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82、夢の行方

 

 巨大な格子窓の向こうに、午前の青空が広がっている。


 上部がアーチ型に装飾されたその窓は、高さが6メートルほどもあり、会場の二面を覆い尽くすようにたくさん並んでいるから、演説会の始まりを待つ少女たちは、まるで屋外にいるような晴れやかな気分である。



『学区関係なく端からご着席下さ~い。お菓子はご自由にお召し上がりくださ~い』


 放送部の生徒の案内で、会場には続々と生徒が集まっていった。


 選挙演説会まではまだ30分以上あるので、少女たちはたくさん並んだ長テーブルの席に自由に腰かけ、賑やかに談笑している。マーメイドとキャプテンが選出されるのは数年に一度のビッグイベントであるから、会場はちょっとしたお祭り騒ぎだ。


 この選挙の主役であるローザとアテナは、早くも会場入りして他の生徒と同じように席につき、ティータイムを楽しんでいる。


「すごい盛り上がりねえ、アテナさぁん♪」

 真っ赤なドレスに身を包んだローザは、アテナの正面に腰かけてホットミルクティーを味わっていた。

「キキ、ミミ。二階席の生徒たちもお菓子を楽しめるようになってるのかしら?」

「はい、大丈夫なの」

「マドレーヌとフィナンシェが食べ放題なの」

 ローザの付き人であるキキとミミは、二人でお揃いの黒いドレスを着ている。

「マドレーヌ? あら羨ましい。後で私たちも二階席にお邪魔しましょ♪」

 ローザの周りには、キキミミ姉妹の他にも、選挙実行委員の高等部の生徒たちがいる。彼女たちは皆で乾杯したり写真を撮ったりして、キャプテンの座に就任するローザへの前祝いをしているかのようなムードだ。


(まだ投票が始まってもいないのに。ローザ会長ったら気が早いわ・・・)

 アテナはお菓子に手を付ける気になれず、静かな眼差しでテーブルの木目を見つめていた。足元が少し寒い。


 ローザが前祝いをしたくなるのも無理はなかった。

 この選挙にはライバルがおらず、アテナとローザがそれぞれマーメイドとキャプテンに就任する事はほとんど確定事項なのだ。

 そもそも、マーメイドとキャプテンは学園の歴史に残るほど優れた少女に与えられる役職だし、ペアになって立候補しなければならないという伝統も大きなハードルとなり、立候補する者は滅多に現れないのだ。


「ほとんど全校生徒が来てるんじゃない? 私とアテナさんへの注目度は凄まじいわね♪」


 ローザの声に、アテナは顔を上げた。

(翼さんも・・・来てくれてるかしら・・・)

 アテナは背筋せすじを伸ばしたまま、ほんの少しだけ首を回し、会場を見渡した。


 会場はビドゥ、ストラーシャ、アヤギメの3学区の少女が入り乱れているため、とても華やかだった。この3色の制服たちの中に、翼がいるのだろうか。

(いけない・・・なんで翼さんのこと考えてるのかしら・・・)

