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81、暖炉の光

 

 寮の窓明かりが、雪化粧の夜道を金色に焦がしている。


 月の光は厚い冬雲に覆われており、クリスマス間近の木枯らしが雪を巻き上げながら、ストラーシャ学区の路地を吹き抜けていた。



 波しぶきも凍りつきそうな季節だが、寮の中は少女たちの温もりでいっぱいである。暖炉にくべられたたきぎの香りと和やかなクリスマスソングが弾む夜は、身も心もポカポカするのだ。


「銀花ちゃん、眠っちゃったね♪」

「そ、そうですわね・・・」


 月美と百合と銀花の三人は、初等部寮の一階のダイニングで、寝る前のひと時を過ごしていたのだが、幼い銀花ちゃんが月美の腕の中でスヤスヤと眠りだしたことで、部屋は一気に不思議なドキドキに包まれる。


「こんなところで寝ちゃって・・・寝室まで運ぶの大変ですわよ」

「後で私がそーっと運んであげる♪」

「お願いしますわ。わたくしじゃ持ち上がりません」


 ちなみに、他の初等部メンバーやルネは既に寝室で寝ている。明日はマーメイドとキャプテンを決める選挙や、ニュージーランドに旅立つ翼先輩の見送りがあるので、早めに就寝したのだ。月美と百合もそろそろ寝るつもりである。


「ふふっ♪ そうやって銀花ちゃん抱っこしてると、姉妹みたいに見えるよ」

「・・・姉妹じゃないですわ」


 小学二年生の銀花ちゃんの寝顔は、静かな暖炉の明かりにほんのり照らされており、サラサラな黒髪には夕焼け色の光のリングが揺れている。 彼女のおでこに掛かった髪を、月美は指先で優しく横に流してあげた。小さい子との触れ合いというものを、月美は今年になるまで全然経験していなかったわけだが、今ではすっかり慣れたものである。


「姉妹と言えば・・・百合さん知ってます? わたくしと百合さんが、まるで姉妹みたいだって、巷では言われてますのよ」

「知ってる~。いつも一緒にいるからねぇ!」

「なんで嬉しそうですの・・・?」

「私一人っ子だからさ♪ 妹が出来て嬉しいよ」

「妹じゃないですわ・・・。同級生です」

「見た目は小学生だもん。しょうがないよ♪」

 こういう話は、銀花ちゃんを起こさないよう小声で話さなければならない。

「でもさ、もう小学生扱いされるのにも慣れたんじゃない?」

「慣れるわけないですわ・・・。わたくし、ただの高校生じゃなくて、クールなお嬢様高校生なんですから」

「そうかな?」

「そうですわよ・・・」

「フフッ♪」

 銀花ちゃんを優しく抱っこして頭を撫でたりしながら「クールな女子高生でーす」などと言っても少々説得力に欠ける。


 百合はホットココアのマグカップを持って、月美たちがいるソファーに一緒に腰かけた。

「うっ!」

 百合に密着されると月美の顔色は暖炉の火みたいになってしまうので、月美はピサの斜塔のようにすこーしだけ体を斜めに倒して逃げた。が、そんな月美の様子が面白くて、百合はさらに月美に肩を寄せるのである。


「ねえ」

「な、なんですの・・・?」

「今年、月美ちゃんは本当によく頑張ったね」

「どうしましたの急に・・・」

「いや、もう12月23日だからさ、しみじみしちゃうよ」


 こんな静かな夜には、思い出が降り積もる。

 温かい銀花ちゃんを抱きしめながら、月美は今年の出来事を振り返ってみた。

 たくさんの仲間たちに囲まれ、互いに成長できた一年だったが、何よりも百合が自分の事を完全に信頼してくれたことを、月美は有難く思っている。自分が高校生である事を百合が信じてくれなかったら、月美はこの世界に居場所を見つけられなかっただろう。世界がどんな風に形を変えても、百合がいる場所が自分のホームタウンなのだと、月美は確信できたのである。


 しかし、まだ問題を解決したわけではない。なぜ世界が姿を変えてしまったのか、月美は高校生の体に戻れないのか、そしてなぜ月美だけが去年の世界の記憶を持っているのか・・・そういった超重要ポイントは不明なままだし、去年の世界にいたカップルたちも、こちらではまだ成立していないのだ。


「翼さんとアテナさん、どうなるかなぁ・・・」

 月美と同じことを考えていた百合が小さな声でそう言った。

「分かりませんけど、最善は尽くしましたわ。後は本人たちを信じるしかないです」


 先日、翼先輩は勇気を出してアテナに告白したが、残念ながら失敗した。

 しかし、翼とアテナが特別な絆で結ばれていることを月美は知っているので、明日の選挙でアテナとローザが公認カップルになってしまうその瞬間までは、諦めるもりはないのである。

