65、ホタル
香ばしい焼きそばの匂い。
わたあめ機の回る音。
そして乙女たちのはしゃぐ声が、宵闇の祭囃子の中で踊っていた。
「オー! これが提灯デスねぇ!!」
無数の提灯が、アヤギメ神宮の境内を覆っており、それを見上げるキャロリンの瞳も宝石箱みたいに輝いていた。
日が暮れる前に月美たちが並べた灯篭も、夏の虫の音に合わせてほのかに揺れながら参道を照らしている。頑張った甲斐があったようだ。
「月美ちゃん、りんご飴おいしい?」
「う! まあ、はい・・・」
太鼓の櫓が見える石段に腰かけている月美は、先程から百合を直視することができない。浴衣姿の百合は、あまりにも美しい上にちょっとセクシーなのだ。
千夜子の計らいにより、月美たちは全員、浴衣をレンタルすることができた。
事前に選んで予約する生徒が多いため、当日に残っている浴衣の種類は限られていたが、どれも魅力的なものばかりだった。明治大正あたりを意識したレトロモダンな感じのデザインが多かったが、月美はもっと古風でクールなものを選んだ。着付けはアヤギメの茶道部がやってくれたのだが、月美のことを終始「きゃわいい~!!」などと言っており、月美にとっては非常に息苦しい時間だった。茶道部はもっと落ち着いていて欲しいものである。
「月美ちゃんって、紫色がよく似合うよね」
「べ、別に・・・」
「ねえ銀花ちゃんもそう思わない? 月美ちゃんの浴衣の色、似合ってるよね」
「うん」
わた飴に鼻先を押し当て、ふわふわ感と甘い香りを楽しんでいた銀花は、顔を上げて頷いた。ちなみに銀花ちゃんはふわふわしたものが大好きであり、真夏の今でも枕だけは毛布タイプを使っている。彼女にプレゼントを贈るならボリュームのあるぬいぐるみが最適だ。
「月美ちゃんは髪上げてると大人っぽいね♪」
「あの、もう私の話題やめて下さいます・・・?」
「あ、その顔も大人っぽいよ♪」
「もうっ・・・!」
「ふふっ♪」
困ったお姉様である。
白をベースに大き目のアサガオを大胆にあしらった大人っぽい浴衣に身を包んだ百合は、彼女の持つ親しみやすい性格と豊かな色気を遺憾なく増幅させ、月美の五感を虜にしている。百合は月美の浴衣の袖や髪などに優しく触ったりして月美のハートをくすぐってきた。スキンシップに慣れていないお嬢様を困らせるプロである。
百合が月美に絡んでいる間、キャロリンと桃香はすぐ近くの屋台で射的をしていた。二丁持ちというキャロリンの反則ギリギリの戦術により、二人は見事、一等の景品である「電動歯ブラシセット」を手に入れた。素晴らしい景品である。
「歯ブラシ獲ってきたデ~ス」
キャロリンたちが石段に戻ってきた。百合からぐいぐい来られて焦っていた月美は、思わず立ち上がり、キャロリンのほうに駆け寄った。
「ど、どんな歯ブラシですの!?」
「え」
驚いた時のキャロリンは目が真ん丸になる。
「・・・月美って、そんなに歯ブラシマニアだったデース?」
月美は非常に恥ずかしい気分になった。
「さあ皆、大事な大事な相談タイムよー!」
ブロンドヘアーと相性が良い水色の浴衣を着こなすルネが、懐中電灯を片手に石段に戻ってきた。
「今から50分後に、打ち上げ花火が始まるわ」
「花火デース!?」
「そうよ。どーんって打ち上がるやつ」
「おおお!」
ルネは石段に地図を広げてライトで照らした。
「何の地図ですの?」
「花火が良く見える場所が載ってる地図よ」
「花火楽しみデース!」
月美たちは皆で地図を覗き込んだ。ルネの髪はいつもライチのようなフルーティーな香りがする。
「この中から一番良さそうな場所を見つけるわよ」
「おお~!」
地図には何か所かピンク色のマーカーで印が付けられていた。ルネは結構計画的に旅行を楽しむタイプの女子なのかも知れない。
「印がついてる場所ならどこでも花火は良く見えるはずなの。だけど混雑の具合が分からないのよ」
「じゃあ、手分けして下見に行くデース!?」
「その通り! さすがキャロリンね」
「うへへ」
ちなみにルネとキャロリンは二人きりの時も日本語で会話しており、英語やフランス語でコミュニケーションをとっているところを見た者はいない。
「そ、それじゃあ、私は銀花さんと一緒に、坂の下のエリアを見てきますわっ!!」
「あら、じゃあこの辺りは二人に任せるわ」
月美は先手を打ち、百合と二人きりになるのを回避した。
百合は残念そうに横目で月美を見ていたが、可愛い月美ちゃんの色んな表情を見て楽しむチャンスはまだたくさんあるので、今回はひとまず別行動することにした。
「坂の下には、候補地が二か所あるみたいですわ」
「うん」
心地のいい風が吹き抜ける参道は、幻想的な灯篭の行列によって照らし出されている。
「花火の打ち上げはアヤギメの浜らしいですから、浜に近ければ当然、よく見えるというわけですわね」
「うんっ」
境内の人混みから離れたせいか、銀花ちゃんはちょっとだけテンション高めである。
