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49、ザリガニャン

 

「月美! ザリガニャンごっこするデース!」

「わあああ!」


 月美は椅子からひっくり返ってしまいそうだった。


 月美にとって初等部の授業は驚くほど退屈であり、五時間目が終わった瞬間の彼女の頭は完全にボーッとなっていたのだ。キャロリンの甲高い声は月美の意識に冷水をぶちまけたような衝撃を与えた。


「ザ、ザリガニャンって何ですの・・・?」

 当然の疑問である。

「知らないデスカ? ザリガニのコスチュームを着た猫デース! テレビでやってるデース」

「あら・・・そうですのね」

 寮の二階の大部屋にはテレビがあるのだが、そこでよく放送されている人気番組が「三獣士」シリーズである。喧嘩を挑んだザリガニがあまりにも強かったため弟子にしてもらい、修業を積んだ野良猫が、仲間と共に小川の平和を守るヒーローに成長していく物語だ。

 この島で見られるテレビ番組は全て、この学園で制作されたものであり、ザリガニャンもアヤギメ学区の美術部が作成したクレイアニメーションだ。

「・・・わたくしはそんな子供番組見てないので、ザリガニャンごっこなんて出来ませんわよ」

「じゃあ何ごっこなら出来るデース?」

「何ごっこも出来ませんわ・・・。鬼ごっこなら出来ますけど」

「じゃあ鬼ごっこするデース!」

 月美はしまったと思った。初めからキャロリンはこの言葉を引き出そうとしていたのではないかと思うほど、スムーズに遊びに誘われてしまった。

 気の早いキャロリンは両腕をぶんぶん振り回しながらアキレス腱を伸ばし、気合を入れている。

「最初の鬼は私でいいデース! 月美と桃香と銀花は逃げるデース!」

「ええ、私も参加するんですかぁ・・・!?」

 カバンの中身を整理するフリをしながらずっとこちらをうかがっていた桃香が、ガタンと音を立てて腰を上げた。驚いているように見えるが、桃香は内心とても喜んでおり、美人で愛嬌のあるキャロリンちゃんの友人の一人として自分が認められたのだと、胸を熱くした。桃香は同級生のキャロリンに強い憧れを抱きつつある。

 二年生の銀花はとても無口なので会話には全然入って来ないが、だいたいいつも月美のそばにおり、遊ぶ時は一緒である。

「隠れてもいいルールにするデース!」

「じゃあ隠れ鬼ごっこですね。どこでやります? 学舎? それとも街中でしょうか」

 桃香は意外とノリノリである。

(百合さんに見られたくないですわねぇ・・・)

 恥ずかしがり屋の月美は、大好きな百合さんの前で子供っぽいことをしたくないのだ。高校生は6時間目まで授業があるから、お勉強の邪魔をしないためにも、外で遊ぶべきである。

「街中がいいと思いますわ」

「そうですね。今日は百合先輩たちが美術のスケッチで外にいるらしいですし、大通りとかに行けば会えるかも知れません」

「や、やっぱり学舎周辺でやるべきですわね!」

 月美の希望により、学舎の中と、その周辺で遊ぶことに決まった。




 4Bの鉛筆が、水彩紙の上を華麗に走り、聖堂の影を浮かび上がらせていく様子を見て、百合はため息をついた。

「ルネさん、本当に絵が上手だね」

「そ、そんなことないわ」

 ルネは画板を抱きしめるように絵を隠して照れた。

「普段は風車の絵が多いけど、こういう街角の絵も凄く素敵だよ」

「ありがと、百合♪」

 鉛筆を削りながらそっと微笑むルネの髪を、風が揺らした。

 百合とルネは学舎から徒歩10分ほどのところにある聖堂をスケッチしに来ていた。聖堂は鮮やかな芝に覆われた小さな丘に建っており、巻き貝に似た白い屋根が青空の下で輝いている。


 誰かが弾くピアノの音色に乗せてルネが鼻歌を歌っている。

 百合は水彩紙の細かな凹凸おうとつに映る鉛筆の陰をなんとなく眺めながら、その鼻歌に耳を預けていた。春の温もりが草の匂いを運び、揺れる髪に頬をくすぐられる穏やかな午後のひと時は、百合にとっては絵にも描けない美しさである。

(ここに月美ちゃんもいればいいのになぁ)

