32、Eですわ
晩秋の星座に向かって、乙女たちは足早に坂を駆け上がる。
夕食を終えたビドゥ学区の生徒たちは近ごろ、月美たちの寮に集まるようになったのだ。
いつの間にか寮のエントランスで開かれるようになった『百合さんを守るための会議』の参加人数は、日に日に増えていった。今日は他の学区の生徒も多く顔を見せているから、400人を超える大会議になった。
「もしかしてローザ会長は、魚の愛好家なのではないでしょうか!」
パジャマ姿に白いマフラーという妙な格好の少女が、挙手しながら二階から声を上げた。
エントランスは吹き抜けになっているので、二階にも生徒がいる。ショッピングモールで開催されるキャラクターショーを見物するお客さんみたいな感じである。
「魚の愛好家とは・・・どういうことですか?」
一階部分に並ぶ長いソファーのひとつに腰かけている園芸委員の3年生が尋ねた。
「夏の海にいる魚を守るため花火大会を中止させたのです! 花火の音で魚がビックリしますからね。そして、秋になったから許可した」
マフラーの少女は、パールオレンジの照明がキラキラ浮かぶシャンデリアに横顔を照らされながら、階段をゆっくり下りていく。
「これは、ローザ会長が学区統一に反対する理由にもつながっています!」
「え、本当ですかっ?」
「はい。現在この学園では漁が禁止されていますが、それはこの島周辺の海域にいる貴重な種類の魚たちを守るためです。しかしアヤギメの浄令院会長は希少種の研究に惜しみなく資金をつぎ込むタイプの女性ですから、彼女がこれ以上力を持つようになると、研究がどんどん進んでしまう」
「それが・・・何か問題なんですか?」
「研究がある程度終われば、一部の魚の漁が解禁される事になるでしょう。特に珍しくない魚は獲って大丈夫なわけですからね。ローザ会長はそれを避けるため、現在の3学区分裂状態を維持しようとしているのです」
マフラーの少女はエントランスの中央までやってきてドヤ顔を決めたが、周囲の反応はイマイチである。
「・・・残念だけど違うと思うわ。記録が残っていたけど、ローザ会長は今年の6月頃まで、花火大会を普通に開催させる気だったのよ。けれどある時突然、反対し始めたの」
「急に魚が内海に入ってきたんじゃありません?」
「急に・・・?」
「はい。こうやって、スイスイ~って」
「いや・・・たぶん私たち、物凄い見当違いなことしゃべってるわよ」
「私もそう思いまーす♪」
マフラーの少女の案は、本人の笑顔を以て議場の話題から去った。
「学区が一つになれば、ローザ会長は百合さんを欲しがらなくなる・・・それは確かなのに」
これはローザ会長本人がほのめかしている事実である。ローザはストラーシャ学区の力を強めるためだけに百合を手に入れようとしているのだ。学区など無くして協力し合えば多くの問題が解決するというのに、困ったお姉様なのである。
この学園には、良くも悪くも想像力豊かな乙女が多いため、エントランスの会議ではいつも様々な意見が飛び交う。しかし、学区統一の鍵になるような決定的なひらめきを見せる生徒はまだ出ない。
「あ、あのう・・・」
消灯時間が近づいてくると、エントランスの隅っこの百合が、いつも遠慮がちに微笑みながら手を上げるのだ。
「皆さんいつも本当にありがとうございます。でも、私はストラーシャの生徒会寮に引っ越ししても、時々こっちに遊びに来ますし、月美ちゃんをはじめ、友達はずっと大事な友達です。こうやって会議まで開いてくれている皆さんのことも、友達だと思っていますよ♪」
なんだかしんみりしてしまう言葉であるが、百合はこういう言葉で感謝の気持ちを伝えるのが精一杯である。
月美は柱時計にもたれて高い天井のシャンデリアを仰ぎ見ていたが、他の生徒たちの注目が自分に集まっている気配を察知し、皆を励ますクールな台詞を考えた。
「・・・ゆ、百合さんは弱気になりすぎですわ。私は最後まで諦めませんわよ。必ず、ローザ様の秘密の野望を突き止め、説得してみせますわ」
勇気づけられた生徒たちは、ちょっぴり笑顔になった。消灯時間を過ぎるとほとんどの街灯が消えてしまうので、今夜はもう帰らなければいけない。
