16、エアコンナイト
月美はお嬢様なので、日傘がよく似合う。
日傘を差していれば、七月の街角に降り注ぐ蝉しぐれも、木漏れ日の中で揺れる小川のせせらぎのように優しく聞こえるものである。
「月美ちゃん♪」
「な、なんですの・・・」
「今日も暑くなりそうだね♪」
「なんで嬉しそうですの・・・」
「ふふっ♪」
しかし、月美が日傘を愛用する本当の理由は、いつも隣にいる百合から身を守るためである。自分のスペースを確保できるし、ちょっと赤面してしまってもすぐに隠せるからだ。
「月美様ぁ! 寮が大変なことに!」
一学期の終業式を明日に控えたその日、月美と百合が寮へ向かってのんびり下校していると、前から生徒が駆けてきたのである。
「な、何がありましたの?」
「説明は後で、とにかく早く来て下さい!」
月美たちが暮らす寮は一年生しか生活していないのだが、月美はその中でいつの間にかリーダー的なポジションに立っており、トラブルがあるといつも相談されるのである。百合の前でいいところを見せようと何でも引き受けているうちに、寮長みたいな役割になってしまったのだ。
「何だかわかりませんけど、とにかく行きましょう、百合さん」
「うん♪」
今日も百合は笑顔で月美について行くのだった。
なんと、寮のエントランスが動物園みたいになっていた。
「な、なんですのこれは・・・!」
靴箱付近は野生の鹿やウサギでごった返しており、そのうちの何頭かは土足厳禁の場所にまで上がりこんでくつろいでいたのだ。とんでもない光景であるが、月美はこの現象の原因に心当たりがある。
「これ・・・たぶん、エアコンが効いてるからですわ」
避暑地の趣があるビドゥ学区も最近は暑い日が続いており、今週に入ってついにエアコンが解禁されたのだ。
島内で発電している関係で、電気の使用可能量に限度があるこの学園は、普段は消灯時間を病院並みに早くするなどして節電しているわけだが、今週からはそれらの枷が一時的に外れ、エアコンをガンガン使えるようになっているのだ。これは夏に備えて電力を蓄えておいたことと、日照時間の増加に伴う太陽光発電の活発化のお陰である。秋になったら元通りの節制生活に戻るため、今だけ限定のエアコンパーティーである。
「月美さぁーん、動物たちがいっぱい来ていますぅ・・・!」
桃香ちゃんがウサギまみれになりながら月美に助けを求めてきた。
エントランスにはソファーがたくさんあり、寮生が自由にくつろげる空間になっているのだが、この場所を快適に感じるのは人間だけではないのである。
「これはもうどうしようもないですわね・・・」
外に追い出すことも可能だが、寮のすぐ前で嫌味のように熱中症で倒れたフリなどをされても面倒である。あきらめて共生していくしかない。
「あら」
エアコンの風がよく当たるソファーの、しかも柔らかいクッションの上に、月美は見覚えのある生き物を見つけた。いつもの青い小鳥である。
「さては、あなたが呼び込みましたのね?」
青い小鳥は気持ち良さそうに目を細めながら「ピヨ~」と返事をした。この小鳥は無駄に頭が良いので、快適な場所や美味しいものを見つけると仲間に薦めて回るのである。
「せめて靴箱の辺りに集まって頂けません? ここは人間様の場所ですのよ」
「ピ~ヨ」
「ピ~ヨじゃないですわ・・・泥だらけの足で寮に上がらないで下さい」
そう言いながらも結局月美は動物たちを追い出すことなく、むしろ冷たい水などをバケツで用意する手筈をとった。
そんな月美の様子を見た百合は、くすくす笑いながら小鳥の頭を撫でた。厳しく接するとみせかけて動物に優しい月美のことが、百合は大好きである。
夕食時の食堂も、エアコンは大活躍だった。
いつもは窓を全開にし、昼間よりは少し涼しくなった夜風を無理矢理取り込んでいる食堂が、今日は高級レストランのような都会っぽい快適さを醸し出している。普段は「大自然に囲まれる暮らし最高!」と言っている生徒たちも、今週は「やっぱり時代はエアコンよねぇ~」などと調子の良いことを言っている。
「月美! 百合!」
「な、なんですの?」
月美が格好付けながら、女学園島特産の夏野菜がたっぷり入ったトマト風スープを飲んでいると、綺麗子が騒いできた。
「夏休みに入ったらすぐ、演劇部で合宿するのよ!」
「あら、そうですのね。それは良かったですわ」
「月美たちも一緒に来ない!?」
なぜそうなるのか。
「・・・私たちは別に演劇部じゃありませんのよ。練習にも参加しないのに、合宿なんか行けませんわ」
「あ、演劇の練習は全くないから大丈夫よ!」
それはそれで問題である。
「・・・それって合宿って言います?」
「んー、ただのお泊り会ね!」
お泊り会という楽しそうな響きに、百合が強い反応を示す。
「なんだか、楽しそうですね!」
「楽しいわよ! 二人も参加ってことでいいわね!」
綺麗子の行動力や、他人を巻き込む力には月美も感服である。
「ゆ、百合さん、お泊り会になんて参加して大丈夫ですの?」
百合はなんといっても学園一の美少女と言われている乙女である。平気で会話している綺麗子がおかしいのであって、百合が集団の中で寝ようものなら、4、5人のえっちなお姉様や同級生たちに襲われても不思議はないわけである。
「私は大丈夫です。月美さんが守ってくれますから♪」
「うっ・・・」
百合の笑顔に、月美は頭がくらくらしてしまった。日傘があったら隠れたい気分である。
百合は月美のことを心から信頼しており、自分に恋をしているだなんて微塵も思っていないわけだ。
(わ、私が百合さんを守らなければ・・・!)
