27、ドレス姿
「月美! あなた今日、誕生日よね!」
「えぇ!?」
5時間目が終わったとたん、綺麗子が月美の机までやって来てそう言った。
「いやいや、私の誕生日は3月ですのよ・・・」
「じゃあ百合の誕生日は?」
「実は私も3月なの。3月3日♪」
隣の席の百合は指を三本立て、カニのような動きで綺麗子に挨拶した。
「じゃあちょっと早いけど、二人にプレゼントがあるのよ!」
「早すぎますわ・・・」
「放課後、桃香と一緒に第二劇場ってところに行って!」
「ええ・・・」
「私は日直だから遅くなるのよ」
「そ、そうですのね」
なんだか話についていけないが、常識人の桃香ちゃんが絡んでいるらしいので、月美は綺麗子の指示に従うことにした。
「よく分かりませんけど、ありがとうございますわ」
もしかしたら本当にプレゼントかも知れないし、一応お礼は言っておいた。
さて、一方こちらは三人の生徒会長が集まった会議室である。
「・・・辛気臭い会議室じゃな。なぜ窓が無いのじゃ」
浄令院は部屋を見回した後、ティーカップから立ち上る湯気に人差し指を何となくかざしながら愚痴をこぼした。
「あら、私は好きよ♪ 昔はバレエの練習場だったらしいわ♪」
ローザは薔薇をかたどった可愛い角砂糖をティースプーンの上に載せて揺らし、遊んでいる。
「時間は限られているわ。さっそくだけど、会議を始めましょう」
アテナは趣あるケヤキ材の天井を眺めながらそう言った。滅多に利用しない部屋で会議をすることになったので、皆集中できていない。
月美たちは機馬車に乗ってビドゥの洋菓子屋通りの坂をゆっくり下っていた。
「桃香さん」
「は、はい!?」
月美と百合に挟まれて座席に座っている桃香は、非常に緊張していた。
「プレゼントがあるって綺麗子さんが言ってたんですけど、何だか強引な流れでしたので、ちょっと怪しんでますのよ。クワガタとかトカゲとか、そういうのは頂いても困りますのよ」
「だ、大丈夫ですよ・・・! きっと、喜んで頂けると思ってます」
桃香は頑張って笑顔を作った。
桃香は大人しくてとっても心優しい少女なのだが、女性に惚れやすく、いつもドキドキしているという変わった子である。当然、今の状況で彼女のハートが平静であるわけがない。
(うう・・・月美さんと百合さんにサンドイッチされてます・・・! お二人の温もりと香りが・・・こんなに近くに・・・!)
桃香は喜んでいるというよりはむしろ苦悶の表情である。
(月美さんはお外を見てますけど、百合さんはなぜかずっとこっちを見て来ますぅ! そ、そんなに見ないで下さいぃ・・・!)
桃香のほっぺは、百合のキラキラ光る眼差しに焼かれて綺麗なピンク色になっていた。
(桃香さんには悪いですけど、これで一休みできますわね)
一方月美は、百合からのラブラブ攻撃を防ぐ盾が現れてホッとしていた。桃香ちゃんを挟むことにより、月美の理性はクールタイムを得たわけである。
「それでは、文化祭の会議を始めるわ」
アテナが議長となって、会議は始まった。
「クリスマスに開催される文化祭では、例年通り、3学区合同で演劇が行われます。皆さん今は花火大会の用意で忙しいでしょうけど、もう準備を始めるべき時期だわ」
「ぜーんぜん♪ ストラーシャは暇だから、演劇に全力を注げられるわよ♪」
ローザはペンを指先で器用にクルクル回して微笑んだ。
「花火会場はお前のところじゃぞ。安全管理や観覧席の手配はちゃんとやっているだろうな」
「当然よぉ♪ そーんなことよりぃ、早く演劇の配役を決めましょう!」
「おう、ローザの役は雑草Bじゃ。風に揺れる稽古でもしておけ」
配役はビドゥに本部を置く演劇部のメンバーが中心となるが、事前の大規模アンケートにより選出された人気生徒が重要な役をやる場合が多い。出演するかどうかは本人の意思が尊重されるが、生徒会長クラスの有名人は毎年だいたい劇に出ている。文化祭を盛り上げるために働くのも、会長たちの仕事だからだ。
「その前に演目の最終決定が先よ。細かい事情を考慮して責任を持って決定するから、こればっかりはアンケートで決めるわけにはいかないわ」
「そうじゃな」
アテナは二人に資料を渡した。
月美たちは第二劇場と呼ばれる洋館に到着した。
