21、タイムリミット
青空の中に、大きな風車がそびえ立っている。
高原に点在する石灰岩の一つに腰かけて、月美はその風車をぼんやり見上げていた。
青々とした草原を駆け上がってくる海風が、十数メートルもある風車の羽をゆったり回している。その様子はまるで観覧車のように優雅で、月美を華やかな心持ちにさせた。
(素敵ですわぁ・・・)
風力発電のためというよりは、小麦の製粉に使われているのではないかと思えるほど古風な見た目をしたその風車は、丁寧に積み上げられたレンガと、内部の螺旋階段の位置に合わせた窓がとてもお洒落で美しかった。
(あれ・・・でも、ここどこかしら)
我に返った月美がそう思った途端、聞き覚えのある声が頭の中に響いたのである。
『あなたと百合ちゃんが一緒にいられるのは、12月までよ♪』
「わっ!」
叫びながら月美が体を起こすと、そこは寮の自室のベッドの上だった。
(夢・・・でしたのね・・・)
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
(せっかく美しい夢を見てましたのに、イヤな声で起こされてしまいましたわ・・・)
夢の最後に聴いたのはおそらくローザの声である。人を食ったような口調と妖艶なあのボイスは間違いない。
「あ、おはよう、月美ちゃん♪」
「うっ」
今日も天使のように美しい百合が洗面所から顔を出してきた。
「お・・・おはようございますわ・・・」
どういうわけかいつも百合のほうが早起きなのである。月美は自分の寝顔を百合に見られるのがとても恥ずかしいので早起きを心掛けているのだが、そもそも寝付く時間が百合より遅いため上手くいかない。すぐ隣のベッドにいる百合を意識してしまうと、その緊張感は何時間も月美の心身をアツアツにさせちゃうからだ。
「今日は清掃活動の日だね♪」
「わ・・・分かってますわ・・・」
「暑くならないといいけど」
「きっと今日も暑いですわよ。残暑ってやつですわ」
ベッドから這い出し、ドレッサーの前に腰かけた月美は、クールな顔を作って髪をブラシでとかしながら、夢の中で聴いたローザの言葉を思い出していた。
(私と百合さんが一緒にいられるのは・・・12月まで・・・)
これは、百合が月美と同室になるためにローザと結んだ約束である。
(そんな事・・・言われなくてもわかってますわよ・・・)
月美がブラシを片づけて振り返ると、目の前に百合が立っていた。
「朝ごはん、いこっか♪」
「うっ・・・は、はい・・・」
百合は寝起きからこのようにグイグイ来るので、月美は毎朝赤面している。
今日は8月30日である。
あと二日で夏休みが終わるのだが、ビドゥ学区は毎年この時期に大掃除をしているのだ。なぜこんな暑い時期に掃除などするのかちょっと疑問に思う生徒もいるのだが、そういう文化なのだから仕方がない。学区じゅうを綺麗にしてから迎える新学期も気持ちのいいものである。
寮の食堂で朝食を済ませた月美たちは、あらかじめ連絡されていた持ち場に向かう準備を始めた。
「あら、月美たちって花壇担当なの?」
月美が一輪タイプの手押し車にスコップなどを積んでいると、新品の雑巾を頭の上に乗せた綺麗子が声を掛けてきた。
「そうですわよ・・・」
「暑いのに大変ね! 私と桃香は学舎の教室担当だから! エアコンガンガン点けちゃお~っと」
綺麗子は得意な顔をして去っていった。
「ぬぅ・・・」
「ふふっ♪ 教室は明後日からいくらでも行けるし、私は花壇いじり、楽しみだよ♪」
いつでも前向きで楽しそうな百合を、月美はとても尊敬している。なんでこんなに心が綺麗なのか、月美には大いなる疑問である。
「私たちもエアコン点けるから大丈夫だよね♪」
「・・・お外にエアコンは無いですわよ」
「まあ、効いてくるまでに二か月くらい掛かるけどね」
「・・・いや、それはただ季節が変わっただけですわ」
「ピッ」
「・・・ピッじゃないですわ」
百合はこういうシュールな冗談をよく言う。少しのあいだ耐えていたが、月美はちょっぴり笑ってしまった。
(百合さんと一緒に活動できるだけで、私は幸せですわ)
