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64、アヤギメ神宮

 

 深い緑の枝々に、午後の光が差し込んでいる。


 30メートル近い杉の大木たちが見せる力強い陰と、若いもみじの葉が爽やかに茂る陽だまりが、アヤギメ神宮へと続く古い石畳を覆うトンネルになっていた。


 その広大な葉陰に守られた石垣の水路にはあゆが泳いでおり、避暑地の趣きがあるアヤギメの夏を楽しんでいる様子である。喝采にも潮騒にも聞こえる蝉しぐれが、涼しい山風に乗って月美たちの頬を撫でていた。


「銀花ちゃん、おんぶしてあげよっか♪」

 小学2年生の銀花を、百合は気遣った。

 まだそれほど歩き回っているわけではないが、夕方から始まるお祭りのために体力は残しておくべきだと思ったのだ。銀花はまだ疲れていなかったが、百合におんぶして貰うのは初めてなので喜んで背中にしがみ付いた。

(ぬぅ・・・銀花さん、意外と大胆ですわね・・・)

 月美はちょっと銀花を羨ましく思っている。


「みんな早く来るデース!」

 キャロリンは無限の体力を持っている少女なので、さっきから何度も月美たちの周りを行ったり来たりし、石畳の上り坂を駆け上がっていった。

「キャロリーン! 転ばないでねー!」

 ルネは小走りでキャロリンを追いかけていった。百合とルネは初等部寮を任されているだけあって面倒見がとてもいいお姉さんたちである。

 桃香はキャロリンに恋をしているのだが、彼女を追いかける体力がないので、月美の隣でゆっくり坂を上がっている。桃香は小学6年生であるにも関わらず、4年生の月美から勉強を教わっており、近頃はかなりの仲良しだ。


「銀花ちゃんの後は、月美ちゃんもおんぶしてあげるからね♪」

「ぜ、絶対イヤです!!」

「ふふふ♪」

 百合は隙あらば月美を赤面させようとしてくる。



 緑のトンネルは、アヤギメ神宮の境内けいだいまで続いている。

 境内の入り口の大鳥居の脇で石碑を見つけた月美は、なんとなく立ち止まってその碑文を眺めた。

(なんて書いてあるのかしら)

 蝉の声と木漏れ日の中に浮かび上がる『綾着女神宮』という字を見て、月美は少しの間ピンと来なかったのだが、やがて『アヤギメ神宮』の漢字表記である事に気付いた。

「綺麗な着物を着た女性、っていう意味なんだってさ」

「え?」

「アヤギメって字、あんな風に書くんだよ」

「し、知ってましたわよ」

「そうなの?」

「は、はい・・・」

 自分が知らないことを百合から教えて貰うと、なぜか月美はツンツンした態度をとってしまう。もっと謙虚になりたいなぁと月美は常々思っているが、お嬢様プライドがなかなかそうさせないのだ。



 さて、月美たちは境内に到着した。この辺りは夏祭りの会場であり、数時間後に迫ったお祭りの最終準備のために慌ただしく生徒たちが往来している。


「よく来たのう!」

 珍しく薄手の浴衣に身を包んでいる浄令院千夜子が、下駄を鳴らしながら駆け寄ってきた。心なしか、いつもより楽しそうだ。

「こんにちは千夜子さん! お手伝いして欲しいことって何ですか?」

 百合は同級生の千夜子に対しなぜか敬語を使う。

「それがのう、私の後輩が昨日ドジを踏んでな、和紙で出来た灯篭とうろうのカバーを風に吹っ飛ばしてしまったのじゃ」

「え、灯篭ですか?」

「そうじゃ」

 灯篭と言っても石でできた立派なものではなく、牛乳パックくらいの大きさの、手作りタイプの灯篭だ。

「回収できなかった分の和紙は新たに急造したが、これをライトに巻いて灯篭にし、並べる作業がまだ終わっておらぬのじゃ。手伝ってくれるか」

「もちろんですっ」

「助かるぞ。お礼に、お前たちの今日の宿は特別な場所を選んでおいたから、楽しみにするといい」

「え! 本当ですか!!」

「うむ。アヤギメ城の別館はほとんど観光旅館じゃからの。期待は裏切らんぞ」

 気が利く女性である。

 さっそく月美たちは手分けして灯篭並べ作業をやっていくことにした。




「つ、月美! あれは何デース!?」

 月美が森林浴を楽しみながら道端に灯篭を立てていると、キャロリンが珍しくちょっと怯えた様子で駆け寄ってきた。

「どれですの?」

「あれデース!」

 彼女が指差した先には、キツネの姿をした50センチほどの石像が立っており、柔らかそうな苔を頭に乗せて静かに瞑想していた。キツネと言えば稲荷神社だが、その像はかなり人間的な立ち姿をしており、どちらかというとお地蔵さんであった。

