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百合と何度もファーストキスを  作者: ささやか椎
第3章 田舎暮らし
121/126

121、文倉の湯

 

 体を洗い終えた月美は、逃げ込むように湯舟の中に身を隠した。


 月美の全身を、きらめくような温もりと、心地よい湯けむりが包み込んだ。


(セ、セーフですわ・・・!)


 恥ずかしがり屋の月美は、ここでようやく一息つけた気がした。


 洗い場は、一人一人のスペースに60センチほどの仕切りがあったから、百合に見られる心配はほとんどなかったのだが、無防備な背中をさらけ出したまま目を閉じて髪や顔を洗うことへの緊張感はすさまじかった。百合と自分の間にアテナちゃんを挟むことには成功したが、とてもリラックスできるような空間ではなかったのだ。


 なので、全てを隠せてしまう湯舟の中は、彼女のユートピアなのである。足元から湧き上がるジェットバスの泡は、月美のハートまで包み込んでくれるようだった。


「気持ちいい~!」

「あったまるわね~」


 同じ湯舟にやってきた綺麗子やルネたちも幸せそうである。ちなみに、綺麗子は髪の毛を頭頂部で豪快にまとめており、パイナップルみたいになっている。


 月美から一歩遅れて、アテナちゃんが湯舟へやってきた。アテナは湯舟の前にしゃがみ込んで首を傾げた。


「月美、ここ熱くない?」

「あら、アテナさん。気持ちいい温度ですわよ」

「私、暑がり。熱いの、イヤ」

「あら、そうですのね・・・。ここはまあ、適度に熱い感じかも知れません」

「んー」

「お風呂には温度が表示されてますのよ。えーと、あっちの湯舟は40度らしいですわ」

「じゃあ、あっち行ってくる。月美はここにいて」

「はい。気を付けてくださいね」

「うん」


 月美は先程までアテナちゃんを盾として使っていたが、今はその必要はないのだ。

 少し離れたところにある湯舟に歩いていくアテナちゃんの背中を見送った月美はそっと目を閉じ、お湯の中でグーっと足を伸ばした。毎日の疲れが、お湯の中に溶けていくようである。




 この時、百合は何をしているのかと言うと、洗い場の近くで花菱のお姉様たちに話しかけられ、おしゃべりしていた。アテナが百合から離れて行動しているのはこれが原因だ。


「ねえ~、百合ちゃんは、花菱女学園に入学してくれるの?」

「え、えーと、それはちょっと分からないです。鹿野里に滞在中って感じなので」

「え~! 来てよ~。中等部あるんだから~」

「か、考えておきま~す♪」

「はぁ~ん! 可愛い~!!」


 百合はなぜか、女好きの女性を引き寄せてしまう体質である。


(えーと、月美ちゃん、どこの湯舟入ったのかな~)


 お姉様たちをなんとか振り切った百合は、広大なお風呂場を見渡した。文倉の湯には様々な種類の内風呂があるので、探すのは一苦労である。


(んー、ずっと近くをうろついてたら月美ちゃんが全然リラックスできないだろうから、露天風呂にでも行こうかな♪)


 恥ずかしがり屋の月美ちゃんの身を案じていると、桃香が通りかかった。桃香はおっぱいが大きい中学生なので少々目立つ。


「百合ちゃん、どこのお風呂行く?」

「あ、私露天風呂行こうかな~」

「行こう行こう~」


 百合は桃香と共に露天風呂へ向かった。



 幼いアテナちゃんは、好みの温度の湯舟に辿り着いた。

 この湯舟は「はぎの湯」と銘打たれており、やさしい秋の香りが立ち上る、薄紫色の濁り湯を楽しめる場所だった。

 アテナはここでおよそ5分。肩まで浸かっていた。


(ん・・・)


 しばらくは快適だったのだが、少しずつ体が熱くなってきた。小さい子は物理的にすぐに体が温まるから仕方ないのだ。


(あっちに、水のお風呂がある・・・)


 アテナの目は、少し離れたところにある水風呂を捉えた。ザブンと入ったらきっと冷たすぎて悲鳴を上げてしまうだろうが、手や足首をちょんと浸して体を冷ますと気持ち良さそうである。アテナは水を求めて湯舟からゆっくり出た。




 さて、この日の文倉の湯には、意外な人物が来ていた。

 花菱女学園の生徒会長、翼である。


(やっぱり、サウナはいいなぁ~)


 白馬の王子様的な人気がある翼は、毎日のように乗馬クラブで腕を磨いており、その疲れを癒すため、時折この銭湯を訪れているのだ。翼は文倉の湯のサウナが大好きである。


 サウナの電灯の周りで揺れる、細かい蒸気の輝きを見つめながら、翼はなんとなく、鹿野里校の少女たちのことを考えていた。


(運動会が終わると、あっという間に冬が来るなぁ~。もし冬休みにあの子たちと交流するなら、そろそろ計画を立てて提案しておかないと)


