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43、ビスケット

 

 窓はライムグリーンの木漏れ日に輝いている。


 舞台裏へと続く廊下には墨汁を流したような薄暗闇が広がっていたが、そのお陰で、窓の外の景色は一層眩しく、活き活きと感じられるのだ。


 背伸びをしながら外の並木道をぼんやり眺めていた月美は、舞台裏を行き交う生徒たちの靴音が徐々に慌ただしくなっていくのを感じた。

「そろそろかしらね・・・」

 月美が通路を見回しながら言うと、隣にいる銀花ちゃんもゆっくり頷いた。

「銀花さん、緊張してますの?」

「うん」

わたくしもですわよ」

 月美はそっと銀花に肩を寄せ、手を握ってあげた。ちょっと照れくさかったが、年下の子に親切にするのも良い気分である。


 これから入学式が始まるわけだが、開設されたばかりの初等部に編入してきた子たちは、ステージの上で紹介されるらしいのだ。月美を含めてたった4人しかいないので、紹介が簡単だからである。

「・・・わざわざ舞台に上げるなんて大袈裟ですわよねぇ。何もしなくても充分目立ってますのに」

 無口な銀花を相手に、月美は結構しゃべりかける。

「あとの二人はいつ来るのかしら。式が始まっちゃいますわよ」

 まもなくこの舞台裏に、月美と銀花以外の初等部メンバーが来る予定なのだ。今朝の船に乗って女学園島に来ているはずなので、そろそろ姿を現すはずだ。

「あとの二人・・・知り合いだったらどうしましょう・・・」

「え?」

「あ、いや、何でもありませんわ・・・」

 月美が心配しているのは、去年の女学園で親しかったメンバー、例えば浄令院会長とか、舞鶴先生とかが、小学生になって登場するんじゃないかということである。相手はどうせ月美のことを覚えていないので普通に接すればいいのだが、どうしても去年のイメージが頭から離れず、まともにおしゃべりできる気がしないのだ。できれば銀花ちゃんのような、初対面のメンバーがいいと月美は思っている。

(あー・・・わたくし、本当に小学生として暮らしていけるのかしら・・・)

 月美はため息をついた。誰かに自分の正体を打ち明けたらきっと気分が楽になるだろうが、誰も信じてくれないだろう。月美は孤独なまま、この世界に順応していくしかない。


 窓の遮光カーテンを開けたり閉じたりして暇を潰している月美の背中に、やがて天使の声が届いた。

「月美ちゃん、銀花ちゃん♪」

「ひっ!」

 百合の声は月美にとって特別な音なので、どんなざわめきの中でもすぐに分かる。

「二人とも、舞台袖に移動しようか♪」

「え・・・あ・・・でも」

 高校二年生の百合は、以前よりもさらに優しく、美しく、ついでに母性のようなものが増しているので、月美は非常に緊張してしまう。この人と自分はキスしたことがあるんだと思うと、頭がくらくらしてまた気絶しちゃいそうなので、なるべく思い出さないほうがいい。

「初等部のメンバー、まだ4人揃ってませんわよ・・・」

「今まさに到着するみたいだから、先に移動しよう♪」

「は、はい・・・」

「あの階段の上だけど、私も一緒に行こうか?」

 百合は微笑みながら中腰になり、月美の顔を覗き込んできた。優しい眼差しがたまらなく美しい。

「い、いえいえ! 二人で大丈夫ですわ! 百合さんは客席へ行って下さって構いませんのよ!」

「え? そう?」

「はいぃ・・・!」

「わかった。じゃあ、応援してるからね♪」

 百合は何度も振り返って優しく笑いながら去っていった。

(あら・・・百合さんは結構、わたくしのことを信頼してくれてますのね。なるほどぉ・・・)

 たとえ体が小学4年生であっても、しっかり者というイメージを確立すれば、子供扱いされなくなるのではないか、月美はそう思い始めた。

(やっぱりわたくしは去年までと同じようにクールな女性として生きていきましょう。・・・さっきは酷い目に遭いましたからねぇ・・・)

