77、熱血キューピッド
「えぇ! アテナ様と手を繋ぎましたの!?」
「ちょ、ちょっと! 声が大きいぃ!」
月美と百合は驚きのあまり、ロイヤルミルクティーをこぼしそうになった。
内海を望める小さなショッピングモールの二階の喫茶店で、月美と百合は仲良くティータイムをしていたのだが、翼が急に姿を現したかと思うと、このような衝撃の相談をしてきたわけである。
「じゃあ翼様は・・・その人がアテナ様だと気づかないまま、仲良くランタン祭りに行きましたの?」
「そ、その通りさ・・・」
「あらまあ。翼様って天然なところありますのね」
「それ、アテナさんにも言われたよ・・・」
翼はなぜか落ち込んでいるが、月美や百合にとっては朗報である。今までは翼とアテナの心の距離があまりにも遠かったのだが、これで一気に仲良くなったに違いない。ラブラブへの道も現実的なものになった。
「うぅ・・・私はますます変人だと思われただろうなぁ・・・」
「いえいえ、かなりいい感じだと思いますわよ!」
「・・・礼儀知らずだと思われたかも知れない。きっと嫌われたよ」
今日の翼はいつも以上にしょぼくれており、長い髪もぼさぼさで、オバケみたいになっている。いつもの爽やかさはどこへいったのか。
「翼様、ここで諦めちゃダメですわよ。たぶん、かなり上手くいってますわ」
「そうだよ、翼さん、もっと前向きにね!」
百合は翼の隣に腰かけ、髪を手ぐしで整えてあげた。
翼はため息をつきながら、やがてアテナへの気持ちを語り出す。
「私は・・・別に、アテナさんと親密になりたいと望んでるわけじゃないんだ。ただ、その・・・嫌われたくないというか、普通の人だと思われたい・・・」
「弱気になってますわねぇ・・・」
月美も、翼の隣に席を移った。
本人のオバケ具合とは対照的に、翼の制服は妙に綺麗で、ユリの花のような良い香りがする。
「翼様、もしもアテナ様が翼様のことを嫌っていたら、最後までランタン祭りを楽しんだりしませんわよ。一緒にごはんを食べて、翼様のアコーディオンを聞いて、機馬に二人乗りで帰ってきたんですのよね? たぶん、途中からかなり楽しかったんですのよ。翼様の意外な一面を見て、見直したんですわ」
「い、意外な一面・・・?」
「はい。堂々としてて、爽やかで、王子様みたいな親切な性格ですわよ」
「う・・・そ、そんなこと・・・ないけどなぁ・・・」
月美に褒められた翼は、暗い顔のままちょっぴり頬を染め、目をそらした。感情の変化が分かりやすい先輩である。
「でもなぁ・・・反省というか後悔というか・・・あの日のことを思い出すと、胸がきゅっと縮こまる思いだよ・・・」
「そうですの?」
「うん。馴れ馴れしすぎたなぁとか、もっと上品におしゃべりすればよかったとか。滝つぼのレストランの椅子が水しぶきで濡れてたんだけど、もっとしっかり拭いてあげれば良かったとか・・・うぅ、頭が痛い・・・」
「考えすぎですわよ。相手の好みに合わせるのもいいですけど、ありのままのあなたの良さを伝えることのほうが大切だと思いますわ」
「ありのままの・・・な、なるほど・・・良い事言うね・・・。しかしキミは本当に小学生なのかい?」
「あ・・・はい」
月美と百合は顔を見合わせて苦笑いした。
「言う事が全部、私より大人っぽいんだよなぁ・・・」
「小学4年ですわよ」
「そっか・・・。とにかく、私がアテナさんに片思い中だってことは、誰にも言わないでくれよ」
「それはもちろんですわ」
「特に初等部のキャロリンちゃん、あの子はおしゃべりだから、すぐに広まっちゃいそうで・・・」
たしかに、キャロリンはなぜか年上の友人も多く、いつもあちこち動き回っているので、秘密を知られてしまった場合、それは即座に島じゅうに広まってしまうだろう。気を付けなければならない。
しかし、その時事件は起きたのである。
「ねえ桃香ぁ、カタオモイってどういう意味デース?」
その可愛い声は、月美たちのすぐ後ろから聞こえたのだ。
「え、えーと・・・一方的に、恋してるって意味、かな」
「おお! 翼はアテナのことが好きデース!?」
月美たちの間に流れる時間が止まった。
三人の背後にはなんと、お買い物を終えたキャロリンたちがやってきていたのだ。
(ま、まずいですわああああ!!)
