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73、抹茶クッキー


 ハロウィンという、謎のイベントがある。


 ヨーロッパの一部の地域で催されていた、お盆祭のような習慣がベースになっており、ご先祖様の霊を迎えようとか、悪霊から身を守ろうとか、本来はそれなりに宗教的な意味合いがあったのだが、今ではすっかり、仮装した子供が大人からおやつをぶんどるフェスティバルと化している。


(今日はハロウィンですわねぇ・・・)


 土曜日のお昼、月美たち初等部メンバーは、ストラーシャ学区にある「砂の美術館」という建物のフロアやロビーを掃除していた。三日月女学園は私立なので土曜日も平気で授業が行われるが、午前中で終わるので、ここを掃除したらもう自由時間である。ランチ前の一仕事だ。


(ハロウィンなんて恥ずかしいイベント、無くなればいいんですわ・・・)

 鮮やかなステンドグラスの光が弾ける白い大理石をモップ掛けしながら、月美は小さな溜息をついた。


 一方キャロリンはかなり浮かれており、月美や桃香や銀花の仮装を考えて目を輝かせている。

「桃香はおっぱいの上部分が見える服がいいデース!」

「や、やだよぉ・・・! そんなの」

「人魚の衣装あるデスかねぇ?」

「なくていいよぉ・・・」

 キャロリンは無邪気で天真爛漫だが、それゆえに女の子の体にも興味津々であり、小学6年生にしては発育が芳しい桃香のおっぱいが大好きなのである。

「月美と銀花は黒猫姉妹デース。語尾にニャを付けるデース」

「お断りしますわ・・・」

 憂鬱そうな月美の隣で、銀花はぼんやりと天井を見上げながら、キャロリンの話を聞いていた。ネコ耳付きパーカーや尻尾付きスカートを着こなす自分らの姿を想像して、ちょっぴりワクワクしていたのだ。銀花はハロウィンを始めて経験するので、様々な苦い思い出を持っている月美とは気分の乗り方が真逆である。


「月美はハロウィン好きじゃないデース?」

「はい。興味ありませんわ」

「どうしてデース?」

「んー・・・まあ、色々ですのよ」

 月美は幼い頃からハロウィンがあまり好きではない。その理由は、小学生のキャロリンにはなかなか理解してもらえない内容だが、およそ次の三点である。


 まず第一に、月美は可愛い仮装をしたくない。

 月美は可愛い女の子ではなく、カッコイイお姉様になりたいわけなので、魔女の帽子とかネコ耳カチューシャとか絶対被りたくないのである。仮に、物凄くクールで大人っぽいヴァンパイアの衣装を着たところで、ハロウィンパーティーというのは結局、「みんな~、私こんな格好してみたよ~。どう? 可愛い~?」みたいな雰囲気なので、もはや服選びで印象をどうこうできるものではない。参加するだけでクールじゃないのだ。


 次に、「Trick or Treat!」とかいう合言葉の発音が、絶妙に難しい点である。

 これは「いたずらされるか、お菓子をよこすか、さあ選べ」という、ハロウィンを楽しむ子供たちが家々を回る時に唱える言葉なのだが、月美に言わせれば、この発音は日本人と相性が悪すぎるのだ。本格的に発音しようとすると「チュリックォ~チュゥイ~ッ!」みたいになり、聞いた人は「え? 今なんて言ったの?」などと聞き返してくる確率が高く、そうなると猛烈に恥ずかしいわけである。かと言って「トリックオアトリ~ト~!」などと発音すると、こっそり勉強している外国語を自慢する江戸時代の町民みたいになって、それはそれで恥ずかしいのだ。さらに、意味不明なカタカナを嬉しそうに唱えていると、魔法少女が変身する時のヒミツの言葉を普段から真似して遊んでいそうな印象まで与えかねない。


