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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
126/126

126、ローザの恋

  

 金色の銀杏いちよう並木を、百合は歩いていた。


 並木と言うにはやや短いその小道は、鏡川の石橋からローザさんの喫茶店へ向かう道中にある。11月の午後の光は、木枯らしと共にスカートを冷たく揺らすが、百合の心はドキドキと弾んでいた。


 隣に、愛する月美ちゃんがいるからである。


「ねえ、月美ちゃん、今日の図工教室、何やるんだっけ」


 今日は毎週通っているローザの図工教室の日だ。

 ルネや綺麗子も通っているが、二人とも今日は日直なので学校に居残り中なのである。学級日誌の自由記載欄に絵を描くのがクラスで流行っており、ルネと綺麗子はいつもかなりの力作をそこに描くから、20分くらいかかるのだ。ちなみに先月は、ルネたちが描いた超リアルなコッペパンの絵を見て美菜先生が爆笑していた。


「今日はプラバンの続きですわ。造花を作りますのよ」

「あ、そっかそっか」

「季節外れですけどね」

「そんなことないよ♪ 花が少ない季節だからこそ、花を作るんだよ」

「・・・まあ、そうかもしれませんわね」


 百合はいつもポジティブである。

 ちなみに、プラバンというのは、下敷きよりも薄っぺらいプラスチックのシートであり、様々な手段で色を付け、好きな形にカットしたあと、トースターで短時間焼いてぎゅ~っと縮小させて作品にするものだ。トースターから出した直後は熱くて柔らかいので、軍手を使えば花びらのような形に曲げることも可能だから、小さくて可愛いガラス細工風の造花が作れるわけである。


「今日も、鹿野里は綺麗だねぇ」

「それは、まあ、当然ですのよ・・・」


 月美は格好つけて自分の髪をサッと撫でた。


 三日月植物の農園が広がる鹿野里は、すっかり晩秋の趣きを見せている。

 南北方向に整然と並ぶビニールハウスが、広大な田園地帯の奥に点在しており、まるで雪の日の朝の屋根瓦のように静かに光っているのが見えた。あのビニールハウスの中で、木枯らしに吹かれたことがない新鮮な野菜たちが活き活きと育っているのを想像すると、時間の流れに抗うタイムカプセルのようにも感じられた。


(んー・・・)


 近頃の百合は、続々と別の世界の記憶を取り戻している。


 例えば、初瀬屋の広いお風呂場で湯舟に浸かっている時、不意に三日月女学園のアヤギメ学区にあったお城のような建物の姿をありありと思い出したり、授業中になんとなく月美の横顔を見つめている時に、ストラーシャ学区の初等部ハウスと呼ばれる寮のダイニングの様子を思い出したりした。そのダイニングの暖炉には、子供が近づき過ぎないように小さな金属の柵が置かれており、それがステンレスの針金で補強されていたことや、柵の位置で床に細かい傷がたくさんついていたことなど、かなり詳細に思い出したのだ。


「百合さん、何ぼーっとしてますの・・・?」

「え!? あ、なんでもない!」

「ん・・・?」


 最近の百合は考え事が多いので、月美はちょっと心配している。


 このような感じで、二人は図工教室があるローザの喫茶店までやってきた。


「こんにちはー!」

「いらっしゃーい♪ あら、今日は二人だけ?」

「ルネちゃんたちは日直なので、ちょっと遅れて来ます」

「あらそうなの。じゃあ早く入って。寒いわよ」


 ローザは温かい手のひらをそっと百合の肩に添えて、教室に招き入れた。

 教室といっても、室内は喫茶店だから、コーヒーや焼き菓子の香りが漂っている。絵の具を使う日は、それに絵の具の匂いが混ざるのでかなりカオスな空気になるのだが、ここは風の通りがいい場所なので、ちょっと窓を開ければ解決である。


「じゃあ今日は、お花の続きね♪ 色を塗れたら、さっそく焼いてみましょうか。トースターの準備するわね」

「はい」


 実は、百合は昨日の夜、ローザさんに関する非常に重要なプロフィールを思い出した。


 この鹿野里にいるローザさんは、小学生たちに対してとても親切で、優しいお姉さんなのだが、三日月島にいた時は、どちらかと言えば悪役で、目的の達成のためなら手段を選ばない女性だったのだ。

