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71、掃除ロッカー

 

 レンガの壁に長い歴史が刻まれたビドゥ学舎には、ツタの葉がよく似合う。


「中庭には誰もいませんわね」

「チャンスだね♪」

「はい」

 先に機馬車を降りた月美と百合は、翼が機馬車をロータリーに停車させてくれるのを待ちながら、中庭を見渡した。

「なんか、すごく広く感じますわ・・・こんな感じでしたっけ」

「ふふっ♪」

「な、何笑ってますの・・・」

「何でもないよ♪ 去年の月美ちゃんは背が高かったんだろうなぁって」

「・・・どうせ今はチビですわよ」

「そんなことないよ。とっても可愛い♪」

「うっ・・・」

 この学舎は、去年ビドゥの生徒として暮らしていた月美にとっては懐かしい建物だが、今日は思い出探しをするために来たわけではない。むしろ、未来をつかみ取るために来たのだ。


「停めてきたよ。それで、ここに何の用事だい?」

「ありがとうござます翼先輩。こっちに来て耳を澄まして下さい」

「え? いきなりどうしたの」

「いいから、ほら♪」

「んー?」

 月美と百合に言われ、翼は風や鳥たちの声の向こうに意識を集めた。


 放課後のビドゥ学区は文化系のクラブ活動が盛んであり、聖歌隊の歌声やアコーディオンの音色が耳をくすぐる。その華やかな空気の中に、しとやかなヴァイオリンの響きを見つけて、翼は顔を上げた。


「このヴァイオリンは・・・」

「そうです。アテナ様がヴァイオリンを教えてるんですのよ」

「え! あの人、そんなことまでやってるのかぁ・・・」


 アテナは様々な特技を持っているが、ヴァイオリンの腕はプロ級なので、時折ビドゥ学区へ来て、オーケストラクラブのメンバーに指導しているのだ。ビドゥ学区の中等部の生徒たちはなぜか弦楽器が大好きであり、その中でもヴァイオリンは人気である。


「というわけで翼様、新たな作戦を考えてきました」

「さ、作戦って・・・何の?」

「翼さんとアテナさんが仲良くなれる作戦だよ♪」

「え!! いやいや! 二人とも、な、何言ってるのかなー・・・?」

 翼はこの期に及んでアテナへの恋心を素直に認めていない。

「翼様にはお嬢様系のアピールは難しいかも知れませんので、今回はちょっと別の角度から攻めてみますわよ」

「いやいや、私は別に、アテナさんと仲良くなりたいなんて思ってなくて・・・」

「ここに紙飛行機がありますわ。このあとわたくしがあの木に向かって飛ばします」

「き、聞いてる?」

「紙飛行機を枝に引っ掛けますので、それを翼様が華麗にとって欲しいんですのよ」

「そ、それって・・・アテナさんがいる前で、ってことかい?」

「もちろんですわ」

「うぐぅ・・・!」

 翼は頭を抱えてしゃがみ込み、ポニーテールを揺らしてもじもじした。白い制服のスカートがレンガにこすれている。

(堂々としていればとてもカッコイイお姉様ですのに、残念ですわね)

 そんな風に思う月美の横で、百合はくすくす笑った。


「えーと・・・格好よく紙飛行機を取るというのは、どうやればいいのかな。まさか、機馬で飛んで取るなんて言わないよね」

「それはさすがに無理ですわね。飛び過ぎて学舎の窓をぶち破ってしまったら、アテナ様から完全に無視される存在になりますわよ」

「そうだね・・・遠くに飛ぶことばかり研究してるから・・・確実に激突するだろう」

「とにかく、翼様は学舎に入って、二階に上がって下さい」

「え! 一緒に来てくれないのかい!?」

わたくしたちはここから飛行機を飛ばしますのよ。もしかして学舎の中で迷子になる心配してますの?」

「い、いや・・・迷子にはならないけどさ・・・。私は二階から、何をすればいい?」

「はい。翼様は窓からほうきみたいなものを伸ばして飛行機を取って下さい」

「そ、それって格好いいかな・・・?」

「困ってる人を放っておけない性格はアピールできますわ。素敵なことですのよ」

「た、確かに」

「ほうきを伸ばしている時の顔とかを工夫して美しさは表現しておいて下さい」

「難しいけど、了解・・・!」

 アテナさんのことは別に好きじゃないと言っておきながら、真剣に月美のアドバイスを聞いている翼が可愛くて、百合は笑ってしまった。なんとしても幸せになって欲しいものである。