 アテナは寂し気な眼差しを再びテーブルに向けた。ちなみに、アテナのドレスは真珠のようなつややかな白色である。




 下駄で雪道を踏みしめて歩く浄令院千夜子は、白衣姿にサンタクロースの帽子を被った変人のお姉さんと一緒に会場に向かっている。

「なあ千夜子ちゃん、港にも人が集まっとるけど、あれ何なん?」

 サンタ帽子の先端に鈴が付いているので、先生が歩く度にシャンシャンと音が鳴った。

「舞鶴先生ご存知ないのですか? 見送りですよ。翼さんの」

「翼ちゃんどっか行くん?」

「空港です」

「空港?」

「ニュージーランドへ行くんですよ。もうすぐイカロス競技会ですから」

「何なん、それ?」

「簡単に言えば、どこまで飛べるかを競う大会です」

「あれまぁ、そりゃ楽しみやわぁ♪ 機長は素人なん?」

「先生・・・飛行機は普通に飛びますよ」

「千夜子ちゃん、よう見ると肌綺麗やなぁ♪」

「それは・・・どうも・・・」

 千夜子は正直、舞鶴先生がちょっと苦手である。つかみどころがなく、いつもふわふわしているくせに妙に頭が良いので、ちょっと不気味なのだ。

「うちら、似た者同士やなぁ♪」

「そんな事はないと思います・・・」

「あ、鹿おるやん♪ あん中に煎餅入ってんでぇ♪」

「煎餅・・・?」

 しゃべっているととても疲れる。




 一方、月美と百合は、ビドゥの坂道を息を切らせて駆け上がっていた。

「百合さん、今何時ですの!?」

「11時・・・50分!」

「あと25分ですわ・・・!」

 図書館前の花壇を通り抜け、小さな森林公園の階段を駆け上がり、去年自分が暮らしていた寮の横を駆け抜けた月美は、選挙演説の会場となっている舞踏館の屋根を見つけた。屋根には、今朝まで降っていた雪が積もっており、百合の花のような純白できらきらと輝いていた。


 つい先程、月美と百合は、とある作戦を実行してきたのだ。


 翼が旅立つフェリーは12時丁度にビドゥ港を出発し、東京湾へ向かう予定だったのだが、「どうしても搭乗したい生徒がもう一人いる」と直接お願いしに行って、出発時刻を15分だけ遅らせてもらったのである。本当は30分くらい待ってもらいたかったのだが、フェリーを操縦するお姉さんがまだ新人だったため、長時間遅れるとクビになる恐れがあったから、15分が限界だった。


「アテナさん、マーメイドを諦めて、翼さんを選んでくれるかな」

「きっと大丈夫ですわ。無理矢理連れていってもフェリーに乗ってくれるはずがないですから、なんとかして、アテナさんの本当の気持ちを引き出さないといけませんわね・・・」


 月美たちは昨日まで何度もアテナを説得してきたわけだが、選挙当日の今日も挑戦するつもりなのである。午前中のアテナが全然隙を見せなかったため、出港の直前に説得する事になってしまったが、フェリーの出発時間という切っ掛けがあればアテナも行動しやすいかも知れないし、悪い事ばかりではない。

 が、とにかく急がなければならない。

「月美ちゃーん! 寒くないー!?」

「いや、わたくし暑いですわ!」

「私もー!」

 クリスマスイブの北風を跳ね返す熱量が、少女たちの青春にはある。




 フェリーの周りに、ウミネコたちが集まっている。


 いつもの機馬に乗ってフェリー乗り場に到着した翼は、機馬を自動運転にしてストラーシャ学区の作業場に帰らせ、一人でフェリーに乗り込んだ。イカロス選手権で使う機馬は、一足早くニュージーランドに輸送済みなのだ。

(三日月島とも、しばらくお別れか・・・)

 翼がそんな風に思いながらフェリーのデッキに出ると、翼のファンたちが歓声を上げた。大事な選挙の日にわざわざ港まで来てくれる子たちがいて翼は嬉しいが、まもなくマーメイドになるアテナさんの晴れ舞台を祝うためにも、そろそろ会場に行ってあげて欲しいなぁと思った。

(アテナさん・・・)

 翼は首のマフラーを巻き直しながら、丘の上の舞踏館を遠い目で見つめた。

(アテナさん・・・あなたは今日、ついに幸せを掴むんだね・・・)

 そんな風に思いながら、翼はそっと微笑んだ。

 しかしその笑みには、砂に埋もれたガラスの欠片のような乾いた輝きが浮かんでおり、秋の昼間に見かける白い月のように寂し気だった。

(なんだろう・・・この気持ち・・・。もうやり残した事なんて無いはずなのに・・・)