 細かいことはまだ思い出せないが、勝つために卑怯な細工をしたり、平気で人をだましたりしていた気がするのだ。かなりの危険人物なのである。


 しかし百合は、ローザのそんな言動の理由も、分かっていた。

 すべて、ルネの幸せのためだったのだ。ローザは女好きな悪女という表の顔を持っていたが、ルネへの一途な恋心のピュアさだけは本物だった。


「百合ちゃん、準備いい? そろそろトースター温まってるわよ」

「あ! は、はい!」

「くっつきにくいアルミホイルが敷いていあるから安心よ。でも、取り出す時に花が滑り落ちるかもしれないから注意してね」

「はい」


 この世界のローザは、女好きな性格をほとんど表に見せてこない。どちらかと言えば、銀花さんに似た、理知的な女性にも思えた。


(ルネちゃんのこと・・・どう思ってるのかな・・・)


 夕焼けのようなオレンジ色に熱せられたトースターの中でふわっと曲がって縮んでいく花をじっと見つめながら、百合はローザお姉さんの心の中をこんな風に覗き込んでみたいと思った。


 するとそこへ、日直だったルネと綺麗子が到着した。


「ローザ先生ー! 遅れましたー!」

「こんにちはー!」


 ローザと目を合わせたルネは、無邪気に笑いながら部屋に入ってきた。


「いらっしゃい♪」


 喫茶店のドアから一瞬だけ差し込んだ夕暮れの光が、ローザの頬を染めた。





 これは、数か月前に時間を遡る。

 その時のローザは、コーヒーを美味しく味わうことができていた。


 夏祭りに向けてかき氷の作り方ばかり研究していたローザは、日が暮れて涼しくなってきた時間帯に、虫の声を聞きながら温かいコーヒーを飲むのが日課だった。外にキャンプ用の布椅子を出し、神社の山から吹き下ろしてくる夜風を浴びながら、のんびり星を数えるのだ。


「ん~、なんて幸せな毎日かしら~・・・」


 三日月植物の研究のために日本へやってきたローザは、午前中はそれなりに忙しく、地道な農作業もあるのだが、近所の子供たちと交流できる放課後の図工教室が毎回楽しくて仕方がないのだ。


(可愛い~女の子たちと仲良くなり放題だわぁ~♪)


 ローザは自分よりずっと年下の子も恋愛対象にしちゃうヤバいお姉さんだ。児童たちを最も預けてはならないタイプの人間と言える。


(特にあのルネちゃん! なんて清らかなお目々をしているの~! イタズラしたくなっちゃうわ~♪)


 ローザは幼少から故郷のマドリードで自由奔放に暮らし、女性を手玉にとるすべをいつの間にか体得していたので、小学5年生の純朴な田舎娘のハートをゲットすることなど、朝飯前なのである。


(胸の谷間を見せるだけでほっぺが赤くなってたわ~。来週の授業ではどんなイタズラしようかしら♪)


 そんなことを考えながら飲むコーヒーが最高に美味しいのだ。どうしようもない女である。




 9月になった。

 赤とんぼが午後の空をよぎっていくその日も、ローザはコーヒーを飲んでいた。


 ローザは紅茶も好きなのだが、屋外の一服はコーヒーに限る。

 まだ日差しが強い季節だが、風は心地いいので、ローザはサングラスを掛けて、昼間からくつろいでいるのだ。


「はぁ~・・・」


 立ち上るコーヒーの湯気が、青空に溶けて白い雲になっていく様子をぼんやり眺めながら、ローザは今日もルネのことを考えていた。


(今週のルネちゃんも・・・可愛かったわぁ・・・)


 ローザは毎週のようにルネにセクシーなイタズラを仕掛け、彼女の初心うぶな反応を見て遊んでいる。わざとルネの近くにペンなどを置いておき、それを取るフリをしておっぱいを彼女の頬に押し当てたり、「顔になにかついてるわ♪」などと言ってルネの柔らかいほっぺを指先で優しく撫でてあげたりするのだ。するとルネは、分かりやすく頬を染めて目をそらし、しばらくのあいだもじもじしてぼーっとした顔をするのだ。実にちょろいのである。


(は~、楽しい♪)


 勝利の美酒にも似たキリマンジャロの味わいにローザは酔いしれた。

 しかし、彼女の心に、秋風のような不思議な切なさが吹き込んできたのはその時である。


(・・・ルネちゃんって、私のことどれくらい好きなのかしら)


