66、お風呂花火
「百合、お風呂が好きなの? それとも花火?」
あまりにも百合がウキウキしながら服を脱いでいるので、ルネはそう尋ねたのだ。
「え、ん~とね、どうだろう♪」
しいて言えば、月美と遊ぶのが楽しみなのである。
月美と銀花がお風呂に行ったことを千夜子から聞かされた百合たちが、予定を変更してお風呂へ向かうのは当然の流れだった。
キャロリンは露天風呂から花火を見られると聞いて興奮しているし、桃香はそんなキャロリンを見て幸せな気分である。そしてルネは一日歩き回った疲れを癒せるお風呂に魅力を感じているし、百合はすぐにでも月美に会いたいと思っていた。もはや千夜子は百合たちをお風呂に誘導したとすらいえる。
アヤギメ神宮寮の別館はまるで高級な観光旅館だった。
今夜はここに一泊させて貰えるらしいので、この後のことにも期待は膨らむが、とにかく今はお風呂と花火である。早く行かないと花火の時間になってしまうので百合はちょっぴり急ぐことにした。
キャロリンは先に浴場へ行ったが、桃香なぜか脱衣所のロッカー前で立ち尽くしていた。
どうやら脱ぎ掛けの百合の体に見とれていたらしく、百合と目が合うと桃香は慌てて目を逸らし、タオルを抱えて浴場へ逃げていった。とても可愛い。
(桃香ちゃん、恥ずかしがってたのかな)
百合は抜群の美貌を持った女であり、自分の外見が他人にかなりの影響を及ぼしていることをある程度自覚しているのだが、その自覚もまだまだ充分とは言えない。なにしろ、一番影響を及ぼされている月美の気持ちを理解できていないのだから。
(桃香ちゃんをドキドキさせちゃうといけないから、胸とかはタオルで隠しておこっかな)
このような気遣いができるのは素晴らしい。が、このあとがいけない。
(早く月美ちゃん見つけてタオル取って一緒に温まろっと♪)
月美だけは自分に恋をしないと勘違いしてるのだ。
(スキンシップに慣れてないお嬢様と裸のお付き合いかぁ。どんなイタズラしよっかな♪)
おまけに月美が照れて赤面するところを見たがっているという厄介っぷりである。月美の正体が小学4年生ではなく、自分の同級生であると百合は知っているから、イタズラにも遠慮がないのだ。
「百合、行こー♪」
「はーい」
百合はルネと一緒に湯けむりの世界への扉を開けた。
さてその時、月美は洗い場から離れ、内風呂の大きな湯舟の隅っこで小さくなっていた。
(まずいまずいまずい! まずいですわああああああ!!!)
桃色の湯は天然の温泉ではないが、乙女に好まれるいい香りと滑らかな水質に調整されており、平静な時の月美だったら「ん~最高ですわ~」みたいな顔でリラックスしているはずだ。しかし今の彼女は負けそうな時のチェスチャンピオンみたいな鬼気迫る表情でお湯を見つめている。
(あっ!!)
ここでチャンピオン、何かを思い付いた。
(こっそり出ればいいんですわ!!)
