカップの中に視線を落として言葉を濁した。
「あれ? あんまり嬉しそうじゃないね」
「う、嬉しいですわよっ! ・・・つ、翼様なんて、あんなに優柔不断なお姉様でしたのに、すっかり王子様みたいになって・・・。アテナ様も幸せそうでしたわ」
「そうだね♪ 本当に良かった」
百合はそんな風に言いながら、月美の横顔を窺っていた。
月美はまだ、秘密にしているのだ。
去年の世界で結ばれていたカップルは、実はもう一組いることを。
そしてそのカップルは、今このベンチに腰掛けていることを。
「綺麗な夕焼けだねぇ・・・」
「そ、そうですわね」
「海に映る夕焼けって、凄く素敵・・・」
少し風が吹くと、百合のティーカップから立ち上るハチミツレモンの香りが月美の鼻をくすぐった。二人の距離が近いだけで、月美の胸は駆け足になるし、体がじんじんする。
「月美ちゃんさ、もしかして、嘘ついてる?」
「うぇっ!?」
百合はちょっぴり楽しそうに、そう質問してきたのだ。
猛烈に心当たりがある月美は大層慌て、ハチミツレモンをこぼしそうになった。
「月美ちゃんが知ってるカップル、本当はもう一組いたんでしょ?」
「え!!!」
月美は自分の心臓が池の鯉のように跳ね、熱い血を頬まで一気に運ぶのを感じた。
(ま、まずいですわぁあああ!!!)
去年の世界で月美と百合が恋仲になったという事実は、たとえ勘付かれたとしても、実は大きな問題はない。だが、月美がとにかく猛烈に恥ずかしい思いをするのだ。これだけ硬派なお嬢様を気取っておきながら、「はい。最後は百合さんとチューしましたのよ」なんて、絶対に説明したくないのだ。
「いやいやいや!! 2組だけです!! 翼さんとアテナ様、ローザ会長とルネさん。以上ですの!」
月美は嘘をつく時、非常に早口になるタイプの女である。
そんな月美の様子に思わず笑いながら、百合はちょっぴり体を傾け、月美の小さな耳に唇を寄せた。
「もう一組のカップル、分かっちゃったんだ♪」
「うっ・・・!!」
ついにバレてしまったのか。
「もう一組のカップルはねぇ・・・」
覚悟を決めた月美の耳元で、百合が囁いたのは、ちょっぴり意外な人物たちの名だった。
「キャロリンちゃんと、桃香ちゃん♪」
「え・・・?」
「そうでしょ? あの二人、絶対ラブラブになると思うの!」
百合の言う通り、あの小学6年生コンビは非常にお似合いである。
天真爛漫で好奇心旺盛なキャロリンは、いつも目をキラキラさせて学園じゅうを走り回っており、そんなキャロリンの背中を、桃香は照れながら追いかけているのだ。桃香の片思いかと思いきや、キャロリンも桃香のことが大好きであり、彼女の持つ癒しパワーを味わうため、毎日どこかのタイミングで後ろからむぎゅっと抱き着き、おっぱいを触っている。たしかにあの二人なら、将来恋人同士になるかも知れない。
月美は適当に「そ、そうだったかも知れませんわね」と相槌を打って、ホッと胸を撫で下ろした。
(セ、セーフですわ・・・私たちの関係に気付いたわけじゃないんですのね・・・)
安心した月美は、ここでようやくハチミツレモンに口をつけた。月美好みのぽわ~んとした温度に仕上がっていた。
そんな月美の心の動きを、百合は見逃していなかった。
(月美ちゃん、油断してる・・・♪)
百合はティーカップをベンチのサイドテーブルに置いて腰を上げた。そして夕空に向かってぐーっと伸びをしてから、ベンチの周りに残った雪をゆっくり踏みしめて歩き出した。
これから百合が語るのは、彼女が昨夜から何度も何度も頭の中でリハーサルした、とっても重要なセリフである。胸のドキドキが声に乗って上ずってしまいそうだったが、百合は平静を装い、自然な声色で語り出した。
「月美ちゃん」
「なんですの」
油断している月美は、ティーカップの側面に書かれたポインセチアの模様をなんとなく見ている。赤いポインセチアより、白いポインセチアのほうが格好良い。
「私ね、去年の世界の月美ちゃんがどんな人だったか、今はあんまり興味ないの」
「ん?」
突然自分の話になったので、月美は首を傾げた。
「高校生の月美ちゃんはきっとカッコ良かったと思う。一緒の寮で暮らしてる私のこと、守ってくれてたんだろうなぁって思ってるよ」
