3、三日月
海原に月が昇ると、学園は金色に輝く。
学舎や寮は、暖炉のような温かいオレンジ色にライトアップされ、しかも今の時期は幻想的な夜桜も楽しめるのだ。
「あの、月美さん。後で大事なお話があるんです・・・」
入学式が終わり、寮へ向かう行列の中で、百合はそんな風に話を切り出した。
「え、何ですの急に?」
「・・・ルームメイトについてなんですけど」
ビドゥ学区の生徒は皆、黒っぽい私服を着てくるよう指定されていたのに、百合は真っ白なワンピース姿でレンガの坂道を歩いている。明らかに異質なので、ルームメイトを調整してもらった件は早めに打ち明けなければならないと百合は思ったのだ。
周りの生徒たちは、出会ったばかりの自分のルームメイトと緊張しながらおしゃべりしたり、眩しい夜桜に見とれたりしているので、まだ百合のワンピースはそれほど目立っていないが、クールで聡明な月美さんならとっくに違和感に気付いているはすだと、百合は考えたのである。
しかし、月美はポンコツなので、急に大事な話とか言われても全く意味が分からず困惑した。
「だ、大事な話・・・ですの・・・?」
「はい」
「わわ、分かりましたわ。でも、忙しくないタイミングでないと聞いてあげませんわよ。今はその・・・美しい夜桜を鑑賞していますからね」
月美はとりあえず自分の髪をサッと撫でて格好を付けた。月美の黒髪に桜の花びらがふわりと流れる様子に、百合はちょっと見とれてしまった。
(月美さん、本当に硬派だなぁ~)
こんな人とルームメイトになれたことが嬉しくて、百合は頬を桜色に染め、うつむいた。足元のレンガの道も、桜色に染まっていた。
ちなみに、一年生全員が生活できる大型マンションみたいな寮は無いので、いくつものグループに分けられて寮生活は行われる。月美たちが生活する寮は、入学式の会場と同じくらいの高所にある、80人ばかりが生活できる比較的大きい寮だった。
「すごーい・・・!」
大きなプラタナス並木の向こうに、ライトアップされた寮が見えてきただけで、百合はそう呟いてしまった。18世紀フランスの大邸宅といった感じで、とにかく外観が美しかったのだ。
寮は上空から見れば凸の字を逆さまにしたような形をしており、エントランスがとても広くて豪華だった。たくさんソファーや椅子が置かれていて、待ち合わせ場所にも最適である。
月美は、常に百合が隣りにいるため、緊張でガチガチになっており、上履きに履き替える時も、ロボットみたいな動きになってしまった。靴を自分で履き替えるロボットを制作したい方は、月美の動きを参考にしてみて欲しい。
エントランスから左右に広がる赤絨毯の廊下は、金色のライトで照らされていて、所々に花台のようなものが置かれていた。
『それでは一年生の皆さん、夕食の準備が出来ていますので、お部屋に荷物を置いたら、二階中央階段の正面にある食堂へお越しくださーい。ここの真上でーす』
寮まで先導してくれた先輩が、マイクを使ってそう教えてくれた。
この学園は基本的に生徒たちだけで食事を作って暮らすことになるのだが、新入生にいきなり料理は難しいので、しばらくは先輩が面倒を見てくれるのだ。
『それではまた後でお会いしましょう』
さあ、自由時間が出来てしまった。
「月美さん」
「は、はい・・・?」
月美は百合に声を掛けられただけで、声が震えてしまう。
「私たちのお部屋、探しましょうか♪」
「も、もちろんですわ」
月美は涼しい顔で歩きながら、部屋番号のカードを素早くこっそり確認し、階段を上り始めた。部屋は220号室なので、上の階なのだ。ちなみにこの寮は二階建てである。
アテナ様の計らいかも知れないが、なんと角部屋だった。
建物の両端は大きな階段であるため、角部屋と言っても二か所に窓があるわけではないのだが、南階段を上がってすぐの部屋なので覚えやすいし、何よりも、お隣りさんが一部屋しかないのでとても落ち着く。
「ここですわね」
廊下の窓からはライトアップされたプラタナスの木々が見えた。寮の裏側までライトアップするというこだわりには月美も感服であるが、そんな事より彼女は自分のすぐ斜め後ろにぴったりくっついて歩いてくる百合の存在に手を焼いているから、景色など割とどうでもいい。