 翼がそっと目を伏せると、正午を知らせる鐘の音がビドゥ港に響き始めた。




「あら、12時ね♪ そろそろ演説の時間だわ♪」

 ローザの声に、アテナは顔を上げた。

 選挙演説は、自分がマーメイドやキャプテンに就任したらどんな事をしたいか、学園の伝統をどう守っていくかなどを、アテナたちが持つ話術と頭脳で自由に表現する場であり、信任投票の賛成数に大きく影響する大舞台である。

 会場は既に満員であり、みんな演説を楽しみにしている様子だが、ちょっとしたスイーツフェスタみたいな派手な盛り上がり方をしているので、演説を始める前に着席を促す必要があるだろう。生徒会長のローザ自身が派手な性格だから、イベントがこのように賑やかになるのは必然かも知れない。


「まずは私が先ね♪」

「私も一緒に舞台裏へいきます」

「別にアテナさんはここにいていいわ。お茶飲んでて♪」

 そう言ってローザは席を立ち、赤いドレスのすそをふわっと翻してステージへ向かった。


 が、そこで事件が起こる。

 放送部の少女が、可愛い三つ編みを揺らしてローザに駆け寄ってきたのだ。

「ローザ会長、大変です!! 演説に使うマイクが一つもありません!」

「え、マイクが?」

「はい! ついさっき司会席で使ってたマイクも無くなってるんです!」

「な、なによそれ・・・」

 地味な嫌がらせであるが、効果は大きい。



 マイク泥棒の犯人はその時、二階席の通路にいた。


「ローザ、悪いけど選挙演説会は少し遅らせてもらうわよ」

 腰のポーチに5本のマイクを差して、ルネは額の汗をハンカチで拭った。

「ルネ! ステージの照明の電源も引っこ抜いてきたデース!」

「ありがとう! さすがキャロリンね!」

 ルネとキャロリンは、抜群の行動力を活かして、時間稼ぎ作戦を進めていたのだ。

「さあ百合たち。早く来て。皆でアテナさんを説得しましょう。これが最後のチャンスよ・・・!」

 ステンドグラスに描かれた大きな林檎の中の透明な部分から、舞踏館の外の馬車道を見下ろし、ルネは月美たちの到着を待った。



 しかし、ローザ会長は頭が良いので、会場の異変の原因をすぐに察するのである。

(まさか、アテナさんを奪いにきたのかしら・・・)

 会場の生徒たちのほとんどはまだ何も気づいていないが、大事おおごとになりそうな予感である。

(主犯は多分、翼さんね。まったく、空気が読めない人だわ。私とアテナさんの門出を邪魔するなんて)

 権力欲に従順なローザは意地でもキャプテンに就任したいので、こんなところでアテナを手放すわけにはいかないのである。


「キキ、ミミ! ここにいる実行委員の子たちと協力して警備を固めてちょうだい。アテナさんに誰も近づけないで」

「分かったの」

「それから、奪われたマイクで館内放送できないようにスピーカーの電源を切っておいて。多分、初等部寮の子たちの陰謀よ」

 ローザはアテナには目もくれず、選挙演説を始めるために壇上へ向かった。予備のマイクがどこかに残っているかも知れないのだ。



 自分を巡ってちょっとした事件が起きているので、アテナは少々動揺したが、少し冷めた紅茶を一口飲んで気持ちを落ち着けた。

(翼さん本人はこんな大胆な事できないから、ローザ会長が言う通り、多分月美さんたちの仕業ね・・・)


 月美という小学生は、信じられないくらい頭が良く、勘が鋭い。そしていつも月美の隣にいるハイパー美少女の百合が、月美の事を100%信頼して全力で協力するから、学園の重要な出来事には大抵この二人が大きな影響を及ぼすのだ。お陰で、今年は全ての生徒にとって非常に楽しい一年になった。


 しかし、アテナがテーブル席に腰かけたままいくら待っていても何も起こらない。キキミミ姉妹と実行委員の生徒たちが、上手いこと月美たちを足止めし、アテナへの接近を阻止しているのだ。


