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58、試着室

 

 丘の向こうの空の彼方から、夏の気配が近づいてきている。


 なかなか沈まぬ太陽のお陰で放課後の時間は長くなり、少女たちの毎日はより自由になっていった。そろそろ、日焼け止めの香りが、潮風に乗って街を吹き抜けていく季節である。


「ねえ、今日の放課後、水着買いに行かない?」


 朝、ダイニングでトーストを食べながら、ルネがそんな風に提案したのだ。

 百合やルネは去年の水着を持っているのだが、サイズが変わっているだろうし、初等部の子たちはみんな水着を持っていない。今が買い時だ。

「オー! 水着があればイルカと遊べるデース!」

 好奇心の塊であるキャロリンはもちろんノリノリであり、そのキャロリンに恋心を寄せている桃香も、黙ったままポーッとした顔で宙を見上げていた。キャロリンの水着姿でも想像しているに違いない。

「6年生コンビは一緒に行くみたいね! 月美と銀花はどう?」

「う・・・」

 月美は百合の回答を聞いてから口を開こうとしていたのだが、先に尋ねられてしまった。月美は水着に興味は無く、百合の水着姿という危険物を目撃しない方法にのみ関心がある。

「わ、わたくしは・・・夏というか海が好きじゃありませんから、水着なんて要りませんわ」

「えー、昨日も百合と砂浜散歩してたのにぃ?」

「あ、あれは! 無理矢理誘われたから付き合っただけですわ!」

 ルネは、小学生の月美が百合お姉様に好意を寄せていることになんとなーく気付いており、それを時々からかうのだ。しかし、月美の中身が高校生であることや、百合への恋心が小学生特有の淡~い感じのものでないことには彼女は当然気づいていない。月美の恋はそんな生半可なものではないのだ。

「銀花はどう?」

「月美が行くなら行く」

 小学二年生の銀花ちゃんはとにかく月美に懐いているので、この返答は妙に早かった。

(う・・・わたくしのせいで銀花さんが夏の海を楽しめなかったらまずいですわね・・・)

 月美はしぶしぶ水着を買いに行くことにした。




 放課後、月美たちは寮に戻らず、ストラーシャの大通りの噴水広場で待ち合わせした。

 ここは翼先輩が機馬レースで華麗にゴールを決めた大通りだ。水着ショップは各学区にあるが、水着と言えばやはり、マリンスポーツが盛んなストラーシャ学区が充実している。

「あの、月美さん」

「え、なんですの?」

 百合やルネを待っていると、桃香が話しかけてきた。桃香は月美より年上なのに、いつも丁寧な感じでしゃべってくる。

「月美さんはどんな水着にします?」

「・・・いやぁ、別に何でもいいですわ」

 月美は美意識が高い女だが、それゆえに今の自分の9才ボディーをどう着飾ってもクールな女になれないことを理解しており、水着選びに全く興味がない。100点を取れないと分かっているものに対してやる気が全く起きないのは月美のような完璧主義者の短所でもある。

「・・・しいていえば、子供っぽいものは避けようと思ってますわよ」

「そ、そうですか」

 桃香は少し考えたあと、恥ずかしそうに月美の耳に唇を寄せてきた。

「あ、あの、キャロリンさんはどんな水着が好きなんでしょうね」

「え」

 なぜキャロリンの好みを月美に尋ねるのか。

(んー、なんか知りませんけどキャロリンさんは桃香さんの胸が大好きですからねぇ・・・)

 桃香は小学6年生にしては豊かなお胸をしている。

「私は興味ないですけど、多分ビキニがいいと思いますわよ」

「びきにって何ですか?」

「えーと・・・こういうやつですわ」

 月美はちょっと照れながら自分の胸を手で押さえるような格好をした。

「そ、そういうのは、む、無理ですぅう!」

「ですわよね。わたくしもおすすめはしませんわ」

「うぅ・・・!」

 桃香の恋もなかなかに前途多難である。



 百合たちが合流したあと、一行はエム・ジラフィーの向かい側にある3階建てのレトロなビルに入った。 小学生用の水着を取り扱っている店がここくらいしかなかったわけだが、種類は結構豊富だった。キャロリンが大喜びで選んでいる間に、月美はさっさとスクール水着風のセパレート水着を買った。スカートのようになったシルエットと胸元の控え目な銀色のレースにより、クールさと謙虚さが演出された無難な水着である。