「開けましょう♪」
周囲に人が少なくなったせいか、百合は活き活きとしだした。部屋には鍵が掛かっているが、入学式で貰った座席カードで開けることができる。
「わぁ・・・!」
ドアを開けると、部屋の電気は自動で点いた。
可愛くて繊細な装飾と、落ち着いた色合いがとても美しい、高級なドールハウスみたいな空間が二人を出迎えた。
二台ある木製のベッドが両壁にぴたっと寄せて設置されており、勉強机や小さな鏡台なども左右に振り分けられていた。普通の女の子であれば「私こっちー!」「ええ!私がこっちがいい!」などと言い合いが始まるのだろうが、月美はお嬢様である。自分のキャリーケースを部屋の真ん中にスッと置き、ドレスを整えるフリをしながら百合の動向を窺った。しかし百合は「私、左側でもいいですか? こっちが寮の一番端っこですね♪」などとは一切言わず、月美の後ろでにこにこしながら立ち止まってしまった。これは困る。
「ど・・・」
「ん?」
「どちらがいいですの?」
訊くしかない。
「私は・・・どちらでも♪」
百合は照れながらそう答えた。
月美は自分を主張しないことに美学を感じながらクールに暮らしてきたが、決断能力はかなり優れたほうである。しかし、相手が百合である場合は話が別だ。目も合わせられないほど大好きになってしまった相手には、「絶対嫌われたくない!」「期待外れの行動を取りたくない!」という心理が強く働くので、月美の決断力など無いに等しい。
「・・・ま、まあ、後でいいですわ。食堂に行きましょう」
「はい。あの・・・さっきの話なんですけど」
大きく開けておいたはずのドアが、このタイミングで自然に閉まってしまった。賑やかな廊下の空気がドアに遮られ、二人だけの空間が沈黙の中にふわりと広がった。
「大事なお話が、あるんです」
二人の距離が、今までで最も近い。月美は後ずさりする事もできず、ただ百合の瞳に囚われたまま、猫の置き物のような真顔で棒立ちになってしまった。しかし百合は月美の顔を覗き込むように、さらに顔を近づけてくる。
「うぅ! そ! そ、それは夕食後で構いませんかしら!?」
月美は根性で百合に背中を向け、そう叫んだ。
「あ、はい! もちろんです」
二人きりの空気感に緊張していたのは百合も同じなので、彼女も少しホッとした様子である。お腹も空いているし、二人は食堂へ行くことにした。
クリームポタージュのいい香りが月美たちを待っていた。
長いテーブルには特に部屋番号などは記されておらず、自由に腰かけていいようだったが、月美は部屋と同じ、一番隅っこを選んだ。百合は当然のように月美の後をついてきて、向かいの席に座った。月美は背筋を伸ばしたまま仏像のように軽く目を閉じ、微笑みかけてくる百合の優しい笑顔ビームから身を守った。
寮生が食堂に揃った頃、意外な人物が姿を現す。
「私がご挨拶してもいいかしら」
ビドゥの黒い制服と金髪が美しい、アテナお姉様だ。百合はアテナと面識があるが、月美はない。実は入学式の時にステージでアテナの演説があったのだが、月美は入学式の時の記憶がサッパリ無いので、実質はじめましてである。
「こんばんは皆さん。改めて入学おめでとう。夕食前に、この学区の生徒会長である私から少しお話があるのよ」
すぐに自分に関する話だと察知した百合は、ヒヤッとした胸の高鳴りに襲われた。
「百合さん、あなたの話をするけど、平気かしら?」
アテナはハッキリそう言って百合に目を遣ったが、その視線はとても穏やかで、ほんのり微笑んですらいた。百合は周囲の生徒たちの目が集まるのこの一瞬が苦手なので、すぐに首を縦に振ることにした。どんな説明をされるか分からないし、月美にもまだ話していない内容になるだろうが、百合はアテナ先輩を全面的に信頼することにしたのである。
「ありがとう、百合さん」
アテナは寮生たちのシチューが冷めないかどうか、湯気の立ち上り方を常に気に掛けながら、語り出した。
「まず皆さん、もうお気づきだと思うけど、そちらにいる白浜百合さんだけ、白い私服を着ているわね」
寮生たちは「ほんとだ!」「素敵~」などとざわつき、たった今気づいた者ばかりのようだった。
(あら! そういえば百合さん、ビドゥ学区なのに白いワンピースですわ!)
