31、海とネコ
生徒が飼っているネコが一匹、逃げ出したらしい。
珍しく暖かい日だったので、お出かけしたくなったのだろう。
普段ならば、迷子のペットの名前や特徴を、電話を使って島の各地の寮に伝達し、目撃情報を集めるので、案外すぐに発見できるのだが、先週から文化祭の準備が本格化しているため、いつもと違う場所で放課後を過ごしている生徒が多く、ネコ探しに協力してくれる生徒数が充分に確保できていない。
「そこで、私たちですのね・・・」
「すまないねぇ。私の友人が飼っているネコだからさぁ・・・」
演劇部部長の翼先輩が苦笑いしながら頭をかいた。
妙なめぐり合わせで、文化祭の劇に出るメンバーが中心になって、ネコ探しをすることになった。今は一日の練習も無駄にしたくない大事な時期だが、ネコちゃんが怪我でもしたらいけないので、これは仕方がない。
「ええと、迷子のネコの特徴だが・・・名前はジェニファー。ターキッシュバンの女の子。タヌキのようにふわふわなしっぽが特徴。しっぽと両耳付近のみ茶色で、そこ以外はほぼ白色だそうだ。瞳は青いらしい」
ターキッシュなんとかという種類を月美は聞いたことが無かったが、意外と細かく外見を教えて貰えたので捜索は出来そうだ。
「手分けして探して欲しい。早く見つかれば、そのあと劇の練習もできるだろう」
「はいっ」
ここは島なんだし、放っておけば勝手に飼い主の元へ帰って来そうなものですわと月美は思ったが、よく考えると、月美と仲良しの青い小鳥ピヨちゃんはフェリーに乗って遥々この島にやって来た子だから、その逆のパターンの心配も一応するべきかも知れない。
「では私は港付近を探しますわ。船に乗らないように見張ります。一応ですけどね」
「分かった。よろしく頼むよ」
月美は横目でチラチラと百合を見ながら、自分のカバンを持ってレッスン場の出口に向かった。
「わ、私も港付近を探しまーす!」
「うん。よろしく」
百合がついてきてくれて月美は嬉しかった。月美のほうから「一緒に行きませんか」などとは言えないが、こういう時、いっつもついてきてくれるのが百合なのである。
「ネコちゃん、早く見つかるといいね!」
「ま、まあ、そうですわね」
月美は喜びを隠すため、長い髪をサッと撫でる美しい仕草で格好をつけた。
そしてその綺麗な横顔を見た百合は、うつむいてこっそり頬を染めたのだった。
フェリーや連絡船は基本的に土日にしか運航していないので島外逃亡のおそれは少ないのだが、港付近は美味しそうな香りに満ちたレストランなどが多いので、その辺りをうろついている可能性はある。二人は大通りの坂を下っていった。
「こんな遠くまで来るかしら」
「どうだろうね」
爽やかな秋空に浮かぶ白い雲が、教会のベルの向こうで輝いている。
「月美ちゃんって、ネコ好き?」
「嫌いですわ。ネコも嫌いですし、動物はみんな好きじゃないですの」
「ふふ♪ でも月美ちゃんって、動物に好かれるよね♪」
「え?」
振り向いてみると、月美のすぐ後ろには当然のようにピヨちゃんがおり、「人間~、今日はいい天気ピヨね~」みたいな顔で歩いていた。今日はピヨちゃんだけだが、ひどい時はここに可愛い白ウサギと小鹿が追加されるので、月美のクールなイメージは崩壊の危機にさらされている。月美は別に飼育係ではない。
「私はね、ネコも好きだけと、イヌも好きだよ」
「あらまあ。私イヌは大嫌いですわ。人の手を馴れ馴れしくぺろぺろ舐めてきますもの」
「ふふ♪ 可愛いよね」
「別に・・・」
「わんちゃんって時々、布団みたいな柔らかい場所を前脚でバサバサバサーッて掘ろうとしてるときあるでしょ?」
「知りませんわ」
「そういう時ね、一緒に掘ってあげると面白いよ♪ 大喜びするから」
「・・・・・・覚えておきますわ」
こんな風に何気ない会話するひと時は、二人にとって、とっても幸せな時間である。
丘の向こうのストラーシャ学区、その生徒会寮の電話のベルが鳴った。