 翼の脳裏にはなぜか、小学一年生のアテナちゃんの姿が浮かんだ。翼はアテナちゃんから誤解されており、未だに不審者だと思われているから、そろそろ仲良くなりたいものである。


(そろそろ出るか・・・)


 翼は長い髪をまとめていたタオルを外し、顔を拭ってから席を立った。


 サウナから出た翼は、涼しくて心地いい空気と内風呂の賑わいに包まれ、目が覚めるようだった。


「ん?」


 ふと見ると、サウナのすぐ横の水風呂に片足を突っ込もうとしている幼い少女が見えた。翼は咄嗟に彼女に近寄って声を掛けた。


「それ、冷たいお風呂だよ。分かっているかい?」


 そう言い終えるのと、翼の心臓がドキリと跳ねるのはほぼ同時だった。

 振り返った少女は、鹿野里で最年少のクール系美少女、アテナちゃんだったのだ。


「え!! ア、アテナちゃん!?」

「あ・・・」


 翼と目を合わせたアテナは、みるみるその表情を陰らせ、虫ケラを見るような顔をした。


「不審者・・・こんなところにまで現れた・・・」

「ふ、不審者じゃないよぉ! 私はほら、花菱女学園の生徒会長だよぉ!」


 裸のアテナちゃんに会いたくて銭湯までついてきたヤバいお姉さんだと思われてしまった。花菱女学園ではファンクラブが存在するくらいモテモテの翼が、なぜかアテナちゃんからは嫌われてしまっている。

 翼は「そ、それ、冷たい水だからさ、大丈夫かなぁと思ってぇ・・・あはは・・・」などと作り笑いを浮かべながら後ずさりし、やがてサウナに逃げ帰ってしまった。気苦労の多い女である。





 その頃、ジェットバスにいる月美は、徐々に焦りを感じ始めていた。


(こ、これって・・・アテナさんが来てくれないと、湯舟から出られないってことですわよね・・・)


 もし百合がこっちにやってきたら、逃げられないのである。


(アテナさん、どこ行ったかしら・・・またここに来てくれないかしら・・・)


 月美が辺りを見回すと、ペタペタと可愛い足音が近づいてきて、ジャブンという水音と共に、アテナが湯舟に飛び込んできた。アテナは月美の正面にグイッとせまり、しがみついてきた。


「月美、不審者がいた」

「え!? ふ、不審者ですの!?」

「うん、あっちのほう」

「あっち? サウナにいるってことですの?」

「うん」

「では、サウナのほうには近づかないほうがいいですわね・・・」

「うん。お外のお風呂、行きたい」


 月美も少し涼みたいと思っていたところなので露天風呂はちょうど良かった。


「じゃあ、いきましょうか」

「うん」


 月美はアテナちゃんの背中に密着するような形で湯舟から出て、露天風呂へ向かって歩いた。はたから見れば月美のほうが余程不審者であるが、アテナの表情は朗らかである。




 露天風呂は、透き通る海風で満たされていた。

 空には夕焼けの残り火が紫色に馴染んでおり、チョコレートケーキの上にまぶされたアラザンのような星々が銀色の瞬きを見せていた。


 木製の屋根の下に立ち込める湯けむりの中から、美菜先生やキャロリンの笑い声が聞こえてきた。月美は目を皿のようにして百合がいないかどうかをチェックした。


(よ、よし・・・いませんわね・・・)


 いないと分かれば、さっさと湯舟の中に入りたいものである。月美はアテナちゃんの肩にそっと手を置いて、彼女を急かすようにして歩いた。


「月美ぃ~!アテナ~! よく来たデース!」

「素敵な雰囲気の露天風呂ですわね」

「気持ちいいデスよ~♪」


 点在する円柱型のライトには、透明なアクリルで防水加工された着物の布が使われており、笠馬市や文倉市で作られてきた伝統的な染め物の美しさと、幻想的な光の世界の融合を楽しめるようになっている。素敵な露天風呂だ。


 月美はアテナちゃんと共に、湯舟に入った。


「今、桃香が面白い話してるデース!」

「い、いや、別に面白い話じゃないけどぉ~・・・」

「もう一回さっきのクイズ出すデース!」

「クイズじゃなくて心理テストね・・・♪」


 露天風呂には既に5、6人がおり、盛り上がっていた。月美は大きな岩が張り出した辺りに腰を下ろし、肩まで湯に浸かった。


「ふ~」


 月美は屋根を見上げながら、大きく深呼吸した。秋の空気はとっても美味しい。


「教室で居眠りをしていて目を覚ますと、あなたの隣に動物がいました。それは何でしょうか、えーと、鹿、小鳥、ウサギ、の中でどれ?」

「クマデース!!」

「鹿かな~」

「先生はウサギちゃ~ん」


 月美は心理テストには興味ないが、キャロリンに「月美はどうデース?」と尋ねられたので、適当に「じゃあ小鳥で」と答えておいた。


「百合は何にするデース?」


 それは、月美の心臓が止まってしまいそうになる恐ろしい言葉だった。


(え!?!?)