月美もようやく気づいたようである。この寮にはポンコツ娘しかいないようだ。
「実は百合さんは、丘の向こうの、ストラーシャ学区の生徒だったの。だけどとある理由で、ビドゥ学区で預かることになったのよ」
寮生たちは意識の半分をアテナ様の話に割きながらも、百合の素晴らしい容姿に心を奪われていた。後ろ姿しか見えていない生徒は無事なのだが、百合の顔を直視してしまった生徒の中には、恍惚な眩暈に襲われてシチューに顔を突っ込んでしまう子までいた。百合はそれくらいのパワーを持った、ほとんど妖精のような少女なのである。
「お気づきの通り、百合さんはとても美しいわ。だから、彼女のボディーガードができるような、恋愛に対して冷静な感性の持ち主がルームメイトに必要だったのよ。それが、ストラーシャ学区にはいなかった」
寮生たちの関心と視線は、一斉に月美に集まる。月美は慌ててクールな顔を作った。
「選ばれたのは、百合さんの正面にいる黒宮月美さんよ。彼女は百合さんに恋をしない、とても硬派な女の子。私たち生徒会で厳正に選んだわ」
実際は百合の希望で調整されたことなのだが、アテナはこんな風に説明してくた。どうやら彼女が責任を持ってくれるらしい。とてもいい先輩である。
「だから、どんなに百合さんが素敵でも、ラブレターを異常な枚数送ったりして迷惑掛けちゃダメよ。月美さんから注意されてしまうからね」
寮生たちは百合の美しさにも見とれたが、月美のカッコよさにもキュンキュンしていた。なるほど、百合さんを任せられるのはあの人だけなんだな、と納得させるだけの美貌と気品と冷静さを持ったお嬢様に見えたのだ。こういう時の月美の演技力は一級品である。
「それからこの件に関して、もう一つ連絡があるわ。百合さんはこのビドゥ学区に編入になったけど、今年いっぱいで、それは終わりよ」
寮生たちは「ええ!?」と悲鳴に近い声を上げた。
「ストラーシャ学区の生徒会長ローザは、百合さんの影響力を利用するために、自分の学区の生徒会に引き入れるつもりなの。百合さんはやむを得ずビドゥに来たというのに、このような交換条件を出されてしまうなんて、とても可哀想な話だわ」
アテナはとても頭がいい。寮生たちが百合に同情するような状況を作ってくれたのだ。
「だから皆にお願いよ。確かに百合さんはいずれストラーシャ学区に行ってしまうけれど、今は私たちの学友よ。仲間外れにしたりしないでね。そして、人から好かれ過ぎてしまう百合さんのボディーガードである月美さんにも、協力してあげてね」
生徒たちは息をピッタリ合わせて「はい!」と返事をした。これで、圧倒的美少女である百合と、そのルームメイトである月美の存在が、寮生たちにスムーズに受け入れられたわけである。寮生たちとしても、百合や月美と同じ寮で暮らすことは、他の生徒たちに自慢できることなのだ。
「それじゃあ、皆さん、お食事の前にお邪魔してごめんなさいね。最後に月美さん。百合さんの事をよろしくお願いしますね」
月美は、少し話についていけない感じがあって一瞬返事が遅れてしまったが、それが逆に心の余裕を演出する結果となり「わかりましたわ」と答えた時には、周りから「キャー」とか「素敵・・・」みたいな声が上がった。
そして食事中、月美は考えた。
(私が百合さんと同室になったのは単なる偶然じゃなくて、私がハイパークールな乙女であると、先輩たちに認められたからでしたのね。光栄な事ですけど、凄いプレッシャーですわね・・・)
月美は少々罪悪感も覚えた。なにしろ彼女は、もう既に百合に恋をしてしまっているからだ。
