25、もう少しこのまま
その夜、月美たちは港近くのレストランへ行った。
静かなジャズやボサノバがゆったり流れる二階バルコニーからは、月が浮かんだ海原を遥か遠くまで見渡すことができた。ツタの葉を揺らす夜風はポタージュの香りと溶け合って乙女たちを包み込み、ランプに照らされた初秋のひと時に花を添えている。
しかし、月美にはそんなお洒落なレストランの雰囲気や、宇宙よりも宇宙っぽいと称えられる満天の星空を楽しむ余裕が無かった。彼女は今、平然とした顔でニンジンのグラッセを食べているが、意識は向かいの席の百合に奪われっぱなしなのである。
(わ、私を凄い見て来ますわぁ・・・!)
さっきから百合は月美のことをず~っと見つめており、少女マンガの表紙で見かけるようなキラキラしたお目々で月美の理性を攻撃しているのだ。
人前ではいつもは遠慮がちな百合も、今日ばっかりは我慢できないのだ。
(月美ちゃんに、もっとお礼言いたいなぁ~)
さっきも散々「ありがとう」と言い続けていたのに、まだ百合の気は収まっていない。
(さっきは思わず抱き着いちゃったけど・・・凄く幸せな気持ちだったなぁ・・・)
今もあの時の感触が百合の全身に残っている。
(あのクールな月美ちゃんが、私とずっと一緒にいたいって言ってくれた・・・)
思い出すだけでも百合は胸がドキドキして、ほっぺが熱くなってしまう。
(もう一回聞きたいなぁ、なんて。ダメだよね。月美ちゃん、さっきからずっと恥ずかしそうにしてるし)
月美は百合と目を合わせようとせず、借りてきた猫みたいな大人しさで、ちびちびと小さいお口でニンジンを食べている。
(恥ずかしがっている月美ちゃん、ちょっとカワイイ・・・ずっと見てたい・・・)
様々な要因から、百合は月美から目が離せないわけである。
「あ、馬車の音ですよ」
やたら耳の良い桃香ちゃんが真っ先に気付いた。
「きっと翼先輩よ!」
約束の時間丁度に、翼先輩はレストランに到着したのだ。
「やぁキミたち、こんばんは」
「こ、こんばんは! 来て下さってありがとうございますわ」
「うん。話はアテナから聞いたよ。少しだけだけど、夕食を食べながら話し合おう」
丈の短い外套を羽織った翼先輩が、バルコニーに現れた。アテナ会長の同室である翼先輩は、月美たちの有力な協力者だ。
(ちゃ、ちゃんとしゃべらなきゃいけませんわ・・・)
せっかく来てくれた先輩のためにも、月美はいつもの冷静さを取り戻さなくてはならない。百合の熱いまなざしとの戦いである。
翼はこの店の名物である香ばしいパニーニを注文した。
「私は郵便委員をやってるからローザと直接話す機会が多いんだけど、あの子が何を考えているか、確かによく分からないんだよねぇ・・・」
翼は演劇部のスターでありながら地道に郵便配達を頑張り、おまけに後輩としゃべる時もとてもフレンドリーである。アテナ様がいなかったら多分、翼様が会長になっていただろうと誰もが思っているほど、彼女は人望を集めている。
「ローザ様ってやっぱり学区統一には反対なんですかぁ?」
綺麗子はイチゴプリンを食べながら熱心に質問をした。
「反対しているよ。まあ、ストラーシャ生徒会が無くなったら自分が会長じゃなくなるわけだし、今の生活を気に入っているなら反対して当然かも知れないが」
「でも自分勝手ですよねー。食べ物とか電気とかいろいろ問題があるのに、協力しないなんて、いじわるです」
綺麗子は眉を吊り上げてプンプン怒っている。最近の綺麗子は演劇部の練習のせいか、表情の豊かさに拍車が掛かっている。
