67、布団
「ダウト!!!」
桃香が畳の上にトランプを出した瞬間、キャロリンがそう叫んだ。
「ご、ごめんねキャロリンさん。私の勝ちですぅ・・・」
「うわぁああ! 負けたデース!!」
キャロリンは布団の上でゴロゴロと転げ回った。
打ち上げ花火の後、食事を終えた6人は、布団の上で頭を寄せ合い、トランプゲームをしていた。
最終ゲームの敗者はキャロリンになり、罰ゲームとして彼女は夏休みが終わるまで語尾に「にゃ」をつけなければならなくなったが、この罰を考えたのがキャロリン自身なので自業自得である。
(ふぅー、やっと終わりましたわ・・・)
月美は枕に顔をうずめてホッと一息ついた。トランプをしている間、月美は人知れず全く別の戦いをしていたのだ。
百合の隣にいたらゲームに集中できないと思った月美は、百合の正面に陣取ったのだが、これが失敗だった。お風呂上りに着たアヤギメ神宮寮別館の浴衣は、かなり楚々としていたのだが、皆うつ伏せになってトランプをしていたため、百合の胸元がちょっぴり見えていたのだ。百合がカードを出す度にポヨンと揺れるモチモチの谷間が気になってしまって、月美は一人で顔を真っ赤にしていた。月美ほど煩悩と戦っている小学生は、世界広しと言えどなかなかいないだろう。
「桃香ぁ、もう一回お風呂に行きたいデースにゃ」
「も、もう寝る時間だよぉ」
「さっきは花火に夢中で、桃香の胸を触り損ねたデスにゃ」
「さ、触らなくていいよぉ!」
「どうしてそんなにイヤがるデースにゃ?」
「いや・・・その・・・と、とにかくダメですぅ!」
桃香は顔を赤くして首を横に振りまくった。実は桃香ちゃんも結構煩悩と戦っているのかも知れない。
もうすぐ消灯時間なので二度目のお風呂へは行けなかったが、寝るまでの時間を6人は思い思いの過ごし方で楽しんだ。
ここはあくまでも寮なのだが、ほとんど旅館と同じ作りなので、窓際に椅子とテーブルと冷蔵庫が置かれた謎のスペースがあり、キャロリンはそこで女王様のような座り方をしてくつろいだ。桃香はそんなキャロリンの向かい側の椅子にちょこんと座ってちょっぴり頬を染めながら自分の髪を梳かした。やっぱりキャロリンが好きなのだ。
女学園の寮なので洗面所は広く、設備も充実している。
やたら明るい鏡の前で月美と銀花が二人並んで歯磨きをしていると、その後ろに百合とルネがやってきて月美たちの髪を整えてくれた。寝る時はサイドテールかお団子にするのだ。
(うっ・・・)
月美はちょっともじもじしてしまった。
自分の髪を結んでくれる百合の優しい指先を鏡越しに見つめながら、月美はつい先ほどのお風呂での出来事を思い出してしまったのだ。月美の体が記憶している生々しい百合のおっぱいの感触に、月美は頭がくらくらしてしまい、大理石の洗面台の縁をそっと掴んだ。今倒れたら百合に後ろから支えられることになり、再びおっぱいの感触を味わうことになってしまうからだ。
布団はトランプで遊び始める前に既に敷いていたが、まだ誰がどこで寝るかは決めていなかった。
「じゃんけんで決めるデスにゃあ!」
語尾がだんだん板についてきたキャロリンがそう提案した。ちなみにキャロリンの浴衣はさっきからずっとはだけており、すべすべの太ももが丸見えである。6年生なのだからもう少し恥じらって欲しいものだ。
「銀花は月美の隣がいい」
銀花ちゃんはそう言って月美に寄り添った。どうやらじゃんけんには参加せず、月美に結果をゆだねるようだ。
(布団の場所なんて別にどこでもいいですけど、とりあえず百合さんの隣だけは避けなきゃダメですわね・・・)
「せーの! じゃんけーんポン!」
月美は百合と銀花の間に挟まれて寝ることになった。
「じゃ、電気消すわよー♪」