『・・・というわけで今日の劇の練習は開始時間が遅くなりそうだ』
「別にいいわよ。どうせ私はいつも通りこっちのレッスン場で自主練するだけだし♪」
翼からの電話を受けたローザは、大して気にも留めず、化粧水の説明書きなどになんとなく目を通していた。
ローザは演劇の全体練習にほとんど参加せず、ストラーシャのレッスン場で一人で練習することが多いのだ。
「それより、ネコが逃げたって言ったかしら?」
『ああ、そうだよ。でもさすがにストラーシャ学区までは行ってないと思うけどね』
「どうかしらねぇ~」
『ローザも協力してくれないかい?』
「いやよ面倒くさい。私は海賊船長役なのよ。ここで稽古してるわ」
『一応ネコの種類とか特徴を教えておくから、新聞部にでも通達を出しておいてくれよ』
「はいはい♪」
ローザは電話台のメモ帳に適当に楓の葉の落書きをしながら翼の話を聞いた。
『それじゃあ、よろしく。解決したら連絡するよ』
「は~い♪ おつかれさまぁ~♪」
受話器を置いてソファに腰かけ、脚を組んだまましばらく考え事をしていたローザは、窓の外の透き通るブルーの中をゆっくり泳ぐ雲を眺めた。
「小春日和ってやつかしらね」
そっと紅茶を飲み干したローザは、優雅な物腰で立ち上がった。
ビドゥの港の赤レンガセンターまで来た月美と百合は、さっそく聞き込みを開始し、レストラン街や路地裏、そしてネコが日向ぼっこするのにちょうどいい芝生の広場などを巡って歩き回った。鹿やリスは山ほどいるのだが、ネコのジェニファーちゃんは見つからない。
「浜のほうにも行ってみましょう」
「そうだね」
港を少し南下すると、綺麗な砂浜が広がっている。ストラーシャの内海ほどではないが、ビドゥの浜も人気のレジャースポットだ。
今の時期は人影まばらで閑散としているが、透き通る波間に輝く午後の柔らかな日差しと、優しく素肌を駆け抜ける海風は、秋の哀愁を帯びてこそ、その魅力を増しているとすら感じられるものであり、ちょっぴりセンチメンタルな響きの波音に耳を撫でられ、優しい白砂にふんわりと靴の底をくすぐられた二人は、誘われるように、いつの間にか波打ち際まで歩いてきていた。
「綺麗だね・・・」
「ま、まあ、そうですわね・・・」
二人きりの世界である。
浜風にゆったりと揺れる二人の長い髪が、光の中でちょっぴり触れ合った。
遠い水平線を眺める月美と百合は、まるで夕日のようにほっぺを赤くしていた。まだ夕焼けには早い。
しかし、そんなロマンチックな空気をぶち壊し、急展開へと誘う光景が、月美の視界の片隅にひょっこり姿を見せる。
「え・・・?」
それは目を疑う光景だった。
「えええええ!?」
なんと、桟橋の近くの静かな波間に顔を出して、小さなしぶきを上げながらネコが一匹泳いでいるではないか。
「ジェ、ジェニファーですわ!!!」
「溺れてるの!?」
百合はどうしていいか分からず、少々パニックになりながらとにかく桟橋のほうへ向かって砂浜を駆けだしたのだが、月美は違った。
ほとんど無意識に靴と靴下を素早く脱ぎ、上着のブレザーを脱ぎ捨てて、スカートをたくし上げながら大急ぎでザブザブと海に入っていったのだ。
たしかにこのビーチは内海に負けないくらい遠浅で、1メートルに満たない数十センチの深さの透き通った海が広がっているのだが、ついさっきまで「動物なんて嫌いですわ」とか言ってたクールなお嬢様の行動とは思えない大胆な判断である。
だからこのとき、百合は思ったのだ。
ああ、月美ちゃんって、本当にいい人なんだなぁ、と。
「今助けますわよ!!」
ちょっと冷たい海水に膝まで浸かりながら月美はジェニファーに駆け寄っていく。
足の裏に感じる砂地は平坦でない上に柔らかかったので何度も足をとられ、水しぶきは顔にまで掛かったが、そんなこと気にしている場合ではなかった。
しかし、進んでも進んでもなかなかジェニファーまでの距離が縮まっていかない。
(ん?)