 そして三つ目に、ハロウィンの日はなぜかお互いに写真を撮り合うという闇の慣習がある。

 月美は自分が仮装している姿を見られる事すらイヤなのに、それを写真に収めて永久に記録し、色んな友達に見せちゃおうという最悪の展開が約束されているのだ。月美は目立ちたがり屋のお嬢様なので、実は写真に撮られるのは好きなのだが、自分の美意識やこだわりと真逆の状態にある姿を記録される事は絶対に避けたいのである。


「あ、馬車が来ましたよ。アテナ様じゃないかな」

 掃除が終わる頃、美術館のロータリーに出ていた桃香がそう教えてくれた。

 実は今日この美術館を掃除していた理由は、アテナ様が来るからなのである。アテナは学園の代表であるマーメイドに立候補するというのに、行ったことがない学園施設がいくつかある事を気掛かりに思ったようで、事前に訪問の届け出をしてきたのだ。近所の寮で暮らしている月美たちが自らお掃除担当を受け持ったわけである。


 しかし、機馬車から下りて来たのは意外な人物だった。

「やあ! 月美ちゃんたち! お掃除してるんだって? おつかれさま!」

 やたら爽やかに登場したのは、機馬マニアの翼先輩である。

「こんにちは翼様。掃除は終わったところですわ」

「そっかそっか、えらいぞぉ! それでね、今初等部の寮に寄って百合ちゃんにも伝えてきたけど、演劇部がキミたちの衣装を用意してくれたみたいだ。先週ダメ元でお願いしておいたんだよね~」

「おおー! やったデース!!」

 余計な気を効かせてくれた翼先輩に、月美はチベットスナギツネのような顔をした。

「小学生サイズはあまり種類が多くないんだけど、なかなか可愛いのがあるみたいだ。あとでじっくり選んでくれ」

「ワーイ! 翼先輩はどんな格好するデース!?」

「あ、私は無難に海賊の下っ端にでもなろうかなと思ってるよ」

「おー!」


 ここで、月美は去年の出来事を少し思い出した。

(そう言えば・・・去年の翼様は、演劇部の部長だった気がしますわ)

 去年の翼先輩は今よりずっと落ち着いた性格の、王子様のような女性であり、歌劇団のスターのような扱いだった。彼女のファンも多く、追っかけの生徒がかなりいたようである。

 しかし、今年の翼はもっと素朴な生徒だ。

(んー・・・)

 月美は、キャロリンたちの頭を撫でながら笑う翼の横顔を見上げた。日焼けした頬がちょっぴり赤くなっている。

(まあ、今の翼先輩も悪くないですわね)

 性格の根本部分は変化していない。庶民に溶け込みすぎて自分が王子様であることを忘れてしまった、心優しい先輩である。


「メインイベントのハロウィンパーティーはビドゥの海賊洞窟で開催されるよ」

「おお!」

「ランチを食べて少ししたら移動するといい」

 もちろん自由参加だが、夕方からは盛大なハロウィンパーティーが開かれるのだ。

 各寮で衣装にチェンジした生徒たちは、島の西端にある海賊洞窟へ集合することになっている。海賊洞窟は月美が去年訪れたことがある場所で、遊園地のアトラクション並みの設備と、雰囲気たっぷりの洞窟レストランがあるのだ。薄暗くて面白い場所なので、ハロウィンには最適である。

「あ、そう言えば、千夜子さんからお菓子を貰ってきたよ。初等部のみんなにあげて欲しいってさ」

「おおー!」

 翼はカバンからエンジ色の紙袋を取り出し、キャロリンに差し出した。袋には墨の達筆で「御抹茶菓子」と記されている。

「抹茶のクッキーらしいよ」

「マッチャー!」

 浄令院千夜子は地味に料理ができるのだが、昨日の放課後にクッキーを焼いてくれたらしいのだ。千夜子はハロウィンパーティーなどという浮かれたイベントには参加しないが、初等部の月美たちのために一肌脱いでくれたようだ。抹茶のクリームが混ぜ込まれた、とても美味しそうなクッキーである。