白く美しい石壁を秋の日差しに輝かせるその劇場は、鹿鳴館という明治時代の舞踏会館を意識したカワイイ外観である。ビドゥ学区にはここの他にももっと大きな劇場があるので、現在は演劇の発表会に使われることはほとんどなくなったが、演劇部員たちの部室や事務室として今も利用されている。
「こ、こちらへどうぞ」
案内してくれる桃香の髪がふわっと風に揺れる様子に、月美はちょっぴり見とれてしまった。少しずつ色づき始めた銀杏の木の葉が、石のテラスと花壇に柔らかな陰を落としている。
「あら・・・中も素敵な館ですわね」
内部には、田舎の教会みたいな甘い香炉の香りが漂っており、床も壁も天井も、格調高い風合いの木製だった。床はちょっと軋むが、これも味わいである。
「実はお二人へのプレゼントは、こちらにあるんです」
桃香が案内したのは、きらびやかな服がたくさん並んだ、演劇の衣装部屋だった。
「私はシェークスピアのハムレットがやりたいわぁ♪」
「そんなもの候補にないぞローザ」
「生きて留まるべきか、消えて無くなるべきか、実に悩ましい♪」
「消えて無くなれ」
「んもぅ♪ 浄令院様辛辣ぅ♪」
ローザは意外と文学に詳しいらしく、自分が演者に選ばれているかどうかも確定していないというのに早くも興奮している。
「ローザ、悪いけど今回も卒業生たちが作ったオリジナル台本から選ぶつもりよ」
「いいわよそれで♪ でも効果音にトランペットを使うのやめてくれる? あれ暑苦しいのよ。ピッコロとかクラリネットが好きだわ♪」
「お前の好みなど聞いておらぬぞ」
「あら浄令院様、あなたよく見るとまつ毛長いのね♪ もっと見せて♪」
「お前のほうがよほど暑苦しいぞ・・・」
仲の良い会長たちである。
衣装部屋はワインレッドのカーテンでいくつかに区分けされており、ピアノ演奏のワルツが天井のスピーカーから小さく流れていた。
「じゃん、お二人へのプレゼントは、浴衣ですっ!」
「あら」
「わぁー!」
百合は目を輝かせた。
「今度の花火大会にピッタリかと思いまして。何年か前の劇の衣装だったらしいんですが、これは予備だったので未使用の新品です」
桃香が持って来てくれたのは、二種類の浴衣だった。藤の花が描かれた紫色のものと、牡丹の花が描かれた薄紅色のものであり、冬季の舞台に対応したちょっぴり厚手の浴衣である。秋の花火大会にはピッタリの服と言える。
「ありがとう桃香さん!」
「い、いえ、プレゼントしようって言い出したのは綺麗子さんですので」
百合は大喜びで浴衣を受け取ったが、月美はもじもじしていた。
「わ、私は・・・浴衣なんて田舎っぽい服、似合いませんわ・・・」
「そんなことないよぉ! 一緒に着ていこう♪」
「は、花火大会はローザ様の野望を探る重要な日であって、遊ぶわけでは・・・」
「一緒に浴衣着ようー♪」
「うぅ・・・!」
百合が手を握ってくる勢いで迫ってくるので、月美は無駄な抵抗をやめた。
「では・・・ありがたく頂きますわ。ありがとうございます」
「は、はい!」
実際、月美も一度は和服を着てみたいと思っていたのだ。
「・・・綺麗子さんにも、後でお礼を言っておきますわ」
「はい! 喜ぶと思います」
桃香は嬉しくって、小さく体を上下に揺らした。本当はピョンピョン飛び跳ねたい気持ちである。
すると、廊下からご機嫌な靴音が近づいてきたかと思うと、勢いよくドアが開いた。
「お、桃香が来てるデース!? コニチワー!」
やってきたのは演劇部の期待の星、キャロリンちゃんだ。
「キャ、キャロリンさんこんにちは」
「あれ、お客様デース?」
「うん。月美さんと百合さん」
「ハーイ! よろしくデース!」
しかし、月美の顔を見たキャロリンは、みるみる顔を青くし、そのまま絨毯の上にぶっ倒れてしまった。キャロリンは月美のことを未だに魔女だと思い込んでいる天然娘だ。
「だ、大丈夫ですか? すみません月美さん、百合さん、保健係を呼んできます」
「手伝いますわよ・・・!」
「あぁ、大丈夫です。キャロリンさんはよくこんな感じで気を失うので、慣れてますから」
「あら、そうですの?」
「はい。それより、サイズが合っているかどうか試着してて下さい。もし合ってなかったら別の浴衣もご用意できますから」
「わ、わかりましたわ」
「けどその柄が一番素敵だったので、サイズが合っているといいんですが」
「そうですわね」
