34、風車の絵
翌朝は初雪が降った。
1時間目の授業が終わる頃には止み、雪雲は海上へ去ってしまったのだが、ほんのり白く染まったレンガの街並みと澄み切った青空の組み合わせが幻想的である。
「もう少しで到着のはずですわ!」
月美、百合、綺麗子、桃香の4人は、お昼休みの間に機馬車を走らせ、ある場所に向かっていた。
冬用の太い車輪をゴトゴトいわせながら、機馬車は坂道を上がっていく。ビドゥとストラーシャの境を目指しているわけだが、今日訪れるのは、今まで月美たちが足を踏み入れたことがない、かなり南部の丘だった。ところどころに生えている常緑のオリーブの木や、雪に染まったブドウ畑の斜面が鮮やかで素敵である。
「馬車でランチなんて、遠足みたいね!」
綺麗子は楽しそうに、湯気の立ち上るコーンスープを飲みながら謎野菜のサンドイッチを食べている。
何かイベントがあるとほぼ毎回顔を見せる青い小鳥、ピヨちゃんは、月美の膝の上で居眠り中である。厳しい冬への備えなのか知らないが、ピヨちゃんは最近まんまるだ。たぶん、色んな生徒からおやつをもらっているからだろうが、そろそろダイエットが必要かも知れない。
景色が開け、雪化粧の高原が車窓に広がると同時に、到着のメロディが足元のスピーカーから流れ、機馬車は自動で停車した。ちなみに、ビドゥの機馬車はスピーカーの音質が無駄に良い。
「着きましたわねっ」
お昼休みの時間は限られているので、素早い行動を心掛けるべきだが、機馬車を下りる時はきちんと手すりにつかまり、ゆっくり下りたほうがいい。意外と高さがあるし、足元は滑るかも知れない。
「ほ、ほら・・・どうぞ・・・」
「え?」
「いや・・・その・・・ほら・・・危ないですから・・・」
先に地面に下り立った月美は、左手にピヨちゃんを乗せたまま、右手をそっと百合に差し出した。
もし、大好きな百合さんが転倒して怪我でもしたら・・・と考えた月美は、こうせざるを得なかったのである。
「ありがとう・・・」
百合は綺麗子たちに見られていないかドキドキしながら、月美の手を優しく握り、機馬車を下りた、手のひらの温もりが、百合の胸の奥にまで染み込んだ気がした。
(つ、月美ちゃん・・・優しいよぉおお!!!)
百合は背中を向けて顔を手のひらで覆い、小さく悶えた。
月美は綺麗子や桃香にも同じをことをして、百合だけに親切にしたわけでないことをしっかりアピールした。恋心を隠すためにそうしたわけだが、実際、綺麗子たちのことも心配に思ったのである。月美は誰にも怪我をして欲しくない。
「凄い景色ですわねぇ・・・」
ちょっぴり寝不足の月美には、とても眩しい光景だった。
肌を刺すような冷たい空気が静かにそよ吹く草原には、ところどころに白くて大きい石灰岩が転がっており、なんだか神聖な雰囲気である。
「やっぱり。風車ですわ・・・」
4人の前方、岬のようになった丘の隅には、大きな古い風車があった。
何百年ものあいだここで海を眺めていたのだろう。羽はすべて無くなり、ドアも朽ちて消え、レンガには枯れたツタが絡まっている。発電ではなく、小麦の製粉などに使われていた、古の建造物である。
風車に向かって歩いていくと、急に強い風が月美たちの髪を吹き抜けるようになった。やはり風車は風の通り道に建てられているらしい。
「うひょー!」
綺麗子は桃香を盾にして冷たい風を防いだ。冬の桃香ちゃんは外出時、ふわふわな桃色のマフラーを首に巻いており、顔をうずめると温かいので、寒い日は桃香ちゃんを連れて歩くと便利である。桃香ちゃんは皆のぬいぐるみ的存在だ。
風車のさらに前方は、高さ5メートルくらいの小さな崖になっているので、銀色の真新しいフェンスが設置されており、そこからはストラーシャの内海や外海が見渡せた。
「絶好の観覧席ですわね・・・」
実はここは、今年の夏の花火大会の観覧席になる予定だった場所なのだ。
「夏の花火大会では、ここに急遽、観覧席が作られる予定でしたのよ。理由は綺麗子さんが浜付近の地層でヘリウムガスを掘り当てたせいですわ」
ガスの正体を検査し、安全かどうか完全に確認がとれるまで、噴出場所の周辺は立ち入り禁止になったのだが、その浜は毎年、花火の観覧席になっていた場所なのだ。他にも観覧席はたくさんあったのだが、どこか別の場所に追加で席を設けないと不十分になってしまった。