 ナルシストな自信家であるはずのローザが、時折そんな不安に襲われるのだ。

 たしかにルネは、ローザとしゃべる時いつも目を輝かせているし、赤面する瞬間も多い。だが、ローザはルネの心の奥底がいまいち見えていないのだ。


(この前も、居残りしていかなかったわよね・・・)


 ローザの図工教室はいつも18時前に終わるのだが、例えば、誰かへの誕生日プレゼントを作ってる場合など、完成を急ぐ作品がある場合は30分くらいは残って作業していってもいいのである。

 ルネはまさに、自分のママにあげるための髪飾りを作っており、少し居残りすれば完成させられるという段階だったのだが、「あとは家で仕上げます」と言って、いつも通りの時間に帰宅してしまったのだ。


(私と二人きりになるの、嬉しくないのかしら・・・)


 てっきり自分は好かれていると思っていたローザは、ルネがあっさりと居残りを断って百合たちと楽しそうに帰っていったのを見て、不思議な感覚に陥ったのだ。


(仲は良いけど、所詮、先生と生徒ってことかしら・・・)


 そんなネガティブな考えが頭をよぎった。

 ローザはしばらくぼーっとしていたが、急に我に返って笑った。


(なに考えてるのかしら、私らしくないわ♪)


 そして、サングラスを輝かせながらコーヒーを飲み干したのだった。





 しかし、ローザの憂いは、10月になってますます深まっていった。

 三日月野菜の収穫で昼間が忙しかったローザは、日が暮れてからは静かに白ワインをたしなんでいた。ローザの喫茶店の隅にある古いランプが夕焼け色に輝き、壁に縞模様をぼんやりと映し出しているので、大きな貝殻の中にいるような不思議な空間になっていた。


(ルネちゃんに会いたいわ・・・)


 飾り棚には、明日の夕方の図工教室で使う見本作品がある。羊毛で作られた紅葉もみじのコースターだ。ローザはあのコースターを作っている時も、ルネのことばかり考えていた。


(ルネちゃんは、いつまでこの教室に通ってくれるかしら・・・)


 ルネはもともと体が弱いので、病状によっては突然通えなくなることもあるかもしれない。しかしローザがなんとなく危惧してるのは、特に体調が悪いわけでもなく、「忙しいから」みたいなぼんやりした理由で来なくなることである。小学生は気まぐれなので、何が起きるか分からないのだ。


 ちなみに、ルネが毎週ローザに会うのを楽しみにしており、図工教室を気に入っていることは、本人の様子やルネの母親とのやり取りから、おそらく間違いない。だからローザのこんな悩みは杞憂なのだが、なぜかルネの気持ちがはっきり掴めず、考えすぎてしまうのだ。ローザらしくない事態である。


(どうしちゃったのかしら・・・私・・・)


 ローザは、壁に立てかけてあったギターを抱え、なんとはなしに弦をはじいたが、その指はとてもゆっくりで、一曲弾き終える前にいつの間にか止まっていた。窓の外の月夜に秋の虫の音が響いている。


 ローザは学校の先生ではなく、あくまでも一人の地域住人であるから、ルネが小学校で経験するほとんどの思い出を共有することができない。そんな当たり前のことが、ローザの胸に小さな疎外感を生み、ワインの味を濁らせている。


(ふざけてイタズラはできるのに・・・親密にはなれない気がするわ・・・)


 これは、ローザが人生で初めて感じる片思いの感覚だった。

 もういっそのこと、ラブラブになりたいなどと考えて悩まずに、体の弱いルネを遠くから見守って、彼女の小学生時代に花を添える脇役に徹して暮らしたほうが、ローザは幸せでいられるかも知れない。


 ワイングラスを傾けながら、彼女は長い長い思案に耽った。

 柱時計の金色の針が0時を過ぎるころ、静かな水面みなもをゆったりと渡っていた小舟が、そっと岸にたどり着くように、ローザはある結論に達した。


(ルネちゃんのことは・・・あきらめましょう・・・)


 ちょっとくらいおっぱいは押し当てて遊ぶかも知れないが、その程度にとどめておこうと思ったのだ。それ以上仲良くなろうと思わなければ、ルネの心の動向を想像して一喜一憂することもなくなる。いつも通りの余裕を取り戻せるのだ。