 今日の昼間も月美たちは翼とアテナを交互に訪問し、二人の気持ちを確認したり、応援したりしていたのだ。


「なんとかなるよね、きっと」

「そ、そう思います?」

「うん♪」

「なんだかちょっと・・・望み薄そうでしたけど」


 アテナは選挙演説会の最終確認が大変そうだったし、翼も機馬コンテストに向けた荷造りで大忙しだったから、二人とも月美たちとゆっくり話している時間がなかったのだ。


 翼はもう先日の告白でフラれたことを、むしろ清々すがすがしい気持ちで、ある程度受け入れており、「これからは友人としてアテナさんを応援していくつもりだよ!」みたいな前向きな姿勢を見せてきた。爽やかな人格者としての彼女の気質が悪い方向に出てしまっているのだ。本当は、諦めきれない恋心や切ない気分もあるのだろうが、それを月美たちには見せず、気持ちを切り替えていこうと努めているのである。


 一方アテナは、いつものクールな表情の向こうに本心を隠しており、翼に対してどんなことを考えているか、あるいは翼のことなど全く頭にないのか、一切不明であった。


「きっと上手くいくよ。そんな気がする♪」

「どこからそんな自信が湧きますの・・・?」

「ん~」

 すると百合は、月美の手をそっと握り、人差し指を自分の胸の辺りに持っていった。

「この辺りから♪」

「ひーっ!」

 月美の指先は、百合のおっぱいの柔らかさを思い切り感じてしまった。セーター越しでもおっぱいのポヨンとした感触はとても気持ち良く、月美は顔から火が出そうである。

「どうして照れるの? 女の子同士なのに♪」

「て、照れてないですっ! わたくしはそういうの興味ないんです! アテナ様と同じですわ」

「そうかな?」

「そうです・・・」

「フフフ♪」

 月美は照れ隠しのために下を向き、銀花が着ているウールのカーディガンのボタンを指先でつんつんした。顔がとっても熱い。


「それにしても、今頃、アテナさん何してるかなぁ・・・」

「アテナ様は・・・もう寝てるかもしれませんわねぇ」





 しかしその頃、アテナはまだ起きていた。


 彼女は鏡の中で髪をかす自分を見つめながら、時計の秒針の音に耳を預けていた。


 いよいよ明日はマーメイドの選挙である。アテナは才色兼備の完璧な女性として名を馳せており、パートナーのローザ会長も不動の人気を誇る先輩なので、信任投票となる今回の選挙はきっと上手くいくだろう。アテナの長年にわたる努力はめでたく報われるわけだ。


(これでいいのよ。全て望み通りだわ)


 アテナはヘアブラシを白いドレッサーの上にコトンと置いた。

 そして何気なくカレンダーに目をやったアテナは、意外なことに、明日の予定ではなく明後日のイベントが気になってしまった。


(翼さんの見送り、行くべきかしら・・・)


 12月25日の欄には、『翼さん出発。ビドゥ港、正午のフェリー』と記されていた。


 アテナは全く気づいていないのだが、この情報は誤りである。翼が島を離れるのは明後日ではなく、明日なのだ。

 この誤った日付をアテナに伝えたのは実は翼自身であり、告白したあの日に出発の予定を話していたのだ。マーメイドの選挙当日に余計なことを考えなくていいよう、翼は気を遣ったわけである。

 海外にどれくらい滞在することになるかは不明だが、一生会えないわけではないので、再会した時に「久しぶり! 出発の日付を間違えて伝えちゃったみたいですまなかったね。マーメイド就任おめでとう!」という感じのことを言うつもりなのである。翼は無駄に紳士的な一面があるのだ。


(いけない。翼さんの事なんか、今はどうだっていいわ。選挙が第一よ・・・)


 ドレッサーの電気を消そうとスイッチに手を伸ばしたアテナの脳裏に、空飛ぶ機馬の上で見た翼の美しい横顔が浮かんだ。マーメイドへの道の最後のハードルは、翼が象徴する自由な生き方への未練と言えるだろう。


(あんな人知らない。・・・私の人生なんだから、私の好きなようにするわ)