桃香は意外と落ち着いた様子で保健係の番号を調べ、電話があるエントランスへ向かっていった。目を回しているキャロリンの体は、衣装で作った即席のベッドの上に寝かせることにした。キャロリンのブロンドヘアーが美しくて、百合は思わず彼女の頭を優しく撫でてしまった。同級生なのだが、キャロリンはとても幼く見えるので、なんとなく母性をくすぐられるのだ。
「キャロリンさん大丈夫そうだし、さっそくこれ、試着してみよっか♪」
「そ、そうですわね・・・」
二人きりになってしまって、月美は急に焦り出した。
「それでは演目は、『人魚と海賊』に決まりでいいですか」
「いいわよ♪」
「異論はない」
人魚と海賊・・・それはこの三日月女学園の先輩が書いた脚本の一つで、この島を舞台にしたオリジナルのストーリーである。18世紀のフランス文学である「美女と野獣」と、デンマークの童話「人魚姫」に多大な影響を受けた、というか丸パクリしたような素敵な物語だ。ストーリー自体はありきたりな展開だが、それゆえに演出の自由度が高く、上演する生徒たちの色が強く出る名作という位置づけである。何か裏のテーマを設定してそれを追求すると素晴らしい出来になるようだ。
「分かるわよぉ♪ 人魚と海賊は、音楽で例えれば童謡や唱歌なの。派手な楽器や叫び声で誤魔化せるような簡単なものじゃないわ」
「ロックをバカにしとるのか?」
「演者が大事ってことよ♪」
ローザは頬杖をつきながら不敵に笑った。
「百合ちゃんと月美ちゃんを出演させるべきだと思うわ♪」
アテナと浄令院は顔を見合わせた。
「アンケートの票は、たしかにその二人にかなり集まっていたわ。無視できないほどに。けれど、目立つことを嫌う百合さんを舞台に立たせるのは可哀想よ」
「その通りじゃ。それに、ローザがなぜ百合を舞台に立たせたいか全てお見通しじゃ。月美たちから話は聞いたぞ。お前は自分の謎の陰謀を達成するために百合の人気を利用しようとしている、ただそれだけじゃないか」
「あらあら♪ 私は百合ちゃんの美しさを本当に評価しているのよ。見たいわぁ、百合ちゃんの人魚姿♪」
アテナはため息をつきながらローザの希望を一応メモした。
「私は反対だわ。月美さんなら舞台も平気でしょうけど、あの子は百合さんの側にいたいと言うはずよ。ボディーガードとしてのプロ意識が高い子だから」
「ん~、きっと美しいわぁ♪ スポットライトに浮かび上がる、百合ちゃんと月美ちゃんのドレス姿。あの子たちが出演するなら、出たくても出られなかった子たちが皆納得すると思うわ」
「一応出演の依頼をするのはいいわ。けれど私は反対よ。どんなに美しくても、強制はできないし」
「その通りじゃ。ローザは黙って海辺の昆布Bの練習でもしておれ」
「あらあら♪ ねえ、そう言えば演劇部の部長の翼様はぁ?」
「もうすぐ来ます」
「翼様ならきっと百合ちゃんの出演に賛成してくれるはずよ♪」
「そんなわけないじゃろ」
「んもぅ♪」
百合出演への賛成派はローザただ一人と今のところ劣勢である。
「ねえねえ月美ちゃん、これ着てみない!?」
試着室のすぐ横のハンガーラックにドレスがたくさん並んでいるのを百合は発見した。
「え!? い、いや・・・浴衣だけにしますわ。興味ないですし。勝手に着ちゃダメでしょうし・・・」
月美はとにかく二人だけで試着をするという状態が恥ずかしくてたまらないので、早く終わらせて桃香と合流したいのだ。
「でもこれ、自由に着ていいみたいだよ」
「そ、そんなこと書いてありますの?」
「うん。サイズ確認用のドレスです、ご自由に試着して下さい、クリーニングは火曜と金曜です、だって」
「べ、別に・・・ドレスのサイズなんかどうでもいいですし・・・」
「着てみようよっ♪ ほらほら♪」
「や、やめて下さい! わ、分かりましたから、背中ぽんぽん押さないで下さい!」
百合は自分のドレスだけでなく、月美に似合うドレスもじっくり吟味した。制服のスカートよりも遥かにボリュームがあるので、素晴らしいシルエットを楽しめそうである。
「手伝ってあげるね♪」
「え?」
「一人で着るの大変でしょ?」
「ひ、ひ、一人で着ますわ!」
月美は逃げるように狭い試着室に飛び込んでカーテンを閉めた。
(も、もう・・・! 私の気持ちも知らないで、ぐいぐい来るんですからっ!)