「それは、まあ、もちろん・・・」
月美は、百合が何の話をしているのか今一掴めず、キョトンとしている。
「でもね、私が一番興味あるのは、去年の月美ちゃんや、去年の私のことじゃないの」
百合は月美の正面に立ち、精一杯の笑顔を見せた。
甘酸っぱいオレンジ色の夕空をバックに微笑む百合が、月美の瞳にはなんだかとても幻想的に映った。二人きりの時間を包み込む光と陰の優しいグラデーションの中で、星たちが銀色に輝き出したように感じた。
「私が興味あるのは、今の月美ちゃん」
百合はそう言って月美の左手をとり、温かい両手で包み込んだ。
「え・・・?」
月美が見上げた百合の瞳の中には、自分の姿だけが映っていた。
「私、月美ちゃんのことが好き・・・!」
その瞬間、月美は夢と現実の狭間の世界に落っこちた。
自分の名前が「月美」であることは分かるし、「好き」という言葉の意味ももちろん知っている。しかし百合が言ってくれたセリフ全体の意味が理解できなかったのだ。美術館にある、とても美しいが意味はよく分からない不思議なモニュメントを見た時の気分である。
「私、月美ちゃんのことが好きなの・・・!」
「え・・・あ・・・う・・・!」
頭が理解するより先に、月美の体が反応した。まるで体の芯に温泉が湧いたように、ぶわっと全身が熱くなったのだ。
「過去の世界とか、運命とか、そんなの関係ないの。私、今年一生懸命頑張ってた月美ちゃんが好き。今日優しかった月美ちゃんが好き。今、私のそばにいてくれる月美ちゃんが好きなの」
百合はそう言って月美の左手を優しく引き、自分の頬に押し当てた。
「大好き♪」
百合のほっぺは、とっても温かくてすべすべである。
「これ、愛の告白なんだけど、分かって貰えてる?」
この辺りでようやく、月美の精神が事態に追いついた。
(ひゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!)
月美は左手を振り払うことも出来ず、石のように動けなくなった。
(ゆゆ、ゆ、百合さんが私を・・・!!! す、好き!? こ、こんな小学生の私を!? お嬢様感ゼロの、幼い姿の私を!?!?)
月美にとって、百合から愛の告白をされるのは二度目のことである。しかし、去年告白して貰った経験など夢の中の出来事のように遠くに感じられていたし、幼い姿にされてしまった今年の自分が百合と恋愛関係になれるなんて考えてもみなかったから、この衝撃は凄まじかった。
「わ、わたわた、私・・・小学生なんですけどぉ・・・」
「・・・同級生でしょ♪」
告白に対する第一声が、自分に対する拒絶ではなかったこの時点で、百合は涙が出そうなほど嬉しかった。
「月美ちゃんの気持ちも、聞かせて欲しいの」
「き、気持ち・・・!?」
「私と、恋人同士になってくれる・・・?」
「あ・・・う・・・!」
月美はすっかり追い詰められた。百合の気持ちを止められるものは、もう何もない。
百合はベンチの前で中腰になり、さらに月美に顔を寄せた。
「ねえ月美ちゃん。私の恋人に、なってくれる?」
「あ・・・」
「なってくれる・・・?」
「う・・・」
「くれる・・・?」
少しずつ近づいていった二人のおでこが、ちょこんとくっついた。
甘~い声で何度もお願いされた月美は、もうペットの猫ちゃんになったような気分になってしまい、百合に合わせて小さく頷いてしまった。
「うん・・・」
「恋人になってくれる?」
「うん・・・うん・・・」
そのあまりの可愛さに、百合はもう胸がいっぱいになってしまった。
「ありがとう・・・!」
月美にとってはかなりのサプライズであるが、去年告白されたのもクリスマスイブだったことを考慮すれば、百合から何かしらのアクションがあることは予測可能だったというのに、実にポンコツなお嬢様である。
小学生の姿になる、という超過酷な運命に苛まれ、大好きで大好きでしかたない百合との恋愛関係を半ば諦めかけていた悲しいお嬢様は、それでも毎日に絶望せず、他の人を幸せにするキューピッドとして、身を粉にして頑張っているうちに、とうとう百合のハートを射止めたわけである。寂しくって夜中に一人しくしく泣いていた切ない日々も、めでたく昔話となるわけである。
