24、ウッドデッキの下
月美ちゃんに避けられてるかも・・・。
このようなとんでもない杞憂を、百合は抱えていた。
月美が理由も明かさぬまま百合と別行動してお昼ご飯を食べるなんて初めてのことだったので仕方がない。
「ん? 百合、どうかした?」
学舎の食堂で列に並ぶ綺麗子が、そんな百合の異変にいち早く気付いた。
百合は、注文したスパゲッティを待つための番号札をぼんやり見つめながら、暗~い顔をして立っていたのだ。実に分かりやすい。
「あっ、ええと、何でもないよ!」
「・・・いつもの百合ならもっとにこにこしてるじゃん? 何かあったの?」
桃香ちゃんもうなずいている。
「そ、それはね・・・ええと、えへへ」
百合はしばらく誤魔化そうとしていたが、やがて諦め、今の悩みを打ち明けることにした。
「え? 月美の様子がおかしい!?」
「うん・・・今朝からちょっと」
「月美はいつも変人だけど、いつも以上にってこと?」
「うん・・・あのね・・・実はさっき」
「なになに?」
百合は綺麗子と桃香の耳に唇を近づけた。
「用があるから、ランチは別で食べましょうって言われたの」
「うんうん・・・それで?」
「・・・それだけだけど」
綺麗子と桃香は固まってしまった。
「それって、何か係の仕事でもやってるんじゃないの」
「え、でも、今までこんなこと無かったから、心配で・・・私・・・」
百合はとにかく月美と一緒にいたい女の子なので、少しでも離れると寂しくて胸が苦しくなっちゃうのだ。
「何か悪い事に巻き込まれてるかも知れないし・・・・もし何かあったなら、私に相談して欲しいよ」
「それはまあ、そうね・・・」
その気持ちは綺麗子と桃香にも理解できた。何か重要な大仕事があるならば、仲間を頼って欲しいものである。
「よし、百合! それなら今から月美を探してみましょ!」
「え?」
「一年生の月美お嬢様、見かけませんでしたかって訊いていけばすぐ見つけられるわよ!」
「でも、勝手に追いかけて大丈夫かな・・・も、もしかしたら私が、月美ちゃんに避けられるような事しちゃっただけかも知れないし・・・」
「そんなわけないでしょ、ちょっと様子を見に行くだけよ! 月美が何を企んでるか、調べにいきましょ!」
綺麗子は近くにいた生徒たちに支払い済みのランチの番号札を気前よく渡し、駆け出したのだった。とんでもない行動力である。百合と桃香も同じことをして食堂から出ることにした。
綺麗子と桃香の二人も、月美のことを心配をしているし、百合の笑顔が見たいのだ。百合はいい仲間を持ったものである。
「月美さん、どう? お口に合うかしら」
「はい、美味しいですわ」
月美はアテナ会長と共に、学舎裏手の広いウッドデッキでランチを始めていた。ここは美しい白樺並木と水平線が一緒に望める、隠れた素敵スポットである。
(普通の野菜炒めですけど、ひとつひとつの野菜の風味が生きてて、凄く美味しいですわ)
月美は感動していた。にょろんすぺもぺもを始めとする島野菜はあちこちのお店で売られているので、今度自分たちで作ってみようと思った。ちなみにアテナ様から頼まれた「るみるんにゃーもっち」という謎の果物は、「二個持ってきて」という言葉がヒントになり、無事特定することができた。他の果実は一つずつしかテーブルの上に無かったのだ。
「あら。月美さんって、もしかして動物に好かれやすいの?」
「え?」
「お客様だわ」
クスクス笑いながらアテナが指差した先には、いつもの青い小鳥がいた。小鳥は当然のようにテーブルの上におり、月美のすぐ前でお餅みたいなゆるい顔で昼寝を始めている。ちなみにこの小鳥は居眠りをするとき「ピヨ~」といびきをかくことがある。
「わ、私は別に、動物なんか興味ないですのよ! この子が勝手に寄ってくるだけですわ」
「あら、そうかしら」
たぶん、この小鳥に好かれるような親切をしたんだわとアテナは思った。アテナは賢い女性なので、誰に対しても優しい月美の性格を見抜いている。
月美は野菜炒めを食べながら、初めてこの小鳥に会った時のことを何となく思い出していた。
(そういえばこの小鳥、フェリーの上で水を欲しがってましたのよねぇ)
月美は懐かしい気持ちになった。あの時に水をあげたことを、この小鳥は今も覚えており、ずっと月美のことを慕い続けているのだ。
(あの後たしか、私と百合さんは出会ったんでしたわ。・・・あ!)