(私はとにかく・・・演説のことだけ考えましょう・・・)

 アテナはそう自分に言い聞かせ、精神を集中させるために、そっと目を閉じた。



 アテナは、マーメイドになれなかった叔母の夢を受け継ぎ、三日月女学園へ来た。

 そして長く苦しい自己研鑽の果てに、この日を迎えたのである。

(叔母様・・・ついに私は、マーメイドになりますよ)


 目を閉じていると、遠いイギリスの故郷の風景が瞼の裏に浮かんでくる。


 光る風が髪を撫でる午後、アテナと叔母は、高台に建つ家の裏手から、広大な果樹園の丘と、その遥か向こうに佇む小さな古城を眺めた。その時叔母は「美しく生きなさい」という、アテナの人生の最大の指針となる教えをくれたのである。

 それからのアテナは、叔母からの教えを全て忠実に実践し、いつしか完璧な少女に成長した。友人はほとんどいないが、孤高の美少女として全校生徒から尊敬されるようになったのだ。


(ついに、叔母様の夢が叶うのね・・・)

 叔母の美しい横顔が、ティーカップの中に浮かんだ。


(叔母様の夢・・・)

 会場のざわめきが、もうアテナの耳には入らない。


(私って・・・私の夢じゃなくて、叔母様の夢を叶えようとしてるのかしら・・・)

 これは、この半年余りの間に何度か頭の中をよぎっていた疑問である。

(・・・いけない。何を考えているのかしら。私の夢は、叔母様の夢と同じなのよ・・・マーメイドになることだわ)


 アテナがそんな風に自分に言い聞かせながら顔を上げると、賑やかな会場の一番隅の長テーブル付近で、小学生の桃香ちゃんがキキミミ姉妹に止められているのが見えた。

「ア、アテナ様にお話しがあるんです・・・!」

「それはダメなの」

「選挙が終わってからにして欲しいの」

「それじゃ遅いんですぅ・・・!」


 アテナは危うく席を立って桃香に駆け寄ってしまいたくなったが、会場の生徒たちに気付かれると騒ぎになり、演説会の開始がますます遅れそうなので我慢した。

(私がマーメイドに就任する前に説得しようとしてるのね・・・)

 あの内気な桃香が、自分のために勇気を出して戦っている様子は、アテナの胸を打った。

(私は・・・マーメイドになるって約束したんだから・・・ダメなのよ・・・ごめんなさい・・・桃香さん・・・)


 仲間たちの熱い想いに照らされ、アテナの心の中の暗闇に、少しずつ光が差していく。


(私だって・・・私だって本当は・・・)

 覗き込んだティーカップに、悲し気な自分の顔を映る。


(・・・私だって本当は・・・翼さんと一緒に、自由に暮らしたいわよ・・・)

 アテナはティーカップを両手できゅっと握りしめた。


(でもそれじゃあダメなの・・・! 私は・・・私はマーメイドになりますって約束したんだから・・・!)

 アテナは自分の表情を見られたくなくて俯き、目を閉じた。


(どうしてこんなに悲しいの・・・!? どうして私は最近、ずっと胸が苦しいの・・・!? 私はマーメイドになれれば幸せじゃなかったの!?)

 熱くなった目頭から、ついに涙がこぼれ始めた。


(私は・・・どうすればいいの・・・?)