月美と百合が恐る恐る振り返ると、そこにはキャロリンだけでなく、桃香や銀花ちゃん、そしてルネの姿までもがあったのだ。
実は、今日は初等部寮の全員でクリスマスの飾りを選びに来ていたのだ。それぞれの買い物を終えた時の集合場所がこの喫茶店だったのである。月美と百合は、寄り道が大好きなキャロリンがまさかこんなに早く戻ってくると思っておらず、油断していたのだ。
「キャ、キャロリンちゃん!? 聞いてたの!?」
驚いてひっくり返りそうになる翼の腕にむぎゅっと抱き着いて、キャロリンは目を輝かせた。
「翼はアテナのことが好き好きデース!?」
「ち、違う違う! 好き好きじゃないデース!」
「スキスキデース!?」
これはまずいと思った月美は、慌ててキャロリンを椅子に座らせ、彼女の可愛い耳に唇を寄せた。
「い、いいですかキャロリンさん。よく聞いて下さい・・・!」
「何デース!?」
なぜキャロリンはとても嬉しそうである。
「キャロリンさん、落ち着いて下さい。今あなたが聞いたのは極秘情報なんです」
「ごくひじょーほー?」
「はい、一部の関係者だけに許された内緒話なんですのよ。キャロリンさんはもう知ってしまったので仕方ないんですけど、関係ない人に絶対この話を広めないで下さい」
「オッケーデース!」
妙に物分かりが良い。
「翼様は照れ屋さんですから、お願いしますわね。約束ですわよ」
「了解デース!」
大人しい桃香ちゃんや無口な銀花ちゃんも、月美の話を理解してくれたようで、一緒に頷いていた。
ひとまず危機は回避したように思われるが、月美にはまだ気掛かりな事があった。
(ルネさんのリアクションが気になりますわ・・・)
月美は横目でルネの表情を窺った。先程の翼の言葉を聞いて、ルネが何を思うのか、月美にはちょっと予想出来なかったのである。
ルネといえば、ローザ会長と頻繁に喧嘩している少女であるが、ローザ会長と犬猿の仲になったそもそもの原因は、ルネがアテナのファンだからである。自分が敬愛するアテナを、ローザが邪な理由で狙っているため、ルネは怒ったのだ。
ゆえに「翼がアテナに片思い中」という情報は、ルネにとっては、アテナを取り合うライバルが増えた瞬間でもあるのだ。
月美たちの瞳に映るルネは、クリスマスツリーに飾るオーナメントが入った袋を抱えたまましばらくポカンとした顔をしていた。しかし、やがて彼女の瞳はキャロリンに負けないくらい輝き出したのである。
「翼さんも!? 翼さんもアテナ様に憧れてたのね!!!」
「え?」
翼に駆け寄ったルネは、翼の手を両手で包み込んだ。
「ローザ会長に比べて、アテナ様のファンが少なすぎるのよ! もちろん既に大勢いるけど、まだまだ足りないと思ってたところよ! 遠慮しないで、翼さんもファンクラブ入っていいのよ!」
「あ、ええと・・・そうだね、確かに、ありがとう・・・!」
「ローザなんかに学園の代表を名乗らせちゃダメだわ! 一緒にアテナ様を応援しましょう!」
「りょ、了解です」
意外なことに、ルネは翼をライバル視せず、むしろ仲間意識を芽生えさせたのだった。
「翼さん! 12月の選挙で、ローザはたぶんキャプテンに、アテナ様はマーメイドになるけど、その後もアテナ様だけ応援していきましょう! ローザを調子に乗らせたら、学園の治安がおかしくなっちゃうから」
「そ、そうだね・・・!」
「翼さんが一緒だと心強いわーっ!」
よく分からないがとても盛り上がっている。
呆気に取られている月美の肩に、百合の優しい手がそっと触れた。
「ちょっと来て♪」
「は、はい・・・」
二人は喫茶店の窓際にあるモンステラという観葉植物の陰へ向かった。
「やったねぇ、月美ちゃん!」
「な、何がですの?」
「ルネさん、もうすっかりローザ会長に夢中みたい♪」
