28、恋花火
今日の学園は秋祭り一色である。
午前の授業の後、収穫したカボチャやニンジンを機馬車でゆっくり引きながら、乙女たちは夜の花火大会のことばかり考えていた。本来は夏の夜空を彩るはずだった花火が、今年は秋に咲くこととなったわけだが、すっかり涼しくなった島の海風に威勢のいい音と輝きを添えて盛り上げてくれるのだから、少女らの心は躍った。
この移りゆく季節の中で、気が付けば百合は、いつも月美を目で追いかけていた。
「えーと、こんな感じですかね」
「ありがとうございますわ、桃香さん」
寮の自室で、桃香ちゃんが浴衣の着付けをしてくれた。
「まさか桃香さんにこんな特技があったとは思いませんでしたわ」
「い、いえいえ! 翼先輩の動画を頼りに、見よう見まねですぅ・・・」
デジカメの小さな画面で見る映像を参考に、ここまで出来るのは大したものである。
「今日は楽しみねぇ!! 私、花火なんて久しぶりだわ!!」
百合のベッドに腰かけて足をぶらぶらさせているのは綺麗子である。綺麗子たちもカワイイ浴衣に着替えており、秋祭りの準備は万端だ。ちなみに綺麗子はトマトみたいに鮮やかな赤い浴衣に身を包み、珍しく大きなリボンを付けて髪を上げていて、とっても可愛い。
しかし、百合は月美ばかり見ていた。
(月美ちゃん、綺麗だなぁ・・・)
藤の花に彩られた紫色の浴衣は、美しい月美をさらに可憐に、可愛らしくした。
「完成しました! 髪飾り、たぶんこれでいいと思うんですけど」
「本当にありがとうございますわ。洗面所の鏡で見てきます」
月美が背筋を伸ばして脱衣所のほうへ向かったので、百合もこっそりついていくことにした。
「わ! な、なんでついてきましたの・・・!」
「別に♪」
「うぅ・・・」
せっかく広い鏡の前にやってきたのに、月美は隅っこへいってしまった。
(月美ちゃんって、恥ずかしがり屋さんだなぁ♪)
百合は浴衣の袖で口元を隠しながら、クスクス笑った。
百合はモテすぎるため、そして月美は厳しい教育を受けてきたお嬢様であるため、二人は幼い頃から友人がほとんどいなかった。
だから百合は、月美が今恥ずかしがっているのは、親しい友人関係というものに慣れていないからだと勘違いしており、共感もしているのだ。月美が自分に恋しているだなんて、夢にも思っていない。
(制服の時よりも首元がよく見えるなぁ・・・)
百合は月美の斜め後ろに立ちながら、彼女の綺麗なうなじをじっと見つめてしまった。
(もし今・・・私が突然、首のあたりにチュッてしたら、月美ちゃんどんな反応するのかな)
とんでもないことを百合は妄想し始めた。
(驚いて飛び上がるのかな。それとも、さすがに嫌われちゃうのかな)
百合の綺麗な瞳の中で、月美の髪飾りが揺れる。
(でも、結局最後は許してくれそう♪)
月美がとってもとっても優しい女の子であることを、百合はよく知っているのだ。
(月美ちゃんの綺麗なお肌に、チュー・・・)
そのシーンをちょっぴり具体的に思い浮かべようとしたその時、身なりをチェックしていた月美がパッと振り返り、百合にクールな眼差しを向けてきたのだ。
「・・・なんでそんなに見てきますの?」
「え! あ、いや、なんでもない」
なんだかドキッとしてしまった百合は、照れ隠しににっこり笑って脱衣所から抜け出した。
「い、一体何ですの・・・」
月美は頬を染めながら、百合の背中を見送った。
「それじゃあ、皆準備オッケー!?」
4人は無事に浴衣の着付けを終えた。
ちなみに月美たちは下駄を履くのはほとんど初めてであり、鼻緒の辺りで靴擦れを起こすおそれがあったため、予め絆創膏を張り、足袋もしっかり履くことにした。日が暮れると結構寒いはずなので、インナーもちゃんと着込んでいる。
「じゃ、行きましょ!」
そう言って綺麗子は先陣を切り、部屋を出たわけである。
しかし、廊下を歩き出してから、ちょっぴりもたついている子がいた。
「桃香、なんか歩くの遅くない?」
「あ、ええと、なんだか転んじゃいそうで」
浴衣は身軽に見えるがスカートと違って脚が窮屈なので、慣れないうちは小股でちょこちょこ歩くしかない。