 月美のハートは爆竹のようにパチパチと弾けて燃え、恋への警戒を促す危険信号を全身に運んだ。なんと、月美のすぐ近くの岩の陰に、百合がいたのだ。全く気付かずにリラックスしていた月美は実にポンコツであり、まさに知らぬが仏というやつであった。


「わ、私は、ん~、私も小鳥かな♪」


 百合の声に自分の左耳をくすぐられた月美は、背筋せすじがゾクゾクしてしまった。


(ま、まずいですわぁああ!! 一緒のお風呂に入ってるなんて、は、恥ずかしい・・・!)


 アテナを呼び寄せて盾にするか、内風呂に逃げるかすれば良かったのだが、月美は緊張と混乱で動けなくなってしまった。桃香たちが楽しそうにしゃべる声も全然耳に入らず、ただひたすらにじっとしているしかなかったのである。


 一方の百合も、月美が偶然隣に来てくれたので非常にドキドキしていた。しかし、月美の緊張感が手に取るように伝わってきたので、なんだかとても面白かった。


(月美ちゃん、動かなくなっちゃった・・・可愛いなぁ・・・♪)


 百合は体を少し後ろに倒しながら、月美の横顔をじっと見つめた。俯きがちな彼女の白いうなじが、とっても綺麗だった。


 月美と百合は、キャロリンたちとは全く違う世界にいるかのようだった。友人たちが無邪気にはしゃぐ声が、テレビの向こう側のセリフように感じられた。


 しばらくすると、キャロリンが内風呂への興味を再燃させ始めた。


「内風呂制覇したいデース! まだ3種類くらいしか入ってないデース」

「じゃあ、また中行こうか」

「サウナも入ってないデース!」

「サウナは不審者がいる」

「おお! 不審者退治するデース!」


 そう言いながら仲間たちが続々と湯舟から出ていくので、月美は非常に焦った。盾役のアテナちゃんが美菜先生と一緒に早々に出てしまったからだ。隣にいる百合はまだ動かないから、今月美が湯舟から出たら、完全に百合に背後を取られることになってしまう。裸を見られたくない月美としては、なんとしても避けなければならない状況だ。


「月美ー! 百合ー! 早く来るデース! 皆で不審者捕まえるデース!」


 キャロリンに呼ばれた。


 先に動き出したのは、百合のほうだった。

 百合はキャロリンたちの姿が内風呂のほうへ消えていくのを待ってから、「ちゃぷん」と優しい水音を立てて月美にそっと迫った。そして月美の耳元に唇を寄せたのだ。


「ゆっくりしてていいよ♪ 後からおいで」

「ひゃ!!」


 さらに百合は、月美の首の辺りにチュッとキスをしてから去っていったのだ。二人は恋人同士なのだから、これくらいは許されるわけだが、あまりの不意打ちに、月美は返事をすることも出来なかった。


(ひゃあああああああああああ!!!)


 月美は恥ずかしさのあまり、顔面をざぶんと湯舟の中に突っ込んだ。


(ま、またチュウされちゃいましたわああああ!!!! し、し、しかも、百合さんはわたくしが恥ずかしがってたの完全にお見通しですのおおおお!?!? 恥ずかしいですわああああああ!!!!)


 息が続く限り、月美は顔を伏せて心の中で絶叫していた。

 あまりにも優しい唇の感触のみならず、背中に一瞬だけ当たった百合の胸のぷるぷるポヨンな柔らかさも、月美のハートをかき乱した。もうめまいがするほどである。


(恥ずかしいいいいいいいい!!!!)


 初恋中のお嬢様にとって、銭湯は全くリラックスできる場所ではないようである。


 しばらくして顔を上げると、いつの間にか露天風呂に来ていた花菱のお姉さんたちが、月美の奇行をまじまじと眺めていた。月美はますます顔を赤くして、内風呂へと退散していくのだった。

 

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[良い点] ガハッ… お湯の中で妖艶な百合ちゃんと悶える月見ちゃんの様子が鮮明に想像できます…尊い…
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