「お地蔵さんかも知れませんわね」

「オジゾーサン?」

「普通は人間の像なんですけどね。ああいう感じで道端に立ってることがありますのよ」

「ワーオ!」

 神社なのか寺なのかよく分からない場所である。

「せっかくですから、お地蔵さんの横にも灯篭を立てておいたらいかがですの?」

「やってみマース!」

 両脇に灯篭を立てて貰ったキツネ像は、まるで森の妖精のように神秘的で、ますますしゅっと背筋せすじを伸ばしたように見えた。

「たぶん、ご利益りやくがありますわよ」

「おお!」

 これに気を良くしたキャロリンは、この後、お地蔵さんを探して神宮の敷地を駆けまわるのだった。



「あれ、月美ちゃん! 猫が来たよっ」

「え?」

 今度は百合が声を掛けてきた。

 キツネ像があったエリアよりやや東部の、深い森林に覆われた茶室の庭園あたりで作業していると、可愛い猫ちゃんが静かに近づいてきたのだ。

「あら、飼い猫みたいですわね」

「ほんとだー」

 フェルト素材で出来た緑色の首輪をしているその猫ちゃんは、茶道部の部長が飼っている猫であり、和紙の灯篭に興味を持ってやってきたようだった。この灯篭は火を使わないので倒れても安全だが、猫パンチで破壊されたら困るので、月美は一応警戒した。

 猫ちゃんはしばらく灯篭を観察したあと、どういうわけか百合の足元で丸くなって昼寝を始めてしまった。百合は、人間や動物を癒す謎のオーラを放っているのかも知れない。

「可愛いね~」

「・・・というか。いつの間にわたくしたち二人きりになってますの?」

「偶然だねぇ!」

「絶対わざとですわ・・・」

 そもそも月美は一人でこの辺りに灯篭を立て始めたのだが、こっそり百合が後をつけてきたのだ。

「ねえ月美ちゃん、今から偶然、月美ちゃんの脇腹くすぐっていい?」

「偶然の意味分かってます・・・?」

「お、私の手が勝手に」

「ちょっと!」

 月美は小さな体でぴょんと飛び退くと、百合はとっても無邪気に笑った。


 最近の百合は、月美へのコミュニケーションに一切の遠慮をしておらず、月美の可愛い表情を見るために毎日グイグイきている。それだけお互いに信頼しあい、友情を育むことができたとも言えるが、百合に思いっきり恋している月美にとってはたまったものではない。


「ねえ、キューピッドさん♪」

「その呼び方やめて下さる?」

「千夜子さんは誰かと恋愛してなかったの? 去年の世界で」

「え?」

「月美ちゃんが知ってるカップルは全部、縁結びしてあげないとね♪」

 月美が発案した恋愛成就作戦に、百合も協力してくれることになったのだ。

 夏祭りは色んな生徒が集まるので、何かやるなら持ってこいのチャンスなのだ。

「いえ、千夜子さんは誰ともラブラブになってた気配ありませんでしたわ。まあ、わたくしは正直千夜子さんのことはあまり知りませんのよね」

「そうなんだ」

「はい。学区も違いましたし、先輩でしたし。ただ、凄く頼りになる先輩でしたわ」

「なるほど、それは今も一緒だね♪」

「はい」

 蝉しぐれの中、月美は猫ちゃんの寝顔を見守りつつ、去年の千夜子のことを思い出していた。


 そう言えば月美は去年の世界で、木の枝から下りられなくなった猫を助けたことがあった。その時の千夜子はちょっと印象深く、猫に触るのを結構怖がっていたのだ。


「あ! 噂をすれば、千夜子さんが来たよ」

「え?」

 百合の声で我に返った月美がふと顔をあげると、坂の下から3人の美女が上がってくるのが見えた。千夜子を中央にして、左右にはなんと、アテナと翼が並んで歩いていたのだ。

「アテナさんと翼さんが一緒だ! 珍しい・・・!」

「夏祭りの最終チェックかなにかしてるんですわね」

「あの二人、ラブラブになって欲しいね!」

 百合はキューピッド大作戦にとにかくノリノリだ。


(アテナ様と翼様ねぇ・・・)

 よく考えているみると、アテナと言えば現在の月美の比ではないくらい硬派な女性であり、ストラーシャの聖域と呼ばれるくらい神々しい生徒である。一方翼と言えば、笑顔こそ爽やかだが、いつも機馬の改造をしている変人だ。つり合いが取れるようになるまでにクリアすべき壁は多い。


(翼様、すんごい緊張してますわね・・・)

 遠目から見ても、翼の歩き方のぎこちなさが一目瞭然である。どうやら翼はアテナに憧れているようだが、まさに高嶺の花といった感じなのかも知れない。


 知り合いたちの恋の運命をあるべき形にもっていけば、自分の運命もおのずと正しい位置に戻ると信じている月美にとって、アテナと翼のカップル化は必須科目である。翼さんにはもっと頑張っていただかないといけない。