 月美は遠い目をした。


 月美はバスくらいのサイズの大型の機馬車に乗って、ストラーシャ中央部にある入学式の会場まで来たのだが、その車内で、先輩のお姉様たちからキャアキャア言われてしまったのだ。月美の好みのタイプを尋ねてくる者、月美のほっぺを触る者、ビスケットをプレゼントしてきて仲良くなろうとする者・・・実に様々なパターンのちやほやを受けてしまったのだ。外見はともかく、中身はクールなお嬢様高校生である月美は、恥ずかしくって顔から火が出そうだった。

(・・・よし、決めましたわ。これまで以上にクールを心掛けて、しっかり者の小学生というイメージを世間に植え付けていきましょう・・・!)

 そうすればおこちゃま扱いを受けることも無くなるだろう。そのうち高校生の体に戻る方法が奇跡的に見つかるかも知れないので、諦めずに硬派なお嬢様として暮らしていくべきである。



 月美と銀花が舞台袖の暗がりに着くと、すぐに入学式が始まった。

(まだわたくしと銀花さんしかいませんのに・・・)

 しかし、係の生徒は月美たちに笑顔で合図を出し、舞台に進むよう指示してきた。

 月美は今小学生なわけだし、深いことを考えずに先輩の指示に従ってしまおうと思った。責任を持たずに行動できるのは小学生の利点である。

『それでは、初等部の新入児童たちを紹介します!』

 月美は銀花を引き連れて、広いステージへと進んだ。

 しかし意外なことに、反対側の舞台袖から、残りの二人の少女がやってきたのである。

(あ・・・!)

 月美は自分の正面を歩いてくる児童の顔だけ確認できたのだが、それが完璧に月美の知り合いだったのである。

(も、ももも! 桃香さんですわ・・・!)

 去年の女学園島では月美の同級生であり、隣の寮部屋に住んでいた無害な乙女、桃香ちゃんである。彼女は今の月美より少し背が高いので、6年生くらいかも知れないが、緊張のせいで手と足が揃っている様子とか、所定の位置に立った後ももじもじしている感じなどを見る限り、性格はそのままである。

(ビックリしましたけど・・・桃香さんが小学生っていうのは、ちょっと納得ですわね・・・)

 桃香は去年も皆の妹的存在だったので、あまり違和感はない。

(よし・・・桃香さんとならすぐに仲良くなれますわ。でも、もう一人はどなたかしら・・・)

 月美はもう一人の少女の顔も見たいと思ったが、もうここはステージの上なので、客席のほうを真っ直ぐに見ておかないと、落ち着きがない子だと思われてしまうのでやめておいた。月美はとにかく、クールな小学生を目指しているのだ。

『それでは向かって右側の一年生の子から紹介します!』

 銀花ちゃんから順番に紹介されるようだ。月美は緊張で手のひらに汗をかきながらも、平静な顔で会場を見渡してみた。


 この会場は12月の文化祭で使った劇場ではなく、月美が一度も来たことがないホールである。ストラーシャの中央部に登場した新たなアーケードのすぐ近くあるため、おそらく去年の女学園島には存在しなかった施設だ。全体的に近代美術館のようなカッコ良さがあり、半円状に曲がったモダンな雰囲気の客席には窓が多く、自然光がステージを照らす不思議な会場だ。去年の入学式はビドゥ学区にあるバロック風の劇場で開かれたのだが、今年の会場もなかなか悪くない。


『そしてその左隣りは、4年生の黒宮月美さんでーす!』

 月美は飛び上がるほど緊張する胸を落ち着かせながらゆっくり一歩前へ出て、両手をそろえながらお辞儀をした。そしてハイパークールな表情で会場を見渡し、もう一度礼をしてから元の位置に戻った。完璧である。

「あの子、すっごく大人っぽいねぇ!」

「かっこいい~」

「まるで年上みたいだわ」

「あの子、いつか生徒会長になるんじゃない!?」

 広い会場が自分への賞賛の声に包まれたのを小さな全身で感じて、月美は心の中でガッツポーズをした。

(そうですわよ!! わたくしはお嬢様ですのよ!!! 今はなぜか小学生の姿になってますけど、隠し切れないこのクールさ!! 品の良さ!! 美!! くぅー! たまりませんわぁ!!)