「やっぱり、そう思います?」
「うん。ルネさんはね、春頃まではアテナさんに夢中で、もしかしたら恋してたかも知れないくらいだったんだけど、今はすっかりそんな気持ち無くなったみたい♪」
「ローザ様を好きになったんですのね・・・。アテナ様の事は今も尊敬してるけど、ただのファンって感じですわ」
「うん♪ このままいけば、全部丸く収まりそうだね♪ 月美ちゃんが去年の世界で見たカップルは、全組成立だよ♪」
「あ・・・そ、そうです・・・わね」
この言葉は、月美の小さな胸の中で、木枯らしのように冷たく響いた。
(私が知ってるカップルは・・・もう一組あるんですけどね・・・)
実は私と百合さんもカップルだったんですよ~ん、なんて恥ずかしいこと言えるわけがない。月美はこの重大な問題を未解決のまま、他の人の恋を叶えるキューピッドとして尽力し、いくつも季節を過ごしてしまっているのだ。日を追うごとに、百合への恋心と切なさが月美の胸にしんしんと降り積もっていき、その解決法も思いつかぬまま、まもなく12月になろうとしているのだ。
(寂しいですわ・・・)
月美と百合はだいたいいつも一緒にいるので、まるで姉妹のようだ、と周囲の生徒から言われているが、恋人同士になれない今の月美の不遇な運命への皮肉にも感じられるのでちっとも嬉しくない。
「はぁ・・・」
月美は小さくため息をついた。
やがてふと顔を上げた月美は、キャロリンの横顔を何となく見つめてしまった。彼女は眉根を寄せながら何やら考えていたが、何かを思い付いた様子でニヤけ始めた。
「ちょっとお散歩に行ってくるデース!」
「え、お散歩?」
実に怪しい。キャロリンの場合、わざとじゃなくても翼の恋の噂を広めてしまうかも知れないから、しばらくは目を離さないほうがいいだろう。
「キャロリンさん、私も一緒に行きますわっ。百合さんは翼さんをよろしくお願いします」
「あ、うん。分かった」
スキップしながら遠退いていくキャロリンの背中を追いかけて、月美は駆け出したのだった。
飛行機雲は、サイダーに差した白いストローのように、北風に冷えた青空を二つに割って進んでいく。
会議の書類を読み終わったアテナは、窓の外をぼんやり眺めながら、ローザ会長が生徒会室にやってくるのを待っていた。ストラーシャの生徒会室はストーブが3台もあるので快適である。
「は~い、お待たせ、皆さ~ん♪」
キキミミ姉妹を連れて登場したローザ会長は、近所の喫茶店でテイクアウトしてきたホットココアを片手に持っており、資料を無造作にデスクに置いて、椅子にドサッと腰かけた。
(こうして見ると、ローザ会長も決して上品な人じゃないわね。まあ、私がマーメイドになれるなら何でもいいけれど)
上品さを極めているアテナに比べれば、ローザはかなり軽薄な女だが、容姿端麗で頭も良く、妖艶な魅力に溢れ、キャプテンになるだけの実力を持っている事は間違いないのである。アテナは別にローザの私生活に踏み込むつもりはないので、何も不満はない。
「はーい、会議始めまーす。今日はアテナさんも来てくれてるから、皆さん失礼のないようにね♪」
「はい!」
アテナは生徒会メンバーではないが、重要な会議には時折呼ばれているのだ。
「えーと、12月の選挙の打ち合わせに入る前にいくつか相談することがあるわ。・・・あら、あの用紙どこいったかしら」
「これなの」
「あ、それそれ。ありがとうキキ」
「私はミミよ」
「ありがとうミミ」
「本当はキキなの」
「ありがとうキキ」
面倒な双子である。
「えーと、アヤギメの5番街の海沿いにある舟屋が老朽化で雨漏りしてるみたいだけど、かなり歴史ある建造物だから安易に改修できないのよ。直せそうな技術者さんに心当たりある人、いるかしら」
アテナはパッと顔を上げた。
(雨漏り・・・?)