罪悪感と使命感という二つのエンジンを翼につけ、月美の恋は今日も夏の空に飛行機雲を描いていく。
さて、寮の一階部分が動物たちに奪われている今夜、生徒たちは動物と遊んだり、いつもより長時間食堂に残って雑談したりして自由に過ごしているが、一番の変化は実は、各部屋に戻ってからの過ごし方にある。
「帰ってきましたわね。やっぱり自室が一番落ち着きますわ」
「そうですね♪」
落ち着く、などと嘘をついたが、月美は百合と二人きりになってしまう自室が一番緊張する。
「シャワー浴びますわ」
「行ってらっしゃい♪」
シャワーはいつも月美が先に浴びる。
これは「ついさっきまでここで百合さんが裸になってシャワーを浴びていたんだ」という感覚にならずに済むからである。月美の理性はクールな外見に反し、金魚すくいの和紙みたいにお湯に弱い。
一人になった百合は、部屋の中のささやかな違和感に気付いた。
(そっか、部屋にもエアコンがついてるんだ)
いつもはすぐに窓を開けて夜風を入れているのだが、今日はその必要がないようだ。
この女学園島においては、夏に恋が進展するケースが多い。
その理由は様々な側面から分析できるのだが、エアコンが効いた寮部屋が二人きりの世界になるためだと主張する者も多い。
寮部屋は一年を通じて同じメンバーなので、二人部屋はいつも二人部屋なのだが、窓を閉め切った密室が、春に入学した新入生たちにとってはとても新鮮な空間なのである。普段は窓全開のため、上下左右の部屋の声が丸聞こえだから、内緒話や夜更かしもなかなかできないのだ。
夏はそれが可能になるのである。
シャワーを浴びた月美は、一歩一歩計算された完璧な動きでスムーズに机に向かい、当然のようにフランス語のテキストを開いた。今夜も月美お嬢様は美しい。
「じゃあ次、私が浴びてくるね」
「・・・いってらっしゃいですわ」
月美はかき氷のようなクールな横顔で返事をした。
部屋いっぱいにシャワーの音が満ちた。
(窓が開いていないと・・・なんかすごく緊張しますわね・・・)
月美もようやく部屋の様子の変化を実感したようだ。いつもは隣から「えぇ! 桃香、保健体育の先生が好きなの!?」「声が大きいですぅ!! 好きとかじゃなくて、その、憧れてるだけですからぁ!」などと、何かしらの内緒話が大音量で聞こえてくるわけだが、今日は真夏のコタツ専門店のような静寂に包まれている。
(いつもうるさい綺麗子さんが、なんだか恋しいですわ・・・)
シャーペンを持つ指先がじんじんするほど、月美の胸は緊張で高鳴ってきてしまった。カッコ悪いことをしないように、とにかく美しくクールでいられるように、月美は自分のお嬢様力を信じるしかない。
「月美ちゃん♪」
「・・・なんですの」
「月美ちゃん♪」
「・・・用もないのに呼ばないで下さい」
「月美ちゃ~ん♪」
「・・・高音で言ってもダメですわ」
寝る準備を早めに済まし、ベッドに寝転がって読書をするのが月美のいつもの習慣なのだが、今日の百合はどういうわけかしつこく月美にコミュニケーションを迫った。
(今日は夜更かししてもバレないぞ~)
百合はまるで小学生みたいにワクワクしていた。
消灯時間こそ午後9時のまま変更はないが、エアコンが解禁されている関係で、9時以降も電気を点けることができるらしいのだ。夕焼けに似た電球色の小さな照明を点灯して、こっそり夜更かしするのにも最適なシーズンと言える。
まだ電気は煌々と点けたまま、百合は月美のベッドに肘をついて床のカーペットに座り、月美の横顔を覗き込んだ。
「月美ちゃん、もう寝ちゃうの?」
「・・・寝ますわ」
「えー、そうなの? 寂しいなぁ」
百合は月美のベッドに顔を伏せ、ほっぺを押し当てた。
「それにしても、今日は涼しいねぇ」
「・・・エアコンが効いてるだけですわ」