「ほら、手ぇ貸しなさい」
「え」
「一緒に行くわよ!」
綺麗子は桃香と手を繋ぎ、ペースを合わせて仲良く歩き出したのだった。姉妹のようでとても可愛い。
そんな二人の様子を見て百合は思った。
(んー、首にチューするのと違って、手を繋ぐくらいは出来そうだよね。ぎゅって抱き着いたことだってあるわけだし)
百合はまた月美のことを考えている。
(あ、でもさすがに人前じゃ絶対ダメだよね。私も恥ずかしいし。それじゃあ、後でこっそり試してみようかな)
花火大会の会場はストラーシャの内海だから、到着する頃には辺りは暗くなっているはずである。手を握るチャンスがあるかも知れない。
(月美ちゃん、どんな反応するかなぁ♪)
百合はワクワクしながら、月美の揺れる髪飾りを追いかけて歩いた。
(な、なんだか百合さんの視線を感じますわ・・・)
勘の良い月美は何となく身の危険を感じている。無邪気な百合からのイタズラやスキンシップを耐え抜き、クールなお嬢様のイメージを保つことが月美の任務である。
さて、恋心と理性の綱引きに手一杯なままでは、自分たちの運命は変えられない。
今日はローザの知られざる計画を特定するチャンスかも知れない日なのだ。
「夏の段階では、ローザ様は花火大会の計画を却下しましたのよ。なのに今になって、急に全面的に許可を出した・・・。花火の打ち上げ場所や時刻を変えた案がいくつもあったのに、どれでもいいとローザ様は言いましたのよ」
「ってことは、季節に関係あるんじゃない?」
機馬車に揺られながら、月美たちは会議を始めた。
「その可能性はありますのよ。季節か、日付そのものですわね」
「その日は泳ぎたかったんじゃないの?」
「そんな理由で中止するわけないですわ・・・。でも、泳いで何かを探したかったというのは考えられますけど」
「じゃあ宝探しに決まりね! やっぱりローザ会長はトレジャーハンターなのよ!」
「・・・でも、それじゃあ学区の統一にも反対する理由とは繋がりませんわね。学区が一つにまとまっても、夏に海水浴が出来ることは変わりませんもの・・・」
「んー、どうしてローザ会長は学区統一に反対なのかしら」
綺麗子はあまり賢くない子であるが、この件に関して一生懸命協力してくれている。
遠い山々に広がる落葉樹たちの錦色を眺めながら、百合もローザのことを考えていた。
(ローザ様って・・・好きな人、いないのかな・・・)
なんとなくそんな疑問を抱いたのである。
馬車が尾根を越え、丘の道を下り始めると、車窓に吹く風にふんわりと海の香りが混ざるようになった。
「海の香りって、お腹空きますよねぇ・・・」
「え?」
桃香のマイペースなつぶやきに、3人は思わず笑ってしまった。桃香は「あっ」と声をもらして恥ずかしそうに俯いた。彼女と一緒に行動しているとこのように不意に癒されることが多い。
静かな小川に舞い落ちた一枚の木の葉のように、銀色の月が葡萄色の天の川を泳ぎ出す頃、4人はストラーシャの海浜センター前に到着した。
ギターやアコーディオンの音色が和音階を奏でる不思議な祭囃子の中、行き交う少女たちの半数は浴衣や着物を着ており、屋台の巨大わた飴や謎のポテトなどを食べたりしていた。大変な盛り上がりである。
「花火以外特に何もないイベントですのに、皆さんはしゃぎ過ぎですわ」
月美も本当はわくわくしているのに、涼しい顔でそんな事を言ってみた。
「ほらほら、月美も百合も早く浜辺行くわよ!! 良い場所は早い者勝ちで取られちゃうんだから!!」
下駄をコロンコロンいわせて走り出す綺麗子は、また桃香の手を握っていた。
「まったく・・・小学生みたいですわね」
「ふふ♪ 可愛いよね」
薄暗くなってきたし、手を握るいいタイミングのようにも思えたが、やはり周りの目がある場所ではダメなので百合は我慢することにした。
女学園島は三日月の形をしており、それによって形成された内海は、南端が外洋に繋がっている以外はほぼ完璧な円形である。
その内海の中央に花火の打ち上げ船が5艘浮かんでおり、予定時間まではのんびり月見をしているようだ。ちなみに花火の作成と打ち上げ作業の大部分は学園出身のお姉様たちがボランティアでやってくれている。