わたくし、先に外に出てますわよ」

「分かったデース!」

 キャロリンは忙しそうに水着と値札を見比べながら店内を歩き回っていた。

 ちなみに、この学園は学業成績や学園への貢献度でお小遣い額が決まり、支給されているので、勉強や委員会活動を頑張れば頑張るほど、たくさんお買い物が楽しめるシステムである。勉強嫌いのキャロリンが意外とテスト勉強を頑張るのはこのためだ。



 噴水のせせらぎの元に、一人また一人と、買い物を終えた初等部メンバーが集まってくる。

 月美とほぼ同じタイプの水着を買った銀花ちゃん。色だけは可愛いが結局地味目な水着を選んだ桃香ちゃん。そして気が早いことに巨大な浮き輪も買ってきた大胆水着のキャロリン。三者三様である。

「あの、キャロリンさん、どうしてもう水着着てますの?」

「夏が待ちきれないからデース!」

 一度試着したら非常にしっくりきてしまったようで、そのままレジに並んだらしいのだ。このまま水着で生活しそうな勢いだが、桃香ちゃんが赤面してうつむいているし、初等部のキャロリンちゃんにメロメロな先輩たちも多いので、無自覚にセクシーな魅力を巻き散らすと思わぬトラブルに巻き込まれるのでやめるべきである。


 さて、中高生向けの水着の売り場は三階まであるから、さすがに百合とルネは選ぶのにもう少し時間を要するらしい。百合さんは今頃どんな水着を手にとってるのかしらと、月美はなんとなく考えながら水着店のビルを見上げていた。レンガ色の屋根の上で白いハトが昼寝をしている。

「せっかく大通りまで来てるデスから、ここで遊ぶデース!」

 水着姿のキャロリンが噴水の水に両足をつっこみながら言った。

「水遊び以外でお願いしますわ」

「じゃあ隠れんぼデース!」

 体が小さな子供たちにとって、隠れ場所に困らない大通りは非常に魅力的な隠れんぼスポットだ。いつもとは一味違うドキドキを味わえるだろう。

「最初は私が鬼でいいデース。逃げ回ってくだサーイ」

 鬼ごっこ的なルールもいつの間にか加わっているが、月美はしぶしぶ遊びに参加することにした。小学生として暮らしているのだから、こういう付き合いも大事である。



 水着を選んでいる百合にばったり会わないように、とりあえず月美は水着店から離れることにした。

 とはいえ路地を曲がって大通りから出てしまったら多分ルール違反なので、この付近の建物に入る必要がある。カフェやレストランも多いのだが、飲食店に勝手に入ってテーブルの下に潜ったりするのは迷惑なので、やっぱり服屋がいいかも知れない。服と服のあいだにしゃがんだり、マネキンのフリをしたり、色々できそうである。

(まあ、服屋さんに迷惑かも知れませんけど、今のわたくしは小学生だし大目に見て頂けるでしょう)

 月美は毎日苦労しているのだから、少しくらい恩恵があってもいいはずである。


 店員をしている生徒に見つかると面倒なので、人が少なくて広々して店を月美は選ぶことにした。オルゴール専門店の隣にある、ナチュラルな色合いの商品で統一された可愛い服屋だ。