少しうつむいたまま月美が一輪車を押して歩き出すと、百合は荷物が落ちないようにしっかり手を添えてくれた。何も言わずにこのような連携がとれるほど、二人は仲良しなのである。
担当する花壇は図書館前の広場にあった。
広場を彩る広大なヒマワリ畑は園芸部がいつも面倒を見ているのだが、その手前の小さな花壇は近所の寮生たちの持ち場である。この場所の清掃は月美と百合の二人だけで受け持つことになったが、大した広さではないのでたぶん大丈夫である。陽だまりに降り注ぐ残暑はまだ厳しいが、この辺りは気持ちいい風が吹いてくるので頑張れそうだ。
「それじゃあ雑草抜いていきますけど、その前に・・・」
月美は図書館前の広場を見渡した。
「随分ギャラリーが多いですわね・・・まあいいですけど」
いつの間にか広場には大勢の少女たちが集まり、遠巻きに二人を眺めてキャーキャー言っていたのである。
この大掃除が毎年恒例の行事になっているのはビドゥ学区だけであり、他の学区の生徒は今日も普通に夏休みなのだ。最高の美少女百合と、そのクールな相棒の姿を見るために、多くの生徒がビドゥまでやってきているのだ。
「百合様ぁー! がんばってぇ!」
「引っこ抜いてー!」
「お二人ともステキー!」
恐れ多いという理由で誰も手伝ってくれないわけだが、応援はしてくれるようだ。月美と百合はちょっと恥ずかしい気持ちで雑草を抜き始めた。
「月美さんがんばってぇー!!」
「がんばってくださーい!!!」
「きゃあ! 素晴らしい引っこ抜き方ですわ!!」
「いやーん、私、雑草になりたぁーい!!」
「あ! 百合様の美しいほっぺに土が!!」
「土になりたぁーい!!」
「私もぉー!!」
楽しそうで何よりである。
軍手についた土をぽんぽんと叩いて落としながら、月美が不意に顔を上げると、ヒマワリ畑の向こうの丘に、機馬に乗ったアテナ様が見えた。
「あっ、アテナ様ですわ」
「ほんとだ。私たちに何かご用かも」
ファンたちに囲まれながら雑草を抜く月美たちを、アテナは優しい眼差しで見つめており、百合が立ち上がると小さく手を振ってきた。
「私ちょっと行ってくるね」
「あ、はい。お願いします」
ヒマワリの大きな葉をかき分けて、百合はアテナのもとへ向かった。
「こんにちは、アテナ様!」
「こんにちは。お忙しいのに、ごめんなさいね」
「いえいえ! ちょっと休憩したかったところです」
「こっそり会いに来たつもりなのに、こんなに見物人がいるとは思わなかったわ」
「そ、そうですね」
百合は苦笑いである。
アテナは木陰で機馬を下りると、鞄の中から写真を何枚か取り出した。
「演劇部の合宿で撮った写真よ。あなたたちに渡すよう翼に頼まれたの」
「わぁ! ありがとうございます!!」
写真は8枚もあり、演劇部員たちとの集合写真の他に、翼がこっそり撮影した月美と百合のツーショットなどがあった。
「いっぱいありますねぇ」
軍手を外して写真を受け取った百合は、目を輝かせて写真に見入った。
並んで浜辺を歩く二人、宿舎の洗面所の前で肩を並べて歯磨きしている二人、頬に朝日が差し込む寝顔の二人・・・微笑ましい光景がたくさん収められたその写真たちは、すぐに百合の宝物となった。
(月美ちゃんに見せたら、きっと恥ずかしがるだろうなぁ)
赤面する月美を想像して、百合はくすくす笑ったのだった。
そんな様子を見て、アテナは無表情のまま少し目を伏せた。
海風に揺れる木陰に、蝉の声が優しく降り注いでいる。アテナはしばらく言葉を選んだ後、胸の内を百合に話し出した。
「ごめんなさいね」
「え?」
突然謝られても何のことだか百合には分からない。
「ごめんなさい。あなたたちを、学区間のつまらない争いに巻き込んでしまって。せっかくこんなに仲良くなれたのにね」
「あ・・・」
百合は何と答えていいか分からなかった。
あと数か月で、百合はストラーシャの生徒会寮にお引越しである。そうなれば月美ちゃんとはお別れだ。
「いえ・・・別にいいんです」
百合はそっと微笑んで穏やかに返事をした。
