62、おおきに
水着姿の月美は、とりあえず百合から距離を取っていた。
「この島の良いところと言えば、食べ物ですわね」
「確かにそうやなぁ♪」
パラソル付きテーブルの白い椅子に腰かけ、月美は舞鶴先生とおしゃべり中である。ここからなら海で泳ぐキャロリンたちの安全も見守れるし、日陰でジュースも飲めるのだ。
「舞鶴先生は、この島の植物についてどうお考えですの?」
「んー、やっぱ変わったもんが多いなぁ♪」
「そうですわよね。栄養豊富ですごく美味しいですし、樹皮から紙や布を簡単に作れる木もありますわ」
「便利な島やわぁ♪」
「はい。もしここが仮に無人島だったとして、漂着した人がいたとしても、案外快適に暮らせる気がしますわ」
「せやなぁ♪」
舞鶴先生はにこにこしながら月美とお話してくれる。子供扱いされる事が多い今の月美にとって、これくらい落ち着いておしゃべりしてくれる大人の存在は有難かった。
「舞鶴先生はもうこの島に慣れました? 何年くらい勤めてらっしゃいますの?」
「2年目やけど、だいぶ慣れて来たでぇ♪ もう本土に帰りたくないくらいやわぁ」
「そうですか。私も、もうこの島ですっかり落ち着いてますわ。二段ベッドは相変わらず好きじゃありませんけどね」
「あらぁ、二段ベッド嫌いなん?」
「天井が近くて息苦しいですわ。私は下の段ですけど」
「下だと余計狭苦しいかもなぁ♪」
「そうですわね。まあ、初等部メンバーはいつも皆さんから大事にしていただいてますから、贅沢は言えませんけどね」
「ここの生徒たち、皆優しいもんなぁ。うちもこの学園で青春過ごしたかったわぁ♪」
「舞鶴先生はどんな高校生活でしたの?」
「普通ぅ~の学校やでぇ。地球環境のこと勉強しとったわぁ」
「そうなんですか。結構真面目な学校みたいですわね」
「うん、真面目やったなぁ♪」
月美が去年暮らしていた世界の舞鶴先生は、病弱なルネを一生懸命看護していた人なのだが、今回も月美のイメージ通り、親切で落ち着いたお姉さんのようだ。こんな感じのおしゃべりができるなら、これからも時々舞鶴先生に会いにきたいですわねと月美は思った。
「なあ、月美ちゃん」
「なんですの?」
「月美ちゃんって、うちのこと好きなん?」
舞鶴先生のにこにこ笑顔の向こうに、飛行機雲が横切っているのが見えた。
「なななななな何を言ってますの!!??」
「だって、ずっとうちとしゃべってるやん? うちの事、めっちゃ好きなんやなぁって♪」
「ちちち違いますわよ!!!」
「こんないいお天気で、ビーチに来て、どうして先生とおしゃべりしとるん?」
「そ、それは・・・その・・・」
「やっぱうちのこと好きなん?」
「違いますわよぉ!!」
「月美ちゃんって、おもろいなぁ♪」
どうやら舞鶴先生は月美が想像していたより食えない人物だったようだ。ローザ会長とは違った意味で危ない人だと言える。
「月美ぃ! 先生と何してるデース!?」
「わぁ!」
キャロリンが背後から抱き着いてきた。キャロリンは普段からやたら欧米風のコミュニケーションを取ってくる子なのだが、今日はビーチに泳ぎにきた高揚感から、いつもよりさらにスキンシップ多めになっており、月美の耳の辺りや側頭部にちゅっちゅと軽めのキスをしてきた。無邪気なのは結構だが月美は耳が敏感なので勘弁して欲しいものである。
「た、ただおしゃべりしてただけですわ・・・。あと挨拶のキスみたいなのやめてくださる?」
「先生の水着可愛いデース! 似合ってマース!」
「おおきに~♪」
「オオキニ~ってどういう意味デース?」
「あなたもなかなかやで、って意味やぁ♪」
「なるほどぉ! あなたもなかなかやりますねぇの短縮タイプデスねぇ! 今日から使いマース!」
キャロリンは月美の頭にほっぺを押し当てながら、また新たな日本語を学んだわけである。
追いかけっこ中だったキャロリンが月美と絡んでいるので、自然と百合たちも集まってくるわけである。サングラスがよく似合うルネが、月美を遊びに誘った。
「月美ぃー♪ こんなところで優雅にくつろいでるのぉ?」
「いや、別に・・・くつろいでるわけでは・・・」
「白熱のビーチ追いかけっこ、一緒にやるわよ♪」
「うぅ・・・」
水着姿の百合がすぐ近くにいるのに、普通に遊んでいられる仲間たちの神経を月美は疑った。が、よく見ると桃香ちゃんだけは思い切り赤面しており、セクシーなお姉様たちや大好きなキャロリンの胸などを見ないように苦心している様子だった。月美もあの努力を見習うべきかもしれない。