「これが単なるいじわるかどうかは、調べてみなければ分からないけどね。えーと、当面の手がかりは花火大会という事だけど」
翼は内ポケットから取り出した紺色の手帳を開いた。
「ローザの反対で中止された花火大会の会場はストラーシャの内海。日時は8月21日午後7時からの予定だった。一つの可能性に過ぎないが、ローザは物理的に何かを我々に隠しているのかも知れない」
「ぶちゅりてき?」
「うん。この日時に大勢の生徒が集まったら発見されちゃうかも知れない何かを」
「宝物とか!?」
「そうだね。もしくはママに内緒で飼っているネコちゃんとか」
「あ、小学生にありがちなやつですね!」
「そうだね」
そして翼は女学園島の小さな地図を開いてテーブルの上に置いた。
「21日は正午から内海が遊泳禁止になって花火大会の準備が始まる予定だった。この時間の海、船着き場、浜辺のどこかに、ローザが隠そうとしているものがあったのかも知れない。既にそこにあると分かっていて隠そうとしたか、あるいはどこにあるかは分からないが横取りされたくなくて事前に手を打ったか・・・。ヒントは少ないが、物流や発電に関係するような共通点を探れば、ローザが何を隠しているか分かりそうだ」
「じゃあローザ会長はそのお宝を盗られたくなくて、色んな提案を断ってるんですね!」
「いやぁ・・・そうと決まったわけじゃないが、まあ、可能性はあるかな」
「ローザ会長はトレジャーハンターだったと!」
「いや、あはは。綺麗子ちゃんは気が早いなぁ。近々クリスマスの文化祭の演劇に関してローザと話すことになっているから、何か分かったらキミたちに連絡するよ」
実に頼りになる先輩である。
真偽は分からないが、些細な手がかりからここまで推理してくれるとは、月美たちの期待以上だった。こんなに力を貸してくれる翼先輩に、月美は今すぐお礼を言わなければいけない。
しかし、先程から月美は百合の熱視線への対処で大忙しであり、上手く言葉が出て来ない。
「つ、つ、翼様。素晴らしい推理、助かりますわ・・・!」
「うん。どういたしまして」
「これからも、よ、よろしくお願いしますわ・・・!」
「こ、こちらこそ」
翼は、やたら緊張している月美と、百合を見比べて何かを察した。
(月美ちゃんと百合ちゃん、なんか、いつもより仲良しな感じだなぁ・・・)
翼は勝手に色んな事を想像して照れたのだった。
月美は根性で百合からのラブラブビームを防ぎ、なんとかクールなキャラクターを保っているが、これはゴールが見えない努力である。二人は同室の生徒なので、この夕食タイムを乗り切っても、その後は確実に二人きりになるからだ。
美味しい夕食を食べ終えた4人は、翼先輩の機馬車で送ってもらい、寮まで帰ってきた。
ちなみに翼先輩は機馬部も兼任しており、ロボット馬の操縦の腕は学園トップクラスなので、自動操縦の機馬車よりもカーブの曲がり方やブレーキのし方が優しく、最高の乗り心地である。
「それじゃあ皆、おやすみ」
「は、はい! 今日はありがとうございましたわっ!」
もう少し心に余裕がある時にまた乗せて欲しいなと月美は思った。
「いやぁ、今日だけで結構進展したわねぇ!」
「そうですね」
充実した表情の綺麗子と桃香は、まるで今日という日がこれで終わりであるかのような口ぶりをしているが、月美はそうではない。
(うぅ・・・二人きりになってしまいますわぁ!)
毎晩月美と百合は二人きりで過ごしているわけだが、なんだか今日は恐ろしく感じられたのだ。
(私はクールなお嬢様・・・! 私はクールなお嬢様・・・!!)