「足元が暗いですわね・・・」
「気を付けようね♪」
月美と百合の二大美少女が歩いているのに、意外と気付かない生徒が多かった。皆場所選びに必死なのだ。
内海に面する白砂のビーチは非常に広大である。
一番眺めが良いであろう中央部は残念ながら既に一杯のようだったが、少し西側の浜はまだスペースが開いていた。柔らかい砂を踏みしめて歩いていき、ヤシの木に似た謎の樹木のそばにいい感じの場所を見つけた月美たちは、そこにレジャーシートを広げて座ることにした。波打ち際のかなりギリギリの場所だが、内海はまるで湖のように波が穏やかなのでシートが濡れることはおそらくない。ざ~ん、ざわ~ん、という繊細な波音が、涼やかな風とともに足元をくすぐってくるのみである。
「桃香! あと何分くらい!?」
「えーと、15分くらいですね」
「楽しみぃ!」
月美と百合が隣り合って座り、その前に綺麗子と桃香が座った。浜には少し傾斜があるので、周囲の生徒たちも皆視界を確保できているようだ。辺りはもうすっかり暗くなっており、自分の手のひらもほとんど見えず、海に浮かぶ船の小さな光と星明かりだけが島の輝きの全てである。舞台はいよいよ整ったようだ。
(今なら・・・月美ちゃんの手、握れるかも知れないなぁ・・・)
人は大勢いるが、誰もこちらに注目していないし、何より闇が味方をしてくれている。チャンス到来かも知れない。
(ど、どうしようかな・・・)
百合の心臓は急に高鳴った。
いつもみたいに、グイグイいけばいいのである。何も気にしないで手を握って、月美の可愛い反応を見ればいいのだ。なのにこの時の百合は、不思議とその勇気が出なかった。
(私と月美ちゃんは友達・・・いや、親友なんだから、ちょっと手を握ってビックリさせるくらい、普通のイタズラというか、ありがちなコミュニケーションだもん・・・大丈夫だよね)
理論上では可能だが実践は難しいという科学研究の最前線みたいな状態である。
(あれ・・・でも、手を握るって普通、恋人同士がすることだよね・・・そんなことしちゃダメか。あ、でも綺麗子さんたちは普通にやってるよね・・・)
百合はだんだん混乱してきた。
(ドキドキする・・・なんだろう、この感じ・・・)
手を握って月美ちゃんの反応が見たいという気持ちが、いつの間にか、なぜ自分はこんなに月美ちゃんの手を握ることに躊躇しているのか知りたいという願いに変わっていった。
(らしくないなぁ・・・私)
百合は手を握る計画を一旦諦め、膝を抱くように体育座りをした。浜風で少し冷えた浴衣のさらさらした感触が、温かくなっていたほっぺに当たって心地よかった。
(な、なんか百合さんの様子がおかしいですわね・・・)
月美はさっきから百合を警戒している。
何かイタズラしてきそうな気配はあるのだが、今のところ何もしてこない。花火が上がり始めたら動き出すつもりかも知れないので月美は油断していない。
ちなみにレジャーシートのすぐ隣には当然のようにいつもの青い小鳥、白ウサギ、小鹿のセットが暗闇に乗じてやってきており、音も無く月美に寄り添ってお座りしている。実に馴れ馴れしいが、追い払う理由もないので頭を優しく撫でておいてあげた。花火の音でビックリしないか月美は心配している。
「あ! 始まるわよ!!」
綺麗子の声とほとんど同時に、ボンという打ち上げ音とそれに続く風切り音が夜空に昇っていった。そしてその直後に、大きな大きな金色の大輪が乙女たちの頭上に咲いたのである。
ほとんどの一年生にとって、海上で行われる花火大会を見るのは初めての経験であるが、実は、海面に映る花火はとても美しいのだ。
星空を彩る大輪は、穏やかな夜の海面ではさらさらとはじけて縦に伸びて輝くため、その存在感と幻想的な魅力は二倍以上になっていると言って過言でない。
開花から一歩遅れて生徒たちの耳に届くドーンという破裂音は、女学園島の小高い山並みにゆっくりこだまして、体育倉庫の扉を閉めた時のようなゾバ~ンという不思議な音を背後から小さく響かせた。極めて立体的な音響世界である。