「そこで候補になったのがこの場所ですわ。内海の花火を見るには最高の場所ですもの」
風車の周辺は岩も少ないので、頑張ってベンチを並べれば200人分くらいの席はここで確保できる見通しだった。
「でもローザ様は、夏の花火大会に反対しましたのよ。そして、秋になったら許可をした。秋になってからローザ様にお見せした花火大会の計画書には、この場所が観覧席から外されていたからですわ」
ガスの安全性が確かめられ、ヘリウムを上手に採取する小さな設備を浄令院会長が作ってくれたため、秋の花火大会は例年と同じ浜の観覧席が使えるようになったのだ。
「それから・・・ローザ様が、学区統一や、アテナ会長の求めるエネルギー問題の解決案に反対している理由ですけど」
月美は振り返った。
「・・・きっとこの風車を守るためですのよ」
この高原には、強い風が四季を通して吹き抜けている。発電に適した絶好のポイントに、この朽ちた風車があるのだ。
「アテナ会長は、古くなった風車を最新の発電風車に建て替えることも含めた、風力発電機の増設計画を立てていましたわ。そして浄令院会長もそれに賛成していますのよ」
「学区が一つになったら、この風車が無くなっちゃうんだね・・・」
百合が寂しそうに言った。
「分かったわよ月美! ローザ様はこの風車のマニアなのね!! 観覧席が作られたら景観も変わっちゃうし、人もいっぱい来ちゃうからね! ん~、古い物を大事にするなんて、ちょっとキャラと違うから、誰にも言えなくて、遠回しに色々やって守っているのよ!!」
綺麗子は桃香ちゃんを後ろから抱きしめながら叫んだ。
「マニアというか・・・核心をついた答えは分かりませんけど、この風車と、その周辺の環境を守ろうとしていることは、たぶん確かですわ」
だとすれば、この風車を取り壊さず、別の場所に風力発電機を作るようアテナ会長に相談すれば全て解決のはずである。そうなれば学区が一つになろうがどうなろうが、この風車は守られるため、ローザ様が百合のような美少女を集めてストラーシャ学区の力を強めようとする理由がなくなる。
(ん・・・というかこの風車、私どこかで見た覚えがありますわ・・・どこでしたっけ・・・)
月美がふとそんなことを思っていると、桃香ちゃんがそっと手を上げた。
「あ、あのー・・・そう言えば、急に思い出したんですけど」
「なんですの?」
「以前、早朝にビドゥの港のほうにランニングしにいったことがあって、その時にローザ会長とおしゃべりしたんです。偶然お会いして・・・」
「そ、それで何かおっしゃってたんですの?」
「たしか・・・絵は好きなの? みたいに私に尋ねてきたんです。それで、まあまあ好きかも知れません、みたいに答えたら、ちょっと嬉しそうでした」
「絵・・・ですの?」
月美は風車を見上げた。
ローザ会長が美術に夢中であるという話は聞いたことがないが、桃香ちゃんが言うのならきっとそうなのだろう。
「ローザ様は・・・この風車を、絵の題材として、とても気に入っている、ということかしら」
「そうよ! きっとそうだわ!」
綺麗子が賛成する案は大抵誤りであるが、しかし有力な仮説である。
「お気に入りの場所を壊されるのは、寂しいですよね・・・」
桃香ちゃんもそんな感じで同意した。
その時、眼下のストラーシャ学区のどこかにある時計塔が、13時の鐘を鳴らした。この場所だと、もはやビドゥ学区よりもストラーシャ学区のほうが近い。
「あ! そろそろ戻らないと授業に遅れますわっ」
「そうね! とにかく、この風車を取り壊さないよう、アテナ様に相談よ! それで全部解決だわ!」
ついに謎は解けたのだ。これで百合はずっと月美と一緒にいられるはずである。
月美たちは小走りで機馬車へ向かった。
しかし、百合は一人、風車の前に佇み、まだ考えていた。
(・・・ボロボロだけど、凄く素敵な風車だから、絵の題材として好きになる気持ちは分かるけど・・・どうして皆に秘密にしてるんだろう・・・)
取り壊すのは反対よ、と堂々と言えばいいのである。なぜローザは自分の気持ちを隠しているのか。
(んー・・・)
百合はついさっき月美に触れた自分の手のひらをなんとなく見つめた。
(私は・・・月美ちゃんに関してだったら・・・秘密にしたい事いっぱいあるけど・・・)