 一方、二階の音楽室では、中等部の生徒たちがアテナの前に整列し、レッスン終わりの挨拶をしていた。この音楽室は、なぜかいつもちょっぴりローズの香りがする。

「ぜひまた、ご指導お願いします!」

「もちろんよ。けれど他のクラブの指導もあるから、少し先になるわね。朝のレッスン、頑張ってね」

「はいっ」

 放課後の窓明かりに輝くヴァイオリンケースを閉じて、アテナは音楽室を後にした。


 廊下に人気ひとけはなく、三階にある第二音楽室からこぼれてくるエレクトーンの音色が優しく弾んでいる。


(なんて清々すがすがしい空かしら・・・)

 ビドゥ学舎の廊下の窓からは、島の西側の港がよく見えるのだ。


 重厚なレンガの街並みは、港に向かうにつれて繊細なチョコレート菓子のように折り重なり、爽やかに透き通った秋の海と美しい対比をなしていた。メタセコイアという高木の並木道はまだ色づいておらず、ミント色の葉を太陽に向かって伸ばしているが、その枝々を揺らす風は、炭酸水のように涼し気なのである。


(もう秋ね・・・あっという間にキャプテンとマーメイドの選挙になるわ)


 マーメイドになるための長い道のりが、間もなくゴールを迎えるのかと思うと、アテナは感慨深かった。

 もちろん、実際にマーメイドに任命された後は、今まで以上に自分を磨き、尊敬の的になる努力を続けなければならないが、正直なところマーメイドになることがアテナの最終目標みたいなものである。その先のことはあまり考えられない。


(あら・・・?)

 ここで不意に、廊下に備えられた、木枠の掲示板がアテナの目にとまった。

 そこには学園の様々な小規模イベントを宣伝するポスターが貼られており、手書きのイラストをコピーしたものから、デジタルな媒体で作成された本格的なものまで色々あった。しかしそれらに共通するのは、アテナが到底参加しないようなポップで大衆的なイベントを宣伝している点だ。


(一緒に落ち葉で焼き芋を焼きましょう・・・。羊の毛刈り体験受付中・・・。泥だんご選手権・・・。面白いんでしょうけど、どれもこれも服が汚れそうね)

 アテナは幼い頃からほとんど遊ばず、学業に専念してきた本物のお嬢様であるから、砂まみれになるイベントや、汗をかく趣味に対してある種の疎外感を覚えている。自分の道には不要なものだと、シャットアウトしてしまうのだ。


 しかしその中に、アテナの目を引くポスターがあった。

(虹の滝、ランタン祭り・・・?)

 ウツクシウムガスを使って和紙のランタンを空に浮かべるイベントらしい。虹の滝というのは三日月島北部のビドゥ学区とアヤギメ学区の境界付近にある滝で、制服が濡れたり汚れたりするかも知れないという理由でアテナは行ったことがない場所だ。

(こんなイベントがあるのね・・・私はいけないけれど・・・)

 幻想的なランタンの光が宙に舞う滝つぼの写真を見て、アテナはちょっぴり羨ましく思った。アテナはマーメイドになれればそれで幸せなのだが、こういう場所に自由に行ける人生も悪くないと感じた。


 学園で最も硬派なお嬢様としてマーメイドを目指すアテナは、特定の団体や派閥に入り浸らないという方針を貫くことで学園じゅうから支持されつつあるので、公式なクラブ活動以外のイベントに無暗に参加できないのだ。例えば、ランタン祭には来てくれたのに焼き芋祭には来てくれなかったね・・・となると、焼き芋愛好家たちからの人気がちょっと下がるおそれがあるわけである。アテナはまさに、カゴの中の鳥みたいなものだ。


 アテナはヴァイオリンケースを持ったまましばらく廊下に立ち尽くし、ランタンのポスターをぼんやり眺めていた。




(アテナさんと鉢合わせにならないようにしないと・・・)

 学舎に入り込んだ翼は、静かに階段を上っていた。

 貸し出しのスリッパはペタペタと音が鳴るので厄介だが、履かないわけにはいかない。アテナさんにアピールしようという時に靴下で学舎を徘徊していたら、清潔感がない女だと思われてしまうからだ。そういうのはアテナさんが一番嫌いなものに違いないのだ。


(二階だ。ストラーシャの制服だから目立っちゃうなぁ・・・)

 二階の廊下に足を踏み入れた翼は、小走りで中庭方面へ向かうことにした。

「うぅ!!」

 しかし翼は、廊下の角を曲がったところで急ブレーキをかけ、身を隠した。

(ア、アテナさんがあんなところに・・・!!)