名案である。
脱衣所の扉が何度か開いた気配があったから、もうこの内風呂の中に百合がおり、体などを洗っているに違いない。ならば、今のうちに脱衣所に逃げてさっさと服を着て、しゃべる自販機のジュースでも飲んで待っていればいいのだ。自販機とおしゃべりしててもいいだろう。
(よしっ・・・)
日本庭園の池をイメージした複雑な形の大きな湯舟を、月美はこっそり泳いで出口に向かった。反り橋というアーチタイプの和風の橋がいくつかお風呂に掛かっているので、その下を潜り抜ける時は冒険しているような気分になり、ちょっとドキドキした。
「月美ぃ! 私も泳ぐデース!!」
「わあああああ!!」
隠密に行動している時に限ってキャロリンが大きな声で名前を呼んでくる。月美は湯舟に飛び込んできたキャロリンの柔らかい唇に手のひらを押し当て、強引に黙らせた。
「静かにして下さいっ・・・! 私はこっそりお風呂から出ますのよっ」
「え? 花火は見ないデース?」
「あ・・・」
すっかり忘れていた。
「は、花火は・・・廊下から見ますわ」
「いやデース! 月美と一緒にお風呂花火見るデース!」
「ちょ、ちょっと! 落ち着いて下さい!」
キャロリンは月美にしがみつき、左右に揺さぶった。裸の時くらい恥じらいのあるコミュニケーションをお願いしたいものである。6年生のキャロリンの細い腕が、自分の体を雑に包み込んでくるので、月美はとてもくすぐったかった。
するとその時、15メートルほど離れた脱衣所のガラス扉から、やや大きめのハンドタオルで体を隠した美女が登場したではないか。その存在感は極めて強烈で、ほんのり輝いて見える肌と、うなじが見える色っぽい髪型が、月美の精神を一撃で沸騰させてしまった。
(ゆ、百合さんですわああああ!!)
月美はとっさにお湯の中に潜った。
「あれ、月美ちゃん、大丈夫?」
赤面した月美が小さなしぶきを上げてお風呂に潜ってしまったのを見て、百合は内心すごく嬉しかった。
(さっそく月美ちゃんの照れた顔、ちょっと見えた!! ラッキー!!)
あくまでも百合は、月美の恋心をもてあそんでいるわけではなく、親密な付き合いに不慣れな月美を喜ばせようとしているだけである。友達にサプライズでお誕生日プレゼントを渡し、相手が照れたり慌てたりするのを見るのが好きな人が一定数いるだろうが、百合もそういうタイプなのだ。
(あ、もしかして月美ちゃん、脱衣所に逃げようとしてたのかな♪)
そう察した百合は、脱衣所への入り口に一番近い洗い場を陣取り、湯舟のほうに意識を向けながら体を洗うことにした。
(月美ちゃんと初めてのお風呂だぁ。どんなことしよっかなぁ♪)
百合もなかなかの変人である。
さて、お風呂から出られなくなった月美はすっかり慌てていた。
「月美ぃ! 平泳ぎできるデース?」
空気の読めないキャロリンが月美に向かってスイーッと泳いできて頭を月美の肩にトンとぶつけてきた。水族館にこういうアザラシがよくいる。
(脱衣所に逃げられないなら・・・今はさっさと露天風呂に避難して、花火が始まる頃に内風呂に戻ってくるしかありませんわ・・・で、でも! 戻ってくる時に露天風呂の入り口でばったり会っちゃいそうですわ!!! もう! お風呂場のドア少なすぎですわよぉ!!)
キャロリンは月美の小さな胸を真顔でじろじろと観察しているのだが、月美はそんなこと気付いていない。
すると、桃香と銀花が月美たちのもとへやってきた。もちろん桃香たちは月美の悩みなど知らないのである。
「初等部みんな集まったデスねぇ! 露天風呂行きまショー!」
いい作戦がサッパリ思いつかない月美は、キャロリンに手を引かれて露天風呂に行くことになってしまった。
真夏とはいえ、最上階の露天風呂には気持ちのいい風が吹いている。
紫色の美しい残照が山の向こうでオーロラのように輝いているが、辺りはすっかり暗くなったようだ。