「私みたいな厄介者と仲良くしてくれる人ができて、私はすごく幸せです。もっと長く一緒に暮らしたいなんて望むのは、きっとわがままです」
「・・・そう」
「離れ離れになっても、私と月美ちゃんは、友達ですから」
ヒマワリのように眩しい笑顔を見せられて、アテナは心が温まった。心配していたより百合が明るくて嬉しかったのだ。
「百合さん。これからもたくさん、月美さんと思い出を作りなさい」
「はい。ありがとうございます」
百合は写真を封筒に入れ直し、そっとポケットにしまった。
(思い出・・・かぁ・・・)
考えてみれば、百合にとって月美と共に過ごす夏は今年が最後であり、それももうすぐ終わってしまうわけである。演劇部の合宿は楽しかったが、二人きりの思い出を満足いくまで作れたかというとそうでもない気がしてきた。真面目な月美ちゃんは自室かエントランスでお勉強をしている時間が多く、夏休み中も二人であまりお出かけできなかったかも知れない。百合は急に胸の中が冷たくなった気がした。
「あ、あの・・・アテナ様」
「どうしたの?」
百合は自分の心の声を聴くように、胸にそっと手を当てて、アテナに向き直った。
「お、お願いがあるんですけど・・・!」
山盛りのかき氷みたいな入道雲が、遠い海の上できらめいていた。
しばらくして百合が花壇に戻ると、月美が動物たちに囲まれていた。
「ちょ、ちょっとあなたたち、手伝ってるのか邪魔してるのかハッキリして下さる?」
「ピヨ~」
「ピヨ~じゃないですわ・・・」
青い小鳥と白ウサギ、そして少し大きくなった小鹿ちゃんが一緒に草取りをしていたのだ。多分、手伝っているわけじゃなくただのおやつタイムである。
(私、ウサギになりたいなぁ)
1月以降もああやって月美と遊べるであろうウサギたちを、百合はちょっとうらやましく思った。
「ねえねえ! 今年の文化祭はクリスマスイブらしいわよ!」
夕食を食べながら、綺麗子はそんな風に騒ぎ出した。
「でもなんか、催し物の会場を決めるの大変だったって噂よ。ほら、演劇をストラーシャの劇場でやるじゃん? だからその他の奴はほとんどビドゥとアヤギメに振り分けたみたい」
「公平にしてるんですわね」
「公平ねぇ」
綺麗子は釈然とない顔である。
「なーんかちょっと気にしすぎだと思うけどなぁ。別にどこでやっても良くない? 仲良くすればいいのに」
綺麗子は良くも悪くも難しいことが分からないので意外と平和的な思想の持ち主である。
「なんで3学区は仲が悪いのかしら」
綺麗子の隣で何も言わずにポテトサラダを頬張っている桃香は、以前に朝のランニングで出会った生徒会長たちの様子を思い浮かべた。
「・・・仲良さそうな人たちなんですけどねぇ」
「そうですわね。桃香さんの言う通り、仲が物凄く悪いわけじゃないと思いますわ。負けず嫌いの生徒会長が一人いるせいで、色んな行事がややこしくなっていますのよ」
ローザのことである。
「ローザ様は百合さんの人気を利用してストラーシャの力を強めようとしているんですわ。権力欲ってやつですわね。百合さんの気持ちも考えないで、勝手な人ですわ」
月美がプンプン怒りながらそう言うと、綺麗子たちの関心は百合の身の上へと向かった。
「ねえ、百合ってホントにストラーシャに行っちゃうの?」
「う、うん。年が明けたらね。ストラーシャの生徒会に入る約束なの」
「ふーん・・・じゃあ、文化祭がお別れ会みたいになちゃうわね」
「そうだね。でも、まだ先のことだから♪」
百合は努めて明るく振る舞い、ポットの水をみんなのグラスに注いだ。
「ほら皆、ちゃんと水分とってね♪」
グラスの中で揺れる氷が、カランカランと妙に明るい音を立てた。
今の楽しい生活のタイムリミットを意識していたのが自分だけでないことを知って、月美はちょっぴり嬉しかった。お正月になった瞬間、百合が「月美ちゃん、それじゃあね~」と言ってあっさりいなくなってしまったらあまりに寂しいからである。
(百合さんも・・・私とお別れしたくないと思ってくれてるかしら)