真っ赤にした頬を両手で覆いながら、月美は何度も小さく足踏みをした。完全に恋する乙女の反応である。
さて、幸いなことに、このドレスは試着用ということもあって、非常に簡単に着られるように工夫がされていた。
(わぁ・・・!)
そして月美は鏡を見てうっとりしてしまったのである。百合が選んでくれたドレスは、月美の想像以上に素晴らしいものだったのだ。
(デコルテを大胆に見せ、腰のくびれも綺麗に演出してます・・・。スカートのアンブレラ感も最高ですわぁ!! ビターなブラックとスイートなリボンたちの美しい調和!! なんて素晴らしいんですのぉ!!)
もともと重度のナルシストである月美は、ドレスを身にまとった自分の姿に惚れ惚れしてしまったのである。
「月美ちゃん、着替えた?」
「ひっ!!」
百合が当然のようにカーテンを開けてきたので、月美は飛び上がってしまった。しかもこの時、百合も美しいドレス姿になっていたのである。
「すごーい! 月美ちゃん、すっごく可愛いよ♪」
「え・・・あ・・・」
褒められた月美は、猛烈に恥ずかしくなった。
「し、閉めて下さい! これは、サ、サイズをチェックするために着たのであって、お見せするものじゃないですのぉ!!」
月美は試着室のカーテンにくるまって抵抗した。百合に「可愛い」などと言われたら、月美の乙女心はキュンキュンしてしまう。
「見せて♪ 私のドレスも見せてあげるから」
「だ、ダメですのぉ!」
月美は百合を直視しないように気を付けながら試着室をするりと抜け出し、衣装部屋の隅へぱたぱた走っていった。
「ふふっ♪ どうして逃げるの♪」
「べ、別に・・・」
「月美ちゃーん♪」
「こ、来ないで下さいぃ!」
物陰に隠れる月美が可愛くって、百合はつい追いかけてしまった。窮地の月美は、この時とっさに部屋の出口を探したのである。
「百合ちゃんが出演するなら絶対ヒロインよねぇ♪」
「しつこい奴じゃ。百合と月美は諦めて真剣に配役を考えろ」
「そして海賊船長はわ、た、し♪」
「ウインクをするな」
「ねえ浄令院様ぁ、一緒に百合ちゃんたちを説得しに行きましょうよ~♪」
「お断りじゃ。おいアテナ。ローザの口に詰めるものは無いか」
「ローザ、何度も言うけど、百合さんたちの出演には反対よ。たとえどんなに美しくても・・・」
アテナがそう言いかけた時、会議室の上座にある小さな舞台の袖から、思いもよらない生徒たちが姿を見せる。
「え!」
現れたのはドレス姿の月美と百合だった。
そう、会長たちが会議していたのは、この第二劇場の広間だったのだ。
(あ・・・)
二人を見たアテナは言葉を失ってしまった。
(な、なんて・・・美しいの・・・)
派手さはないが楚々とした美しいドレスが二人の魅力を際立たせている。これでもし、学園が本気を出して作る絢爛なドレスを身にまとった場合は、きっと桁違いの美を見せてくれるに違いない・・・そんな可能性を感じさせる光景だった。
「ちょうどいいところに来てくれたわ~♪ 実はね、百合ちゃんと月美ちゃんに演劇の出演依頼をしようって話し合ってたの♪」
「バカを言え。私とアテナ会長は反対しているのじゃ。月美たちをこれ以上学園の事情に巻き込むわけにいかぬわ。そうじゃろ、アテナ会長」
アテナはガタッと音を立てて腰を上げ、テーブルに両手をつき、しばらく沈黙した。
「・・・す、少し考えさせて。続きは翼が来てからにしましょう・・・」
アテナは「顔を洗ってくるわ・・・」と言って部屋を出て行ってしまった。妙な状況に突然出くわしてしまった月美と百合はポカンとしている。
「アテナ会長は急にどうされたのじゃ・・・」
「美を見てせざるは勇無きなり、って言うでしょ♪」
「言わぬわ・・・」
いつも通りの余裕のある表情をしているローザは、月美たちのために紅茶を用意し始めた。
「月美ちゃん百合ちゃん♪ 今度の花火大会、楽しみね♪」
「え、は、はい。そうですわね・・・」
月美にとってローザは宿敵だが、この時は思わず普通に返事をしてしまった。この場の空気が、もはやローザに支配されていたのである。
「フフフ♪」
ローザはティーポットにお湯を注ぎながら不敵に笑った。
彼女の思惑通りに、事態は進みつつあるのかも知れない。