星明りに照らされた広大な海と、提灯が張り巡らされた神社の境内を見おろせるこの露天風呂は、打ち上げ花火の観覧席に最適な場所だった。ちなみにキャロリンはここにカメラを持ち込むつもりだったのだが、さすがにフロントで止められてしまった。お風呂場での思い出は目に焼き付けるしかない。
露天風呂自体も素晴らしく、和モダンな造りになっていて、寝殿造りの屋敷や庭園をイメージした内風呂とは少々雰囲気が違っていた。大自然に囲まれているから、お風呂はちょっと都会っぽい演出にしてコントラストを楽しめるようになっているようだ。
が、月美にはそんなものを楽しむ余裕などない。いい香りの湯に肩までつかりながらも、頭はせわしなく働かせて、裸の百合に会わずに済む方法を探していた。
(えーと・・・百合さんは今、体を洗ってるわけですから、その後は内風呂に入りますわよね。露天風呂に来る前に)
こういう時の月美の予想は大抵外れるが、希望は捨ててはいけないのだ。
(だとしたら百合さんが内風呂に入ってるタイミングで、私はこっそり脱衣所に避難を・・・)
月美がそんな風に考えを巡らせていた、その時である。ちょっとした事件が起きた。
露天風呂を照らしていたたくさんの暖色照明が、ふわーっと柔らかに消えていったのだ。
まるで映画が始まる前のような雰囲気であり、湯舟の外の足元を照らす小さな光以外が暗闇に沈んだ。
「暗くなったデース!」
これは打ち上げ花火の時間に合わせて暗くなる演出である。街明かりが減ることで、花火の魅力は何倍にも跳ね上がるのだ。
「えっ! もう花火の時間ですの!?」
飛び上がりそうになった月美の視線の先、ちょうどカシオペア座の前あたりの闇を、金色の小さな光がくるくる回りながら上昇していった。そして星の向こうに姿を消したかと思うと、体育館よりも大きな黄金のヒマワリとなって夜空に咲いたのである。
打ち上げ場所の浜から距離が近いので、破裂音は花火の開花からほとんど遅れておらず、月美の小さな胸の中にドドンッという大迫力の響きが伝わってきた。この花火は輝きが長時間残るタイプらしく、夜空に広がった金色の糸はまるでしだれ柳のようで、一本一本が風に流されていく様子がとても幻想的だった。
(私、これと全く同じ花火を去年見た気がしますわ)
風になびいて、非常に立体的に見える花火の残光に月美は見覚えがあった。去年の世界と今の世界、この二つに共通して登場するのは人間だけでないようだ。
さて、この美しい花火のせいで、月美は一瞬油断してしまったのだ。
二発目の花火が真っ直ぐに白鳥座へ向かって駆け上がっていったその時、月美の背後にあの人がやってくるのだ。
「間に合ったぁー♪」
百合の声である。
月美は野良猫の声を聞いた時のハムスターみたいにピタッと固まってしまった。
露天風呂はかなり暗く、他のメンバーたちは花火に夢中である。
(これは大チャンスっ!)
水面に映った桃色の花火を揺らして、百合はその美しい体をお湯の中に滑り込ませた。底に敷かれた石のタイルがザラザラしていて足の裏がちょっと気持ちいい。
百合は、花火の光の下に遠慮がちに浮かび上がる月美の姿を見つけた。
(月美ちゃんが経験した去年の世界で、私はルームメイトだったんだよね)
二人は仲良しの同級生だったのだ。
(でも一緒にお風呂に入って、私が後ろから抱き着いたりなんか、したことないだろうなぁ)
そりゃそうである。
(じゃあ、これが初めてってことかな♪)
百合はなるべく気配を消して、無防備な月美の背中に迫った。
「花火、よく見えるねぇ♪」
「ひっ!!!」
この他愛のない一言を耳元で聴いたのが、月美にとって忘れられない刺激的な時間の幕開けとなった。
耳がやたら敏感な月美が反射的に体をのけぞらすと、その体を優しく包み込むように、月美の肩にすべすべの腕が絡みついてきたのだ。そしてそれと同時に月美の耳元に百合の頬が当たり、おまけに彼女の胸が月美の背中にぽよんと押し当てられたのである。
(ひゃあああああああああああ!!!!!!)