(どうしましょう・・・やっぱり私・・・百合さんに恋しちゃってるんですの・・・? それなのに、ボディーガードを任命されてしまいましたのね)
ゆっくりブロッコリーを頬張りながら、ふと顔を上げると、月美は百合と目が合ってしまった。百合は照れながらうつむいた。どうやら大事な話とはこの事だったらしい。
(今年いっぱいでストラーシャ学区に帰ってしまうということは・・・9か月ですわよね)
年が明けたらお別れ、という事実は確かに悲しいが、その実感はまだ月美にはなく、それ以上に、今日から始まる同室生活への不安のほうが大きかった。むしろ9か月が長いとすら感じられるくらいである。
先輩たちが振舞ってくれた料理はとても風味豊かで美味しいものだったのだが、月美はその味を楽しむ余裕もなく、ただ、状況を整理し、お皿を空にする作業に追われた。
夕食後、二人が自室に向かおうとすると、たくさんの寮生たちに「ごきげんよう!」とか「おやすみなさい。百合さん、月美さん」などと挨拶をされてしまった。月美はクールな物腰で彼女たちに挨拶を返し、百合は月美の後ろに隠れるようにして頭を何度も下げた。
(月美さん、頼りになるなぁ・・・!)
百合は嬉しくって、月美の背中にぴったりくっついてしまった。
(な、な、なんでそんなにくっつきますのぉお・・・!?)
月美は夕焼けみたいに顔を真っ赤にした。
「月美さん、ありがとうございました♪」
部屋に着くと、百合はすぐに一連のやり取りに関して月美にお礼を言った。
「べ、別に・・・どんな事情があれ、ルームメイトに協力するのは、普通ですから。せいぜい、その・・・私に恥をかかせないように、お勉強とか、頑張ってくださいね」
「はい!」
目を逸らしながら厳しめに助言する月美に、百合は笑顔で返事をした。二人きりでいると、百合はとてもよく笑う。
さて、この寮は各部屋にお風呂場があるタイプだったので、百合は誰にも裸を見られずに済むようだ。修学旅行のようにほぼ全員で一斉に広いお風呂に入る寮だった場合、百合の裸体の美しさに耐え切れず、倒れて頭を打って記憶喪失になる子がいたであろうから、これは幸運である。
「・・・じゃあ百合さん、私が先に使っちゃいますからね」
「はい。いってらっしゃい♪」
月美が先にシャワーを浴びることになった。
お風呂場は洗面所とちゃんと分かれていて、そのくせ結構広く、暖房や乾燥機能もついており、高校生の寮にしてはかなり贅沢な、有難い設備だった。いつか湯舟にお湯を張ってくつろぎたいところである。
(うぅ・・・緊張しますわ・・・)
一緒にシャワーを浴びるわけでもないのに月美はドキドキしてしまった。とにかく音を立てず、綺麗に、壁面なども無駄に濡らさないように上品なシャワーを心掛けた。鏡に自分の裸が映る度に、自分は今百合さんのすぐ近くで裸になっているんだ、という意識に襲われ、月美は猛烈に恥ずかしくなるのであった。
ところで、各部屋には学園案内という分厚い本が一冊ずつ置かれている。
「あ、なんだろ、この本」
月美がシャワーを浴びている間、自分のベッドに寝転がってくつろいでいた百合は、学園案内の本を見つけた。ちなみに百合は窓に向かって右側のベッドを選んだ。
「読んでみよっと♪」
まず、この学園は『三日月女学園』という名である。
その由来は、女学園島の形にあり、実はこの島、かなり綺麗な三日月型をしているのだ。
島の構造について簡単に説明すると、次のようになる。