彼女の脳裏に、ある人物が浮かんだのだ。
(雨漏りなら・・・防水技術に詳しい翼さんがピッタリだわ。あの人は自力で機馬の改造をしている人だもの。木造の屋根くらい簡単に直しちゃうわ)
そう考えたアテナは、おもむろに手を上げた。
が、アテナの手に気付く前に、ローザは別の少女を差していた。
「えーと、1級伝統建築まで引き受けて下さる卒業生に心当たりがあります」
「直接連絡できる方?」
「はい。以前、アヤギメ神宮の櫓を直して下さった人です」
「あー! もしかして柚子葉さんのお姉さん?」
「そうです!」
「確かにあの人ならいけそうね。連絡してくれる?」
「分かりました!」
「細かい話はこの後するわ」
「はい」
「じゃあこれは解決。次の議題に行くわ」
アテナはこの時、ささやかな恥じらいを感じて、心の中でちょっぴり笑ってしまった。
(私ったらバカね・・・。翼さんが伝統的な和風の建築物を直せるわけないじゃない。その道のプロを誰か知らないかっていう話をしているというのに、どうして翼さんが出てくるのかしら・・・)
アテナは窓の外に目をやった。
(あの人と過ごしたランタン祭り・・・凄く楽しかったわ。思い出しただけで、胸がドキドキする。・・・けれど、そろそろ夢から覚めないといけないわね。私はマーメイドになるために今まで血の滲むような努力を積んできたのよ。余計な雑念は捨てて、ローザ会長の事だけ考えましょう)
アテナはこの後、いつも通りのクールな落ち着きを取り戻し、しっかりと生徒会のお仕事に力を貸したのである。
生徒会室のバルコニーからは、目の前の広場に直接階段で下りることができる。
会議を終えてローザ会長たちと別れたアテナは、外の空気を吸いにバルコニーへ出た。
ピンク色とライトブルーが交差する夕空は、優しい音楽のような温もりに満ちていたが、頬を打つ風は冷たかった。12月の気配が早くも島を包んでおり、来週には初雪が降るかも知れないらしい。
アテナは内海の向こうに広がる遥かな水平線をぼんやり眺めながら、静かな風に吹かれ、頭を冷やした。
「はぁ・・・」
木の葉が落ちるような小さな溜息をついたアテナは、青銅風の街灯に寄りかかり、空を見上げた。
幼い頃から慕っていた叔母の想いを受け継ぎ、不断の努力の末、まもなくマーメイドになれるのだから、もう少し気分が晴れ晴れしてもいいというのに、アテナの気分はどこかすっきりしない。粉っぽいコーンスープのような、襟のないブレザーのような、箱の内側に付着したケーキのクリームのような・・・とにかくモヤっとした気分なのだ。
「あら?」
しばらくして何気なく広場を見渡したアテナは、背中に青い小鳥と白ウサギを乗せた小鹿がとことこ歩いて噴水を眺めているのを発見した。
(あの子たちは・・・月美さんの周りをうろついている動物たちね。ということは、月美さんがいるのかしら)
久々に初等部の子たちの顔を見たいと思ったアテナは、白い石段をゆっくり下り始めた。
その時である。
「アテナぁー!」
「ん・・・?」
小柄な金髪少女が、飛び跳ねながら駆け寄ってくるではないか。彼女は、年上の先輩に対しても物怖じせず呼び捨てにしてくれちゃう天真爛漫な小学6年生、キャロリンである。
「アテナぁ! どうして翼を片思いにするデース!」
「・・・え?」
キャロリンはヒーローのようなポーズでアテナの前に立ちふさがり、真っ直ぐな瞳でアテナを射抜いた。
その存在感に圧倒されたアテナの思考はすっかり固まってしまい、キャロリンが言った言葉の意味がすぐには分からなかった。
「ちょちょちょちょっと!! キャロリンさん!?」
大慌てで駆け寄ってきたのは月美である。
「すすすすみませんアテナ様!! キャロリンさんったら、甘い物の食べすぎで幻覚や妄想に悩まされていますのよ!! 今のは忘れて下さいね!!」
「翼は良い地球人デース!! 翼を悲しませちゃダメデース!」
「キャロリンさん! アテナ様を探してたんですの!? ただの散歩っておっしゃってたのに!」
「アテナは悪い地球人デース!」
月美はキャロリンの腕を引っ張り、耳元に向かってひそひそ声で怒鳴った。
「もう! 翼様の話は誰にも言わないって約束しましたのにっ!」
「え、関係ない人には広めちゃダメって言ってたデスけど・・・」