「あら銀花さん、一緒に来ますの?」

「うん」

 いつの間にかついて来ていた銀花が、月美の手を握ってきた。銀花は小柄なので、一緒に隠れても大丈夫かも知れない。

「じゃあいきますわよ」

「うん」

 入店のタイミングから気配を消す必要があるので、月美は抜き足差し足でエントランスへ踏み入った。

「いらっしゃいませ~!」

「う・・・」

 さっそく見つかった。しかし細かいことは気にせず、二人は隠れ場所を探すことにした。


 一階の売り場には中等部の生徒が5、6人おり、楽しそうに部屋着や帽子を選んでいた。上の階も売り場になっているようなので、月美たちはこっそり階段を上ることにした。

 古びた木製の階段はよく手入れされており、塵ひとつない光沢の中に天井のシャンデリアと窓明かりが輝いている。

「あら」

 可愛いかまぼこ型をした窓に魅かれた月美が、階段の踊り場から大通りを見おろしてみると、水着姿のキャロリンがポストの裏や機馬車の中などを覗いて回っているのが見えた。周囲のお姉さんたちがキャーキャー言っている。やっぱりあの格好はまずいだろうと月美は思ったが、どうしようもないので先を急ぐことにした。


 お人形の家みたいに美しい二階の売り場には誰もいなかったので隠れ放題だった。

 淡いピンクや優しいグリーンのシャツがたくさん掛けられたハンガーラックの裏に隠れ場を見つけた銀花は、ちょっぴり楽しそうにそこに潜り込んでしゃがみ、月美に微笑んだ。いい場所だが、二人は隠れられないので月美は別の場所を探す必要がある。

 あまり遠くへ行ってしまうと銀花ちゃんが寂しがるので、月美はこの近くを探すことにした。幸運なことに、イルカ一頭分くらいしか離れていないところに、可愛い試着室があった。開いたカーテンの向こうに、レース風の縁取りがされた楕円形の大きな鏡が見える。

わたくし、あの中に隠れますわね」

「うん」

「銀花さん、先に見つかっても、わたくしの居場所は秘密ですわよ」

「うん!」

 銀花は非常に無口でいつも凍ったような頬をしている子なのだが、月美と二人きりでいる時は結構楽しそうにしており、タンポポの綿毛のようなふわっとした笑顔を見せることがある。


 試着室に入った月美は、脱いだ靴をきちんと隠してからカーテンを閉めた。


 店内には作曲者の分からないピアノのワルツが静かに流れていた。

 月美はその優美な旋律に心を預けながら、なんとなく童心を蘇らせていた。かなりハイレベルな場所に隠れているので、キャロリンに見つかってしまうかも知れないというドキドキ感は正直ほとんど無かったが、試着室という、本来着替えをするための空間にただうずくまり、身を隠している今の自分が、ある意味で本物の子供みたいに感じられたのだ。空き箱を馬車に見立てたり、小石がヒヨコに見えたり、とにかく子供というのは、物や場所が持つ本来の目的に興味は薄く、新たな意味を創造する力を持っている。こうして遊んでいると、日常のどうでもいい物事が、無限に物語を作っていきそうな不思議な感覚に包まれ、分厚い絵本の表紙を眺めているような高揚感を味わう時があるのだ。


 ノスタルジックなわくわく感と穏やかなワルツの中で、月美はいつの間にか、うとうとし始めたのだった。




「月美ちゃん♪」


「月美ちゃーん♪」


 白いベールの向こうから吹いてくるそよ風のように、優しい声が月美の意識の水面みなもを揺らす。その声の主が大好きな百合さんであることに気付き始めた月美の意識は、慌てて全身の電源を入れるように、理性を叩き起こした。


「おはよう♪」

「え・・・」

 こういう時の月美はほとんど反射的に、自分が今どれくらい恥ずかしい状況なのかを把握し、瞬時にお嬢様っぽい言い訳を探す。

「起こしちゃってごめんね♪」

 月美はもちろん試着室にいるわけだが、なんと目の前には、真珠のようなホワイトのビキニ姿の百合が中腰になって立っていたのだ。百合の水着姿を月美は去年見ているわけだが、あの時はもっと心の準備があった。