焼き立てのクロワッサンを想像して頂きたい。クロワッサンの形には大きく分けて二種類あるが、ひし形のものでなく、手前にくねっと曲がったタイプである。
その曲線によって生まれた内側のラインに面している学区が、白砂のビーチが有名なストラーシャ学区である。そして外側のラインに触れている部分のうち、左半分がヨーロッパ風でクルーズ船用の港があるビドゥ学区。右半分が日本風で大きな神社などがあるアヤギメ学区だ。
島の中央はパンと同様、こんもりとした丘になっているため、例えばビドゥ学区の生徒がストラーシャ学区の穏やかな内海で海水浴を楽しもうと思ったら、ちょっとした山越えが必要になるのだ。結構広い島なのである。
「海水浴かぁ・・・」
百合たちが暮らすビドゥ学区は港町なのだが、ビーチは少ないらしいので、泳ぎたかったらストラーシャに遊びに行くのが正解のようだ。人前で水着姿になるなど、モテすぎる百合にとっては自殺行為であるが、実は百合は水泳が大好きなので、ちょっとだけストラーシャにも興味が湧いてきた。三日月型の超広大なビーチの写真が載っているが、ハワイのような美しさと解放感である。いつか月美さんと一緒に遊びに行きたいなと百合は思った。
「も、戻りましたわ・・・」
「おかえりなさい」
月美がシャワーから出て来た。
「それじゃあ次、私が浴びてきますね♪」
月美は床を拭いたりシャンプーを綺麗に並べ直したりと、色々なお嬢様的小細工をしてから出て来たわけだが、あまりにも百合がすぐにシャワー室に向かったのでドキドキしてしまった。
(百合さんって、本当に私のこと信頼してますのね・・・)
無防備に懐いている状態である。
「あ、月美さん」
「ひ!」
脱衣所に行ったはずの百合がドアを開けて顔を出したので月美はうろたえてしまった。
「そこにある学園案内っていう本、面白いですよ♪」
「そ、そうですの? じゃあ、気が向いたら、読んでおいてあげますわ」
「うん♪」
ドアが閉まって、月美は胸を撫で下ろした。
ドアが厚くて丈夫であるため、シャワーの音はほとんど聞こえないが、それでも月美は恥ずかしさのあまり、自分の布団に潜って丸くなってしまった。
(うぅ・・・百合さんがシャワーを浴びていますわ・・・)
こんな調子で9か月も同室生活できるのか、月美は不安である。
(なんで私は女の子相手にこんなにドキドキしてますの・・・うぅうううう)
月美は顔を両手で隠しながら布団の中で転げ回った。船上で紅茶を嗜んでいたクールなお嬢様はどこへ行ってしまったのか。このままでは理性が失われる。
(そう言えば・・・さっき百合さんが、本がどうとか言ってましたわね)
月美は布団から顔だけ出して部屋の中をキョロキョロ見回し、学園案内を見つけた。こういう時は読書でもして冷静になるべきである。
この学園は絶海の孤島にあると言える。
なので、衣食住の大半は、生徒たち同士で支え合っていかなければならないのだ。
しかし別に、命がけのサバイバルが行われているわけではない。この女学園島には、島内で独自に誕生した大変珍しい、栄養豊富な果実や野菜が山ほど自生しており、栽培も容易であるため、実はかなり豊かな食生活が可能な島となっている。
生徒はクラブ活動のようなノリでそれらを調理し、レストランやカフェを営み、独自の経済圏が形成されている。衣類や紙の製造に利用できる繊維を発見してからは、衣料産業が一層活発になり、今ではビドゥ学区を中心に西洋風のお洒落な店舗通りが形成されるようになった。それぞれのお店の上の階層は実質、寮となっており、そこで生活する生徒も多いため、この学園にはたくさんの寮が存在するわけなのだ。