 アテナはずっと硬派なお嬢様として気丈に生きてきたから、涙の拭い方を知らなかった。自分の手の甲に落ちた熱い雫を人に見られたくなくて、アテナはますます俯き、美しいブロンドヘアーのカーテンをテーブルに垂らした。



 アテナが、自分のすぐ横に不思議な気配を感じたのは、その時である。


 涙に濡れた顔を上げると、小学2年生の銀花が、そこに立っていたのだ。


「え・・・?」

 意外な人物だったのでアテナは言葉を失い、吸い込まれるような銀花の瞳に見入ってしまった。銀花は体が小さいため、キキミミ姉妹や実行委員の生徒たちが作ったガードを突破できてしまったのだ。


「アテナ」

「・・・な、なに?」

「翼が待ってる」

「・・・翼さんが?」

 アテナはまるで、教会のベンチに現れた天使と話しているような、不思議な気分になった。

「でも私・・・翼さんじゃなくて、マーメイドになる事を選んでしまったの。今更あの人に、会いに行けないわ・・・」

「まだ間に合う」

 周囲の生徒たちは実行委員たちの小競り合いに気を取られており、アテナと銀花の会話を聞いている者はいなかった。ここだけが、まるで別の世界であるかのような雰囲気である。

「銀花さん私・・・幸せが何なのか、分からなくなってしまったの・・・」

「え?」

 アテナは思わず、銀花に弱音をこぼした。

「・・・銀花さんは今、幸せ?」

「うん」

「それは、どうして・・・?」

「月美たちが、家族みたいにしてくれるから」

「家族・・・」

 家族と聞いてアテナが真っ先に思い浮かべたのは叔母である。

「確かに、家族は良いものよね・・・」

「うん」

「私の家族はいつも、私の人生の目標になってくれますもの」

 アテナがほとんど無意識にそう言うと、銀花はちょっとだけ違う言葉を返した。


「月美たちはいつも、私の幸せ、考えてくれてる」

「え・・・?」

「たぶん、アテナの家族も、アテナが幸せになって欲しいって思ってる」

 どこまでも無垢な天使の瞳に見つめられたまま、アテナは再び言葉を失った。



 アテナは肝心なことに気付いていなかったのだ。


 アテナの叔母は確かに、アテナがマーメイドになることを心から応援している。20代になった今も、ロンドンから毎月のように手紙を送り、アテナを気に掛けているのだ。


 しかし、それは全て、アテナの幸せを願っているからなのだ。


 自分の本当の望みに鍵を掛け、涙に濡れたドレスでマーメイドに就任するのは、アテナ本人がつらいのみならず、叔母にとっても悲しい結末なのである。



「アテナ様ぁー!」

「え・・・月美さん・・・?」

 我に返ったアテナが振り返ると、キキとミミに両腕をぎゅっと抱きしめられた月美が、会場の入り口で叫んでいた。

「アテナ様ぁ! あと6分で、翼さんの乗ったフェリーが出港しますわ!」

「え?」

 アテナはこの時、月美が何を言っているのか、理解できなかった。

「翼さんの乗った・・・フェリー?」

 困惑するアテナの様子を見た銀花は、そっとアテナに歩み寄り、彼女の肩の辺りに指先でちょんと触れた。

「アテナ」

「な、なぁに?」

「翼は、なんとかランドに出発するの」

「・・・ニュージーランドへ行くのは知っているわ。でもそれは、明日のはずでしょう?」

「今日」

「今日なの!?」

「もうフェリーに乗ってる」


 アテナはここでようやく、翼の気遣いに気付いた。

 選挙に集中してもらうため、アテナに内緒にしたままこっそり出発しようとしていたのだ。

(翼さんと・・・会えなくなる・・・私は翼さんに会いたいわ・・・!!!)

 この瞬間が、アテナの人生の大きな分岐点になったのである。


 アテナは席を立って振り返ると、幼い銀花の体をぎゅっと抱きしめた。

「ありがとう銀花さん。あなた、天使みたいだったわよ」

「あ・・・」

 銀花は自分がとても重要な役割を果たしたと気づいていないので、突然お礼を言われて困惑した。そしてアテナの髪の香りや、柔らかくて優しい女の人の感触に、人知れずドキドキして頬を染めた。