「・・・よし、そうしましょう♪」


 顔を洗って窓を開けたローザは、満天の星空に向かってグッと伸びをしたのだった。





 このような経緯で、今日のローザの気分は落ち着いていたのだ。


「ルネちゃん、トースター使えるわよ♪」

「は、はい」

「やってみる?」

「はい」

「じゃあ、こっちの面を表にして入れてね、開閉はなるべく短い時間で」

「わかりました」

「開けてる時間が長いとトースターの中の温度が下がっちゃうからね♪」


 ローザはにこにこしながらルネたちにプラバン制作のコツを教えた。

 百合や月美や綺麗子も、18時前までに自分の気に入った作品が出来上がっていた。ちなみに百合は白い花、月美は紫色の花、綺麗子はオレンジ色の花を作った。色選びと塗り方は性格がよく現れる。


「はーい、じゃあ忘れ物のないようにね!」

「マフラー無~い!」

「綺麗子ちゃんのマフラーここよ♪」

「ありがとー♪」

「じゃあ今日も橋のところまで送っていくわね♪」


 日没が早い季節なので、ローザは鏡川の辺りまで生徒たちを送ることにしている。4人の少女たちはローザと手を繋いだり、腕につかまったりしながら楽しそうに歩いた。月夜の銀杏いちょう並木に、少女たちの笑い声が響き渡っていた。


(うん・・・これで充分幸せだわ。私♪)


 ルネとの恋をあきらめれば、こんな感じで心軽く生活できるようになると思うと、ローザはちょっと嬉しくなった。


 橋までやってきたので、ローザは少女たちと別れることになった。

 綺麗子は小さな懐中電灯を振り回してローザに手を振りながら、枝を広げている柿の木の向こうへ遠ざかっていった。いつもはもう少し長くこの石橋の上で4人の様子を見守るのだが、今日のローザは早めに背を向けて歩き出した。


(私は、脇役でいいのよ・・・)


 ローザは銀杏いちょうの葉を踏みしめながら、俯きがちに歩いていった。


 土の香りをいっぱい含んだ木枯らしが山から駆け下りてきて、ローザのマロン色の髪を冷たく揺らした。もっと温かいカーディガンを羽織ってくれば良かったと彼女は思った。


 事件が起きたのはその直後である。

 銀杏いちょう並木を歩く靴音に、ローザのものでない軽やかな駆け足が交わり、背後から迫ってきたのだ。


「え」


 ローザが振り返ったのと、その少女がローザの胸に飛び込むように抱き着いてきたのは、ほとんど同時だった。


「ローザさんっ」

「あ、あら、どうしたの・・・!?」


 ルネがなぜか、ローザのもとへ引き返してきたのだ。


 ローザの心臓は今だかつてないほど高鳴った。


 ルネはぎゅうっとローザに抱き着き、ローザの胸にほっぺやおでこを押し当てたまま、しばらく何も言わなかったが、やがて顔をあげ、月の光の中に無邪気な微笑みを浮かべた。


「ローザさん、また来週ねっ」

「・・・そ、そうね。また、来週♪」


 こんなにしっかりと見つめ合ったのは初めてかもしれない。

 ローザがルネの頭をぽんぽんと触って撫でてあげると、ルネは安心したように離れ、飛び跳ねながら走り去っていった。まるで天使である。


(も、もう・・・なんなのよぉ・・・!)


 ローザは熱くなった頬に手を当てて恥ずかしがった。

 どうやらルネは、最近のローザの寂しそうな様子に気付いていたようだ。ローザさんがなんだか遠くに行ってしまいそうな奇妙な心の距離を感じだルネは、勇気を出して、最後に抱き着いてくれたわけである。これが今のローザにはかなり効いてしまったのだ。


(やっぱり私・・・自分に嘘はつけないわ・・・)


 女心を弄ぶ悪女だったはずのローザが、鹿野里ではすっかり、振り回される側になってしまった。初恋中のピュアな乙女のようなローザの毎日は、これからも続きそうだ。


 その日、お風呂上りのローザは、コーンスープを作ってマグカップに注ぎ、喫茶店の窓辺の席に腰かけて星を見上げながらゆっくりと飲んだ。このコーンスープが、今年口にした飲み物の中で、一番温かくローザの胸に染み込んできたのである。

 

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