ルネの声の余韻と、小さな豆電球の光を残し、部屋は優しい闇に包まれた。
電気が消えた後も、6人の胸はウサギのようにドキドキ飛び跳ねており、今日一日に味わった夏の思い出がダイジェストで瞼の裏に上映された。サラサラのシーツに向かって足の疲れがほどけていく心地いい感覚は、充実した一日を送った者への勲章である。
時折キャロリンが足をバタバタさせたり、「にゃ~お♪」みたいな奇声をもらしていたが、ルネに「し~♪」と優しく注意され、やがて静かになった。キャロリンは修学旅行の夜になかなか寝ないタイプの女だが、昼間の疲れには勝てなかったようだ。
月美の右隣の布団にいる銀花は、電気が消えて早々に月美の布団に潜りこみ、手を握ってきたのだが、やがてエアコンの音に紛れる可愛い寝息を立てはじめた。まるで妹みたいである。
さて、問題は左隣だ。
百合お姉様は寝る前に月美ともうひとスキンシップとりたいと考えており、そのチャンスを窺っているのだ。なにしろ百合と月美が一緒の部屋で寝る機会は滅多にないので、やれることは全部やっておいたほうがいいわけである。
(このまま寝返り打って月美ちゃんの布団に行っちゃおうかな♪)
百合は涅槃像みたいなポーズをしながらそう考えた。
(ゆ、百合さんからの視線を感じますわ・・・)
月美は左耳がじんじんした。月美の耳は敏感なセンサーであり、音以外にも色々感じ取っちゃうのである。
やがてそのセンサーは、百合がゆっくり月美のほうに半周ほど転がる気配を探知した。
(ま、まずいですわ!!)
月美の右腕には銀花が寄り添って眠っているから、逃げられないのだ。百合はそのことになんとなく気付いているから、大胆な寝返り作戦に打って出たわけである。
(な、何とか逃げる方法はないかしら・・・!)
百合はこのまま月美に抱き着こうとしているのだが、そんなことされたら月美は眠れるわけがないし、呼吸が乱れて恥ずかしいことになるかも知れない。もしそうなったらクールなお嬢様としての人生は終わりである。
月美がいろいろ考えているうちに、百合はもう半周寝返りを打って迫ってきた。月美と百合の間は、もうメロン一個分くらいしかない。
(そ、そうですわ・・・!)
諦めなければ何かしらの打開策が浮かんでくるものだ。
月美は自分の右腕に抱き着いている銀花ちゃんをそっと抱きしめ、そのままゴロ~ンと左側に寝返り、百合のほうへゆっくりと持っていったのである。銀花ちゃんはさすがにちょっと目を覚ましたが、月美の腕の中にいる心地よさに安心してすぐに目を閉じてスヤスヤ眠り出した。とても可愛い。
こうなればもう月美の勝利である。銀花ちゃんという聖なる壁があれば、百合のイタズラの魔の手が月美まで届かないわけである。
(なるほど、さすが月美ちゃん・・・)
百合はちょっぴり悔しがった。
(ま、いっか♪)
百合は銀花の小さな背中に寄り添い、彼女をそっと抱きしめた。
この時、月美が予想外だったのは、百合の腕が月美の手のひらも一緒にぎゅっとしてしまった点である。焦った月美は手をもぞもぞ動かして逃げようとしたのだが、銀花ちゃんの安眠をこれ以上妨げたら申し訳ないので諦めることにした。自分が抱きしめられるよりは100倍ましである。
まるで仲良し三姉妹のように寄り添いながら、月美たちの夜は更けていく。
百合の腕にずっと触れている状態なので、月美はなかなか眠れなかった。
(こ、これは寝不足になりそうですわ・・・)
眠気が自然に訪れるまでは耐えるしかない。月美は今日の出来事を考えるでもなく考えて、時が過ぎていくのを待った。
お風呂場での月美は百合とのスキンシップにすっかり手を焼いており、百合の言葉をよく聞いていなかった。何か大事なことを言っていた気がしたので、月美は煩悩と戦いながらも記憶を辿ることにした。