「月美ちゃん♪」
「はっ・・・はい・・・」
本来、月美と百合はここでキスをする運命だったはずである。
しかし、どこかにいるかも知れない恋の神様が、ささやかなイタズラをしてきたのだ。
「月美ぃー! 百合ぃー!」
「えっ!」
「馬車が来たデース! 寮に帰るデース!」
なぜかサンタクロースの格好をしているキャロリンが、なぜかトナカイの格好をしている桃香の手を引いて、機馬車乗り場のほうから駆け寄ってきたのだ。
「帰るデース!」
「うん♪ 二人ともよく似合ってるよ~!」
「銀花もサンタの格好してマース!」
「わー見たい! あっちにいるの?」
「いるデース!」
百合はスイッチの切り替えがとても上手く、たった今ここで愛の告白が行われていたなんて、キャロリンたちには全く悟らせないのだった。
あとほんの少しだけ時間があればチューまでしていたというのに、中断されてしまった。
百合は「愛の告白が上手くいったら、月美ちゃんとキスしたい!」と密かに願っていたので、百合にとってここから先は延長戦みたいなものである。
月美の胸の中に、じわりじわりと、告白された実感が湧いてくるわけである。
(どどど、どうしましょううううううう!!!)
寮のシャワー室で銀花ちゃんと一緒に体をごしごし洗いながら、月美はめちゃめちゃに動揺していた。
(ここ、恋人同士って、どんな風に暮らしたらいいんですの!? 恋人って何ですの!? どうしたらいいんですのぉおおおおおお!!!)
恥ずかしすぎて百合と顔を合わせることが出来ない。
寮に帰った後、晩ご飯を食べたのだが、その時の月美は猫のぬいぐるみのように目を見開いて固まっており、ルネやキャロリンたちとの会話もほとんど覚えていない。頭の中は、百合のことでいっぱいだ。
普段シャワーを浴びている時よりも明らかに顔が赤い月美を、銀花はちょっと不思議そうに見上げていた。
「月美、どうかした?」
「うぇ!? どどど、どうもしてないです! はい!」
割と無表情でいることが多い銀花も、これにはちょっと笑ってしまった。
百合は晩ご飯の片付けがあるので、シャワー室を一緒に使うこともないし、月美は無事にシャワーを済ませた。
(よ、よし・・・百合さんはまだキッチンですわね・・・)
良く考えると恋人同士になった百合を避けようとするのはちょっと意味不明だが、月美は超変人のお嬢様なので、目先の羞恥心に自動的に舵を取られて行動してしまうのだ。実に不自由な生き物である。
さて、ここで一つちょっとした事件が起こる。
「え、今から!?」
玄関前の廊下にはレトロな電話機があり、島にあるほとんど全ての寮と連絡が取れるようになっている。これからシャワーを浴びようとしていたルネが、その電話機で誰かでしゃべっているようだ。
「・・・ちょっとローザ会長。私たちもうご飯食べましたし、初等部の子たちはシャワーも浴びちゃいましたよ」
『まあまあそう言わないでよ。私今日アテナさんにフラれたのよぉ? なぐさめパーティーしましょうよ~』
「キキミミ姉妹がいるでしょ」
『この子たちも可愛いんだけど謎かけばっかりで疲れるのよぉ。初等部の皆の温もりが必要だわ。まだ19時半だし、いいじゃな~い』
「ええー・・・」
『来てくれないと私、泣いちゃう~♪』
「どうぞご自由に」
『ふえ~ん』
愉快な生徒会長である。
(えー、どうしよ・・・)
ルネは考えた。
ストラーシャ学区にあるローザ会長行きつけのカフェが、消灯時間ギリギリまで営業しているらしく、そこが集合場所になるらしい。もし、キャロリンたちが「クリスマスイブの夜更かしを楽しみたい!」と希望するならば、年に一度のイベントの日なので、叶えてあげたい気持ちもある。暖房をしっかり効かせた機馬車で移動するという条件付きならば、この話を呑んであげないこともないのだ。
「ねえ皆、ローザ会長がこれからパーティーしたいみたいだけど、どうする?」
「ローザ!? もちろん行くデース!!」