「それじゃあ皆さん、また明日ね」
「また明日っ」
「おやすみなさい」
この寮に住んでいるメンバーはその後もしばらく話し合っていたが、消灯合図のメロディーが鳴り始めると、慌てて各部屋に戻るのだった。
皆、百合のことを大事に思ってくれているのだ。
それが嬉しくて、百合は時々涙が出そうになる。
自室の窓際のオイルヒーターは、いつも二人を優しい温もりで迎えてくれる。
「会議は踊る、されど進まず、って感じですわね」
「でも・・・皆優しくて、私嬉しい♪」
そっと微笑んだ百合は、貝殻のシェードが付けられた可愛いランプたちのスイッチを、片っ端から入れていった。バッテリータイプのランプはたっぷり充電しておいたので、これを点ければ消灯時間後もある程度は活動できるのだ。
街灯が一斉にその光を消すと、星空は香るように輝き出した。
水平線から立ちのぼる、秋桜色から野菊色の淡い星雲に乗って、無限の瞬きが島に降り注ぐのだ。指先で触れれば鈴のように揺れて波立ちそうなロマンチックなきらめきが、透き通る暗闇の中でソーダ水のようにはじけている。都会では感じられない、眩しい夜空だ。
ランプを使い、オーロラの中にいるような不思議なシャワー室でサッパリしてきた月美は、ランプを洗面所の窓辺に移し、それを頼りに電池式ドライヤーで髪を乾かした。星空は確かに綺麗だが、やはり島の発電システムはもう少し増やして欲しいものである。
(そう言えば・・・アテナ会長はもっと発電風車を増やしたいと言ってましたのよね。けれどローザ様はそれにも反対している・・・。星空マニアってことかしら・・・)
いや、消灯時間がちょっと遅くなったところで、天体観測マニアの活動に大きな影響は出ないだろう。ローザに関する問題は考えれば考えるほど分からなくなる。
(文化祭の劇の練習が想像より忙しくて、なかなか学区統一の話を進められませんわ・・・)
小さくため息をついた月美は、ドライヤーの温風の向こうに流れ星を見た。この島では流れ星が非常に頻繁に見られるのだが、窓辺からちょっぴり勇気を貰えた気がして月美は少し嬉しくなった。
「ばぁ!」
「ひぃ!」
脱衣所を出ると、ドアのすぐ前に百合がいた。こんな感じのオバケだったらいくらでも出ていいのになと思いながら、月美は小声で「く、くだらないですわね・・・」と言っておいた。クールさのアピールはいつでも忘れないのだ。
百合がシャワーを浴びると、二人はようやく就寝である。
「おやすみ、月美ちゃん♪」
ベッドサイドにある夕焼け色のランプを消す前に、百合はいつもにっこり笑っておやすみを言う。
「お、おやすみなさい・・・ですわ」
そして月美はいつも恥ずかしがりながら、小さく返事をするのだった。
月明かりがゆっくり積もっていくような優しい静けさを、二人はそれぞれのベッドの毛布の中で感じていた。
しかし、百合の胸の中で、ちくちくした冷たい感情が転がり始める。
(このまま忙しくなっていって、年末になって、私は月美ちゃんとお別れなのかな)
何も考えず、無邪気に過ごしていた毎日がとても懐かしく感じられてきた。
(私はきっと・・・初めて会った時から、月美ちゃんのこと、好きだったんだ・・・自覚したのが最近っていうだけ)
今の百合は、そこまで自分を分析できている。
二人が初めて出会ったのは、入学式の日のフェリーの甲板である。
あの時吹いていた爽やかな海風の感触を、百合は昨日のことのようにはっきりと思い出せる。
(女の子同士の恋・・・しかも片思い・・・おまけに離れ離れになる運命なんて・・・)
百合は目頭がじんわり熱くなってしまった。
月美に気付かれぬよう、寝返りをうち、壁に向かって涙を二つ、三つこぼした百合は、このどうしようもない寂しさを少しでも和らげようと、対策を練り始めた。
(本当に12月いっぱいでお別れになっちゃうなら・・・私、この気持ちを月美ちゃんに伝えたほうがいいのかな・・・)
つまり、告白をするということである。
(だ、だめだめだめ!! す、好きですなんて言ったら絶対嫌われちゃう!!)