 ナルシストである。

 このたった数秒の無言の挨拶により、月美は初等部メンバーの中でもかなりしっかり者という印象を先輩たちに与えることに成功したのだ。これでもう月美をビスケットで餌付けしようとしてくる者も現れないだろう。月美の勝利である。


『その右隣りは、6年生の桃園桃香さんでーす!』

「よ、よろしくお願い、し、しますっ!」

 やはり6年生だったが、桃香ちゃんは相変わらずとても可愛い。

 なんだかひと安心した月美は、客席にいるはずの百合と目を合わせないようにするために、何気なくステージの下へ目を向けた。

(ん?)

 舞台と客席の間には、人工の小川が横向きに流れているお洒落すぎる階段があり、落差15センチくらいの小さな滝が黒い天然石の上を滑って輝いているのだが、その一番下の段に、月美はとんでもないものを見つけてしまったのだ。

(ピ、ピヨがいますわ・・・)

 小川にははすの葉っぱ風の銀色の装飾がたくさん並んでいたのだが、その上に、青い小鳥のピヨちゃんがポヨンと乗っかっていたのだ。神出鬼没である。

(ま、まずいですわっ!)

 ピヨはさっきからずっと月美の顔を見ていたらしく、目が合った瞬間にスッと立ち上がったのだ。

(来ないで下さい! 来ないで下さい! 来ないで下さい!)

 月美の願いは届かず、ピヨはご機嫌な様子で階段を上り始めた。

(せっかくクールな挨拶が出来ましたのに!! 可愛い小鳥に懐かれていることがバレたら、イメージが崩れますわ!!)

 ピヨはまるで月美の保護者のような顔をしており、「しょうがないピヨねぇ、自分も挨拶するピヨ~」みたいな態度なのである。なんとしても阻止しなければならない。

(な、なにか方法はありませんの・・・!?)

 月美は考えることにした。


 まず、ピヨから逃げるという案があるが、ステージの上で小鳥から逃げ回っていたら、動物が苦手で気が小さい小学生というレッテルを貼られてしまうだろう。やっぱり一歩も動いてはいけない。


 ピヨを気迫で追い払うという手もある。しかし、あまり賢くない上に空気を読もうとしないピヨにそんな技は通用しないだろうし、ステージの上でシーサーみたいな怖い顔をして立っていたら、ヤバい奴だと全校生徒に思われてしまうだろう。やっぱりクールな表情のままでいるべきだ。


(あ・・・! そうですわ!!)

 月美はこれまで様々な困難に自力で立ち向かってきたお嬢様である。諦めずに考えれば、何かしらの打開策は思い付くのだ。

(ポケットにビスケットが入ってますわ・・・!)

 さっき機馬車で知らない先輩から貰ったビスケットである。これを細かく割って遠くに投げれば、ピヨをそっちへ誘導できるかもしれない。

 月美は両手を後ろに持っていきながら、こっそりビスケットを取り出した。そして個包装の小さな紙袋を、指先だけで器用に破いた。

(よ、よし・・・誰にも気づかれてませんわ・・・)

 月美がピヨの件に集中している間に、初等部の4人目が紹介されていた。「キャロリンデース! 皆さんよろしくデース!!」みたいなカタコトの日本語が聞こえてきた気がしたのだが、今の月美はそんなのを気にしている場合ではない。

 月美は自分の体の後ろでビスケットをこっそり割り、そのかけらをピヨの進行方向にとりあえず投げてみることにした。

(えいっ!)