「・・・じゃあ、少しだけ、お付き合いしますわ」
「よーし! じゃあ鬼はリセットして、私からでいいわ!」
ルネは極めて清楚な外見をした少女だが、かなりサッパリした性格である。
(百合さんに追いかけられなくて良かったですわ・・・)
それがせめてもの救いである。舞鶴先生とこれ以上おしゃべりしていると変な誤解をされそうなので、月美は冷静な顔を保ったまま椅子から下り、パラソルの陰から顔を出した。恋する乙女は、真夏の太陽から逃れられない運命である。
(月美ちゃんのこと追いかけたら、どんな感じで逃げるのかなぁ・・・)
銀花ちゃんと手を繋いで波打ち際に立っている百合は、月美のことをじっと見つめながらそんなことを考え、胸をドキドキさせていた。月美の色んな表情を見たいという欲求が抑えきれないのだ。
さて、追いかけっこのルールは簡単で、海から出ることなく逃げ回るだけだ。
波打ち際を走ってもオーケーだし、泳いで逃げてもいい。小学2年生の銀花ちゃんも安全に遊べるよう細かい決まり事もあるが、月美はとにかく、鬼のルネさんから逃げ回ればいいだけだ。
(と、とにかく、百合さんを直視しないようにしましょう・・・)
百合から逃げる必要はないが、見てはいけないというメデューサ的なルールが加わっているため、月美だけちょっぴり難易度の高い遊びになっている。膝の辺りまで海に入った月美は、心地よく体を満たす涼感に癒されながらも、気合をしっかり入れることにした。
さて、ここでちょっと問題がある。
月美はあまり深く考えずに追いかけっこを始めたわけだが、この遊び、タッチされた人も鬼になるタイプの追いかけっこだったのだ。
「はい! 百合タッチ~」
「あ! もう、容赦ないんだから」
なんと、ルネはあっさりと百合を鬼に加えてしまったのだ。
初等部のメンバーたちはやっぱり追いかけられている時が楽しいわけだし、手加減しながら子供たちを追いかけるような空気の読める仲間を、ルネは欲したわけである。
焦ったのは月美だ。
(ひいいい! ゆ、百合さんも鬼になりますのぉ!?)
月美はちょっぴりしゃがんで銀花ちゃんの背中に隠れながら、薄目を開けて百合の様子を見た。鬼役になった百合は「誰を追いかけようかな~」みたいにわざとらしく呟きながら、辺りをぐるっと見回した後、「月美ちゃんと銀花ちゃんみっけ♪」と言って、ザブザブ水をかき分けて月美たちに迫ってきた。
銀花はキャッと小さな声を上げ、楽しそうに逃げ始めた。
普通、4年生である月美が盾になって年下の銀花ちゃんを守るくらいのことをすべきなのだろうが、月美はとにかく必死なので銀花ちゃんを追い越し、渚を駆けていった。
「はい、銀花ちゃんタッチ♪」
「捕まった」
銀花も鬼になったが、彼女は満足そうに浜に上がり、ビーチボールを抱き上げながら月美の逃走劇を観戦することにしたようだ。銀花はこのように、みんなでやっている遊びを自分なりの楽しみ方でアレンジすることが多い。
一方その頃、既に鬼になっていたキャロリンは桃香を捕まえていた。
「桃香ゲットデース!!」
「ひゃあ!」
キャロリンは桃香のおっぱいが大好きなので、タッチするついでに彼女の胸を後ろからポニッと触ったのだ。自分の胸を桃香の背中に密着させ、抱き寄せるように腕を回しているから、かなりえっちな状態であると言えるのだが、キャロリンは無邪気な子なので、いやらしい事をしているという認識はない。
「キャロリンちゃん、積極的やねぇ♪」
舞鶴先生がジュースを飲みながら波打ち際までやってきた。
「そうデース! 私、積極的デース!」
難しい日本語だったが、褒め言葉であることはなんとなく分かっているので、キャロリンは気分が良かった。水着姿の同級生のおっぱいに触ったら先生に褒めて貰えるのだから愉快な学校である。
「月美ちゃん待てぇ~!」
「ううっ!」
ザブザブと水をかき分けながら、月美は百合から逃げている。
月美は普段、空気を不必要に揺らさずに歩いている忍者タイプのお嬢様なので、豪快な水しぶきを上げながら水面をかき分けて進んでいる今の自分をとても新鮮に感じた。恥ずかしさももちろんあるが、非日常のわくわく感がそれをちょっぴり上回り、月美の全身を駆け巡っているのだ。
とはいえ百合からはしっかり逃げなければならないから、月美は必死である。もしも水着の百合に背後からぎゅっとされてしまったら、月美は今夜も眠れなくなってしまうだろう。