打ち上がる花火の中には、長時間輝きを残したまま、しだれ柳のように宙で揺れるものがあり、これも非常に立体的に見えた。なにしろ全ての枝が同じ風に吹かれているわけではいから、それぞれに少しずつ違う動きをしていて、見ていて飽きない光景なのである。
迫力が一味違う大きな花火が一つ打ち上がり、その輝きが浜の白さをはっきり浮かび上がらせた頃、百合は我に返り、物思いを再開した。
(どうして私、いっつも月美ちゃんのこと考えてるんだろう・・・)
金色の火花を散らして小さくクルクル回りながら昇っていく花火は、まるで魔法使いがステッキを操っているようである。
(綺麗子さんや桃香さんたちもいるのに・・・私って、月美ちゃんのことばっかり考えてる・・・)
ある角度から見ればハート型やスマイルマークに見える変わった花火もあり、大きな歓声が上がった。
(月美ちゃんの色んな顔が見たい・・・ずっと一緒にいたいって・・・私ずっと考えてる・・・)
たくさんの小さな花がいっぺんに咲くタイプの花火は、潮騒によく似たザ~っという音を立てて星空を飾った。百合が考え事をしている間に、花火は次々に打ち上げられていく。
(お別れしたくないよ・・・毎日一緒に笑っていたい・・・月美ちゃんがいない毎日なんて・・・想像するだけで胸が苦しいよ・・・寂しいよ・・・)
そこまで考えたところで、百合はちょっぴり笑ってしまった。
(・・・バカだなぁ私・・・これじゃまるで少女漫画の、恋してる女の子みたい・・・)
その時、百合の心臓が花火の音に合わせて大きくドキリと鼓動した。
(恋・・・)
そんなまさかという思いと、全ての謎を説明できる解を見出してしまった感覚の狭間で心が大きく揺れ始めた百合は、頭上で一気に盛り上がりを見せていく花火大会のフィナーレに目を向ける余裕がなく、膝を抱えたまま、波打ち際に視線を落としていた。
(そ、そんなわけないよね・・・。だって私たち・・・女の子同士なんだし・・・)
モテすぎる百合は、自分に恋をしない硬派な月美を信頼して同室生活を始めたというのに、逆に自分が恋してしまうなんて、そんなおかしな話、あり得ないと思った。
次々に打ち上がるまばゆい花火たち。
その中には非常に高くまで上がる花火もあったので、それを夢中になって目で追う生徒たちはまるで自分が後ろにひっくり返るような不思議な感覚に包まれた。自分が光の世界の中心にいるかと思えるほど、右を見ても、左を見ても、海原を見ても、そこには眩しい花火が咲いていた。
金色一色に夜空が満たされる瞬間に、百合はそっと月美に目をやった。
いつもより少しあどけなく見える美しい横顔が、闇の中に照らし出されていた。月美の清らかな瞳の中で輝く花火があまりにも美しくて、百合は目が離せなくなった。
(女の子同士なのに・・・友達同士なのに・・・。こ、恋なわけ・・・ないよね・・・)
その時、百合の視線に気づいた月美がふとこちらを見てきたので、百合は大慌てで下を向いた。この花火大会を見に来た生徒の中で、これほど花火を見ていない少女はおそらく百合だけである。
(で、でも・・・この感じって・・・も、もしかして・・・・もしかして・・・)
止まらない胸のドキドキを隠すように、百合はぎゅっと膝を抱いた。気持ちの整理がつかない百合は、絶対にヒミツにしなければならないと思わせる罪悪感と不安、そして砂糖菓子のように甘いトキメキと興奮を一気に味わった。まるで花火大会のフィナーレのように。
(ど、ど、どどどうしよう・・・! わ、私・・・月美ちゃんに恋してるのかも!!)
今、自分の歴史が大きく動いているという奇妙な感覚に包まれ、百合は全身がじんじんと熱くなってしまった。
(わ、わ、私・・・どうしたらいいのぉおおお・・・!!!)
花火の後の夜空は、一見すると先程と同じである。
しかし良く見るとそこには、花火の残した白い煙が雲のようにまとまって天の川を漂っており、夢の続きを見ているようなうっとりした速度で夜空を泳いでいるのだ。それはまるで月の美しさに見とれていつの間にか星の海に飛び込んでしまった、行方知れずの恋の船である。