 なぜか百合は月美のことばかり考えてしまうのだった。


 さて、百合の鉛筆がようやく聖堂の全体像を大まかに捉えた頃、彼女の目は別の何かを見つけた。

「あれ?」

 聖堂のそばに立つオリーブの木の近くで、野生のウサギが居眠りをしているのだ。

「あの子いつからいたのかな」

「気付かなかったわ。たった今来たんじゃない?」

 大福餅みたいな体が芝に半分埋もれており、柔らかそうな白い毛がそっと風になびいている。

「可愛いけど、あの場所で寝てたら危ないね」

「そうね。機馬は通らないけど、踏まれちゃうかも知れないわ」

 先程から、スケッチがひと段落した高等部の生徒たちの往来が激しくなっているのだ。もっと安全なところで寝るべきである。

「んー、どうしようか」

 百合とルネは鉛筆を置き、ウサギの安眠を守る方法を考えることにした。




「それじゃあ今からカウントするデース!」

 キャロリンは昇降口の靴箱におでこを付け、英語でカウントを始めた。

「ワ~ン! トゥ~! スリ~!」

 いくつまで数えるのか知らないが、月美たちは早く逃げるべきである。

「ええと、どうしましょう」

 簡素になったヴェルサイユ宮殿と称されるストラーシャの学舎は、昇降口や廊下などがやたら広々しているため、遊び場にはなるのだが、身を隠せる場所は意外と少ない。

「銀花さん、わたくしは外に行ってみますけど、一緒に来ますの?」

「うん」

「じゃあ行きましょう」

 月美は隠れ鬼ごっこに興味などないのだが、せっかくやるのならキャロリンや桃香や銀花に楽しんでもらいたいので、一応ちゃんと隠れることにしたのである。月美は真面目な女なのだ。


 銀花の小さな手を引いて月美は昇降口を出た。桃香ちゃんとはここで別れることになったが、月美たちは学舎の白い壁に沿って駆けていった。どこからか焼き立てのクッキーのようないい香りが漂ってくる。


 花壇の陰やベンチの裏など、隠れようと思えば隠れられる場所は数多くあった。しかし、普段頭脳派を気取っている月美がそんな適当な場所を選んでいたら、銀花ちゃんをがっかりさせてしまうかも知れないし、すぐに見つかって逃げ回ることになるのも面倒である。せっかくなら見つかりにくいところを吟味したいものだ。


「お」

 やがて月美は目ぼしい場所を発見した。

 枝葉の茂った緑のトンネルの向こうにひっそりとたたずむ体育倉庫だ。

 ストラーシャ学区のグラウンドは学舎からかなり離れた場所にあるのだが、ちょっとした用具を入れておくスペースはこの辺りにも用意されているのだ。農具入れを改装した古い倉庫だが、ツタの葉が絡んだレンガの風合いはなかなか素敵である。

「あの倉庫にしましょう。たぶん入れますわ」

 月美が提案すると、銀花ちゃんは自分から月美の手を引き、スキップをして倉庫へ向かった。今日の銀花の手はいつもよりポカポカと温かい。


 ペンキとニスでコーティングされた木製の扉には鍵が掛かっていなかった。この島に防犯設備など不要である。


 アーチ型の窓から木漏れ日が差し込む倉庫内は意外と広く、乾いた砂を踏みしめる月美たちの靴音がよく響いた。ホコリっぽい匂いもしたが、近くの喫茶店から漂うアールグレイの香りと若草の匂いも混ざって、ちょっとノスタルジックで、冒険心をくすぐられるような不思議な空気が漂っていた。

「隠れ放題ですわね」

 跳び箱はないが、得点ボードやボール籠、高跳び用の分厚いマットなどが保管されており、小学生が身を隠すには持ってこいの場所だった。


わたくしはここにしますわ」

 月美は重ねて置いてあるハードルの列の隙間に入り込んだ。見つかった時に逃げにくい場所だが、発見されなければ問題ないのだ。

「銀花もそこにする」

「いいですわよ」

 銀花は月美から離れたくないらしく、彼女もハードルとハードルの間に座り込んだ。銀花は月美の胸に背中をくっつけるように寄り添ってきた。

 隠れ鬼ごっこというやつは、いったいいつまで隠れていれば勝利になるか、月美は知らないが、とりあえず次のチャイムがなる時間を目指してぼーっとすることにした。


 月美は銀花の柔らかい髪に頬をぽふっと押し当てながら、静かな午後に耳を澄ませた。野鳥たちの楽園とも言われる女学園島には、今日も鳥たちの歌声が降り注いでいる。


 しばらく息を潜めていると、まあまあな勢いで靴音が近づいてきた。


 複数人の気配だったので、キャロリンが早々に桃香ちゃんを発見し、二人で自分たちを探しているのだろうと月美は思った。

 が、声が聞こえてきた瞬間、月美の胸の鼓動は急加速することになる。

「たぶんここにあるね」

「そうね。早く戻らないと」

 やって来たのはなんと、百合とルネだったのだ。

(ななな、なんで百合さんがここに来ますのー!? こんな超全力でかくれんぼしているところ見られたら、恥ずかしすぎますわぁ!!)