そして月美は大事なことを思い出した。
「そ、そうですわ! アテナ様、ご相談があるんですけど」
「ええ、いいわよ。何でも言って」
ちょうどこの時、百合たちはウッドデッキにたどり着いた。
「・・・あ! 月美ちゃんだ!」
「アテナ会長と一緒にいるじゃん! 隠れて話を聞くわよ!」
「か、隠れて?」
「こっちこっち!」
3人はウッドデッキの下のスペースに入ることにした。このデッキの下はしゃがみ歩きができるくらいの高さがあるため、盗み聞きをするには丁度いいスペースである。
(月美ちゃん、アテナ会長に何か相談してるのかな・・・どんな悩みだろう・・・)
百合は耳を澄ますことにした。日向を舞う乾いた木の葉と、しっとりした土の香りのコントラストが、不思議なノスタルジーを生み出している。
「ご相談というのは、あの・・・ローザ会長って、どんな人なんですの?」
月美の質問に、アテナは動じた様子もなく、そっと微笑んで答えた。
「簡単に言えば、とても困った問題児。けれど、この女学園の明日を握っている生徒よ」
「明日を握っている・・・?」
「そうよ」
月美はローザのことを「自分と百合さんの間を引き裂く、女好きのお姉様」というくらいの認識しか持っていなかったが、想像以上の重要人物なのかも知れない。
「も、もう少し詳しくお話して頂けません?」
「いいわ」
アテナは青い小鳥を見つめてにこにこしている。
「ローザが反対していなければ、この学園は今頃きっと、一つの学区に統一されているの」
「えっ?」
ビドゥ、ストラーシャ、アヤギメの3つ学区があるのがこの女学園の姿であり、それが一つになっていることなど月美には想像できなかった。
「体育祭などを見ていると、3学区が分かれて競い合っているのは良い事のように思えるけど、今の体制はいくつか問題を抱えているわ。ローザの治めるストラーシャ学区は、食べ物を含めたほとんどの生産品を他の学区に流通させてくれないし、絶好の立地がたくさんあるにも関わらず風力発電機の新設を許してくれないの。食料とエネルギーは島全体で協力し合わなければいけないことなのに、今はそれがなされていないわ」
食べ物のほうは実感があまりないが、消灯時間の早さは月美もいつも残念に思っていることである。電力がもっと豊富に作られれば、生徒の暮らしはずっと豊かになるだろう。
「私は何度も手紙を書いて、今の状態を改善してくれるようお願いしてきたけれど、ローザからいい返事が返ってきたことはないわ。いっそのこと学区を統一して、生徒会も一つだけにしてしまえば、こういうトラブルが無くなり、学園をより良くできると考えた私と翼は、この件についても打診を続けたわ。アヤギメの浄令院様は協力してくれるようだったけど、ローザだけはやはり、ダメだったのよ」
月美には分からない複雑な話になってきたが、「生徒会も一つだけに」という言葉が妙に耳に残った。
「それで月美さん、どうしてローザのことなんか訊いたの?」
「あ・・・そ、それはですね・・・」
月美はちょっぴり迷った。アテナ会長にどこまで打ち明けるか決めていなかったからである。
月美が百合に恋しちゃっていることは絶対絶対ぜーったい秘密だが、友人として、このままの同室生活を続けたいという希望くらいは素直に話しても良い気がしてきた。アテナ会長は月美の気持ちを他の人にベラベラ喋るような人ではないだろうし、きっとクールなお嬢様としての立場を尊重してくれるはずだ。
「じ、実は・・・」
月美は勇気を出して口を開いた。
「私、百合さんをローザ様に渡したくないんです!」
ウッドデッキの下で息を潜めている百合の心臓がビクンと跳ねた。
(え・・・!? 月美ちゃん、何言ってるの!?)