「はい。月美」

 クッキーの袋を手に、銀花ちゃんがやってきた。

「ありがとうございますわ」

 差し出してくれた袋に手を入れてクッキーを一枚貰った月美は、美術館のロビーにあるベンチに腰かけて、クッキーを味わうことにした。「トリックオアトリ~ト~」という超恥ずかしい台詞を言わずに貰えるハロウィンのお菓子は最高に美味しい。


 すると、美術館のロータリーに銀色の機馬車が滑るようにやってきて静かに停まった。

(あ、今度こそアテナ様ですわ)

 開放したままのガラス扉越しに外を見ていた月美は、すぐにそう思った。

 が、翼はまだ機馬車の到着に気付いておらず、キャロリンが話してくれる書道の授業の話に耳を傾けたり、桃香のほっぺについたクッキーの欠片を取ってあげたりしている。そもそも翼は、アテナがここに来ること自体知らないのだ。

「あ」

 ちょうどその時、月美の隣に座っていた銀花が、クッキーを一つ床に落としてしまった。千夜子先輩が焼いてくれた美味しいクッキーを一つダメにしてしまった悲しみが、銀花の顔を曇らせた。

(すぐに拾ってあげませんと・・・!)

 そう思った月美がベンチから飛び降りると同時に、素早くクッキーを拾い上げた者がいた。

「おっとー! セーフ!」

 翼先輩である。

「セーフ?」

 やたら嬉しそうにしている翼に、銀花は首を傾げた。

「うん。こういうのは3秒以内に拾えばセーフなんだ♪」

 なんと翼は、拾ったクッキーを自分の口にぽいっと入れたのだ。

 ベンチの前にはクリーニングしたばかりのカーペットが敷かれていたが、普通、足元に落ちたものを喜んで食べるような生徒はいない。翼は、銀花を悲しませないようにするために、わざと明るくクッキーを食べたのだ。

「んー! 美味しい! やっぱりねぇ、一回床に落ちたクッキーは味が良くなってるねぇ。広い大地から味を吸収してるんだぁ、これ♪」

 わけの分からないことを言う翼先輩に、銀花がちょっぴり笑った。

 月美も、抜群の気遣いを見せてくれた翼を見直してしまったし、少し格好良いとすら思ったが、機馬車から下りてきたアテナ様がどんどんロビーに向かってきていることが気になって仕方がなかった。

(つ、翼様! それ以上変なこと言わないほうがいいですわよっ・・・!)

 月美は目でそう訴えかけたが、翼は全然気づかない。

「地面に落ちたクッキー、久々に食べたけどやっぱり美味しいなぁ♪」

「ほんと?」

「うん! 本当さ! キミたちはまだ真似しちゃダメだけど、私ほどのお姉さんになれば、お菓子は基本的に地面に落としてから食べるくらいさ。落とす時の速さや角度で食感が変わるし、地面の素材で味が変わる。その日の風向きや温度、湿度も関わってくるから、実に奥が深いんだよぉ、お菓子地面落としは♪」

 何気なく振り返った翼は、ここでようやくアテナの存在に気付くのだった。

「あ・・・」

 翼は言葉を失い、半笑いの表情のまま固まって冷や汗を流した。

「こんにちは、月美さんたち。美術館、入れるかしら」

「は、はい」

 アテナは今の話を聞かなかったことにしたようである。「お菓子地面落とし」などという専門用語は、究極のお嬢様を目指すアテナの辞書にあってはならない項目なのである。




「あ、あの・・・」

「どうしたの」

 月美は、美術館の案内役として、アテナと二人でフロアを歩いていた。砂の美術館には、三日月島で採掘された砂や石がたくさん展示されており、博物館として見学する価値もある。