 翼が待機しようと思っていた渡り廊下への角の手前に、アテナが立っているではないか。ヴァイオリンのレッスンが想定より早く終わっていたようだ。

(学園新聞でも読んでるのかなぁ・・・)

 ここにいたら月美たちの声が聞こえないので、せめてあと10メートルほど近づかないとまずい。

(み、見つかったら怪しまれるぞぉ・・・)

 本当は引き返したい気分だったが、一階から生徒たちの声も聞こえてくるし、ビドゥ学区までやってきて何も得られないまま帰宅するのも寂しい。もう進むしかないようだ。

(がんばれ私・・・月美ちゃんと百合ちゃんが協力してくれてるんだから・・・!)

 勇気を振り絞った翼は、抜き足差し足で、中庭の方へ向かっていった。とりあえず手近な教室に入る作戦である。幸い、アテナは掲示物に夢中で、翼には気づいていない。




「そろそろいいですかね」

「うん。ヴァイオリンの音が聞こえなくなって2分くらい経ったからね」

 紙飛行機を枝に引っ掛けるのに苦戦していた月美たちだったが、なんとか間に合ったようだ。白い紙飛行機は初秋の柔らかな緑の葉をベッドにして、そよ風に揺れている。

「ちょうどアテナ様が廊下に出て来たタイミングだといいですけどね」

「そうだね」

 月美たちが大きめの声を出せばアテナにもきっと聞こえるだろう。さっそく月美は、二階の渡り廊下付近に待機してるはずの翼に向かって声を上げた。

「すみませーん!」

「誰かいませんかぁ~!」

 ここで翼が顔を出し、近くの教室からほうきを持って来て華麗に助けてくれるはずだ。アテナがそれを目撃し、翼への好感度がグーンと上がるわけである。

「どなたか、助けて下さいますー?」

「誰か~」

 しばらく呼びかけていると、あまりにも意外な人物が窓から顔を出す。

「どうかしたの」

「え!?」

 青空が良く似合う美しい金髪をさらりと揺らして、アテナが姿を見せたのだ。

「あ・・・あれ、翼様は・・・」

「月美さん、百合さん、こんなところで珍しいわね。どうかしたの?」

「いや・・・えーと・・・紙飛行機が木に引っかかってしまいまして・・・」

 月美が指差した先を見て、すぐに状況を理解したアテナは「ちょっと待ってて」と言って窓際を去ってしまった。

「ど、どうしましょう・・・! 翼様、わたくしたちの声聞こえなかったんですの?」

「翼さん、どこに隠れてるんだろうね・・・」



 翼はその時、教室の中におり、ニスが塗られた木製ドアに耳を当てて廊下の気配を窺っていた。

(やっぱり教室の中にいたら月美ちゃんたちの声が聞こえないなぁ・・・。こっそり廊下に戻ろうか・・・。あ、今のダジャレになってる・・・)

 くだらないことを考えているうちに、翼の耳は誰かの気配を察知する。廊下に響く上品なスリッパの音が、ドアに近づいてくるのだ。

(ま、まずい・・・! まさかアテナさん!?)

 すっかり動揺した翼は、赤ちゃん恐竜みたいな動きでうろうろした後、近くにあった掃除ロッカーの中に隠れた。


 だが、これが完全にチェックメイトだったのである。


 最寄りの教室に入ったアテナは、紙飛行機を取ってあげられそうな長い棒を探した。

(やっぱりほうきがいいかしらね)

 彼女は吸い寄せられるように掃除ロッカーに向かい、扉に手をかけたのである。


「あ」

「あっ」


 実に気まずい瞬間であった。

 二人の美少女は目を合わせたまま言葉を失った。翼はもう笑って誤魔化すしかない。


「ど、どうも~・・・」


 翼は片足をバケツに突っ込み、ほうきやモップのに挟まれ、まるで棺で眠るヴァンパイアのようにすっぽりと掃除ロッカーに収まっていたのだ。几帳面で綺麗好きのアテナからしたら、かなりハイレベルな放課後の過ごし方である。

「ごめんなさい。邪魔したわね・・・」

「あ、いや、ちょっと、閉めないで! アテナさん!」

 掃除ロッカーの扉をパタンを閉められてしまった翼は、暗闇の中で放心状態になってしまったのだった。


 記憶に残らない普通の生徒、という段階からは抜けられたはずなので、後はこの超変人のイメージをどう払拭し、プラスにしていくかである。頑張っていただきたいところだ。



 別の教室のほうきを持ってきたアテナが窓から枝をつつき、紙飛行機をとってくれた。

 滑るように宙を舞って中庭に着陸した白い紙飛行機を拾い上げた月美と百合は、アテナにお礼を言った後、しばらくの間ぼんやりと空を眺めていた。


「もしかして翼様・・・」

「迷子・・・?」


 雲ひとつない、美しい秋の空であった。

 

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