そして百合の顔は一気に赤くなったのである。
自分は月美さんに避けられているんじゃないだろうか、という心配までしていたのに、こんな白馬の王子様みたいなかっこいい台詞をこっそり聞いてしまったのだから無理もない。
「1月になったら百合さんはストラーシャの生徒会寮に編入、という約束でしたけど、私はそれに・・・抵抗したいんですの。つまりその・・・百合さんはずっと私の側で、幸せな暮らしをして欲しいんですわ」
百合に聞かれているとも知らず、月美は照れながらこう言ったのだ。
デッキの下の百合は、綺麗子と桃香の視線から逃げるように、自分の顔を手のひらで覆った。
(月美ちゃん優しい・・・! 優しいよぉおお!!)
百合は嬉しくって嬉しくって心も体もキュンキュンしてしまった。今すぐデッキの上に上がって月美に抱き着きたいような衝動と、恥ずかしくって逃げ出したい気持ちを、百合は同時に味わった。
月美の言葉にアテナはちょっぴり驚いたような顔をしていたが、すぐに優しく笑ってくれた。
「そうなのね。いつかこんな相談を受ける日が来るんじゃないかって思っていたわ」
アテナの目から見ても、百合はストラーシャに行くよりこのまま月美と同室のままのほうが幸せに思えていたのだ。
「約束を破るのはもちろん悪い事ですけど、なんとかローザ様の気持ちを変えさせる方法はないか、考えているところですのよ」
「そうね、とても共感できるわ。けれど、さっきも言ったようにローザはとても頑固な子よ。彼女を説得するのは骨が折れるわ」
「はい・・・」
月美は無意識に青い小鳥の頭を指先で優しく撫でながら話を続けた。
「あの・・・3学区が統一されれば、生徒会も一個だけになるんですか」
「え? もちろん、そのはずよ」
「そうなれば、ローザ様はもう百合さんを欲しがらない気がしますわ」
「どういうことかしら」
「私、ローザ様が百合さんに本気で恋をしているとは、思えないんです。ほとんど会いに来ませんし。だから、百合さんを欲しがっている理由は、ストラーシャ学区の力を強めるためだけなんです」
「確かに・・・そうかも知れないわ」
「学区も生徒会も完全に一つだけになれば、もう争う相手がいないわけですし、あちこちから美少女を集めるような真似はしなくなると思いますのよ」
「そうね。まあ、可愛い子を集めるのが趣味だった場合はやめないでしょうけど」
「それは・・・そうなんですけど・・・」
「でも少なくとも、百合さんを絶対に必要とする理由はなくなるわね。その時は交渉が通じるかも知れないわ」
長い戦いになりそうである。
「・・・でもね月美さん。ローザは本当に統一に関する話し合いに応じてくれないの。3人の生徒会長が賛成しない限り、統一はできないわ」
「そうですわよね・・・」
なぜローザは統一に反対しているのか、その肝心なところが闇の中なのである。
統一の話どころか物流の件すら許可してくれないというから、もはやただひねくれて反抗しているだけのようにも思えるが、本当にそれが真実なのだろうか。ローザはただのイジワルお姉様なのだろうか。
「・・・一年生の頃からローザを知ってるけど、昔はもう少し話が通じる子だったのよね。それがあんなに頑固になっちゃって。どうしてかしら」
「んー・・・」
月美はなんとなく、ローザには誰も知らない秘密がある気がした。そして、学園を一つにまとめ、百合と一緒に暮らし続けるためには、その秘密にたどり着かなければならないと思えたのである。
「アテナ様、私決めましたわ」
「あら、なぁに?」
「3学区を一つに統一するために、私も全力を尽くします! そのためにローザ様のことをもっと調べてみますわ」
月美は百合の幸せのためだったら何でもする覚悟である。
もちろん、自分が百合と別れたくないというのも大きな理由の一つだが、月美は何よりも、百合の幸せを第一に思っている。
「月美さんって、凄い人ね。いいわ。私や翼も引き続き努力してみる。ローザが何を考えているか、それを知ることが必要だったみたいね」