「ひいいいいい! ち、違いますわ! こ、これは、無理矢理鬼ごっこに付き合わされて、それで・・・!」

 月美は慌てて目を閉じ、何とか言い訳しようと早口になった。まぶたの裏に、たった今見てしまった百合の姿が焼き付いている。


 その時だった。


 百合が「しーっ」と言って笑いながら、月美の唇にそっと人差し指を押し当ててきたのだ。


 百合の温かい指先にキスをするような形になってしまった月美は恥ずかしさでパニックになり、なぜか目を開けてしまった。百合の笑顔と同じ色が首元から肩、そして大きなおっぱいの谷間まで広がっており、その豊潤な存在感と甘い香りが、月美の理性をぶっ壊しにかかってきた。


「どどど、どうしてここにいますの・・・! なんで着替えてますの!!」

 まずはこの疑問を解決しなければならない。

「え、だって、この店の水着すごく良いんだもん♪」

 なんと、この服屋の二階の売り場には水着も販売されていたのだ。優しい色合いを好む百合にピッタリの水着がここにはあったわけである。

 ちなみに、百合が月美に小声で話すよう促したのは、すぐ近くで銀花ちゃんが居眠りしているからである。裏を返せば、この空間は今、誰にも邪魔されない二人だけの場ということになる。

「この水着の感想、聞かせてくれない?」

「ええ・・・!?」

「ルネさんと相談しながら選んでたんだけどさ、大通りにローザ会長が来たみたいで、ルネさん行っちゃったの。今頃また口喧嘩してると思う♪ だから参考になるのは、もう一人の高校生、月美ちゃんかなって思ってたところなの♪」

 それで偶然試着室にいたのだから実に都合が良かったわけである。


「ねえ、似合う?」

「うう・・・!」

 百合はただ、親しい同級生に水着の相談をしているだけの感覚だろうが、月美にとっては只事ではない。

「ねえ、どう?」

「ち、近づかないで下さい!!」

「ふふふ♪ 恥ずかしがらなくていいでしょ。私たち、去年は同室に住んでた親友だったんでしょ♪」

「そ、そうですけどぉ・・・!」

 なぜか今年の百合は去年よりも積極的であり、少しいたずらっ子な側面もあるようで、慌てる月美を見てちょっと楽しんでいる感じがある。

「どうかな。私はこれ、気に入ってるんだけど」

「うう・・・」

 月美は目を泳がせたり、ぎゅっと閉じたりしながらしばらく黙っていたが、このままでは埒が明かないと思い、そっと首を立てに振った。

「似合ってる?」

「・・・うん」

 はいと言うつもりが、うんと言ってしまい、月美はますます恥ずかしくなったが、返事を聞けた百合が満足そうに一歩離れたので月美はちょっぴり安心した。自分の網膜に、こんなに広範囲で百合の肌色を映したことがなかったので、月美の全身はお風呂上りみたいに火照ってしまい、脚が小さく震え、息遣いもおかしくなってしまった。

「じゃあ、この水着に決めた♪」

「あっ・・・!」

 元の制服に着替えそう流れだったので、月美は急いで試着室を出た。靴も履かないままフロアに飛び出した月美は、靴下越しにつるつるの木床の感触を感じながら試着室の壁にもたれ、ホッと一息ついた。百合が持つ無邪気なセクシーさは、月美のハートと体をいつも狂わせるのである。


「ん・・・?」


 ここで月美は、今までの一連の流れの中にちょっとした違和感を覚えた。

 その違和感はみるみる月美の心を支配していき、やがて激しい動揺となって彼女の頭を混乱させ、赤面させた。


「え!? ちょっと! 百合さん!」

「なぁに?」

 試着室の中から、百合は楽し気に返事をする。

「い、居眠りしてるわたくしの目の前で、水着に着替えたってことですの!?」

「そうだよ♪ 全然気づかないんだもん」

 その光景を想像してしまった月美は、その場にへなへなと座り込んでしまった。大好きな百合さんが、1メートルも離れていない至近距離で制服を脱ぎ、胸などを完全にあらわにしていたという事実に、月美は震えるしかなかった。


 今夜はとても眠れそうにない。

 

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