百合はちょっぴり頬を染めた。
そして何気なく顔を上げた百合は、丘のさらに上のほうに、小さな山小屋を見つけた。煙突がついている、可愛いお家である。
「百合さん、早く行きますわよ。お昼休み終わっちゃいます」
「あ! う、うん!」
とにかく、百合は月美と一緒に、馬車へ向かった。
午後の授業を受けながら、百合はぼんやりと、昨日の展望室で見たローザ会長の横顔を思い出していた。
『あなたにはまだ出来ることがある』
『私や月美ちゃんと違って、あなたには素直になる才能があると思うわ』
『百合ちゃんが考えている以上に、あなたの青春はドラマチックよ』
心に残った言葉もたくさんある。
(ローザ会長って・・・本当に悪い人なのかな・・・)
百合は前の席に座っている桃香ちゃんの後頭部を、意味もなくじーっと眺めながら、そんな風に思った。
自分のお気に入りの場所が壊されるのがイヤで、後輩たちの幸せな毎日を奪い、島の電力不足も見て見ぬ振りをしているのなら、それはちょっと悪い人かも知れないが、何かもっと深い理由があるんじゃないかと思えてきたのである。
「ねえ皆」
放課後、百合は3人を呼び止めた。
「ん? どうしたのよ百合。謎が解けたっていうのに、浮かばない顔してるじゃない?」
綺麗子は桃香のマフラーを自分の腰に巻き付けて遊びながら言った。
「もしかしたら・・・風車のことは内緒にしたほうがいいのかも知れない」
「内緒って、誰に?」
「えっと、例えば・・・寮で毎晩やってる会議とかで、大々的に発表しないほうがいいって思ったの」
月美は百合の表情から、なんとなく彼女の考えていることを察した。
「ローザ様の行動には、もっと深い理由があるんじゃないかと思っていますのね」
「う、うん」
「それはまぁ・・たしかに。秘密にしている理由がいまいち不透明ですもの」
月美と百合は、恋愛感情以外の思考なら非常に速く通じ合う。さすが親友である。
「あと、もう一度あの風車の丘に行きたいの。どうしても、気になるものを見つけちゃって」
妙に心に残った、あの山小屋のことだ。
「それなら・・・今夜行きましょう」
「こ、今夜!?」
綺麗子は目を丸くした。もう月美たちに残された時間はわずかなのだから、一日も無駄にできない。アテナ様への相談は明日以降になってしまうが、今はしっかりと、正しく状況を読み取るべきなのだ。そうでないと、気付かないうちに取り返しがつかない行動をしてしまうかも知れない。
「綺麗子さんと桃香さんはいつも通り、寮の会議に出て、他にいい情報がないか調べて下さい」
「わ、分かったわ。風車のことは、内緒にするのね?」
「はい。確かに、絵の題材として気に入っているから、というのは、あのローザ会長が頑固に抵抗している理由にしては、ちょっと単純すぎますわ。秘密にしたい理由、もっと深い理由がありますのよ」
「風車の下に、お宝が眠ってるとか!?」
「それはないと思いますわよ・・・」
綺麗子の頭の中はいつも夢いっぱいである。
この島の夜は、宇宙がよく見える。
冴えわたる銀色の月明かりと一緒に、黄、青、白、赤など様々な色の恒星たちの光が、瞬きながら降り注ぎ、時折駆け抜ける流れ星と共に冬の夜風の中で踊っているのだ。お昼以上に高さを感じさせる大空は、ロマンチックな星座たちのダンス会場であり、見上げた少女たちの心を掴んで離さない。
「行きましょう」
「う、うん!」
夕食を終えた月美と百合は、懐中電灯を持って寮を抜け出した。一部の機馬車は夜になると自動で車庫に戻るが、学舎前のロータリーには乗車可能な馬車が待機しているらしい。
「ここのお菓子屋さん、夜もやってるんだ」
「そ、そうですわね」
まだ消灯前なので、街角は美しい街灯に彩られており、なんだか二人は秘密のデートをしているような気分になった。
「あのレストラン、よく見ると海賊船の形してるんだね」
「・・・あら、ほんとですわね」
いつもと違う雰囲気の街並みに、二人はちょっぴりわくわくした。夜出かけるのも悪くない。
さて、機馬車に乗った二人は、お昼休みと同じルートで風車の丘へ向かった。
オリーブの木々は星の海に銀色の葉を茂らせ、雪が残っているブドウ畑の斜面はサファイアのように青く輝いていた。
「ところで、気になるものって何ですの?」