学区によって特色が違うが、ビドゥ学区は学園島の玄関であり、ヨーロッパ風の都会でもある。ストラーシャ学区はハワイや地中海の雰囲気に包まれたリゾート地。アヤギメ学区は田園風景のノスタルジーと科学の融合が楽しめる和風のエリアだ。
(ふーん。アヤギメ学区、っていうのも面白そうですわね・・・)
「ただいまです♪」
「わぁ!!」
いつの間にか百合がシャワーから出て来ていた。
「読んでたんですか?」
百合はにこにこしながら、本を覗き込んできた。シャワー上がりの百合さんのシャンプーの香りに月美は大層怯え、布団に潜り込もうとしたが、このタイミングでそんなことをしたらお嬢様らしくないので、スフィンクスみたいなポーズをしたまま固まってしまった。
「私も一緒に見ていいですか?」
「え・・・いや・・・その・・・」
結局、月美がベッドに寝転がった状態で本を開き、百合がカーペットに膝をついてそれを一緒に読むという体勢になってしまった。
(なんでこんなに近づきますのぉお・・・!?)
百合の可憐で甘~い香りのみならず、シャワー上がりの体温まで感じてしまう距離に身を置き、しかも動けなくなってしまった月美の顔は、耳まで真っ赤になった。
どういう訳か、ここで部屋の天井のスピーカーからオルゴールのような優しい音色の音楽が聞こえてきたが、二人は「なんだろう」「わ、わかりませんわ」と言ったきり、あまり気にしなかった。
百合は月美に頬を近づけて尋ねた。
「それで月美さん、どこまで読んでたの?」
「な、なんか、学区とか、植物とか、そんな感じのところですわ」
「そうなんだ。続き読んでくれませんか?」
百合はずっと楽しそうに笑っている。
「い、いやですわ・・・! ご自分で読んで下さい。私はあなたのママじゃないんです」
「ふふっ。それじゃあ、私が読みますね♪」
「え・・・」
二人の頬がさらに近づく。
「この辺からかな。アヤギメ学区の生徒によって進められている技術研究は、現在風力発電にその重きが置かれています、だってぇ。そういえば、山の上のほうに風車がいっぱいあったもんね。あれ発電してたんだね」
「そ、そうですわね・・・」
月美は緊張しすぎていつの間にか息を止めていた。
「なお、電力はすべて、島内の風車で発電しているため使用量が限られており、ビドゥ学区とストラーシャ学区は、21時が消灯時間となっています」
「・・・え?」
「え?」
次の瞬間、部屋の電気がふわ~と消えていった。丁度、夜9時を迎えたのだ。
暗闇の中で、二人は少しの間沈黙したが、やがて百合が笑い出した。
「21時消灯なんですね! 全然気づいてませんでした!」
「・・・さっきからメロディが流れてましたけど、消灯の合図でしたのね」
月美はクールなお嬢様なので声を上げて笑うようなことはしないが、やっぱりちょっと可笑しかった。ぴったりのタイミングで電気が消えたからである。
「ベッドサイドの電気とかは点きますよ♪」
百合が電池式のランプをいくつか手探りで点けてくれた。彼女はランプシェードの柔らかな光の中で、くすくす笑った。その美しさはまるで天使のようで、月美は頭がくらくらした。
二人はランプを片手に寝る準備をして、それぞれのベッドに入った。
「・・・消灯時間早すぎますわよ。桜のライトアップなんかして無駄使いしてるからですわ」
「たしかにそうでしたね♪ でも、綺麗だったから、いいと思います♪」
「・・・まあ、綺麗は綺麗でしたけど」
「消灯時間は9時ですけど、勉強机の電気は点きますし、普通に起きてても大丈夫なんですかね」