ここで月美は違和感を覚えた。
「え・・・ジェニファーあなた・・・」
月美はスカートをたくし上げたまま海上で立ち止まった。
「普通に・・・海水浴してません?」
そう、このジェニファーというネコ、実は海が大好きなのだ。
ネコと言えば水が大の苦手であり、その事を月美もなんとなく知っていたため、ジェニファーが溺れかけていると思って慌てて海に入ったわけである。しかし、ターキッシュバンという種類のネコは、非常に珍しい、水遊びを好むタイプのネコだったのである。ジェニファーは飼い主の生徒と一緒に淡水の小川でよく遊ぶのだが、一度だけ来たこの浜の解放感が恋しくなり、気温が上がった今日、閉め忘れられた寮のドアから抜け出してここへ海水浴しに来てしまったのだ。
「あなた泳げますのね・・・慌てて損しましたわ・・・」
「ニャ~♪」
「ニャーじゃないですわ・・・」
ジェニファーは楽しそうにその場でくるくる回って泳いでみせた。
とにかく迷子のネコは発見した。あとは捕獲して、飼い主の元へ連れ帰るだけである。
しかし、これがなかなかうまくいかない。
水しぶきを上げて追いかけてくる月美を、自分と遊んでくれているものを勘違いしたジェニファーは、楽しそうにジャブジャブ泳いで逃げ回ったのだ。
百合は自分も手伝うべく靴と靴下を脱ぎ始めたが、百合の制服を濡らしてしまっては申し訳ないと思った月美の静止により、ネコの捕獲は月美一人で頑張ることとなった。
「月美ちゃん、私なにか手伝えることない?」
「そ、そうですわね・・・」
近くに桟橋がある。何本もの木製の柱によって支えられたその桟橋には、小さなボートなども泊まっており、あの辺りに追い込めば捕獲できそうである。
「桟橋の上に行って下さい。そっちに追い込みます!」
「わかった!」
月美はわざと大きなしぶきを上げて追いかけ、百合も近くの小枝の葉を猫じゃらしのように使って誘惑した。二人は抜群のチームワークで、ジェニファーを桟橋へと誘導していったのだ。
なぜか水着姿にロングパーカーを羽織ったスタイルに着替えたローザは、機馬を走らせて丘を越え、ビドゥの海辺へ向かっていた。
すると、まもなく浜が見えてくるかという芝生の公園に差し掛かった時、彼女の前に青い小鳥が現れた。
「ピヨー!」
急ブレーキすると芝生を傷めるので、その場で軽く旋回してからローザは機馬を停めた。
「あらあら。あなたどうかしたの?」
飛び跳ねたり、翼を広げて回ったりする謎の仕草で、小鳥はローザに何かを訴えかけてきた。
「あなた月美ちゃんと仲良しの子よね」
「ピヨー」
そしてローザは察したのである。
「そういうことね。乗りなさい。そこまで案内して。あなた飛べないんでしょ」
「ピヨー!」
ピヨちゃんを拾い上げ、彼女を自分の太ももの間にぽふっと乗せたローザは、再び機馬を発進させた。
月美たちの頑張りにより、ジェニファーは無事捕獲された。
「ニャ~♪」
捕獲というよりは、遊び疲れて桟橋の上にのぼってきただけのようだが、今はびしょ濡れの体を日光にさらして満足そうな顔でにょ~んと伸びをしている。
「せめてタオルでもあればいいんですけど・・・」