「月美ちゃん。あれってどう思う? アテナさんと翼さん、仲良くしゃべってるのかな」

「・・・いや、千夜子さんが間にいますし、真面目な話をしてるだけに見えますわ」


 ちなみにあの三人が今やっている作業は、機馬がく御神輿がこの坂を安全に上れるかの確認である。本当は生徒会長であるローザが立ち会うべきなのだが、彼女はどこかで道草を食っていて遅刻しているから、ストラーシャ学区の有力者であるアテナが代わりにいるのだ。


「なんとかして二人きりにできないかな」

「ふ、二人きりですの? ちょっと難しいですわね・・・」

 月美たちが困っていると、月美の足元に猫ちゃんが寄ってきた。よく見ると猫ちゃんの首輪には『MY NAME IS ChaCha』と書かれている。

「あ」

「ん? どうしたの?」

「とんでもない名案を思い付いてしまいましたわ」

「え! ほんと!?」

 月美は猫の前でしゃがみ、彼女に語りかけてみた。

「あなたチャチャって言いますの?」

「ミャーオ」

 意外と声が可愛い猫だった。

「ちょっとあなたの力をお借りしたいんですけど」

「ンミャーオ」

 猫としゃべる月美が可愛くて百合はキュンキュンしてしまった。




「どうじゃ翼。今年は落ち葉も丁寧に片づけてあるぞ」

「う、うん。こ、これなら機馬もスムーズに通れるよ」

 翼は緊張のせいで声を震わせている。

 ちなみに翼は高身長でスタイルが良く、顔立ちもハイパー美しい上に長くてつやつやな髪を持っているのだが、素朴な少年っぽい言動と、自由人なくせに心配性という不思議な性格が、彼女に威厳というものを持たせないのだ。

「アテナはどう思う」

「機馬のことは分からないけれど、安全に観覧できるスペースがあるから良さそうね」

 一方アテナは冷静だった。

 翼のことは意識せず、夏祭りのことだけを考えている様子だ。

「去年はこの水路に片足を突っ込んで浴衣を濡らした生徒がいたらしいが、今年は観覧場所を片側にしたから・・・」

 と、その時、説明を続ける千夜子の視界の片隅に、醤油の掛かった大根おろしみたいな色の小動物が現れた。そしてその姿はみるみる千夜子に迫ってきたのだ。

「ぬ・・・お、お前は茶道部の・・・」

「ミャーオ」

「今は忙しい。お前の相手をしている暇はないぞ。・・・おい。く、来るな」

 チャチャは容赦なく千夜子に向かっていった。「あの浴衣姿のお姉様が遊んでくれるらしいですわよ」と月美が言ったせいである。

「おい、私はな、猫があまり、得意ではないのじゃ。分かったか」

「ミャーオ♪」

「面倒なやつじゃのう・・・」

 千夜子はしばらくその場で猫と舌戦を繰り広げていたが、ついに敗北し、「ちょ、ちょっと私は用事を思い出した。すぐ戻る」と言い残して神社の参道を小走りで下りていってしまったのだ。月美の作戦は上手くいったわけである。


 さて、困ったのは翼だ。

(まずい・・・アテナさんと二人になってしまった・・・!)

 翼はまとめていた髪を無意味にほどき、ポニーテールを作り直しながら自分を落ち着けようとした。

 この場面で全く会話せずに千夜子を待ち続けるのはあまりに不自然だし失礼かもしれない。なんとかしておしゃべりしなければいけないのだ。


「ここで待っていればいいと思いますか?」

「え!」

 全く動じていないアテナが口を開いた。翼は自分の耳がじーんと熱くなるのを感じた。

「そ、そうですね。千夜子さんとハグレウと面倒だからね」

「はぐれう?」

「は、はぐれると面倒だからね・・・」

「そうですね」

 噛んでしまった。

 翼は思い切り冷や汗をかいた。もう体が固まってしまい、会話が出来なくなってしまったのだった。



「月美ぃい! 並べ終わったデース! お祭り始まりますから、浴衣に着替えに行くデース!」

 坂の上からキャロリンと桃香がやってきた。

「何してるデース?」

 月美と百合の視線の先を追ったキャロリンは、道のほぼ中央で立ち尽くす翼の姿を見つけた。アテナはふらふらと近くを散策しているのだが、翼はまるで石になったように微動だにしていなかったのだ。

「わーお・・・」

 キャロリンはパタパタと坂を下り、近くにあった灯篭を二つ持って翼の両脇に設置し、月美のもとへ戻ってきた。

「ご利益ありそうデース!」

 月美と百合は今後、全力で翼をサポートしていかなければならないようだ。


 

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