 すっかり動揺した月美は、近くにあったパイロンを咄嗟に持ち上げ、頭に被ってしまった。銀花ちゃんも真似をしてパイロンを被ったので、なかなかシュールな二人組になってしまった。ちなみにパイロンとは三角コーンとも呼ばれる例のあれであり、二人が被ったのは赤色のパイロンだ。逆に見つかりやすくなってしまった気がするが、顔を出したまま冷静に隠れ続けられるほど月美の精神力はパワフルでない。

「よいしょ」

 ドアが開くと、倉庫の床にプリン型の光が差し込んだ。

「どこだろうね」

「分からないわ。でもきっとあるはずよ」

 百合とルネは手分けして何かを探し始めたが、やがてルネが目当てのものを見つけることになる。

「あ、あったわよ。三角コーン」

 この声を聴いた瞬間、月美は心の中で絶叫した。なんでこんなものを被ってしまったのか。

 全身で変な汗をかきながら、最善の策を懸命に探す月美に、ルネは容赦なく近づいてくる。

「三つくらいあれば良いわよね。ウサギの周りに置くだけだもの」

 ルネはパイロンを一つ、ひょいっと持ち上げた。

「あ・・・」

 出て来たのは顔を真っ赤にした月美である。月美は必死の形相でルネを見上げており、人差し指を口の前で立てている。

(内緒にして下さいいいいい!!)

 という月美の訴えをハッキリと感じることができたルネは慌ててパイロンを月美の頭に被せ直した。そしてこの状況を整理するため、一瞬だけ動きを停止し石像のようになったが、やがて、ハードル置き場のすぐ横にあるパイロンの山に手を伸ばした。

「ほ、ほら、三つあったわよ、百合」

「良かった。じゃあそれ借りていこう」

 百合とルネは、昼寝しているウサギの安全のため、パイロンを持って倉庫を出ていったのだった。


(月美ったら、可愛いわね♪ 百合に見られるのが恥ずかしいのかしら)

 小走りで丘を越えながら、ルネはくすくす笑っていた。



「ふー・・・」

 ひと安心した月美はパイロンから顔を出した。

(ルネさんに見られちゃったのは恥ずかしいですけど、百合さんに内緒にしてくれるならまあオーケーですわ)

 律儀にパイロンを被り続ける銀花ちゃんがちょっぴり面白かった月美は、少し笑いながらパイロンを取ってあげた。

「ごめんなさいね、もう大丈夫ですわよ」

「うん」

「これ被ってると結構暑いですわね」

 真っ赤な三角コーンを二つ、細い両腕で持ち上げながら、月美はそっと微笑んだ。


 ちょうどその時、倉庫のアーチ型の窓から中を覗き込んだ少女がいる。

「お、月美たち発見デース。・・・あれ!?」

 次の瞬間、目を輝かせて倉庫に飛び込んできたのはキャロリンだった。

「月美ぃい!!」

「ひいっ!」

「二人だけでザリガニャンごっこしてるデース!?」

「え?」

 キャロリンが何を言い出したのか、月美には分からなかった。


 が、気付いてみれば今の月美は、真っ赤なザリガニの大きなハサミを表現するのに最も適したアイテムを、よりにもよって両腕にかかげ、しかも楽しそうに笑っていたのだ。これは誤解されても仕方がない。


「本当はファンだったデスネ~? 私もやりたいデース!!」

「ち、違いますわ! こ、これは、その・・・!」

 キャロリンは月美と同じように両腕に赤いパイロンをはめ、ぴょんぴょん飛び跳ねてマットに上り、ポーズを決めた。

「小川の平和はザリガニャンが守るニャン!! さあ、月美も遠慮しないでくだサーイ!」

「だ、だからわたくしはそんなキャラクター知らないんですのよっ!」

「月美は恥ずかしがり屋デース! もっと素直になるデース!」

「いやいやいやっ! そうじゃなくてぇ!」

「おー! その動き、そっくりデース!!」

 気の合う遊び仲間を得たと思ったキャロリンは、本当に嬉しそうに、無邪気な瞳を輝かせた。


 いつも無表情な銀花も、この流れはちょっぴり可笑しくて、少しだけ笑ってしまったのである。


 月美はクールな女でいようと色々努力はしているのだが、どんどん小学生に馴染んでいくのだった。

 

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