「まあ、私はせっかくですから坂の下じゃなくて高いところから眺めたいですけどね」
「うんっ」
銀花は月美と手を繋ぎながら下駄を鳴らして夜道を歩くのがとても楽しそうだ。
20分後に先程の石段に集合することになっているから寄り道は出来ないのだが、満天の星空と森の香り、そして灯篭の輝きの中をのんびり散歩するくらいの時間はある。たまには初等部メンバーの最年少コンビの仲を深めるのも悪くない。
「あれなに?」
「ん、どれですの?」
銀花が指差したのは、月明かりが差さない木陰の闇の中でゆらゆら浮かぶ小さな緑色の光である。
「あら。あれホタルですわ・・・!」
「ホタル?」
「はい」
実は月美はホタルを始めて見た。
あれはミカヅキホタルというこの島特有のホタルであり、小さな体とゆるやかな動きが可愛いと、一部の生徒たちから大人気の虫ケラである。月美は基本的に虫が大大大嫌いなのだが、この島に住む温厚なミツバチと無害なホタルくらいはギリギリ許している。
「綺麗ですわねぇ・・・」
「うん・・・」
深呼吸するようなゆったりした明滅を見せる柔らかな光は、水路を流れる清水のせせらぎの近くの闇にたくさん浮かんでおり、目を凝らすと林の奥のほうにまでその輝きを見つけることができた。
銀河に散らばる星々にも見えるそのホタルたちは、実にゆっくりと飛んでおり、よく晴れた日の桜の花びらが地面に向かってひらひら舞い落ちていくスピードとほとんど同じである。実に風流だ。
(百合さんもこっちに誘えば良かったですわ・・・)
一緒にいるとすっかり緊張してしまい、一刻も早く離れたいと願うくせに、いざ距離を置くと切なくなる。そんな恋愛感情の不思議を感じながら、月美はホタルの光を熱心に見つめた。遠い祭囃子と雑踏が、月美の心をさらに深いノスタルジーへと誘っていった。
「うわぁっ」
するとその時、銀花ちゃんが珍しく大きめの声を出した。
なんと彼女は、ホタルに見とれるあまり、足元の水路の存在に気付かず、両足を水にちゃぷんと突っ込んでしまったのだ。水路はとても浅いので危険はないが、そのまま転んでしまうと石垣などに膝をぶつけて怪我をするかも知れない。月美は小走りで銀花に近寄った。
「大丈夫ですわよ。今いきますわ」
と言った瞬間、月美の足元で涼しい水しぶきが掛かり、気付いた頃にはもう彼女の足首は清らかなせせらぎの中にあった。ミイラ獲りがミイラになったわけである。
「やってしまいましたわ・・・」
「びちゃびちゃ」
「びちゃびちゃですわね」
なぜか銀花ちゃんはとても嬉しそうである。
レンタルした浴衣なので汚したら当然まずいわけだが、水は非常に綺麗だし、小学生だからということで大目に見て貰うしかない。
「なんじゃ、お前たちじゃったか」
「え?」
水路から上がり、浴衣の裾を搾っていた月美が振り返ると、そこには提灯を片手に坂を下りてくる千夜子の姿があった。
「す、すみません浄令院様。お借りした浴衣のまま水に足突っ込んじゃって・・・」
「想定内じゃ。小学生は服が破れるまで遊べ」
実に物分かりがいい先輩である。
「しかし怪我はいかんからのう。この水路にはセンサーを付けておいたのじゃ」
「え!」
タイミング良く駆けつけてくれたのは偶然ではなかったようだ。アヤギメ学区は田舎と見せかけて最新の安全装置などが仕掛けられている不思議の国である。
「去年も、お前らと同じように水路で足を濡らした女がおったからのう、警戒しておったのじゃ」
「そ、そうですのね」
千夜子は和柄のトートバッグからタオルを取り出し、二人に手渡してくれた。
「ありがとうございますわ」
「構わぬ」
千夜子は銀花の足を拭いてくれた。意外と面倒見がいいお姉さんである。
「しかし問題があってな。去年のそいつは足をびしょ濡れにした後、普通に打ち上げ花火を見に行ったのじゃ。そしたら翌日、見事に風邪を引いてな」
「あら、風邪ですの?」
「うむ」
月美は自分の足を拭きながら、足の指先が既にかなり冷えているのを感じた。真夏とはいえここは軽井沢みたいな爽やかな風が吹く町である。夜風に足元をガンガン冷やされ、あっという間に発熱コースなのだ。
「じゃから、すぐ風呂に入ったほうがいいぞ」
「え!」
「幸い、お前らの今日の宿は目の前じゃ」
「で、でも私たち、花火が見たいんですのよ」
これは月美の希望というよりは、銀花ちゃんが花火鑑賞できなくなるのを可哀想に思っての発言である。
「安心しろ。アヤギメ神宮寮の別館は最上階に風呂があるのじゃ。そこの露天風呂が実は大変な穴場でのう。よく花火が見えるのにほぼ貸し切りじゃ」
「ほ、ほんとですの?」
それならルネさんたちにも教えて、皆でお風呂花火を楽しもうかしらと月美は一瞬思ったが、百合の姿が脳裏に浮かんですぐにその案は却下となった。
(百合さんと一緒にお風呂はまずいですわああああ!!)