月美は自分も水浸しだというのに、ネコの心配をしている。その優しさにキュンキュンしてしまった百合は、自分の顔を手で覆って隠しながら、小さく足踏みをしてしまった。今すぐにでも月美に抱き着いてしまいたいような恋のときめきである。
「あらぁ? こんなところでデートしてるのかしらぁ?」
その時、砂浜に機馬が一騎やってきた。ローザ会長である。
月美は思わず身構えたが、ピヨちゃんを大事そうに手に持って機馬を下りてきたので、なんとなく警戒心は解いた。
「ご、ごきげんよう、ですわ」
「は~い、ごきげんよう♪ かわいい月美ちゃんと百合ちゃ~ん♪ この小鳥ちゃんが突然機馬の前に出てきたからビックリしちゃった。届けにきたけど、そのネコはなぁに?」
「あ・・・実は迷子のネコちゃんなんですの。たった今無事に保護しましたわ」
「あらそうなの」
柔らかい白砂の上にぽふっとピヨちゃんを置いたローザは、機馬の側部に付けられた鞄から大きなタオルを何枚も持ってきてくれた。
「私、泳ぎにきたんだけど、仕方ないから特別に貸してあげるわ♪」
「え・・・いいんですの?」
「いいわよ♪」
何か裏があるんじゃないかと月美は疑ったが、ネコが風邪を引いてしまったらまずいのでご厚意に甘えることにした。
「あなたも濡れてるわよ」
「わっ!」
月美がネコばかり気にしているので、ローザは笑いながら月美の頭にバスタオルをバサッと掛けた。
「それじゃあ、この子は私が飼い主ちゃんにお届けしてあげるわ♪」
「・・・お願いしていいんですの?」
「機馬のほうが速いから、まあ、仕方ないわね」
ローザはジェニファーを膝の上に乗せ、タオルで作ったシートベルトで落ちないように工夫しながら、機馬を発進させた。
「そんなことより、百合ちゃんをもらう準備はどんどん進めちゃってるわよ♪ 私の計画を止めようとしてるなら、もっと頑張りなさい♪」
「う・・・」
痛いところをついてくる女である。最近は劇のことで頭がいっぱいで、あんまりローザのことを考えられていなかった。
「私の優雅な秋の海水浴を邪魔したことは貸しにしとくわ♪ それじゃあまたね、月美ちゃん、百合ちゃん♪」
せっかく協力してくれたというのに、結局悪者っぽい雰囲気を出してローザは去っていった。よく分からないお姉様である。
とにかくネコは見つかったし、無事に保護できた。今から戻れば劇の練習も少しはできるだろう。
二人は砂浜に二本の足跡を付けながら、港へと帰ることにした。港のロータリーから出ている自動の機馬車に乗って坂を上って行けば、レッスン場へはすぐに帰れるはずだ。
月美ちゃん・・・凄くカッコ良かったよ。
月美ちゃんって、本当に優しいんだね。
月美ちゃん、大好き・・・。
そんな思いを、抱きしめるように胸の中で温めたまま、百合は月美と並んで歩いた。
「月美ちゃんっ」
砂浜を出る直前に、百合は呼び止めるように月美に声を掛けた。
「ネコちゃん、見つかって良かったね♪」
たくさんの気持ちをひとつにまとめた言葉にしてはあまりに平凡なものだが、今の百合にはこれが精一杯の台詞である。
振り返った月美はちょっぴり頬を染めながら、髪をサッと撫でてクールに答えた。
「ま、まあ・・・そうですわね・・・」
月美のほっぺには、白い砂がいくつもくっついていた。
優しい潮騒の中で、足元のピヨちゃんが嬉しそうにピヨピヨ鳴いた。