キャロリンが上半身裸のまま廊下に顔を出して答えた。キャロリンだけでなく、桃香や銀花もちょっぴり乗り気である。シャワー上がりに外出するのは風邪を引くおそれがあるのだが、南極の探検隊みたいな格好をすれば問題ないかも知れない。
「じゃあ、皆で行こうか」
ルネはそう言って電話機に向かった。
「あ、ちょっと待ってくださるっ?」
しかし、月美はこのチャンスを逃さなかった。
「わ、私ちょっと、熱っぽいんですの」
「え! それはまずいわっ」
月美の顔が赤いことを気にしていた銀花が、更衣室の隅っこで一人、納得した。
「あ、でも、皆さんは気にせず行ってきて下さい。一晩寝たら直ると思いますわ」
「月美を置いていけないわよ・・・」
「大丈夫ですわ。皆さんで行ってきて下さい。百合さんももちろん一緒に♪」
「そ、そう・・・?」
「はい!」
このようにして、月美は安息の時間を得ることができたのである。少しのあいだ百合から離れ、一晩冷静にこの状況を整理し、恋人として百合とどう接すればいいか、そしてクールなお嬢様というキャラクターを今後も維持していくためには何を心掛ければいいかなどを真剣に考えたいのだ。
(よ、よし・・・皆さん行きましたわね)
ルネたちの乗った機馬車の影が、ロータリーのイルミネーションの前を横切って海岸沿いの大通りへ出て行った。
初等部部屋の暖房が効いてくるより先に、月美はさっさと布団に潜ることにした。仮病を使っているので、ダイニングのソファーでくつろいでいたらまずいのだ。
激動の一日を駆け抜けた両足から、心地よい疲労感がじんわりと布団の温もりに溶けだしていく。
百合から告白されたことが夢の中の出来事のようにも感じられたが、あの時の百合の頬の温もりや、優しく耳を撫でる彼女の声色のひとつひとつを体が覚えているので、おそらく現実である。
(ひゃああああああ!!! 告白されちゃいましたわぁああ!!!!)
月美は小さな両手で顔を隠しながら転げ回った。
(うん・・・うん・・・とか言っちゃいましたわぁあああああ!!!! 恥ずかしいですわああああああ!!!)
こういうのは後になってから恥ずかしさが湧き上がってくるものである。
(うー・・・余計なことを考えてる場合じゃないですわ・・・。これから恋人同士としてどうやって暮らしていくか考えないといけませんわね・・・)
幸せな悩みであるが、大問題でもある。
月美は二段ベッドの下段で寝ているので、仰向けになると上段の底板の木目が見える。12月になってからのこの部屋の間接照明は、高さ1メートル程の小振りなクリスマスツリーであり、レモン色に光る電球が優しく照らすベッドの底板は、ライトアップされた観光地のお寺の回廊のように見えて幻想的であり、見てるだけでちょっぴりリラックスできる。初めはガチガチに張りつめた表情で考え事をしていた月美も、今日一日の疲れがふわっと頭の中を軽くしていき、やがて優しい眠りの世界に落ちていったのである。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
パーティーには行かず留守番すると決めた百合が、お皿洗いを終えてから一人でシャワーを浴び、寝る準備を済ませて初等部部屋に入ってくるまでの間だから、おそらく40分後くらいの出来事だろう。
月美はその気配を事前に感じ取ることが出来ず、百合がベッドにも潜り込んできてようやく目を覚ましたのだ。
「つーきみちゃん♪」
一瞬、月美はそれが夢なのか現実なのか分からなかった。
「ひ、ひいいいいい!!」
月美は飛び起きたが、逃げることは出来なかった。
なぜなら、百合は添い寝をすると見せかけて、体の半分くらいを月美に密着させて軽く覆いかぶさっていたからだ。
「な、な、なんで百合さんがいますのぉお・・・!?」
「風邪っぽいっていうから私だけ残ってあげたの♪ どれどれ、お熱測ろうね」
百合は月美が仮病を使っていることなど見抜いているから、真面目に体温を測る気などない。彼女は自分のおでこを月美のおでこにピタッとつけたのだ。
「あっ・・・う・・・!」
「んー、ちょっと熱っぽいかなぁ?」
月美はもう、声が出せなかった。
(ゆ、百合さんの・・・百合さんのお胸がぁああ・・・!)