「先程の翼様なんですけど、あれは銀花さんがクッキーを落として悲しんでたので、それをフォローするための、体を張った冗談みたいなものですのよ」

 アテナは夕暮れの浜辺が表現された美しいショーケースを見つめている。

「そうなの。まあ、なんとなく分かっていたわ」

「ほ、ホントですの?」

「ええ。けれど私なら、冗談でもあんな風には言わないわね」

「そ、そうですわね・・・」

 いくら性格が良くても、品が無い人とは心から打ち解けられない、ということらしい。今年のアテナ様は自分の目標のためには決して妥協しない、かなり頑固な性格だと言える。

「で、でも・・・実際の翼様はもっと落ち着いてて、大人っぽくて、品がありますのよ」

「そうなの?」

「は、はい。それに、意外と綺麗好きみたいで、機馬クラブの朝練習があった時は必ずシャワーを浴びてから授業に行くそうですわ」

「それは良い事ね」

「はい・・・」

 ここで会話は途切れてしまった。

 最近浜辺で発見されたらしい美しい桃色の透明石をぼんやり眺めるアテナの横で、月美は次の言葉を探した。

「と、とにかく、翼様は、アテナ様が今感じているよりもずっと、上品な人ですわ」

「そうかもね。そう信じておくわ」

 月美は翼先輩の良い所をうまく伝えられない自分を歯痒く思ったが、少なくとも先程のクッキーの件の誤解は解けたので一安心である。さすがの翼先輩もしばらくの間は上品さを意識して暮らすだろうから、挽回は可能だ。



「翼センパーイ!」

「な・・・なんだい?」

「なんでグッタリしてるデース?」

「い、いや、何ともないよ。大丈夫」

 翼はベンチに腰かけたままうなだれていたが、キャロリンに肩を揺さぶられて顔を上げた。いつまでも暗い顔をしていたら子供たちに心配をかけてしまう。

「センパイ! 書道のコツ教えて下サーイ!」

「しょ、書道のコツ?」

 キャロリンは、クッキーの袋に書かれた千夜子の字を指でなぞって目を輝かせている。

「私は千夜子さんほど達筆じゃないからなぁ。んー、まずは道具を大切にすることから始めるといいかもよ」

「ドーグ?」

「うん。使った後の筆はしっかり洗うとかさ」

「オー、筆をしっかり洗う」

「うん。すずりも忘れずにね。半紙は汚れないようにしっかり管理しよう」

「ハンシって何デース?」

「あ、書く時に使ってる白い紙だよ」



「アテナ様はハロウィンパーティーに参加しますの?」

 美術館の各フロアを見学したアテナと月美は、地層を表現したお洒落な通路を歩いてロビーに向かっていた。

「参加しないわ。後でゆっくり活動記録を拝見するだけよ」

「いいですわねぇ・・・わたくしもそういう感じがいいですわ・・・」

「月美さんって、変わった子ね」

「は、はい・・・まあ」

 この子はもしかしたら、いつかマーメイドになるかも知れないわねとアテナは思った。それくらい、高貴なお嬢様の素質を感じたのだ。



「その紙は洗えないデース?」

「え、紙を洗う?」

「間違って汚しちゃった紙デース」

「いやぁ、紙は洗えないよ。べちょべちょになっちゃうからね」

「無理デース?」

「うん。私、紙は洗ったことないよぉ」

「よく乾かせばいけそうデース」

「えーと、そうだなぁ、紙がもし洗えたとして、どうやって乾かせばいいんだろうね。本に挟んだりすればいけるかなぁ」


 ロビーに戻ってきたアテナと月美は、ステンドグラスの光の中で翼たちのこの会話を聞き、思わず立ち止まった。

「・・・ねえ月美さん。翼さんは髪を洗ったことがないそうよ」

「え!? い、いやいやいや! また何かの間違いだと思いますのよっ!」

「機馬クラブのシャワー室はシャンプーが余って仕方ないでしょうね・・・」

「いやいや! そ、そんなことないと思いますわよぉお!」

 書道の話をしているなんて想像もできない月美は、フォローの言葉も見つけられなかったのだった。


 不運な翼はいつもこんな感じで誤解されている。そのうち良い事があるはずなので、諦めずに頑張って欲しいところである。



 ベンチに腰かけ、桃香と一緒にあやとりで遊んでいた銀花は、お菓子袋に残っていた最後の一枚の抹茶クッキーを拾い上げ、翼先輩の優しい横顔を見上げながら、嬉しそうに頬張ったのだった。

 

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