「そりゃそうですわ。でも今夜はもう寝ますわよ。長い一日でしたから」
「はーい♪」
小さなランプの明かりにふんわり揺れる静けさの中で、二人はお互いのことばかりを考えていた。月美はとにかくがちがちに緊張しながら、そして百合はとても穏やかな心持ちで。
「月美さん、起きてますか?」
月美の心臓はドキリと跳ねた。月美は敢えてひと呼吸おいてから答えることにした。
「・・・なんですの」
百合は月美のほうに体を向けた。
「アテナ様はさっき、あんな風に説明して下さいましたけど・・・実は、私が月美さんを希望したんです」
月美は全身が一気にじわっと熱くなり、心臓が高鳴った。上手い言葉が見つからず、月美は無言のまま固まってしまった。
「クルーズ船の上であなたに会って、きっとこの人なら、私と仲良しになってくれるって思ったんです。私に恋しないで、普通の・・・友情というか、私が憧れてた本当の友人関係っていうのを、築けると思ったんです」
なんだか申し訳ない気持ちになってくる言葉を貰い、月美は恥ずかしさでいっぱいになった。
「も、もし私が・・・見かけだけの女だったら、ど、どうするつもりでしたの?」
「え? ・・・んー、でも、初対面の時に、あんなにクールでいてくれたのは月美さんが初めてでしたので♪」
全然疑っていないようである。
「じゃあもし、私が・・・百合さんみたいな人を迷惑がるタイプの女だったら? 編入とか、ボディーガードみたいな役割とか、そういうのは面倒だと言ったら、どうするつもりでしたの?」
百合は少し笑ってから答えた。
「・・・船に、青い小鳥ちゃんがいましたよね。月美さんって、たぶん、あの子にお水をあげたんですよね」
「え!?」
なぜバレたのか。
「だってあの子、紙コップで遊んでましたし、頭も濡れてましたから。動物は好きじゃないですって言いながら、親切にしてあげたんですね♪」
「ち、違いますわ・・・! あれは・・・その、たまたま水が余ってたから・・・!」
月美は顔から火が出そうだった。
「紅茶はご馳走してあげません、って私に言った理由も、本当は水を全部あの小鳥ちゃんにあげちゃったからだったのかなって、私勝手に思っています。違っていたら、すみません♪」
もう月美は何も言い返すことが出来ず、百合の優しい声に耳も心も預けるしかなかった。
「だから、月美さんは、クールだけど、とても心の優しい人だって、私思っています♪」
「・・・か、勝手に思ってて下さい」
月美は百合のベッドに背中を向けながら、独り言みたいにそう言った。これがクールなお嬢様としての、精一杯の抵抗である。
(優しい人だって事、あんまり気付かれたくないんだな、月美さん。なんだかちょっと、可愛い♪)
百合はくすくす笑った。
百合は胸の中にしまっていた事を全て月美に話すことが出来て、とてもすっきりした。そして、実はもう一言だけ月美に言いたい台詞があったのだが、それはなんだか恥ずかしくて、結局言えなかった。だから、月美のほうを見ながら、心の中でつぶやくことにしたのだ。
(あの時、あなたと出会えてよかった・・・)
百合は今、とても幸せである。
「それじゃあ、おやすみなさい、月美さん♪」
「う・・・」
月美はしばらく布団の中でもぞもぞ動いて散々恥ずかしがったあと、小さな声で答えたのだった。
「お・・・おやすみなさい・・・ですわ・・・」
その夜、月美が全然眠れなかったことは言うまでもない。
三日月の輝く満天の星空の下で、乙女たちの初めての夜が更けていったのだった。