 自分の夢を叶えることが、アテナの選ぶ道なのである。

 アテナは鏡の中の自分を睨むようにじっと見つめ、ゆっくり深呼吸をしてから、ドレッサーの電気を消した。




「月美ちゃん」

「なんですの」

 暖炉の薪から時折聞こえるパチパチという音が、二人の時間をゆっくり温める。

「クリスマスイブの天気を知っている人は例の広場に、っていう手紙、あったでしょ?」

「はい」

「明日その正解が分かるね」

「そうですわね。まあ、わたくしは知ってるんですけどね。早朝まで大雪ですけど、その後は晴れ間が広がるんですわ」

「そっか♪」

「少なくとも、去年の世界ではそうでしたわ」

 暖炉の炎のゆらめきに合わせて、暖炉を囲う小さな金属製の柵の陰が扇型に広がり、床のタイルの上で踊る。


「ねえ、もしさ」

「はい?」

「もしもだけど、この世界が明日無くなっちゃうとしたら、どうする?」

「え」

 なんだか突拍子のない哲学が始まったようにも思えるが、百合は別に、何かの比喩で尋ねているわけではない。そのままの意味である。

 そして月美は、この件について既に色々と考えていたのである。

「・・・確かに、わたくしが去年いた世界が消えてなくなったのはクリスマスイブのことでしたわ。でも、またそれが起こるとは限りませんわよ」

「そうかな?」

「自信はないですけど・・・」


 せっかく築き上げてきた友情が再び振り出しに戻されてしまうことを考えると、月美は夜も眠れないくらい寂しいし、それは百合も同じ気持ちである。


(・・・正直、もうずっと小学生のままでいいですわ。もう百合さんと離れ離れになりたくないですもの・・・)

 月美は暖炉の火を見つめながら、そんな風に思った。なんだか涙が出そうである。


「月美ちゃん」

「はい・・・?」

「もしまた離れ離れになっても、私のこと見つけてね♪」


 どちらかが相手の事を忘れていたとしても、また一緒に過ごしたい・・・それが、百合の願いである。

 その言葉の重みを痛いほど感じた月美は、百合と少しだけ目を合わせてから俯き、銀花ちゃんの温かいおでこに頬をそっと押し当てた。


 恥ずかしいけれど、月美の気持ちも伝えなければならない。月美はささやくような小さな声で返事をした。


「・・・見つけますわよ・・・・・・絶対・・・」


 月美の返事はとても遠慮がちな声色だったが、月の光のように澄んでいて、百合の心を揺さぶった。


 この時百合は、とても幸せな感覚に包まれた。

 具体的に言えば、固形のラムネ菓子が舌の上でじわっと溶けるような感じで胸が温まり、両腕の肘から手首にかけてじんじんと脈打つように血液が回って、頬が持ち上げられるようなほわ~とした温もりが頭の中を満たしたのである。その幸福感はお腹の辺りに広がり、あっという間に足先まで届いたのだ。


 なぜ百合はこんなに幸せな気持ちになったのか。それは、彼女が長いこと抱えていた気持ちの正体をハッキリ掴み、月美の想いも理解して、二人の本来の関係を察したからである。


(あぁ、そっか・・・やっぱり、私たちって・・・)


 百合は自分の心臓の鼓動を月美に聞かれてしまうのではないかと思うくらいドキドキしてしまった。


 おそらくこの時、銀花ちゃんがこの場にいなかったら、百合は何らかのアクションを月美に対して起こしていたので、二人の運命は大きく変わっていただろう。


「月美ちゃん」

「は、はい」

「私、去年の世界のこと、ちょっと思い出した気がする」

「え!?」

 月美は思わず声を上げてしまった。去年の世界のことを思い出したとなると、月美と百合の関係が真っ先に出てくるはずだからだ。

 恋人同士であることを思い出してくれたら、それはもちろん最高に嬉しいのだが、とても恥ずかしいのも事実であり、そんなことをこのタイミングで言われる心の準備などしていなかったのである。


「いや、細かいことは全然思い出せないよ。でも、去年高校生だった月美ちゃんと一緒に暮らしてた私が、どんな気持ちだったか、思い出したような気がするの」

「き、気持ち・・・?」

「うん。どんな気持ちで月美ちゃんの隣を歩いてたか。薄々分かってたんだけど、今ハッキリした♪」

「ん・・・それって、どういう意味ですの?」

「さあねぇ♪」

 百合は明るくそう言ってソファから腰を上げ、ココアをテーブルの上にトンと置いて振り返った。


「そうだ! 明日さ、イベントが全部終わったら、一緒に夕日見に行こうか」

「ゆ、夕日・・・? いいですけど、どうして?」

「なんとなく♪ 晴れるんでしょ? 明日」

「ええ、まあ・・・」

「良かった♪」


 百合は恥ずかしそうに自分の前髪を少し整えながら笑った。暖炉の火に片側だけ照らされた百合の笑顔は、なんだかいつもより無邪気だったので、月美は思わず見とれてしまった。


「私、明日が楽しみになっちゃった♪」


 月美は、百合が今一体何を考えているのか、明日何をするつもりなのか、よく分からなかった。

 しかし、様々な少女たちの運命が交差する重要な一日がいよいよ訪れる、という緊張感と高揚感が動悸となって自分の胸の中を跳ねているのを強く感じた。


 明日のことはサッパリ分からず、窓の外に広がる真冬の暗闇と同じようなものだが、月美はそれに対し無力ではなかった。今夜、ささやかな暖炉の光に照らされて輝いている月美と百合の絆は、どんな風が吹いても、深い夜の闇に飲まれても、決して消えることはないと、月美は確信しているからだ。そしてそれは、百合も同じ思いなのである。


「じゃあ、寝よっか♪」

「はいっ」


 愛というのは、こういう気持ちのことをいうのかも知れない。

 

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