(あ、あれ、銀花さんは浜を走ってますのね)
百合と月美の勝負の行く末を見ようと楽しそうに並走している銀花ちゃんに、月美は気づいた。
(銀花さん、転ばないか不安ですわ)
月美がそう思った次の瞬間、銀花ちゃんはふかふかの砂浜に足をとられ、転倒してしまったのだ。
両手でビーチボールを抱きながら走っていた銀花ちゃんは、ボールがエアバッグのような役割を果たしたため、無傷だった。ビーチバレーにも使われる柔らかい砂浜なので膝も無事である。
が、問題は月美のほうだった。
転んでしまった銀花に気をとられ、大きく減速してしまったのだ。
前を走っていた月美が浜のほうを見て急に足を止めたので、百合は驚いたわけである。
「あっ!」
あっさりと月美に追いついてしまった百合は彼女に軽くぶつかってしまい、バランスを崩して波打ち際に尻もちをついてしまったのだ。一度に色んなことが起きすぎである。
10センチほどの浅さの海水がそっと打ち寄せる渚に尻もちをつき、両手を体の真横より少し後ろ側の砂地につくポーズになった百合は、まるで太陽を浴びてリラックスする人魚みたいである。
この格好自体はよくある姿勢なわけだが、そこに一点だけ、百合の心を最高にときめかす重大な要素がプラスされていたのだ。
「あ」
「あ・・・」
なんと、運の悪い月美は、百合と一緒にバランスを崩して膝をつき、向かい合った百合の両肩の辺りに手をつくスタイルになってしまったのだ。
(ひゃああああああ!!)
百合の体に触ってしまった衝撃もさることながら、これまで視界に入れないよう努力してきた百合の美しい水着姿や愛おしい顔などが、一気に網膜を通じて頭の中を満たして思考を奪っていく恐怖に、月美は怯えた。
(な、なんでこんなことになってますのぉ!!)
すぐに飛び退けば良いのだが、すっかり緊張している月美はぬいぐるみのネコちゃんみたいになっているから動けない。天使のように綺麗な百合がちょっぴり頬を染めながら自分を見つめてくる状況で、月美はただ、生々しい百合の肩の体温と最高にセクシーな胸元、そして全身をゾクゾクさせる百合の瞳にハートを奪われてしまったわけである。
「月美ちゃん、タッチ♪」
やがて百合は、自分の肩に触れている月美の小さな手に、そっとタッチしたのだった。
水に濡れた百合の手は、火照った月美の手の甲をさらにゾクゾクさせ、百合の声は月美の敏感な耳を容赦なく刺激した。月美は頬を真夏のトマトみたいに赤く染めたまま、動けないままだった。
「タッチしたよ、月美ちゃん♪」
月美の可愛い顔を見られて嬉しい百合は、照れている月美のほっぺを人差し指でやさしくつついてみた。美味しそうなそのほっぺは、マシュマロみたいに柔らかく、プリンのようにぷるぷるである。
(このままほっぺにチューしたら、月美ちゃんどんな顔するのかなぁ・・・)
百合はなんとなくそう思った。
そこへ、空気が読めているのか読めていないのか分からないあの子が駆け寄ってくる。
「月美ぃいいい!!」
つい先程「積極的やなぁ♪」と先生に褒められたばかりのキャロリンだ。
キャロリンのお陰で我に返ることに成功した月美は、慌てて百合から離れた。月美はすぐに百合に背を向け、目に焼き付いてしまった女神の姿を打ち消そうと、地蔵のような顔をした。
しかしキャロリンはそんな無我フェイスの月美に抱き着いてぴょんぴょん飛び跳ね、こう言ったのである。
「月美ぃ! 百合に挑むなんて、おおきにデース!」
「お、おおきに!?」
「おおきにおおきにぃ!!」
「なななんで感謝してますの!?」
「え? 感謝? 何おかしなこと言ってるデース?」
「キャロリンさんのほうがおかしいですわよぉ!」
日本語はやっぱり難しい。
渚に腰を下ろしたまま、百合は月美の横顔を見守っていた。月美の珍しい表情をまた一つ見る事ができて百合はかなり満足である。
が、月美が飛び退いた時に感じた海の広さはちょっぴり切なくて、できればもっと長い時間、二人きりで見つめ合いたかったなと心のどこかで感じていた。
(なんか・・・不思議な気持ちだったなぁ・・・)
百合はグッと伸びをしながら空を仰ぎ見た。
まだまだ日は沈まない真夏の女学園島の空には、白い月がほんのり浮かび上がっており、お互いの心と体の距離感を計り合って一喜一憂する乙女たちを、遠くから静かに、優しく見守っているようだった。