百合という美少女の魅力が外見のみでないことは月美が一番よく知っているわけだが、百合のおっぱいが自分の体に押し当てられた時の衝撃は、もう頭がくらくらしてしまうほどである。パジャマ越しに感じる温もりと柔らかさだけで、月美はゾクゾクが止まらなくなってしまった。
「ねえ、さっきの続き、しよ♪」
「あっ、ちょっとっ!! う・・・!」
百合は月美の耳元に唇を寄せ、月美の小さな体をぎゅうぅ~っと抱きしめたのだ。
「ひゃっ・・・うっ・・・あ・・・!」
月美のクールなお嬢様魂は、風船の中の空気のように、吐息に混じってどんどん逃げていく。そして百合の腕の中に残るのは、恋に従順で等身大のハートを持つ素直な乙女月美ちゃん、というわけである。
(ま、まずいですわぁああああああ!!!)
百合のラブラブ攻撃を浴び、月美の理性は風前の灯だ。
「月美ちゃん大好き・・・大好きだよ・・・」
夕日が見える丘では、少し離れた場所に仲間たちがいたので遠慮しながらの告白となったのだが、今はもう周りの目を気にしなくていいから、百合は思う存分、自分の愛を月美にぶつけていく。
「もう少し、温かいの、してあげるね・・・♪」
「あっ・・・な、なに・・・?」
百合はずっとずっと月美を抱きしめたいという気持ちを我慢してきたし、アヤギメの露天風呂でちょっぴり感じた月美の素肌をもう一度味わいたいと願っていた。今後、月美と百合が二人きりになれるタイミングがどれくらいの頻度であるか不明なので、今日のようなチャンスにしっかり夢を叶えていきたいと百合は思ったわけである。
「よいしょ♪ これ、どうしよっかな。ぽい♪」
「えっ・・・」
小さなクリスマスツリーの明かりではほとんど分からなかったのだが、もぞもぞと動いていた百合は、パジャマの上だけを脱いでいたのだ。
「これ、どう?」
「あっ・・・ちょっと何・・・ひゃああっ!」
なんと百合は、月美が着ていた冬用のもこもこネグリジェをはだけさせ、素肌と素肌が密着するように、再び月美を抱きしめたのだ。
(こここ、こ、これは、ダメですわぁああああああああああ!!!)