 体を微動だにさせないまま、指先だけでかけらを飛ばすので思ったほど遠くへは行かなかったが、階段の中段辺りまでは転がっていった。

 ピヨは突然自分の視界に美味しそうなビスケットが飛び込んできたので、最初はちょっとビックリしていたが、すぐに大喜びして飛びついた。ステージの上で自分も挨拶しようなどという計画は、もうどうでも良くなったに違いない。

(この調子でステージの下に・・・いや、あんなところまで届きませんわね・・・)

 無理して客席のほうにビスケットを投げたら、先輩たちのおでこに当たってしまうかも知れない。そんなことになったら月美は一年じゅう豆まきの練習をしている節分マニアの変人のレッテルを貼られてしまう。人がいる方へ向かって投げるわけにはいかない。


『続きまして、ローザ生徒会長からご挨拶です』


 ビスケットと小鳥のことばかり考えて散らかっていた月美の意識に、極めて鮮明な色を持った風が吹き抜けた。

(ローザ様ですの!? 今回もやっぱり、あの人はいますのね!!)

 しかもまた生徒会長らしい。小学生になってしまった月美に比べればとても優遇されている。


 舞台袖から姿を現したローザ会長は、相変わらず美しく妖艶な雰囲気で、マロン色のゴージャスなロングヘアーを、前髪パッツン風に仕上げていることくらいしか外見の変化は見られなかったが、黒いブレザーを身にまとっているので、今回はビドゥ学区の生徒なのかも知れない。月美が知っているローザはストラーシャの生徒会長だったので、そこは大きな違いである。

 しかし、今の月美には、そんなことを気にしている余裕がなかった。ビスケットのかけらを食べ終えたピヨは、やはり月美の方にどんどん近づいてくるのだ。さっさと次のかけらを投げるしかない。

(客席の方へ投げられないなら、舞台袖に誘導するしかないですわ・・・!)

 月美はローザが出てきた舞台袖に向かって、手首を器用に使ってビスケットのかけらを投げた。すぐ隣にいる銀花にはさすがに気付かれている感じだったが、数メートル後方の演壇に立ったローザには気づかれていないだろう。ローザはスピーチの原稿に目をやっているはずだからだ。

「ピヨッ」

 ピヨは小さく鳴きながら、舞台の隅っこに向かった。

(よし! あとひと押しですわね・・・!)

 ここで大きめのかけらを舞台袖に投げ込めば、しばらくはピヨの姿を見ることはないだろう。ローザの挨拶もすぐに終わるだろうし、初等部の4人は舞台から去ることができる。月美のクールさは守られるわけだ。

(なんとかなりそうですわねぇ・・・)

 そう思いながら、月美はビスケットを割った。


 しかし、月美は油断していたのだ。


 少し大きめのかけらを作ろうとして手元が狂い、ビスケットを思い切り足元に落としてしまったのだ。次の瞬間、月美の靴の周りには美味しそうなビスケットのかけらがたっくさん散らばったのである。


(あ・・・)


 月美の小さな背中に、ゆっくりと冷や汗が伝っていった。

 その一瞬の静寂のあと、ピヨがトタタタタタと凄まじい勢いで月美に迫ってきたのである。


「きゃあ! なにあれ!! 可愛いー!!!」

「すっごく懐かれてるわぁ!!」

 ピヨはビスケットを頬張りながら、月美の周りをピョンピョン飛び跳ねたのだった。

「ビスケットあげようとしたんじゃない!?」

「クールな子かと思ったけど、動物がだ~い好きなのねぇ!!」

「月美ちゃん可愛いいいいいい!!!」

「きゃああああ月美ちゃーーーん!!!!」

 会場は大歓声に包まれたのである。


 清々すがすがしい諦念に包まれた月美は、コタツの中のネコみたいな穏やかな顔でそっと天井を仰いだ。


 帰りの機馬車で、月美はお姉様たちから大量のビスケットを貰えた。


 

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