百合はピヨちゃんぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら首を横に振った。
相手は超硬派なお嬢様だ。せっかく親友のような関係になれたというのに、愛の告白なんてしてしまったら、きっと幻滅されてしまうに違いないのだ。もう会ってくれなくなるかも知れない。
(・・・けど、後悔するかな。何も言わずに、このまま離れ離れになっちゃうと・・・)
難しいところである。百合にとってこれは初恋であるから、分からないことばかりだ。
(告白なんて・・・むりだよ・・・)
告白するべきとか、しないほうがいいとか、そういう問題以前に、百合は恥ずかしくって告白なんて出来ない。恋していることを散々ほのめかした後だったら話は別だが、かなり上手に恋心を隠せてしまっているせいで、あまりにも突然な告白になってしまうのだ。こんな状況で告白するなど、百合には無理である。
(じゃあ、友人関係のまま、お別れするべきだよね・・・)
とても悲しいが、それが一番平和かも知れない。百合にとって、月美と築いてきた今の関係は絶対に壊したくない宝物だ。
百合はそっと寝返りをうって月美のほうを向いた。
(やり残したことがないようにしなきゃね)
愛の告白は諦めたとしても、他に悔いの残らないようにしたいものである。
実は一つだけ、百合にはやり残したことがあった。これくらいは友達同士でもやるでしょ、という類いの行動なので、恋愛感情を悟られることはないはずである。
(ええと・・・とりあえず、声掛けてみよっかなぁ・・・)
たぶん、月美はまだ眠っていないはずである。
涙の跡を指先で拭った百合は、月美に声を掛けてみることにした。
「月美ちゃん♪」
すぐに返事はなかったが、その代わり月美はもぞもぞ動いた。
「な、なんですの・・・」
「ふふ♪ ちょっとだけ、お話ししよ♪」
百合はピヨちゃんぬいぐるみを抱きしめながら、優しい月明かりの中で笑った。
「ねえ、アルファベットの最初の文字ってなんだっけ」
「・・・は、はい?」
「忘れちゃってさ。最初の文字、なんだっけ」
「Aですわ・・・」
何かのクイズかしらと思いながら、月美は答えてあげた。
「Aの次は?」
「Bですわ・・・」
「じゃあBの次は?」
「Cですわよ・・・」
「じゃあCの次は?」
「Dですわ・・・」
「ねえ、一緒に寝ていい?」
「Eですわ」
流れるようにそう言ってしまってから、月美は顔が一気に熱くなった。
「だだだ、ダメですわ!!!」
「今いいですわって言ったよね♪」
「いいじゃなくてEって言ったんですのよ!!!」
「いいって言ったんでしょ?」
「そ、そうじゃなくって!!」
「ふふっ♪」
百合はこういうイタズラだけ天才的である。
「お邪魔しちゃうね♪」
「ちょ、ちょっと・・・!」
百合はベッドを下りると、銀色の月明かりが降り積もったカーペットの上を妖精のように軽やかに歩き、月美のベッドにふわっと乗ってから布団をめくって、すばやく潜り込んだ。内心、百合はとてもドキドキしていたし、大変な勇気が必要だったわけだが、友達同士がふざけてこんな感じの行動をするくらい、同室で暮らしていれば普通に起こることだと思えば気楽だった。お別れの前に、これくらいのおふざけはやっておきたかったのである。
心の準備がなかった月美の動揺は尋常でなかった。
以前、ベッドの上でぎゅっと抱き着かれたことはあったが、あれは一時的なスキンシップだったわけで、今夜はこのまま二人で寝るかのような流れである。
「な、なんで来たんですの!?」
「二人のほうが温かいから♪」
月美は顔をそむけるという発想も出て来ないほど動揺していたので、二人は向かい合うような形になった。少し手を伸ばせばお互いの頬に触れられるほど、二人の距離は近い。
月美のベッドの上、柔らかいお布団の中で、二人の香りと温もりが優しく溶け合ったのだ。
月美はもちろん、百合もとっても緊張しているから、二人は足の指の先が少し触れ合うだけでビクッとして足を引っ込めた。手を繋ぐことなど到底出来ないが、百合としては、このくらいの距離感で充分満足である。
「私、朝までここにいるからね?」
念のために百合がそうささやくと、月美は返事の代わりにもぞもぞ動いてさらに縮こまった。たぶん、オーケーという意味である。
百合は、月美の長い髪を優しく撫でた。
自然に触れてしまう場所にあったから、どうしても撫でずにはいられなかったのである。春の朝の花畑のような甘い香りの黒髪は、とってもすべすべで、百合の指先を心地良くくすぐって癒してくれた。
「私ね・・・」
百合は胸いっぱいの気持ちを、少しだけ、ほんの少しだけ月美に伝えることにした。
「この学校に来る前は、友達なんてつくれないと思ってた。けど・・・月美ちゃんに会えて、毎日が幸せになったよ」
月美は何も言わず、ただ髪を撫でられ続けた。
暗くて表情が見えないが、じっとしている月美ちゃんが可愛くて、百合は自分の心臓の音を感じるくらいドキドキしてしまった。
「月美ちゃん、ありがとね♪」
それを聴いた月美は、それはこちらの台詞ですわ、と心の中で叫んだ。
いつも冷たい反応をして格好つけることに必死になっている、素直さのかけらもない自分に、こんなに優しくしてくれる百合さんは、月美にとって、まるで天使である。
(百合さん・・・大好き・・・大好きです・・・)
月美は冬眠するリスのように小さくなって、髪を撫でられ続けた。もっといっぱい触って欲しい・・・もっとくっつきたいとすら月美は感じた。
この愛おしくてちょっぴり切ない幸福感に身も心も浸して、二人はホットココアのように、とても甘い気持ちになることが出来た。
「明日からも、一緒に寝てくれる?」
こんなに温かいベッドを知ってしまったら、百合はもう、自分の布団で一人で寝るなんて我慢できない。
恥ずかしがってなかなか返事をしてくれない月美に、百合はささやくようにもう一つ質問をしてあげた。
「Dの次って・・・なんだっけ♪」
百合の色っぽい声にゾクゾクしてしまった月美は、足を何度ももじもじさせ、毛布の端をぎゅっと握りながら、小さな声で答えた。
「・・・イイですわ」
この日から、二人は毎晩、一緒のベッドで寝るようになった。