 アテナは、ステージの上でアテナと銀花のやり取りをポカンとした顔で見ていたローザに、ちょっぴり言葉を選んでから、別れの挨拶をした。

「ローザ会長ごめんなさい! 私、マーメイドになることより大切な望みがあるのを思い出したの」

「ちょ、ちょっと! アテナさん!?」

「あなたを本当に愛してくれる人は、きっと見つかると思うわ。本当に、本当にごめんなさい」

「ちょっと、いやん! アテナさぁん!」


 会場にいる生徒たちは、ようやく何が起きているか理解したようで、初めのうちは「どういうこと!?」「アテナ様はどうしちゃったの!?」と慌てていたが、「もしかして、翼様のところへ行くんじゃない!?」という誰かの一言が、生徒たちの乙女心に火を点けた。会場のざわめきが歓声に変わるまで、そう長い時間は掛からなかったのである。


 急転した会場の様子に呆気に取られているキキミミ姉妹の腕から逃れた月美は、すぐにアテナに駆け寄った。

「アテナ様! 信じてましたわ!」

「・・・ありがとう、月美さん。お世話を掛けたわね」

「いいんです。さっそく行きますわよ!」

 二人は降り注ぐ声援の中、会場の長机の間を駆け出した。

「ね、ねえ。翼さんは、私が来るのを待っているわけではないんでしょう?」

「えーと、アテナ様が行くとは伝えてませんわ。フェリーの出発が何かの理由でちょっと遅れてるだけだと思ってるはずです。でも、あなたを絶対受け入れてくれますわよ」

「だといいけれど・・・」

「絶対大丈夫ですわよ」

「月美さんは、どうしていつもそんなに自信があるの?」

「え、まあ・・・二度目だからですわよ」

「え・・・?」

「と、とにかく、百合さんが機馬車を用意してくれてます! 近道をすれば、ギリギリ間に合うと思いますわ!」

「・・・本当にありがとう。月美さんたちには、後でちゃんとお礼をするわ」

「いいんですわよそんなの」

 会場を出る直前、月美は通路に掛けられた時計を見た。

「あと4分ですわ・・・!」




 会場の生徒たちは、アテナの恋の行方を見守るために一斉に外へ出ていってしまった。


「マーメイドに逃げられたお気持ちをお聞かせ下さい♪ ローザ会長」

 演台に両手をついてガクッとうなだれていたローザの頬に、マイクをぷにっと押し当てたのは、初等部寮に住む高等部2年生で、絵がとっても上手なルネである。

「・・・何よあなた。いつからいたの」

「心配して来てあげたんだから、感謝しなさいよ♪」

「余計なお世話よ・・・」

「素直じゃないんだから」

 二人はステージの演台から、静かな窓明かりに包まれた広い舞踏館を見渡した。

「私って、何がいけなかったのかしら・・・」

「全部よ。態度が悪いし調子に乗ってるし無礼だし、人の気持ちは考えないし卑怯者だし、アテナ様に迷惑掛けっぱなしの極悪人だし、ちょっと美人なだけで、自分で思ってるより賢くないし、とにかく最悪よ」

「・・・ルネさん、慰めるつもりある?」

「ないわよ。ちょっとローザの様子が気になってここに残ってあげただけだもん」

 ローザもルネも、素直じゃない性格は一緒かも知れない。

「でも・・・」


 ルネはローザの背中にそっと触れて微笑んだ。


「ローザはよく頑張ったわ」

「え・・・」


 ローザはなぜか、耳がとても熱くなった。


「それは・・・・・・ありがとう・・・」

「どういたしまして♪」


 二人はしばらく寄り添ったまま、何も言わず、穏やかな時間に心を預けた。


 嵐のように生き、会う度に火花を散らしていたローザとルネは、意外な事に、優しい12月の窓明かりの中では、言葉を交わさずとも互いの心の温もりを分け合えるような、お似合いの二人組になっていたのである。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] もうなんか胸熱で尊くて素晴らしいです… 涙出てきます〜…続きめっちゃ気になる!!
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