危ないところだった。月美は額の冷や汗を拭きながら深呼吸をした。
「そ、それなら、銀花さん、私たちはお風呂に行きます? 確かにこのままじゃ風邪引きそうですわ」
「うんっ」
銀花は月美と一緒に冒険できるならどこでもオッケーなのだ。
「じゃあ、お前らの保護者のルネたちには伝えておく。別館のフロントへ行って風呂に入りたいと伝えるんじゃ。ゆっくり温まれよ」
「はい。分かりましたわ。ありがとうございます先輩」
「構わぬ」
皆で花火を見られないのは残念であるが、風邪を引いたらもっと残念なことになる。残り少ない夏休みを楽しく過ごすためにも、ここは千夜子のお言葉に甘えるしかない。
千夜子は月美たちの背中を見送った後、ホタルの群れを見渡し、いつもの冷たい表情を少しだけ崩して呟いた。
「私も昔はあんな感じじゃったかのう・・・。すっかり忘れた」
良くも悪くも精神が大人になってしまった千夜子には、体のあちこちに擦り傷を作って島じゅうを駆けまわっている初等部メンバーたちを羨ましく思う瞬間があるのだ。
脱衣所の時計は、花火の打ち上げの15分前を差している。
「それでは私はこれで、失礼いたしますっ」
「は、はい。ありがとうございましたわ・・・」
やたら礼儀正しい侍みたいな先輩がここまで案内してくれた。
噂に聞いていたアヤギメ神宮寮の別館は、本当に観光旅館みたいな感じであり、ロビーに一歩足を踏み入れた瞬間から月美たちはウキウキしてしまった。ウツクシウムによる豊富な電力を贅沢に使用した眩いロビーは、和紙や竹で装飾されており、女学園島の歴史絵巻をテーマにした絢爛な空間になっていた。
最上階に客室はなく、広~いお風呂スペースがフロアを占めていた。早くも温泉みたいな香りがする脱衣所には、見たこともないハイテクな扇風機やしゃべる自販機などがあって華やかだったが、月美と銀花の二人しかいなかった。やっぱり皆お祭りに夢中であり、今頃花火が見られる場所を探して歩き回っているのだろう。きっと百合たちも同様である。
(・・・今は百合さんのことは忘れて、銀花さんの面倒だけ見ましょう)
日頃の緊張を癒せるいい機会かも知れない。初等部寮の近所の銭湯よりずっと豪華なこのお風呂で、目いっぱい羽を伸ばすべきだ。
「タオル持ちました? じゃ、いきますわよ」
「うんっ」
銀花はそっと月美の手を握り、頭を月美の肩にトンと押し当ててきた。腕で感じる銀花の髪がとてもくすぐったくて月美は照れてしまった。
(まったく・・・お嬢様の私にこんなに馴れ馴れしくしてくるなんて、将来大物になりますわね)
月美は銀花と一緒に湯けむりの扉を開けた。
露天風呂に行く前に体を洗うことにした月美は、広くて豪華な内風呂に見とれながらシャワーを使った。この内風呂は平安貴族の大邸宅にありがちな寝殿造りを意識して作られており、ヒノキでできた屋根つき洗い場の外には、小島や反り橋が点在する広~い湯舟があった。屋内とは思えない見事なお風呂である。
ということで、月美の意識から百合の姿が一時的に遠退くだけの充分な条件がそろっていたから、彼女はちょっぴりリラックスしながらシャワーを楽しむことができたのだった。
しかし、そんな月美の平和な背中に、重大なハプニングが迫っていたのである。
「月美! 銀花! 私たちを抜きにしてお風呂花火は許さないデース!!」
「ひいいいいい!!!」
元気良く脱衣所から入ってきたのは、素っ裸のキャロリンだった。
それは別にいいのだが、月美は瞬時に、とんでもない大問題を直感して戦慄したのである。
そう、キャロリンがたった一人でここへ来ているわけがないのだ。