月美は一気に心強くなった。今やるべき暫定的な指針と、アテナ会長たちの協力を得られたのだから。
「アテナ様、とりあえず何か最近の、ローザ様に関するエピソードとか、事件とかご存知ありません?」
「最近の・・・そうね・・・アヤギメ学区が主導で毎年夏休みに花火大会が行われてたんだけど、今年はローザの反対で中止になったの」
「花火大会ですの?」
「ええ。ストラーシャの内海が会場だから、花火大会が開かれればストラーシャ学区の名声も上がるというのに、なぜかローザが反対したのよ。理由は結局教えてくれなかったわ」
「怪しいですわね・・・。私、その花火大会から調べてみますわ!」
「お願いするわ。私と翼は、とりあえずもう一度ローザとコンタクトをとってみる」
「はい!」
月美は立ち上がった。
すると、ウッドデッキの下から靴音と一緒に二人の小柄な少女が飛び出してきたのだ。
「ちょっと待ちなさい!」
「え?」
綺麗子と桃香である。
「月美! 私たちも協力するわ!」
「協力って・・・お皿洗いですの?」
「違うわよ! なんでこの流れで食器の片づけ手伝うのよ!」
綺麗子のツッコミには結構キレがある。
「話は全部聞かせて貰ったわよ! 月美! 私たちも一緒に、学園を一つにするわ! 百合のために!!」
「ええ!? 聞いてましたの!?」
月美が大きな声を出したので、青い小鳥が飛び起きた。
「ど、どこから聞いてましたの!?」
「たぶん全部よ! 私も、百合はローザ会長に渡したくないわ! 桃香もそうよね!」
「は、はい! 百合さんは・・・月美さんと一緒にいるべきです!!」
と言ったところで、綺麗子と桃香は辺りをキョロキョロし始めた。
「あれ、そういえば百合は?」
この言葉がいかほどの衝撃を月美のハートに与えたかは、5秒も経たずに赤くなった月美の頬を見れば分かる。
(ゆ、百合さんもここにいますの!?)
激しく動揺する月美の耳を、新たな靴音がくすぐってきたのはその時である。姿を現したのは、愛しの百合さんだった。
「月美ちゃん!」
「ゆ、百合さん・・・!?」
百合はウッドデッキの階段を上がり、月美に駆け寄った。
そして、なんと月美に抱き着いたのである。
「ありがとう・・・私・・・すごく嬉しいよ・・・」
夏服を通じて月美を包み込んできた百合の温もりと優しい感触は、月美の意識を真っ白にしてしまった。
「こっそり聞いててごめんなさい。でも、月美ちゃんが私のこと、こんなに大事に思ってくれてて、すごく・・・すごく嬉しいの」
二人がこれほど密着したのは初めてだった。しかも周りに人がいる状況なので月美は大いに焦り、目を白黒させた。
「ち、ち、違いますのよ・・・! あぁ、あの・・・その・・・別に、私は・・・!」
クールな言い訳など全然思いつかなかった。
「私のために、この学園を変える決心をしてくれたんでしょう?」
「はぁっ・・・うっ!」
百合のささやきが、ゾクゾクとした甘く危険な快感に変わり、月美の耳から全身に駆け巡っていく。
「王子様みたいだよ。月美ちゃん。すごく・・・カッコイイ」
百合は月美をぎゅうっと抱きしめたまま放してくれない。それどころか、さらに強く抱き着いてくるのだ。この時味わってしまった、乙女の魅力あふれる百合の感触を、月美は一生忘れないだろう。
「わ、私はあくまで、全体の利益のために・・・うっ」
「ウソ・・・全部聞いてたもん♪ 月美ちゃんの優しい気持ち・・・・全部聞いてたもん♪」
百合は笑いながら、泣いていた。
透き通る秋空の色にキラキラと光るその涙は、昨日の夕方に彼女の頬を伝ったものとは全く別物であった。
「ありがとう、月美ちゃん・・・」
もうこの作戦が上手くいかなくても悔いはないと百合は思った。自分のために、月美ちゃんや仲間たちが立ち上がってくれた事実だけで、百合は幸せだったのである。
(私・・・月美ちゃん・・・大好き・・・)
声にならない熱い気持ちが、百合の胸いっぱいに満ちていた。
この気持ちが、友情よりももっと深く、熱く、美しい感情であることに、ピュアな百合はまだ気づかないのだった。