百合に抱きしめられたら、月美のような小心者の理性など一瞬で溶けてなくなってしまうのだ。
乳白色のお湯の温度より、ほんのわずかに低い百合の体温は、肌を通じて月美の体の真ん中に向かって一瞬で染み込んだので、月美は自分と百合の体が一つになったようなゾクゾクする感覚に包まれた。押し当てられた大きなおっぱいは月美の肌を滑ってとぅるんと動き、百合の持つ豊かな愛情と色気を惜しげもなく月美の背中に浴びせた。吸い付くような柔らかさと、豊潤な弾力が、未だかつて月美が経験したことのない圧倒的存在感となって彼女の心と体を襲ったのである。
自分は今とんでもない経験をしているという思いが、月美の全身の感覚を研ぎ澄ませた。背中というのは本来、かなり鈍感な部分であり、砂浜で寝転んでいる人の背中に小さな貝殻を乗っけてもしばらく気付かないくらいであるが、今の月美は違う。百合のおっぱいという、この島で最も聖なる果実の感触を、彼女の小さな背中は今、全力で感じちゃっているのだ。
(な、な、何なんですのぉおおお!!!!!)
月美はもう何も考えられないし、自分の体に力を入れることも出来ない。まるで炎天下のソフトクリームみたいに、体が芯からとろけてしまっているのだ。
しかし、これが月美にとって不幸な時間でなかったことは言うまでもない。あまりにも幸せすぎて、頭がおかしくなっちゃいそうなくらいである。
自分の口に軽く指を当て、乱れそうになる呼吸を整えるのに必死の月美は、花火の音より大きな自分の鼓動の中で、恋がもたらす魅惑の幸福感に溺れた。こんなにも恐ろしく、刺激的で、最高に幸せな経験をしてしまったら、月美はもう百合とのスキンシップにメロメロなダメ人間になっちゃうおそれがある。
一方百合も、ちょっぴり不思議な気持ちを味わっていた。
(・・・なんだか、凄く気持ちいい・・・)
ようやく捕まえることができたクールなお嬢様の背中は、小さな洋生菓子みたいなキュートな甘さに満ちていて、首筋の辺りを舐めたらクリームみたいな味がしそうである。
(ずっとこうしてたいなぁ・・・)
逃げずに大人しくしている月美がとても愛おしかった。しつこいスキンシップを、面倒くさがらずに受け止めてくれる月美の優しさに、百合は今さらながら感謝した。それだけ信頼されており、強い絆があるんだと思うと、百合はちょっと照れてしまった。
月美の小さな耳に頬を押し当てながら、百合は腰の辺りがふわっと浮き上がるような感覚と、頭の中がぼーっとするような淡い快感を味わった。永遠に感じていたい、優しい心地良さである。
月美ほどではないが、百合も花火のほうに意識があまりいかない。
二人にとって今夜の花火は、恋や友情の新局面を盛り上げるBGMであり、素直な心を照らす照明なのである。たくさんの花火が同時に咲いた時、同じお風呂に入っているキャロリンたちが歓声を上げたのだが、百合は黙ったまま、ほんのちょっとだけ強めに月美を抱きしめた。辺りは暗いし、仲間たちは花火に夢中・・・こんな機会、滅多にないからだ。
やがて百合は、自分が今感じている幸福感の中に、うっとりするような懐かしさがあるのに気付いた。
それは既視感とも言える少々リアルな懐かしさであり、同じような気持ちを味わったことがあるというよりは、同じような経験をしたことがある気がしたのだ。つまり、以前にも月美をこんな感じで抱きしめたような感じがするのだ。
百合はひそひそ声で月美に尋ねることにした。
「去年の私ってさ、こういう風に月美ちゃんのこと抱きしめたりした?」
「ん・・・」
月美は声を出すことが出来なかったが、首を横に振ることで辛うじて返事できた。
「じゃあ、私たち、去年が初めてじゃなかったのかもよ♪」
「ふぇ・・・?」
花火の輝きの向こうに広がる無限の宇宙を見上げながら、百合は自分の運命をぎゅっと抱きしめている気分になった。
「本当はその前にも何度も一緒に暮らしてるんじゃないかな。二人とも覚えてないだけで」
百合は月美の耳にさらに唇を近づけて笑った。
「私、そんな気がする♪」
もう月美は頭がくらくらしてしまった。
夏祭りを楽しむ周囲の世界から切り離された二人きりの時間は、花火と星座に見守られたロマンチックな絵画となって、二人の思い出の美術館の新たな展示に加わったわけである。