「いやいや! アテナ様は確かに関係ある人ですけど、一番言っちゃダメな人ですわよ!」
「えっ! アテナはこの話知らないデース!?」
「当たり前ですわよ!!!」
キャロリンの可愛い顔は、みるみる青くなっていった。
「ま、まずいデース・・・♪」
さすがのキャロリンもこの状況を理解してくれたようだ。
「えーと、コホン。と、とにかくアテナ様、今のは全部冗談ですからね! えへへ」
「えへへ・・・♪」
愛想笑いをしながら後ずさりする月美とキャロリンを見て、アテナは急に我に返り、思わず噴き出した。
「分かったわ♪ 二人とも、話はよく分かったから、逃げなくていいわ」
子供たちに気を遣わせているようではマーメイドになれない。
「翼さんが私のこと好きだって事、なんとなく分かってたわよ。私の行く先々に現れて、挙動不審な怪しい動きをしてましたもの」
「いや! その・・・えーと・・・!」
「私はいつも一人ぼっちだけど、人から尊敬されたり、愛されたりするのには慣れているから、イヤな気分ではないわよ」
月美は冷や汗をかきながら、祈るような気分でアテナの言葉のひとつひとつを胸に刻んでいった。これで翼の恋が上手くいかなかったら、自分の責任だと思ったからだ。
「でもね、私には私の道があるの。恋愛や友情よりももっと大事な、私だけの世界よ」
これはまずいと月美は思った。
翼の好意に対してはまんざらでもない様子だったが、やはりマーメイドになるという目標がアテナにとっての全てであり、揺るがないようだ。
「だから翼さんには、私のことは諦めて欲しいとハッキリ伝え・・・」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
月美は今、一秒の油断も許されないかなりギリギリの戦いをしている。他人の恋愛の運命を、自分が握ってしまっている緊張感を、ここまではっきりと、リアルに感じたのは初めてかも知れない。
「い、言い忘れてたんですが、その、今週の日曜日に、アテナ様に手伝って欲しいことがあるみたいですわよ、翼様!」
「え、手伝って欲しいこと?」
「はい!」
キャロリンは「そんな話あったデース?」みたいな顔で首を傾げている。月美がたった今思い付いた事なので聞き覚えがなくて当然だ。
「えーと、ストラーシャの浜に来て欲しいみたいですわ。機馬の整備所があるところ」
「で、でも、翼さんはそろそろ、機馬の競技会の準備が本格的になるから、お忙しいはずだけど」
「その準備を手伝って欲しいのかも知れません!」
「私もマーメイドの選挙の準備があるわ」
「そんなに長時間は掛からないみたいですわよ!」
月美は一歩も退かなかった。こんな熱血なキューピッド、なかなかいないだろう。
アテナは少しの間考えていたが、どうやら月美に根負けしたようで、そっと笑いながら頷いた。
「それなら・・・そのお手伝いだけは行ってみるわ。当日、気が向いたらね」
「はい!! お願いしますわ!!」
翼は年末のイカロス競技会のために海外へ行くことになっているし、同じ時期にアテナのマーメイドの選挙が行われる。この週末が、二人を結び付ける最後のチャンスと言えるだろう。
(キャロリンさんがいなかったら、何も起こせずに時間切れで、二人は離れていってしまったかも知れないですわ・・・。かなり危なかったですけど、結果的には超ラッキーでしたわね)
チャンスをくれたキャロリンさんに、月美は感謝した。
アテナは、月美たちが去った広場のベンチに腰掛け、噴水の池に映る夕焼け雲が水面をゆっくり滑っていく様子を眺めていた。
「私ったら、どうしてオッケーしちゃったのかしら・・・」
しいて言えば、熱血キューピッドたちの眼差しに負けてしまったからである。
「また・・・翼さんに会うのね、私」
アテナはそれを嬉しいとは思わなかったが、イヤな気分というわけでもなく、とても不思議な感覚に包まれていた。
とにかく彼女の頭の中は今、翼の事でいっぱいであり、彼女と何を話せばいいか、どんなことを手伝わされるかなど、次々と議題が溢れ出し、生徒会の会議なんかよりよっぽど熱心に議論が繰り広げられることになったわけである。
急に冷たくなった風に気付いてアテナが我に返ると、噴水の池には銀色の月が浮かんでいた。