(んー、去年が初めてじゃないのかも、みたいなこと言ってましたわね・・・)
月美は銀花の体温を感じながら、さらに百合の言葉を思い出していく。
(二人とも覚えていないだけで、本当はその前にも何度も一緒に暮らしているって・・・そんなことありますかしら)
月美にとって世界は二つだけである。去年の世界と今年の世界、それ以外は考えられない。
(もしも去年の世界だけじゃなくて、そのさらに前の世界があったなら・・・んー、去年の世界にも私みたいな人がいた可能性があるのかしら。自分だけが前の世界の記憶を持ってて、孤独を感じながら暮らしてた生徒が・・・。そんな人、いなかった気がしますけどねぇ・・・)
その時、月美の脳裏に一通の洋封筒が浮かんだ。
『クリスマスイブの天気を知っている人は、例の広場に来てください』
それは去年の5月か6月、月美の記憶からほとんど消えかかっていた出来事の一つだが、百合と一緒に暮らしていた寮部屋のポストに、差出人不明の妙な手紙が入っていたのだ。そこには、12月24日の天気を知っている者はどこかに来てくれ、というようなことが書いてあったのである。
少しまどろんでいた月美の頭は、まるで氷水でも被ったかのように覚め、全身に電気が走ったような衝撃に襲われた。
(きょ、去年もいたんですわっ! 私みたいな人が・・・!! 前の世界の記憶があって、でも周りはそんなの理解してくれないっていう、私と同じ状況の人が・・・!! 人の年齢や島の施設が色々変化してますから、「今年の文化祭で活躍するのは誰でしょう」って尋ねられても予測不能ですけど、お天気だけは正確に答えられますもの・・・!!)
現に、今の月美なら12月24日の天気がどうなるか答えることができる。早朝まで大雪で、昼には晴天になるはずだ。
(自分と同じ状況の生徒がいないか、手紙をたくさん書いて探してたんですわ・・・!)
あの時の月美は、クイズ研究会の勧誘か何かだと思って手紙を無視してしまったのだが、どうやらとんでもない事情があったようだ。
(・・・ということは・・・私がこの島で暮らしているのは三回目ってことかしら・・・)
実に現実味のない推測であるが、あり得る話である。
(・・・私も手紙を書いて、島じゅうに配ってみようかしら。『今年のクリスマスイブのお天気を知っている人は、今度の土曜日の正午に、例の劇場に来て下さい』みたいなお手紙にすれば通じそうですわ)
例の劇場というのは、文化祭の演劇に使われた劇場のことである。あの演劇はほとんど全校生が集まって観覧したものであり、月美と百合、そしてローザ会長とルネがカップルになったビッグイベントだから、去年の世界を経験した生徒になら簡単に伝わるはずだ。クリスマスイブというワードを出しているのだから、文化祭の話であるとすぐに理解してもらえるだろう。
(よ、よし・・・私もやってみましょう。来てくれるか分かりませんけど・・・)
去年の話を一緒におしゃべりできる仲間に会えるかも知れない、そう考えると、月美の胸は高鳴った。
(どんな人が来るかしら・・・千夜子様とかアテナ様とか、舞鶴先生とかが来てくれたら心強いですけど、そう上手くは行きませんわよね)
去年の記憶がないにも関わらず月美の話を信じ、味方になってくれた百合がいるから、贅沢は言えないわけである。
(去年の記憶を内緒にしたまま、この世界に馴染んで暮らしている人・・・いるとすれば、相当な苦労人ですわよねぇ・・・)
そう思った月美の背中に、可愛い素足がドスッと乗っかってきた。寝相の悪さを遺憾なく発揮しているキャロリンだ。彼女はお腹いっぱいな時のネコみたいな幸せそうな顔で寝言を言っている。
「んにゃぁ~♪」
キャロリンさんは絶対違いますわねと月美は思った。