「シーツもさらさらしてて気持ちいい♪」
百合は月美のベッドのシーツを手のひらで撫でた。
月美は自分の安全領域であるはずのベッドに百合が入り込んできている状況にひどく慌てた。仕方ないので読んでいた本を閉じ、うつ伏せのまま寝るフリをして枕に顔を埋めたのである。
「ねえ月美ちゃん。もう少しさ、電気点けたままでさ、おしゃべりしよう?」
先程から百合は甘えたような声を出している。
月美は返事の代わりに「ふん」みたいな声を出して顔を壁のほうへ向けた。月美の長い黒髪のシャンプーの香りが、百合の鼻をふんわりくすぐった。
忘れられた田舎の教会の静かな昼下がりのような、とても優しくて少し神秘的な時間が二人の間に降り積もっていった。
真っ白なシーツは聖歌の響きのように清らかに輝き、お互いを意識する気持ちはキャンドルのようにぽかぽかしていた。陽だまりのネコたちはきっといつもこんな気分なのである。
「月美ちゃん」
しばらくして、百合がささやいた。
「月美ちゃんってさ、優しいよね」
昼間の動物たちとのやり取りを回想していた百合は、思わずそう口にしたのだ。いつもはこんなこと言わないのだが、今だけは何となく、本音をしゃべっても許されるように感じたのだ。
月美はどう答えていいか分からず、枕に顔を埋め直して、寝たフリを敢行した。
「月美ちゃーん。優しい月美ちゃん♪」
聖母のように微笑みながら月美を見つめる百合は、ここで興味深いものを発見した。枕のすぐ横の位置で、お布団から月美の手がちょっぴり出ていたのだ。
(月美ちゃんのお手々発見・・・)
まるで小学生のように無邪気になっている百合は、月美に少しいたずらをしてみようと思ったのだった。
そーっと自分の手を伸ばし、月美の指先、小指の爪の辺りに優しく触れてみたのである。
「ひっ・・・!」
月美は体をビクッと震わせてから、慌てて手を布団の中に引っ込めた。そんな様子を見て、百合はくすくす笑うばかりである。
(ゆ、ゆ、百合さんに触られましたわぁあ!)
月美はうつ伏せのまま耳まで真っ赤にした。首や肩までじんじんするような恋のドキドキに、彼女は布団の中で悶えた。
小指の先に残る百合の優しいタッチの感触が月美の理性を圧倒してくる。もっと触って欲しい、もっといたずらされたいという強い願いが、月美の胸にとめどなく湧き上がってくるのだ。
(うぅ・・・)
クールなお嬢様としての立場との板挟みに苦しみながらも、月美はそーっと、布団の中から再び手を出してみた。
それを見て、百合が目を輝かせたことは言うまでもない。
(月美ちゃん・・・かわいい!)
友達関係を築けて嬉しいのは、やはり自分だけではなかったのだと百合は確信できた。厳しい家庭で育ったハイパークールなお嬢様も、たまにはこうやって遊びたいのである。
「月美ちゃん♪」
「うっ・・・」
小指の先を百合がまた触ってあげると、月美はやっぱりすぐに手を引っ込めた。そしてしばらくすると布団からまた手を出してくるのである。
「月美ちゃん♪」
「うっ・・・」
まるでもぐら叩きのように、二人は指先に触るゲームを繰り返した。
「月美ちゃん♪」
「ん・・・」
「月美ちゃん♪」
「んん・・・!」
「月美ちゃん♪」
「あっ・・・!」
何度も何度も指先を触って貰える月美は、あまりの幸福感に布団の中で脚をもじもじさせた。
百合のほうも、いつもは最高にクールな月美ちゃんが子犬のように可愛く甘えてきてくれて、とても嬉しかった。
二人は一緒にイチゴミルクのお風呂にでも浸かっているかのような甘い時間を、思う存分味わったのである。
「ねえ、月美ちゃん」
すっかり赤くなった月美の耳に唇を寄せて、百合はささやいた。
「エアコンって、いいね♪」
月美は返事の代わりに、うつ伏せのまま枕をぎゅうっと抱きしめた。
二人の秘密の夏は始まったばかりである。