そう自分に言い聞かせているうちに、月美は自室のドアの前に着いてしまった。
「そんじゃ月美、百合! また明日ね!」
「え!? あぁ、ハイ・・・おやすみなさい、ですわ」
「おやすみなさい♪」
すぐ後ろで百合の声を聞いて、月美は心臓がヒヤッとするような緊張感を覚えた。
(部屋に入った途端、後ろから抱き着いてきそうな予感がしますわ・・・)
百合は月美の恋心など全く知らないので、平気でやってきそうである。
(上手く逃げて・・・今日の昼間のことは特におしゃべりしないで、ササッとシャワー浴びて先に寝ちゃいましょう・・・)
そして明日になれば百合さんの熱い眼差しも収まっているに違いない、月美はそう信じて部屋に入ることにした。
まず月美は小走りに部屋の奥までいき、パッと身構えて百合の出方を窺った。
しかし意外にも百合はいつも通り鞄を机の横に置き、手を洗いに行ったのだ。
「今日からまたエアコン使えなくなっちゃったけど、窓開ければ涼しいよね♪」
「え? あ、まあ、そうですわね」
月美は窓を開けることにした。
(あら・・・もしかして、私が思っているほど百合さんは昼間のことを気にとめてないのかしら)
月美にとっては恥ずかしい出来事だったので、忘れてくれるなら有難いわけである。
「月美ちゃん、もうシャワー浴びる?」
「そ、そうですわね。浴びちゃいますわ」
とにかく月美は普段通り、シャワーを浴びることにした。
髪を洗いながら、月美は考えた。
(私ったら、気にしすぎでしたわね。百合さんがまた抱き着いてきたらどうしようなんて、おこがましい悩みでしたわ。今はどうすれば百合さんとずっと一緒にいられるか、考えるべき時ですのに)
徐々に落ち着いてきた月美は翼先輩の推理を思い出した。
(ローザ様は何を隠しているのかしら。綺麗子さんは宝物とか言ってましたけど、それなら海賊の伝説があるビドゥの沿岸のほうが怪しいですのに。ストラーシャの内海で見つかりそうなものと言えば・・・何でしょう。人魚の水着とか・・・そんなわけないですわね)
月美の脳裏に、人魚伝説資料館で見たローザがモデルになっている人魚の絵が何となく浮かんできた。
(あの絵のローザ様は優しいお顔してましたわねぇ・・・。いっそのこと話し合いで解決すればいいですのに。そうはいかないのかしら。私たち、すごく回りくどいことをしようとしてるんじゃありませんの?)
ローザがどれくらい学区統一に反対しているか今いち分かっていない月美はそんな風にも考えるわけである。
(いつかローザ様と直接お話しなきゃダメでしょうね)
気持ちがかなりクールに、理性的になったところで、月美はお風呂場から出ることにした。
だいたいいつも月美が先にシャワーを浴び、百合が二番目なのである。シャワー上がりの月美は百合が出てくるまで宿題を進めたり読書をしたりして時間を潰すのだが、そうこうしているうちにあっという間に消灯時間なのだ。やはり電力問題は早急に解決して、せめて夜10時くらいまでは電気を点けていたいものである。
ベッドの上に仰向けに寝転がって物理学の難しい本を読んでいる月美は、もうすっかりいつも通りの心持ちに戻っていた。百合がシャワーを浴びている音も、遠くに聞こえる感じがした。
「ただいまー」
「おかえりですわ」
「新しいバスマット、良い感じだね♪」
「ええ。そうですわね」
読書に集中していた月美は、本から目を離さずそう返事をした。
実は、百合はこの時を待っていたのである。
「月美ちゃん♪」
百合は月美のベッドに片膝をついたかと思うと、ふわっと掛布団をめくり、そのまま滑り込むように月美に覆いかぶさり、抱き着いたのだ。
「えっ・・・」
月美は何が起きたか分からず、本と自分の間に突如現れた圧倒的な存在感に混乱した。百合の優しくて温かくて柔らかい感触と甘い香りが、月美の全身を生々しく包み込んだのである。
「ちょ、ちょっと・・・! あっ・・・ひゃあ!」
「しーっ。窓開いてるから、隣に聞こえちゃうよ♪」
「うぅっ!」
百合の優しい声が月美の耳をくすぐった。
(な、何なんですのぉおおお・・・!?)