この一言が、月美の理性が今夜心の中で発言した最後のセリフとなった。
うっとりするほどすべすべで柔らかく、あったか~い百合の素肌の感触が、月美の小さな体を容赦なく包み込む。そして最高に優しくって、甘くって、いい~香りが、月美の体の芯をじんじんと刺激した。自分の心臓の鼓動が耳の奥でバックンバックンと響き、体中がゾクゾクゾクゾクとして、百合の心と体に向かって勝手に自分の体が吸い付くように感じられた。
特に、月美の理性にとどめを刺したのは百合の胸の感触である。
中身は高校生だが体は完全に小学生である月美にとって、百合の胸はあまりにもおっきく、もっちもちであり、二人のどちらかがほんの少し動くだけでその滑らかな温もりが、月美の小さな胸の上をふわっと滑ったり、ぽよんと弾んだり、むにゅ~っとくっついたりして、月美の理性はおろか、フィジカルな部分まで限界を迎えてしまいそうである。こんなに優しくって癒されるものがあるなんて、月美は全く知らなかったわけである。
高校生の百合にこのような形で抱きしめられると、その体重差のせいで月美は身動きが取れないわけだが、それが逆に、「自分は動かなくていい」、「全てを百合さんに任せればいい」、という安心感を生んでいるようだった。月美はもう百合お姉様のされるがままといった感じであるが、今日まで物語の先頭に立って行動してきた頑張り屋の月美にとって、百合の腕の中は、涙が出てくるほど愛おしい、心休まる天国だったのである。
一方の百合も、自分の胸いっぱいに、愛おしさが溢れていくのを感じていた。
「大好き・・・月美ちゃん大好き・・・大好き・・・」
耳元で囁くたびに体をビクッとさせる月美が可愛くて、百合はぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう月美を抱きしめた。
今年の春に初めて会ってから9か月間、自分たちが恋仲だったことをずっと言い出せずにいた恥ずかしがり屋の月美を、百合は本当に本当に愛おしく思った。風が吹くグランドでも、真夏の浜辺でも、ハロウィンパーティーでも、雪の街でも・・・いつだって月美は百合のことが大好きだったのに、やってきたことと言えば、人助けばかりである。なんていじらしい乙女だろうか。
(月美ちゃん・・・私絶対、あなたを幸せにするね・・・)
この不器用で心優しいお嬢様を、ずっと守っていこうと、百合は思ったのだった。
「わ、私も・・・す・・・好き・・・」
やがて、子猫が鳴くような声で、とうとう月美の本音がこぼれたのである。
「・・・もっと言って」
「わ、わた・・・うぅ・・・!」
「もっと言って、月美ちゃん。もっと・・・」
「す、好き・・・はわぁっ・・・!」
二人は本当に、本当に幸せな気持ちになった。
「もっと・・・もっと言って・・・月美ちゃん・・・!」
百合は月美の耳元にキスをした。
そして首筋やほっぺに何度も何度も小さなチューをしていったのである。
「す、好き・・・です・・・」
「私も、好き・・・大好き・・・!」
ここでついに二人は、キスをしたのである。
(はわぁああ~・・・)
ポンコツお嬢様月美の心と体は、残念ながらもう限界である。百合と唇を重ねた瞬間に、月美は完全に目を回してしまったのだった。
「あれ、月美ちゃん・・・?」
「・・・うにゅぅ・・・・・・」
「え・・・・・・フフッ♪」
百合は嬉し涙を拭いながら笑い、布団を被り直して、月美をもう一度ぎゅうう~っと抱きしめたのだった。
これだけしっかり布団に潜っておけば、キャロリンたちが帰ってきても、百合はただ月美の看病のための添い寝をしているだけに見えるわけである。
月美の正体が高校生であることは、いつか仲間たちには明かすことになるだろうが、それまでは高校生のお姉様と、小学生の女の子という関係なので、愛し合う仲であることは絶対にヒミツ、というわけである。
「来年も、再来年も・・・ずーっと愛してるよ。月美ちゃん♪」
月明かりの窓辺にイルミネーションが踊る、幸せなクリスマスイブの夜がこうして更けていったのだった。
ちょっぴり年の離れたキューピッドたちの恋の物語が、ここでめでたく、一つの幕を下ろすことなる。
気を失った月美が次に目覚めた時、どんな朝が待っているか、どんな毎日が始まるのか、それは誰にも分からないわけだが、大切なものはきっと、永遠に変わらず乙女たちの胸の中で輝き続けるはずである。どんな大雨が降っても、吹雪に見舞われても、最後には必ず、雲間から暖かい太陽が顔を覗かせるように。
第二章はここで完結です!
長い小説なのに、ここまで読んで下さって本当にありがとうございます!
第三章も頑張って執筆していきますので、よろしければ、この後もお付き合いくださいね*