氷のように冷たい風をマフラーと帽子で防ぎながら、月美は尋ねた。
「ええと、丘の上のほうに家みたいなのがあったの」
「なるほど・・・」
機馬車は自動運転であるが、風車の丘の上のほうへは目的地設定が出来ない。風車の前で下りて、歩いていくしかないようだ。
素晴らしい音質のメロディと共に、馬車はゆっくり停車した。
(う・・・ど、どうしましょう・・・)
先に下りた月美は、一瞬迷ったが、お昼の時と同じように、百合に手を差し出すことにした。
「ほ、ほら・・・」
百合は月美が手を握ってくれるんじゃないかと期待し、ちょっぴり待っていたので、とても嬉しかった。
「あ、ありがとう・・・」
今回は二人とも手袋をしていたので、肌の温もりは感じられなかったが、それでも充分、胸の中はアツアツになれた。ずっとこのまま、二人だけで馬車に乗ったり下りたりを繰り返したいなぁ~と百合は思った。
宇宙を背景にして見た風車は、まるで古代人が作ったスペースシャトルのようで神秘的だった。
「山小屋はあっちのほうだよ」
そう言って百合は丘の上のほうを指差したのだが、その瞬間、二人は「あっ」と声を洩らした。山小屋の窓に明かりが点いていたからだ。
「だ、誰かいるんですわ」
「ローザ様かなぁ・・・」
いよいよ二人はローザの秘密を知ることになるのかも知れない。ここに辿り着くまでかなりの労力を掛けてきたので、物凄くくだらない秘密だったらどうしようという気持ちも若干ある。
「行ってみるしかないですわね・・・」
「うんっ」
二人は足元に気を付けながら、丘を一歩一歩上がっていくことにした。懐中電灯がなくても、星明りだけで充分地面は見えた。
小さな家だと思っていたが、近づいてみると、なかなかの大きさであった。
ダークブラウンの木材で出来た大型のロッジといった感じで、屋根や煙突には丈夫なレンガが使われている。馬小屋には機馬が一台停まっていた。
「ええと・・・」
ドアをノックするのには勇気が必要だった。
もしローザ以外の生徒が顔を出した場合、ここを訪れた理由を説明できる自信が二人にはなかった。事情が複雑だからである。
「迷子になっちゃいました、とか言えばいいんじゃない? いざとなったら」
「そ、そうですわね」
窓から洩れる光はとても温かそうなので、その雰囲気を信じ、二人はドアをノックした。しっかりした重厚なドアだったので、コツコツという小さな音しか出なかったが、家の中からは反応があった。
「ローザ? ローザなの?」
月美と百合の胸の鼓動は、この瞬間、一気に速まった。
(私たちのことローザ様だと思ってますわ・・・!)
(だ、誰だろう、今の声・・・!)
聞き覚えの無い、可憐で清楚な声である。
「あ、あのー・・・」
「いいわよ、入って!」
二人がなんとご挨拶していいか迷っていると、家の中の少女はそんな風に言ってくれた。ドアを開けてくれるわけではなさそうなので、月美は遠慮がちにドアノブに手を掛けた。本当に入っていいのか疑問だが、ドア越しではお互いにハッキリ声が聞こえないので、玄関でお話をさせてもらおうと月美は思った。
「こんばんは・・・ですわ」
北欧の雰囲気たっぷりの内装と、温かい暖炉のような明かりが印象的な玄関だった。たぶんもう消灯時間を過ぎているはずなのに、とても明るい。
靴を脱がないタイプの家らしく、玄関とリビングは、木製のパーテーション一枚で仕切られているようだ。
「珍しいわね、平日の夜に来てくれるなんて!」
かなり近くに少女がいるようだ。少女はまだ、ローザが来たと誤解している。
もう顔を見てお話しさせていただこうと思った月美と百合は、パーテーションから顔を出した。
「こ、こんばんは、お邪魔しますわ」
「あっ・・・」
ローザでない生徒がやってきたので、少女は驚いたようだったが、月美たちもパーテーションの奥を見て驚いてしまった。
そこはおシャレな山小屋でありながら、病室のような感じでもあり、温かい暖炉の輝く部屋の隅には、保健室にあるような白いベッドが置かれていた。
そのベッドの上で布団から上半身だけを起こし、目を丸くしている金髪の少女は、月美たちより年下に見えるほど小柄であり、腕には点滴が繋がっていた。
「こんばんは、ですわ・・・!」
そして壁のあちこちには、少女が描いたと思われる、たくさんの風車の絵が飾られた。