試してみると分かるのだが、互いにパジャマ姿になり、女の子の同士でベッドの上でぎゅっと抱きしめ合うと天に昇るような凄く幸せな気持ちになる。
ここが自分のたどり着くべき場所だったのだと感じでしまうほど完璧にフィットしたもっちりとした感触。頭の中がぽわ~んとしてしまうほど優しくてうっとりした甘い気分。そして腰の辺りが宙に浮いてしまうような、ゾクゾクする刺激的で不思議な気持ち。それらが渦巻く嵐のような幸福感の中で、自分の意思とは無関係に、じんじんとした火照りが全身を駆け巡るのだ。
「月美ちゃん、さっきはありがとう♪」
「うぅ・・・!」
百合の唇は、真っ赤になってしまった月美の耳に今にも触れそうである。
「ずっと一緒にいたいのは、私も同じだよ♪」
「あっ・・・う!」
「今日は凄く嬉しかった。ありがとう♪」
わかりましたからもう勘弁して下さいと月美は思ったが、声にならず、乱れる呼吸を誤魔化す努力くらいしかできなかった。
(こ、こんなことされたら・・・うぅ・・・)
月美は幸せ過ぎて頭がどうにかなってしまいそうだった。月美は一方的に百合に抱き着かれているだけなので、百合の背中に腕を回しているわけではないから、密着具合はまだ中途半端である。しかし、すでに月美の心身は限界だ。
「もう少しこのまま、いい?」
「ダ、ダメぇ・・・。ダメですわぁ・・・!」
「もう少しだけ♪」
百合はさらにぎゅうぎゅう抱き着いてきた。
(うぅうう・・・!)
こんなに二人の胸がくっついたのは初めてのことである。
百合さんの胸・・・その温かくて、もちもちしてて、ポヨンとした愛おしい感触が、まるでキスをするように自分の胸と優しく柔らかく密着して、月美はなぜか涙が出そうになった。いくら服を着ているからと言っても、こんなことをされてしまったら、ピュアなお嬢様の精神は一発でノックアウトである。
抵抗しようとしても、百合の体の心地よい重さのせいで月美は身動きが取れないし、動こうとするほど甘美な感触が月美の全身をくすぐるので、じっとしているほうがマシという恐ろしい状態である。百合のすべすべした温かいほっぺが、月美の首筋にふわふわと何度も当たった。
しかし、これが百合の単なる無邪気ないたずらでないことに、月美は気づくのである。
「月美ちゃん、いきなりごめんね」
百合のささやきが月美のハートに直接響いてくる。
「一緒にいられるうちに、いっぱい触っておこうと思って♪」
「えっ・・・」
なんだかとても切ない台詞だった。
ずっと一緒にいたいと二人は願っているが、もしローザとの約束通りストラーシャに引っ越すことになっても悔いが残らないように、今のうちに仲良し生活を楽しもうと百合は思っているのだ。それが分かった月美は、ちょっぴり理性を取り戻した。そして百合を励ますために、根性を出したのである。
(ゆ、百合さん・・・)
月美はアツアツに火照った左手を、おそるおそる百合の背中に置いてあげた。ちょっぴり驚いた百合は、照れたように小さく笑いながらもぞもぞと動き、彼女の長く艶やかな髪を、月美のほっぺにさらさらと滑らせた。
「ありがとう♪ 月美ちゃん」
「はぁっ・・・う、はい。うっ・・・!」
さらにぎゅうっと抱きしめられて、月美は呼吸を乱し、目を回したのだった。
消灯時間が来るまでの短い間だったが、そのまま二人は、運命と希望と愛情を一緒に抱きしめ合うことになった。