シチューを味わう百合の横顔を月美が横目で見ていると、それに気づいた百合がにっこり微笑みかけてきた。百合は心情をあまり表に出さないタイプであり、それは月美も同じである。
さて、まもなく消灯時間がやってくる。
部屋に戻ってからの二人はいつもよりちょっぴり口数が少なかったが、百合はずっとにこにこしていた。普段通りの優しいスマイルである。
「月美ちゃん、ちょっと外出てみない?」
「え?」
百合がこんな突飛な提案をしたのは、彼女がシャワーから出てきて、髪を乾かし終えた時だった。
「え、で、でももうすぐ消灯ですわよ!」
なんだか猛烈に緊張してしまった月美は声が震えた。
「大丈夫大丈夫♪ 寮の前の広場だから」
夏休みは電力の使用制限が緩いので21時以降も起きている生徒が多く、月美もその例外でないが、外出まではした事がなかった。
「・・・誰かに見つかったら面倒ですわ」
椅子に腰かけたままもじもじしている月美の肩に、百合は指先をちょんっと押し当てた。
「お願い。ちょっとだけ♪」
「うぅ! わ、分かりましたわ・・・! 分かったからその、つっつかないで下さい」
月美は窓からこっそり顔を覗かせ、広場に誰もいないことを確認してからカーディガンを一枚羽織った。
「・・・行きましょう。でも、すぐ帰りますわよ」
「うん♪」
夏の虫たちの声と、噴水のせせらぎが、星座の中で踊っていた。
ちょうどこの時、消灯時間になったので寮の窓明かりは消えてしまったが、代わりに満天の星々がきらきらと輝きながら広場に降り注いできたのだ。月美はすべすべの大理石で出来たベンチに腰かけて、噴水の水に映る天の川を眺めた。
「隣、座っていい?」
「・・・だ、だめです」
「だめなの~?」
「・・・・・・どうぞ」
「ふふっ♪ ありがと♪」
月美は大抵のお願いを聞いてくれるお嬢様だ。
シャワーを浴びたばかりの二人は、夜風の中にお互いの髪の香りを感じてドキドキしていた。ちなみに二人は同じ浴室を使っているが、シャンプーやボディーソープはそれぞれ違うものを使っている。
「月美ちゃん、あのね」
長く甘美な沈黙を終え、百合が口を開いた。
「明日、私とデートしない?」
「デ!?」
「あぁ・・・! デートっていうのは例えであって、えーっと、二人でどこか、遊びに行けないかなぁってこと!」
なぜか百合は必死で補足説明をした。デートという表現が冗談として通用しない関係に二人はなっているわけだが、それがどういう意味を示すか本人たちは気づいていない。
「ふ、ふ、二人でお出かけですの!?」
「うん!」
「いや、でも、明日は清掃活動の続きですし・・・!」
「実はね、さっきアテナ様にお願いして、私と月美ちゃん、休みにして貰えたから♪」
「え!?」
百合は少し頬を染め、自分の前髪をいじりながら小さい声で続けた。
「思い出・・・いっぱい作りなさいって」
「アテナ様が・・・ですの?」
「うん。だから、明日は二人だけで、行きたいところたくさん出掛けよう!」
明らかにタイムリミットを意識したお誘いである。もちろん断る理由などなかった。
「・・・べ、別にいいですわよ」
「ホント!?」
「ま、まあ百合さんがどうしてもと言うなら、特別にお出かけしてあげますわ。今回だけですわよ」
月美は自分の髪をサッと撫でて格好を付けた。
百合は嬉しくって、思わず月美の肩の辺りにおでこを押し当ててしまいたくなったが、やめておいた。
「ありがとう!! 月美ちゃん!!」
「うっ・・・!」
月美は百合の清らかな眼差しから逃げるようにそっぽを向いた。しかし、そこにも美しい星空が広がっていたのである。
(・・・ありがとうはこっちの台詞ですわよ)
明日がなんだかとても大事な一日になる予感が、二人の胸いっぱいに満ちた。
「それじゃあ、お部屋戻ろっか♪」
「あ・・・はい」
百合はこの話をするためだけに月美を星空の下へ誘ったのである。
「今日は早く寝ようね♪」
「・・・は、はい」
月美は熱くなったほっぺを両手で触りながら、百合のあとについて昇降口へ向かった。
(こ、こんなに私をドキドキさせて・・・! 早く眠れるわけないですわよ・・・もう!)
明日の朝もきっと、百合のほうが早起きである。